あおのきつね

 とある村の外れに、「きつねやま」呼ばれる山がありました。
 その山には、昔から奇妙な言い伝えがあり、村人達に気味悪がられていました。山のてっぺんには狐の神様が住んでおり、神様を怒らせると化け物が出ると云われているのです。 おかげで誰一人として、きつねやまに登ろうという人はいませんでした。

 そんな山に、二人の兄妹は今、ひっそりと登っているのでした。
 兄の方は大きな荷台を引いていて、その荷台には、誰か人が乗っているようなのです。「母様、もう少しの辛抱だよ。もうすぐ着くからね。」
 ふいに妹の方が、心配そうに荷台の方へ話しかけました。
 荷台は山道でひどくがたがたして、その振動で揺れている母親はつらそうです。しかし、山の斜面を、人と荷物の乗った荷台を引く兄の方も余計に苦しそうでした。
山の斜面は登るにつれてひどくなり、しばらくするとだんだん緩やかになってきました。これに気付いた兄は、もうすぐだな、と思いました。

 この三人の親子は、ふもとの村の人間でした。
 父親は、妹の美央がまだ三つの時にはもう居ませんでした。
 美央は、父親が どんな人だったかは覚えていませんでしたが、村人に非難されていて、母親もよく泣いていたので、あまり良くない人だったんだな、と幼いながらも思っていました。
 二人の兄弟を必死に育てていた母親も、ついに体が悪くなり、父親の借金のかたに家をも失い、行く当てがなくなったのです。
 誰も手を差し伸べてくれる人もなく、せめてもの救いがやっと兄の雷が成人したことでした。三人は仕方なく、山の上にあるという小屋に移り住むことになったのです。
 なぜ父親は出て行ったのか、村人から非難されるのか、そんなことは美央には分かりません。ただ、父親の使っていたと思われる銃が、この家を去る寸前まで、納屋の中にかけてあったのを、美央は知っていました。 


 休みなく歩き続けていた雷がようやく立ち止まりました。
 どうやら着いたようです。
「結構奇麗なところだね。」
 美央は目の前の小屋が気に入ったらしく、疲れていることも忘れて駆け寄りました。
「ちりがあまり落ちていないね。誰かが掃除でもして行ったのかな。」
 家の戸を開いて様子を見た雷は、何気なくそう言った後「まさか……」と呟きました。 人などが来るはずがないのです。
 一体だれが掃除なんてしていくのでしょうか。
「きっと狐の神様がここにいらっしゃったんだわ。病気の母様のために。ねえ兄様、明日 薪拾いに森に出掛けていい?」
「あまり遠くに行くなよ。」
 身の毛のよだつような思いをしながら雷は答えました。
「でも神様は一番てっぺんにいるって母様は言ってたわ。もっともっと上らないと神様に は会えないよ。」
「会っちゃいけないよ。神様に会ってはいけないんだ。」
 雷が叱るような強めの口調で返したので、美央はびっくりして話すのをやめました。  翌朝、雷が家を出ると、美央はさっそく森に出掛けました。
 周りは木ばかりで何もないところなのですが、何かしら起こりそうな気がして、うきうきします。
 美央は、しばらく薪をきちんと拾っていましたが、そのうちきょろきょろしたりにわかに立ち止まって耳を澄ましたりするようになりました。
 小さな小さな、とてもかすかな、水の流れる音がしたのです。 その音は、草がより分けられていてけもの道のようになっているずっとずっと先の方から聞こえます。 そして、やっぱり進む度に近づいているらしく、音も大きくなっていくのです。
 進んでいくうちに辺りの花が赤やだだいから青や紫に変わっていったりとしましたが、美央は、ただただ水音がする方へと足を運んでいったのです。
 どれくらい歩いたでしょうか。
 ようやく美央の膝の高さまであった草が途切れて赤色の土が覗きました。
 そこにはちゃんと小川もあったのです。
 美央は立ち止まって首を傾げました。「自分は知らず知らずのうちに、どうもおかしな所に迷い込んでしまった」、と思ったのです。
 帰り道も分からない状態なので、拾った薪を下にぶちまけて、美央は横に座り込んでしまいました。
 その時、何だか川の方からの光がちかちかっとして、眩しかったので、美央は思わず草むらの方を向きました。その草むらの中に、青色の尾のようなものがちらと見えたのです。 驚いて目をこすると、次の瞬間眩しい光は消えていました。
   がさっ!
 突然の物音に美央はびくっとして肩をすぼませました。
「誰か居るの?」
 何も返事は返ってきません。
「きつね……?」
 美央は思わずそう呟きました。
「きつね……?」
 言葉が返ってくると同時に青い小さな頭がひょっと覗きました。
 人間です。
 なぜこんな所に人間が……?
 そんなことは幼い美央には考えつきません。
「ここの山に住んでるの?」
「そうだよ。」
 相手の男の子は茂みから体全体を現わしました。男の子は、ボロボロで格子模様のような模様がついた着物を着ています。
「僕はずっとずっと前からここにいるんだ。」
 美央は警戒しながらゆっくり『きつね』に近づきました。
「あたし達は、昨日越してきたばっかなの。」
 美央がそう言った時、まるで叫ぶような鳥達の鳴き声が空に響き渡り、黒雲が太陽を覆いました。
「今日はもう帰った方がいいね。明日また会おう。」
 そして途方に暮れたような顔をした美央を見て何かを察して、手を出しました。
「こっちだよ。教えてあげる。」

