ピュアボーイ&ピュアガールは見ちゃだめだよ。不健康になるよ。
4月9日
薔薇十字団とかルドルフ・シュタイナー
とかの思想というのは
本当にこいつらロマンチストだなって思います
男のロマンチズムというのは
もっぱら大風呂敷製法でして
まず異性をかえりみるような思想ではない
サトゥルヌスの様に我が子を食らうような
ちゃきちゃきのローマイズム
彼奴らのしそうには女というものがかけていて
故にロマンチストなのだ
この様な秘密結社の思想というのは
酷悪な環境下で産声を上げたものだと想像できる
想像しろと言われても
ユダヤ人が古代ローマ時代に
どんな酷悪な扱いを受けていたかなんてもんは
想像できるわけがない
こういう状況下で
いちおう恵まれているといえる立場の人間で
心と生活にゆとりがあるロマンチストは
なんとかこの人達を助けてあげたいとか思うわけです
支配する者は奢り
される者はなされるままで
ますます支配者は増長し
されるものはますます萎縮する
民主というものは、かせと飴の両方が必要なのだ
器用なやつはすいすいいきはるから
挫折するか、人の根底に触れるような人間付き合いをしないと
どうしても増長しやすいのだ
逆に器用でない人はすいすいいかないから
ここで差が生まれるのだ
その差を利用する人間がいる限り
自由平等博愛が手に入るわけもなく
怠惰な者は学び
奢る者は大地に膝屈してみたりしなきゃいけないかも
欲望があって
それによって人も成長する
なきゃないでよろしい
欲望とか願望の淵
と
人の意識
内意識と外意識
内意識と外意識の比率は人によって違う
人を導くような人間のそれの比率はおそらく
5:5ぐらいではないだろうか
この二つが微妙なバランスで耐えずせめぎあうからこそ
かの者達は思い、悩み、挫折し、歓喜し
思想は練磨され揺るぎ無いものになっていく
このバランスが内9:外1だったりすると
ただの馬鹿、独り善がりのカス、自己中(無自覚)だったりし
内1:外9だったりすると
がちがちの現世物理主義者だったりするかもね
わたしは
きわめて男的なロマンチズムを実現させるために
実行にうつした人達を思う時
単純にスゲー
と思います
だって思想ってのは思想じゃないですか
それをシステム化してね、万民にすりこますなんて
ぜってー無理じゃん
なんか同じ思想を持つ人間がね
集まって『みなも早く気付けば良いのに』
とかいってあーでもねーこーでもねーと人類愛らしきものを
語ってるのはよくあるだろう
それをよく練磨し吟味してシステムとして
起動させようなんてよく考えたなぁって思うんですよ
なんかそういうのは駅の前とかに立ってよくやってるけど
こいつらなぁ愚善っていうか
叫べば伝わるとか
訴えていれば分かってもらえるとか
そう思ってるんだろうなぁ
と思うとね
過去何万何千何億の人間が同じ事をして
結果が残せたのかと思うと
この人達はきっと真性ぼうやなんだなぁって思うんです
貴き友愛な思想というものを
人の心にねじ込ませるってのは難しいのよ
だってむかつくでしょ
いきなり、みんなもっと他人に関心もとうよ!
