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四季の散歩道 |
現在、大阪市阿倍野区に住んでいます。
すぐそばに、昔の「熊野街道」があり、京都からの、熊野神社参詣にも使われたそうです。
街道にそった神社と、街道筋を先ず紹介します。
| 縁起によると、本来は仁徳天皇による創建。平安初期(826年)、空海が淳和天皇(じゅんなてんのう)の勅命で、この社に来て祈祷した。そして見事、疫病退治に成功した…うんぬんとあります。 (どうも、この辺は神社自身もあんまり信じらんないっていうよーな書き方だった) ただ、豪族「阿部氏」の氏寺として大きなお寺があったことは間違いないようです。そちらは平安時代に四天王寺に併合されたとか。 なんでも熊野街道に面した社殿かなにかあったようで、それが元宮ということのようです。その頃、熊野詣で (熊野三山―本宮、新宮、那智大社) が広まって、平安時代に特に盛んになり、鎌倉を経て、室町時代頃まで続いたということです。 『蟻の熊野詣』ということばはその盛んなことを 言ったのでしょうか? 病気の治療が困難だった時代…。良い薬も少なく、衛生観念も薄かった時代。厄年を信じるとなれば、これはもう神頼みしかなかったでしょう。
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上陸後は、道中が、大変でしたでしょう。そこで、拝む(遥拝)という形をとって休憩するために九十九の末社(王子)をもうけたといいます。阿倍野は、四天王寺(聖徳太子の建てた)と住吉大社(海の神)のちょうど中間にあるというので、休憩するのに好位置だったようです。
万葉集の編纂で有名な、歌人「藤原定家」(鎌倉時代)の日記『名月記』には、阿倍野王子神社が「4番目」として名があがっているそうですが、熊野詣の衰えと共に廃寺になるところも出て、江戸時代には、2番目となり、現在では、大阪府下では唯一、旧地現存の王子社であるとか。
大きな木が三本、ご神木になっていますが、境内もたいした大きさはありません。 ★熊野古道は、らくらくウォーキングできる道が南紀に整備されています。以前に一度歩いた事がありますが、こちらに行くと休憩するのにちょうどよい場所に「各王子」が設けられているのが実感できました。★ |
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