 次の日、美央はまた同じ場所へとやってきました。
 昨日と違って、導かれるようにに足が赴き、帰り道だってちゃんと分かっています。
「居るかな・・・。」
 さわさわと木が揺れるなか、美央の呟きはごく自然にかき消されました。
「呼んだ?」
 ひょっとまた、青色の頭が飛び出しました。
 そしてまた、にっこりと笑った男の子が立っていたのです。
「あたしね、『美央』っていうの。あなたの名前は?」
「知りたい?」
 男の子はにっと意地悪っぽく笑いました。
「なんだと思う?当ててみなよ。」
 また、風が吹き、草むらがざわざわいっています。
 美央は下を向いて考えました。もっとも、考えただけ当てられるなんてことはないのですが。
「分からないわ。教えてよ。」
「教えられないよ。僕には名前なんてないから。」
 青い髪をした男の子は、そう言いながら碧い瞳をぎらっと光らせました。
「嘘!母様は、誰にだってちゃんと名前がついてるって言ったわ。」
「へえ、君の母さんが?」
 彼の瞳の光が、さっきより少し鈍い色に変わったようだ、美央は思いました。
「美央には母さんがいるんだね。」
「いないの?」
「死んじゃった。銃で打たれたんだ。バ−ンって・・・。」
 美央は、頭の中に一瞬、その光景が広がったような気がしました。
 あか あか あか・・・・・・
 目の前が真っ赤になったような感じです。
「他に家族はいないの?」
「いたよ。姉さんが一人・・・ね。・・・でも・・・。」
 その先は、美央でも大体察しがついたので、美央はうつむいて黙ってしまいました。
 しぃん、と静まり返った後に、水音と風の音だけがしています。
「ねえ、もうこん話よそう。山の上にねえ、大きな木が立ってるんだ。行ってみようよ。」 男の子はにわかに元気を取り戻したように言い出しました。
「わあ、聞いたことある。この山のてっぺんに神様の木が立ってるって。きっと大きなき なんでしょうねえ、見てみたいな、あおぎつねっ。」
「あおぎつね・・・・・・?」
 『あおぎつね』と呼ばれた男の子は、驚いたとでもいうふうに目を丸くしています。
「名前がないなら今日からキミはあおぎつねだよ!」
 茫然としていたあおぎつねは、急にふっと笑みを浮かべました。
「じゃあ大きな木を見に行こうよ。」

