サイトマップだよ〜ん♪

四季の散歩道

現在、大阪市阿倍野区に住んでいます。
すぐそばに、昔の「熊野街道」があり、京都からの、熊野神社参詣にも使われたそうです。
街道にそった神社と、街道筋を先ず紹介します。

 

安倍晴明神社阿倍王子神社

 

1安倍晴明神社

 最近は、ものすごい人気ですね。私は、夢枕獏さんの小説の大ファンなんですけど、コミックのほうがすごいようで。 子供の頃、読んだお話は、今昔物語の一部だったかと思いますが、はっきりしません。けれど、引っ越してきてみて、『ああ、そうだった』と、狐のお話を思い出したのでした。


 『葛乃葉(くずのは)伝説』によると、晴明の父、安倍保名は大阪市阿倍野区阿倍野の出身とされています。


 昔、阿倍野というところに、安倍保名(あべのやすな)という占いをする男がいました。
あるとき、和泉(いずみ)の信田明神(しんでんみょうじん)にお参りに出かけていきました。
  済ませて帰ろうとしたところ、狩りで追われた白狐が逃げてきました。
助けを求める狐を哀れに思って、猟師から、かくまってやりました。
 何日か経った夜、保名のもとに女が尋ねてきて、おいてくれと頼みます。女は、「葛乃葉」と名乗りました。
二人は、阿部神社の近くに住み、やがて生まれた子供が、安倍童子(あべのどうじ)すなわち後の晴明というわけです。
  そして、女はかつて助けてもらったあの狐だと打ち明けて、去っていった。
というようなお話でした。


以下、『阿倍王子神社の説明書』から、引用します。
 

晴明と今年の干支の
を組み合わせた絵馬

狐は古来から、霊力を持った動物として崇められており、白狐であった母親を持つ晴明は、「天才陰陽師」として君臨することになるのです。
晴明が阿倍野の出身というのは、安倍晴明神社の記録としても残っています。
安倍晴明神社に伝わる『安倍晴明宮御社伝書』には、安倍晴明が亡くなったことを惜しんだ上皇が、
生誕の地に晴明を祭らせることを晴明の子孫に命じ、亡くなって二年後の寛弘四年(1007年)に完成したのが、安倍晴明神社であると記載されています。

昔、読んだ本には、、母狐が子供に別れるときに、詠んだとして…「恋しくば、尋ねきてみよ、和泉なる信田の森の恨みくづの葉」…が記されていました。
実際、すぐそばに、「くづの葉」なんて食堂?かなんかに名前が残っていたりして面白がってました。
 と、最近、ひょんなことから、 一帯に保名(やすな)という地名もあったと知りました。※

もともとは、阿倍一族といわれる豪族がいたそうです。
神社は、大変小さなもので、阿倍王子神社と50mほどのところにあります。 (宮司さんは兼務)


※ 余談になりますが、昨年か、発行された、「球撞き屋の千代ちゃん」という本があります。千代ちゃんが開いたお店の名は「保名倶楽部」といいます。ちょっと前まで、一帯に保名(やすな)という地名が残っていたそうです。

鳥居左の石柱に晴明
生誕伝承地とある
 この写真をクリックすると境内に入れますョ!
安倍晴明ゆかりの地 三か所
  • 京都の晴明神社は、生前活躍した頃の屋敷あと、
  • 大阪の安倍晴明神社は、生誕の地
  • 京都の嵐山に墓所があるといいます。「渡月橋」の近くの細い路地の中とか…らしいです。(渡月橋−一番有名なあの橋の名前です。)


「願い事は―な〜んでもあり」みたいです。晴明さんですものぉ。絵馬に病気平癒の願掛けが多かったのですが、「幼い時から賢かったから、受験もええのよ」と社務所の女性が言ってました。

  926が命日で、晴明祭が行われ、あと4年後すなわち2005年は、没後1千年ということです。

どんな本(文献)があるか、詳しくはホームページへどうぞ    http://www.abeseimeijinja.com

バス通りから神社への
路地

 

2. 阿倍王子神社 →晴明神社の南50m

縁起によると、本来は仁徳天皇による創建。平安初期(826年)、空海が淳和天皇(じゅんなてんのう)の勅命で、この社に来て祈祷した。そして見事、疫病退治に成功した…うんぬんとあります。
(どうも、この辺は神社自身もあんまり信じらんないっていうよーな書き方だった)

ただ、豪族「阿部氏」の氏寺として大きなお寺があったことは間違いないようです。そちらは平安時代に四天王寺に併合されたとか。 なんでも熊野街道に面した社殿かなにかあったようで、それが元宮ということのようです。その頃、熊野詣で (熊野三山―本宮、新宮、那智大社) が広まって、平安時代に特に盛んになり、鎌倉を経て、室町時代頃まで続いたということです。
『蟻の熊野詣』ということばはその盛んなことを 言ったのでしょうか?

病気の治療が困難だった時代…。良い薬も少なく、衛生観念も薄かった時代。厄年を信じるとなれば、これはもう神頼みしかなかったでしょう。

  ☆《熊野への道筋》
熊野に行くには、京都から舟に乗って淀川に入り、大阪まで来ます。大川を過ぎて、現天神橋(この一帯は、天神祭りの船渡御をする場所です。)近くの「八軒家」 (旧東区京橋5丁目付近)という地で上陸。あとはひたすら、「歩き」です。
摂津の国、和泉の国(大阪府)を経て、紀伊に入り
、熊野に詣でたようです。

王子神社の入り口
熊野街道のことを説明している。
上陸後は、道中が、大変でしたでしょう。そこで、拝む(遥拝)という形をとって休憩するために九十九の末社(王子)をもうけたといいます。阿倍野は、四天王寺(聖徳太子の建てた)と住吉大社(海の神)のちょうど中間にあるというので、休憩するのに好位置だったようです。

といっても、かなりの距離ですけど。ざっと見積もって地下鉄3駅ずつ位です。

万葉集の編纂で有名な、歌人「藤原定家」(鎌倉時代)の日記『名月記』には、阿倍野王子神社が「4番目」として名があがっているそうですが、熊野詣の衰えと共に廃寺になるところも出て、江戸時代には、2番目となり、現在では、大阪府下で唯一、旧地現存の王子社であるとか。

ということは、まだ他にも、「なんとか王子」が大阪府下にあるわけですね。

熊野大社の末社として「厄除け」、「無病息災」、「病気平癒」、「家内安全」、「事業繁栄」等が、主な信仰とあります。
平安の貴族もはるばると出かけたわけがわかるような気がします。

大きな木が三本、ご神木になっていますが、境内もたいした大きさはありません。
晴明神社がしまっていたら、こちらへ。

熊野古道は、らくらくウォーキングできる道が南紀に整備されています。以前に一度歩いた事がありますが、こちらに行くと休憩するのにちょうどよい場所に「各王子」が設けられているのが実感できました。★

毎日、やってる、占いコーナー

 

HOME サイトマップ 楽しい便利サイト集 ぱその利用例 動画メール
ギャラリイー 花の写真 ペット 占いと、消えるトランプ ゲストブック