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| 2002年2月末、私はガクンと落ち始めた。私はそのことを妻に言わなかった。言っても仕方ないと思ったこともあるし、鬱の激化という認識もしていなかったこともある。 言い知れぬ不安感を漠然と抱き始めたあの頃。 ただ睡眠も普通に取れていたし、変だ、変だ、とは思いつつ暮らしていた。日に日に状態は悪化していた。 4月末からは早朝覚醒も始まっていた。勤めから帰っても、不機嫌そのものになっていった。 妻は当然、私が1998年から神経科に通院することは知っている。しかし、これほど急激に落ち始めたことには気付いてはいなかった。4月も末。遂に妻が泣きながら、 「勤め先での嫌だったことを家に持ち込まないでっ。」 と叫んだ。 ここで初めて私も激高して、 「鬱がひどくて辛いんだ!!医者には数ヶ月、休んだ方がいいと言われているんだぞ。」 と言い返した。 「休みたいんなら休めばいいでしょ。」 とさらに言い返して来る妻。行きがかり上、最後まで、 「そうだったの、鬱がひどくなってきていたんだね。」 という言葉はなかったけれどこの悶着で妻は初めて私の鬱がかなり進んでいることを知った のである。 もとより我々夫婦は会話が少ない方ではない。子どもの事、互いの職場のこと等、人並みには話を交わす方である。 だのに、なぜ2月以降の病気の経過を克明に言わなかったのだろうか。辛いことをなぜ、辛い、と言わなかったのだろうか。 「なんか気分が晴れないんだよなー。」 程度の事は3月の頃、言っていたような気がするがそれが鬱の激化であることは認識していなかったから妻も当然、私の鬱の経過について正しく理解し得なかったのだ。言い争いの後医学書等を見て彼女は鬱病について改めて認識することになる。 その後の私の激鬱の様子を見て、この病の凄まじさを妻もまた知ったのだった。 性格上、妻は、 「今日は調子はどう?」 なんて言うタイプではない。それはそれでいい。 頭を抱えてうずくまっている時、 「大丈夫かい。」 なんて声を掛けられたってしょうがない話ではある。が、たまには声を掛けてくれてもいいじゃないか、と思うこともある。やっかいな病ではある。 しかし、互いの職場の話など夫婦の会話はさりげなく増えた気がする。あの言い争いの後妻の労りの気持ちは感じられるようになった。そうしてみると肝心な事を的確に伝えていなかった自分が悪かったのだろう。 夫婦、摩訶不思議な関係ではある。 |