 美央とあおぎつねはすっかり仲良しになり、二人のお気に入りの場所は狐山のてっぺんの大きな木の登れる限り登った所になっていました。
 そこでいろんなことを話し合ったのです。
「僕の母さんはね、あの青い空のずっとずっと向こうに居るんだって」
「じゃあ、ここよりもっと高く登ったら会えるかな」
 美央は「そうかもしれないね!」という返事を期待していたのですが、あおぎつねはまた瞳を曇らせ、首を横に振りました。
「会えないよ。母さんは、君の思っているもっともっと上に居るんだ。どこまで上なのか、 僕には分からない。僕だけがずっとここに居て……ずっと一人ぼっちだった……」
 そういうあおぎつねは、今にもなんだかぼやけて消えてしまいそうに思えました。
「でももう一人ぼっちじゃあないよね?」
 本当に彼は消えてしまうんじゃないかと美央は心配そうに言いました。
「美央はあおぎつねの友達だよ!ずっとずうっと友達だよ。」
「それ、本当……?」
「うん!」
 力強いこたえを聞いたあおぎつねは、青色に輝く髪を振って大きく頷きました。
 風がびゅうびゅうなりました。まるで低い唸り声のようです。
 この季節はいつもこんな風が吹くのです。
「もうすぐ『神様のお祭り』の頃だねえ。」
 あおぎつねは思い出したように呟きました。
「神様のお祭り?」
毎年のこの時期にある村祭りなら知っていましたが、「神様の祭り」なんて聞いたこともありません。
「きっとびっくりすることが起こるよ。五日たったらあそこに見える木の所に来てみて。」 そう言ってあおぎつねは、東の方の杉の木みたいな木を指しました。
「五日たつまでは外に出ちゃいけないよ。……たぶん出られないだろうけどね。」
あおぎつねの見つめている向こうには、ものすごい速さで渦巻く黒雲があったのです。 次の日、あおぎつねの言った通り美央は外に出られませんでした。毎年やっぱりこの頃にやってくる嵐が来ていたのです。そのせいで外に出ることの出来ない美央は、母親の側にいて風の音を聞いていました。
 窓の外は真っ暗で、時々稲妻がカッ!と光ります。
「雷神の到来……」 
雷がそんなことを呟きました。
「ねえ、母様。もうすぐ『かみさまのおまつり』があるんだって。嵐が終わったらきっと 何か起こるよ。」
美央は、できるだけ雷に聞こえないようひそひそと言いました。
「まあ、それは兄様に聞いたの?」
「違うよ。あおぎつねに聞いたの。」
美央はさっきよりもっと声を小さくして話します。
「碧狐って狐のこと?」
「違うよ。あおぎつねは人間なの。」
「美央のお友達なのね。村の人なの?」
 これには美央は答えることができませんでした。
 あおぎつねはどこに住んでいるのでしょうか。
 あおぎつねは山に住んでいると言ったけど、雷の話だと山には誰も住んでいる筈がないらしいのです。本当は村に住んでいるのかもしれません。 いつもは森で会うけれど、どこから来ているのかは見当もつきません。
「よく分からない……けど……、山に住んでるって言ってたよ。」
「そう、お友達ができてよかったわね。」
 そう言うと母親は本当に『よかった』という顔で微笑みました。
 美央は、母親が大好きでした。
 美央は母親が病気の事を知っていたので、母親と話すときはいつも気を使っていましたが、今日はなんだかいつもより元気そうでほっとしています。
 五日間、あおぎつねの言った通り五日間、ずっと風が荒れ狂っていたので、外に行けない美央は、ずっと母親とお喋りをして過ごしました。
 そうしている内に、だんだん嵐は納まって来ました。
 しかし、嵐が納まるにつれて雷の不安な気持ちは大きくなっていくのです。そしてその不安は、翌日にはさらに大きくなって行きました。
「美央、今日は外に出ずに、母様の側についていなさい。」
 雷は今にも外に駆け出しそうな美央を呼び止めました。
「えっ?どうしてなの?今日は嵐はもう行ったし、あんなに晴れてるのに。」
 雷は訳を言うことが出来ませんでした。正直を言うと、自分でもよく分からなかったのです。
「今日は止めるんだ。俺は仕事があるから母様に付いていられないんだ。分かったな。」「うん………………。」
 美央はいつもと違う雷の険しい表情にしゅんとして頷きました。
 それを見た雷はまた胸騒ぎを覚えましたが、すぐせわしく村に降りていきました。
 なぜ雷はあんなに怒っているのだろう。美央はさっぱり分かりません。
「母様、気分はどう?」
「とってもいいわ。なんだかいつもよりずっと気分がいいの。」
「母様の病気、治ってるのかな。」
 美央はぱっと目を輝かせました。
「さあ、それは分からないけど……。ところで、今日は遊びに行かないの?」
「今から行ってくる!」
 美央はそう言っても、雷の言い付けを忘れたわけではありません。でも、元気な母親を見て、雷が言う程心配する必要も無いと考えたのです。

