変わる  2001・3・28
人間は、自分から変わることはできない。
自己の内的要因によって、変化を遂げた人間は、まずいない。

だから、変わりたかったら、変わらざる得ない状況に自分を置くしかない。
明るい人間になりたかったら、ディズニーランドででも働け。
行動力が欲しかったら、“深夜特急”にでも乗ってしまえ。

人間は、黒船が来ない限り変われないんだ。


人間の精神  2001・3・21
人間の精神なんて、一本足の直立のようなものだ。
余程バランスがいいか、周りで支えてくれる人がいない限り、風が吹いただけでも倒れる。


青春  2001・1・27
仲間と一晩中 語り明かすのも青春なら、孤独の中 独りひたすら自問自答を繰り返すのも青春。


自由  2001・2・16
自由には、“フリー”と“リバティ”の二つがある。

フリーは、何もないゆえの自由。
リバティは、責任をともなった自由。

映画の入場料がフリーだった場合、無料だ。
しかし、リバティだった場合、自分の満足に応じて、自分で入場料を決めなければいけない。

フリーターは、いつでも仕事を辞められる自由(フリー)がある。
店長は、店を自分の好きなように作れる自由(リバティ)がある。

free or liberty  どっちを選ぶ?


平等  2001・3・11&31
あくまでも世の中は平等(イコール)であって、決して均等(ユニフォーム)ではない。

1/3と2/6は平等(イコール)だ。
3持っている人間から1を取る場合、6持っている人間から2を取るのが、平等(イコール)だ。

映画の入場料が平等だった場合、その人が持っている財産に応じた入場料を払う。
しかし、均等だった場合、全ての人間が同じ入場料を払う。

高い社会的地位にある者は、それ相応の税金も払うが、それ相応の待遇も受ける。
低い社会的地位にある者は、それ相応の税金しか払わなくて済むが、それ相応の待遇しか受けない。

「平等だから、全て同じに〜」という人がよくいるけど、それは、均等とは言っても、平等とは言わないと思う。


生きる  2001・2・9
私たちは、生命ある生物である。
生物として、私たちには自由に人生を送れる権限がある。
考えたり、行動したり、喜んだり、楽しんだりする権限だ。

しかし、権限には、必ず責任がともなう。

では、自由に人生を送れる権限にともなう責任とは何だろう?
それは、生きることだ。
生物という地位に派生する最大の責任は、生きるということだ。

なぜ、生きるということなのか?
それは、私たちが‘生’物だからだ。

生物の体は全て、生きるという事に適して出来ている。
つまり、生きるということは、生命を与えてくれた“神”の、私たちに対する意思なのだ。
だから、“神”の意思でもある生きるということを、私たちは生物のとしての責任として、全うしなければいけない。


社会の中で生きる  2001・2・13
人間は、自由に人生を送れる権限を持っている。
その権限にともなう責任は、生きるということだけだが、人間にはもう一つ、社会というモノに対しても、責任を負わなければいけない。
一つの生物としての人間であると同時に、社会の構成員でもあるからだ。

その社会が私たちに課す責任とは、何だろう?
それは、「正しく」生きることだ。
「正しく」生きてもらわねば、社会を維持することはできないからだ。

だから、その分、自由に人生を送れる権限というのは、制限を受ける。
それは、やむを得ないことだ。
もし、それが嫌ならば、社会から出て、無人島などに独りで住むしかない。


正しく生きる  2001・2・25
正しく生きる、とは何か?
正義を貫き、礼儀を守ることだ。
では、正義を貫き、礼儀を守る、とは何か?
いずれも、人間愛だ。自己と他者を愛することだ。

他者を愛する気持ちがあれば、ヒトに悪いことなど、してはならない。
自己を愛する気持ちがあれば、悪者としての人生など、送ってはならない。