 美央はすぐに外に出かけ、あおぎつねと約束した場所へ向かいました。

 着いたところは、あの大きな木から見た感じとは違っていました。
 嵐の後だからなのかもしれません。そこら一帯のあちこちの木の枝が折れて、細い木などは倒れて無惨な姿を晒していました。
 美央はさすがにこの場所はあまり訪れていないので、歩いているうちにだんだん怖くなってきました。
 どこまでも同じような景色が続いていて、このまま歩き続けたらどこにたどりつくのだろうか、と考えずにはいられないようなところでした。
 あおぎつねはもうここに来ているのかな、と思った時、よく透る聞き覚えのある声が響きました。

「こっちだよ。なかなか来ないからすっかり準備が終わっちゃったじゃないか。」
 見ると、この辺りでは一番登り安そうな木の上から声が聞こえます。。
「何の準備が……。」
 美央は言いかけてはっと口をつぐみました。
 あおぎつねの背後から覗いていた青空が、ざあっと黒雲に覆われていったのです。  「ほら、早くしないともう来ちゃうよ。急いでそこの穴に入って。」
 美央は訳が分からないまま急いで辺りを見回しました。すると、いつからそこにあったのか、あおぎつねの立っている木の下に、ちょうど子供が一人入れそうな穴がぽっかり開いていたのです。
 風が強く美央を吹き付けました。
「早く!」
 美央は、急かされるまま穴にもぐり込みました。と、とたんに風がいっそう強くなり、木の葉が一斉に流れていくのが目に映ったのです。驚いた美央は、息を飲んでじっとその様子を眺めていました。
 どうやらあおぎつねはすでに別の木移ったのか、上からの気配はありません。どこに行ったのか気になっても、体がこわばって動きません。
 風がびゅびゅう暴れて恐ろしい唸り声が聞こえましたが、なぜか風は穴の中まで入ってきませんでした。そして、風の音は、だんだん足音のような音に聞こえ、ついに美央の目に黒い影の化け物が目に入ったのです。

 美央は声にならぬ悲鳴をあげて逃げたそうともがきましたが、思うように体が動きません。
「止まれ!」
 ちょうど黒い影が穴の前まで差しかかった時、高いあおぎつねの声が響きました。あおぎつねは向こう側の木に立っていたのです。美央の居る穴は何故か妙に見通しがよく、その姿がはっきりと見渡せます。
「…………………………………。」
 あおぎつねは、何か声を発しているようですが、はっきりとは聞き取れず、美央が今まで聞いたこともないような言葉のようでした。それはまるで、何かの歌のようにも聞こえました。
 真っ黒な影はあおぎつねの方に手らしきものを伸ばしてきました。
(危ないよ!早く逃げて!)
 美央はそう叫んだつもりでしたが、やはりそれは声にはなっていません。
 しかし、あおぎつねは一向に動じずに立ったままです。すると、もうすぐであおぎつねをわし掴みにしようとしていた化け物が、苦しみ出しました。
 そして、聞くにも耐えないような咆哮が響き渡り、美央は思わず耳を塞ぎました。
「ぐおおおおおおぉぉぉ!」
 黒い影は、何か言葉を発しているようにも思えました。そしてその声に、美央は何かしら自分に関係のあるものに感じました。それが余計に怖かったのです。
 風は、この異質な存在を疎外しようとしているようでした。彼を切り裂こうとして吹き付けているようにしか見えません。
 木々達も同じでした。風の動きに合わせて枝を揺らし、化け物の黒いからだを貫くかのように襲いかかります。
 それらは、森全体の怒りのようにも感じられました。
「っっっぅっっっっ!」
 黒い化け物は、呻き声を上げながらゆっくりと方向転換をしました。
「逃げてしまうぞ!今度こそ捕まえるんだ!」
やっとなんとか身動きかとれるようになった美央は、夢中でずるずると穴から這い出しました。
「あおぎつね!あいつ美央の家の方に行く!」
 しかしもう遅かったのです。真っ黒な化け物は、それこそもう影のように、するすると向こうに消えてしまいました。
「失敗だよ。動きが封じ切れなかった。」
 あおぎつねは、誰に言う風でもなく高く叫びます。
「あおぎつね、あの化け物、母様を狙ってる。」
 困り果てて美央は再度言いました。
「違うよ。あれは姉さんを狙ってきたんだ。姉さんの魂を、毎年食べようとくるんだ。で もいつだって追い出してやったさ。」
それでも美央は不安でした。あの恐ろしい化け物は……、自分の父親に違いないとなぜかそう思ったのです。きっと父親が死んであんな風にになったに違いない……、そう思えてならなかったのです。
 兄様の行った通り、今日は母様の側に付いていた方がよかったかもしれない………………。
「でももう大丈夫だ。姉さんの所へ行こう。もう今年は二度とここには来れない。来年は 絶対退治してやるよ。」
 そう言うとあおぎつねするすると木から降りてきました。
「化け物は逃げたの?」
「うん。そしてまた閉じ込められて、秋になったらまたやってくるんだ。」
 あおぎつねはすぐに歩き出します。美央は安心したのか一緒に後に着いていきました。あおぎつねはまた、今まで美央が一度も行ったことの無い場所に向かって歩き出しました。『姉さんの所に行く』というのはどういう事なんでしょうか。
 今まで舞っていた風のせいか、落ち葉が少し増えています。進むにつれて赤い彼岸花も一本、又一本と増えていっていました。

 そこは、この山のほぼ頂上の場所でした。
 見ると、下に幾つかの小石が乗せられていて、横に小さな花がおかれています。それは、たぶん、あおぎつねが供えたのでしょう。
「ほら、あそこに住んでたんだ。」
 あおぎつねはそう言って、何のためらいもなし向こうの狐の巣のような穴を指さしました。
 碧狐はやはり狐だったのです。しかし美央は一向に驚いていませんでした。いつからそんなことを知っていたのか、「ああ、そうだわ。あおぎつねは確かにキツネだった。」と思っていたのです。
 しかし実際、それは考えてもみなかったことでした。あおぎつねは「きつねのようなひと」だったけど、「ほんもののきつね」だなんて思ったことはなかったのですから。
 彼は狐が人間に化けた状態なのです。美央はそんなことさえ疑問に思わず、ただ当然のごとく受け取っていました。
「なぜあの黒い影はあなたの姉様の魂を食べようとしているの?」
「あいつはふもとの村の人間なんだ。生きてるときだって、村に行った姉さんに悪さをし ようとしたんだ。姉さんも母さんも、あいつに銃で殺されたよ。」
美央の心臓がどきっと鳴りました。頭の中には、なぜかあの、父親のものである銃が浮かんでいました。
「僕はあいつを許さない。絶対捕まえて二度と姿を出せないようにしてやるんだ。」
 そう言う碧い狐の目は深い海の色に輝いていました。
「姉さんにそう誓ったんだ。」
 美央はそんなあおぎつねを見て、複雑な心境になっていました。
 あれはたぶん……いや、確かに自分の父親なのではないでしょうか。なぜかそう強く感じたのです。しかし、美央は父に会って「懐かしい」とも「会えて良かった」とは思えません。何しろ父親の記憶は全くないのですから。
 しかし、父親はやっぱり悪い人だったんだ……と思うと悲しくてたまりません。その上今でもこの森を傷め付けようとでもしているのでしょうか。
「でも今日は何だかおかしいな。あいつはもう去ったのに何だか騒がしいね。」
 美央はあおぎつねの言葉にびくっとして振り向きました。急に、とてつもない胸騒ぎが、美央の中で起こったのです。
       ばんっっ!
 ものすごい音を立てて美央は扉を開けました。
 そしてそこには、雷が暗い顔をして立っていました。この様子では何も無かったはずがありません。美央は方で息をしながら、いやな予感を振り払えず雷を見ます。
「どうして言い付けを守らなかったんだ……。」
 その言葉は、叱るというより、責め立てるようで、半ば無気力な声でした。
自然と美央の目から涙が溢れてきました。
「母様……?」
 そこには、変わり果てた母親の姿が横たわっていました。
   どうして言い付けを守らなかったんだ……
 雷の言葉が、美央の胸をきつくしめつけます。
   どうしてちゃんと母様の側についていなかったのだろう……
美央の心の中は後悔でいっぱいでした。
やはり、雷の嫌な予感が当たってしまったのでしょうか。
「兄様、父様だ。父様がきっと母様の魂を連れていってしまったんだ。」
 泣きむせびながら美央は言いました。
「何を馬鹿なことを……。」
雷は美央の頭を撫でながらそう言いましたが、はっきりとした否定はできません。雷は、この山に来てから『嫌な予感』にずっと脅えていました。いつもここに居る間、言い知れぬ不安が立ちこめていたのです。
「父様はもう化け物になってしまているの。あおぎつねは……、森のみんなは父様を恨ん でいるわ。」
「『あおぎつね』?」
 雷は不審そうに眉を顰めました。
「毎年魂を食べに来るの…………失敗したから母様を……。」
 雷は黙って美央が泣きやむのを待ち、ようやくすすり泣きになってきたところで静かに口を開きました。
「美央、山を降りよう。きっとここに居てもいいことはない。母様が居なくなってはここ も寂しくなるだろう?」
「えっ………………?」
美央はびっくりした顔をして首を横に振ります。
「何で?誰も村の人達なんか助けてくれないよ。あんなところで暮らしていけない。」
「大丈夫だよ。俺の雇い主ならきっと助けてくれる。あんないい人と知り合えて良かった」 そんなことはどうでもいいことでした。さっき行ったとはただに言い訳であり、事実、美央はここを離れたくないと思っているのです。もちろん、感の言い雷はそんなこと百も承知でした。
「嫌だ……嫌だ!」
 美央はそう叫ぶなり、部屋の布団に潜り込んでしまいました。
 雷は静かに溜め息をついて帰らぬ人を見ました。
「母様……。俺独りで一体どうしてゆけというのですか……。」
 陽がゆっくりと沈んでゆきます。
 あの胸騒ぎは、やはり母の死を暗示していたのでしょう。しかし、母が死んでしまった今でも、雷の胸騒ぎは消えていませんでした。

 翌朝、美央は雷の隙をついて家を出ました。
 母についてられなかった自分に後ろめたい気持ちで一杯でしたが、あおぎつねのことも気になります。あおぎつねは何処から現れるか分かりません。
 いつもなら向こうから声をかけてくれるのに……。
美央は不思議に思いながら頂上の木を目指して走りました。

「居た……。」
 あおぎつねは、木の下ですっかりうずくまっています。美央は息を切らしてあおぎつねに近づきました。
「ど……うしてみんな……。」
 あおぎつねは真っ青な顔をして何かを呟いています。
「どうしてみんな……、母さんも、姉さんも、僕を置いていくんだろう。」
 あおぎつねは、いつか言っていたような言葉を言いました。
「あおぎつね……。」
「僕はずっとここで、独りで居たのに。姉さんを守っているのに……。」
「あおぎつね……、美央の母様が死んじゃった……。」
 あおぎつねは物音を立てずに振り向きました。
「美央の母さんも……。」
「あの怪物はきっと美央の父様で、父様は母様を連れていったの。

「でも君は独りじゃあないだろう?」
 目に光を宿さないままあおぎつねは立ち上がります。
「君には兄さんが居るじゃないか。」
「兄様は、この山を降りなきゃいけないって。」
 あおぎつねはそれを聞くと、きっと口を結びました。
「じゃあもうお別れなんだね。僕はこの山から出られない。やっぱり僕は独りぼっちなん だね。」
彼の顔には乾いた笑顔が浮かびました。
 美央はふいに胸がずきっと痛みました。なんだか悲しくなってぶんぶんっと首を横に振ります。
「違うよ。美央はずっとずっとあおぎつねの友達だって言ったよね。美央は山から降りな い。」
「でも君の兄さんはそうさせちゃくれないだろう。あの人は君たちの母様を僕が殺したと 思ってるんじゃないかな……。」
 その時、山の下の方を、人が歩いているのが二人の目にはいりました。
「兄様だ……。美央が黙って出てきたから捜してるんだ……。」
 雷は、だんだんこちらに向かってるようです。
(どうしよう。兄様はきっと、美央を見つけたら村に連れていくつもりなんだ。)
 あおぎつねはしばらくそちらを眺めていましたが、突然美央に向かって手を出しました。「行こう。兄さんに捕まらないように逃げるんだ。」
「え……?」
 美央はあおぎつねに不安そうな顔を向けましたが、あおぎつねは楽しそうににっこり笑っています。
「うん。」
ぱっと顔を輝かせた美央は、あおぎつねの手に掴まり、駆け出しました。

 雷は、やっとの思いで頂上の木までたどり着き、息を切らせながら足を止めました。木の下には、幼い少女が眠っているように横たわっていました。

 気が遠くなりそうになりながら、雷はゆっくり少女を抱きかかえます。少女は、今はもう頬の赤みが消えていて、まだ体温が残っていた体も、だんだん冷えて冷たくなっていくのがよく分かりました。
彼はもう、今は誰も居なくなったあの小屋へ帰る気は全くありませんでした。そうして、冷たい少女を抱きかかえたまま静かに山を降りていきました。
 
 村人達に化け物が出ると恐れられている狐山……
 彼岸花のように、真っ赤に染まった狐山……

 その山を、一人の青年は今、ひっそりと歩いているのでした……
 大事そうに冷たい少女を抱きかかえ……

 彼は静かに山を降りてゆきました……
 子供たちの笑い声を背に……………

   今でもあの山は、彼らの笑い声が響いているのでしょうか……………
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この小説は中2の夏休みに宿題として提出した作品です。 具現化するまでにそれなりの時間が経過していたので最初考えていたイメージと随分違って+短くなってしまいました。
まあ内容にもそれなりの想いっちゅーもんが込められてるんでこの物語の内容はそれなりに解釈して欲しいです。
(童話っぽくするのが当初の目的だったのですが、この年は読書感想文に「銀河鉄道の夜」を書かせていただいたので どうも影響を多かれ少なかれ受けちゃったようですねェ。ちなみにその前の作品は「夏の庭〜ザ・フレンズ〜」の影響を受けたとかないとか)

それなりにばっかやん(汗)