とか言われたら
ぶっとばすっ、て思うじゃないですか
関心もってるけどどうにもできないって
事を知っているのだからそう思うわけで
万年ぼうや&ガールってのは
大抵よい環境で御育ちになられるから
他人に対する想像力が欠如してんだよなぁ
はた迷惑だなぁ
ま、万年ぼうや&ガールはほっといて
その重みとか修羅の道であるとか
わかっていて行なっている人は
本当に美しいと思う
この今の時代にですよダンナ
己が振る舞いたいままに振る舞え
豊かな機械文明に護られ
自由に物を考え行なえるこの時代にですよ
そんな生産性があるんだかないんだかよう分からん
貴い思想に生きて
誰にも顧みられず、愛されず、理解されず、自分も誰も愛さず
死んでいくなんて
かっこよすぎる
欲望のるつぼとかし物質文明の悪虐と化した現代
むき出しの自己愛、顕示欲
怠惰、無知、傲慢
飽和して麻痺していく感覚
硬直する魂
歯止めの効かなくなった欲、我、怒り、孤独
闊歩する豚、盲目、修羅
一人、誰も心への侵入を許さず孤独のまま死んでいくもの
ですぎた願望で身を壊すもの
友愛とうそぶき自己愛を満足させようとするもの
物事を表層の認識でとどめてしまうもの
それに安寧するもの
孤独でよい、独り善がりでよい、無知でよい、怠惰でよい
ただ、あまり自分の欲望の満足に他人を使わない事だ
しかと自分を自覚する事だ
ああ、もしもなにも知らずに心むき出しにするというのなら
踏み潰し
恐怖から心閉ざすなら
完璧に無視をし
卑下するなら
叩き潰し
奢るなら
哀れみ
泣くなら
慰め
謝るなら
わびる
駅前のぽんぽこりんを見ていると
ようするになにかせんといてもたってもいられず
それアンタさ例えば募金だとかしたら
そのひとのためにじゃなくて自分のためにやってるでしょ
とか思うのです
金持ちと貴き方は別ね
そこを言えよと
思うのです
隠すと暴きたくなるじゃん人間
下手なうそは特にね
普通にしなさい
普通に
うそつかず
なるべく自然に
おりなはれ
4月8日
増長する、視野が狭くなる、精神が硬直する、自我が肥大する
人の根元にあるもの
欲望
あるものは忘却させ、あるものは無自覚なままこの世を去る
その欲望とは人からすれば
なんだそんなもの、というようなものが大半
それを人に言って発散しないのは拒絶されて傷つくのが嫌だからだ
つまり、自己愛は欲望に優る、という事なのだ
自己愛と欲望は同一のものではない
欲望は自己愛から派生したものである
欲望はつまりその人間の自己愛を完結させるために発動する
人にはある種のセンサーのようなものがあり
人の欲望に対して反応するように出来ている
だから、人間は自分の欲望をかなえたいと思う時
かなりうまい事やる
豚畜生にも劣る瞬間だからこそ
せめて美しく咲くのが華よ
欲望は自分を高めてくれる
もちろん駄目にもする
自己愛と欲望が同じ比率で働いている時
自己愛が傷つきたくないという思いのために
欲望にブレーキをかける事がある
通常の人間は自己愛の補完をとりあえずは
親か友達、恋人などにしてもらうものである
それがない場合
自己愛と欲望はまったく同質のものとなる
つまり、愛されたいという思いだ
愛の定義が無償で人に尽くせる事とした場合
早くも矛盾が生じる
おのが自己愛を満足させるという無償でない状態で
無性で愛してくれる異性などはいるわきゃない
よくわからんプライドや理想がそういうものの
妨げになっているというのはよくある話だ
自己愛が肥大するというのは
自己の認識の拡大に伴なう
その過程で周りの人間より自分の方が突出していると錯覚すると
自我が肥大する
周りの人間も同じような成長をすると
自我は肥大せず、逆に人とのつながりが強い人間に育つ
自我が肥大すれば当然、コミュニケーションはへたくそになる
だれとも喋らなかったり、自分勝手な会話をしてみたり
だ
子供じみた全能感や
誰にも嫌われたくないという反吐の出るような自己愛が
まっちしたとき
人は停滞するだろう
傷つきたくないならタンスにでもしまっとけと思うし
自分がそんなに好きなら他人など必要あるまい
他人が自己愛を満足させる道具にすぎないのに
自分が誰からも愛されたいのだという
おぞましい願望のため
それだけのために他人と接触を図り
相手がのぞむ事はしったこっちゃねえという態度
どうだい?俺たちおたくって生き物が少しは分かってきたかい
おとこもおんなもオタクはこんなものだ
はっきり言って糞くらえだ
醜悪無知愚鈍暗愚
ひとりよがっていやがるのに他人と接触を図るのって
矛盾してるでしょ
寂しいとかね
愛されたいとか
注目を浴びたいとか
特別視されたいとか
崇められたいとか
もう
のわりにゃ
ほざいてるだけでね
頭でっかちで口先だけでね
ぐずぐずだ
わたしは一オタクとして
オタクがさげすまれるのは当然だなと思う
男も女も糞が多いもん
おれだってそうだけど
ただね
そのおれ
分かってやっている分にはいいんだわ
なんかよくわからんコミュニケーションをとるのがね
凄いヤなの
自分のおもしろいと思う話だけしたり聞いたり
自分が機嫌のいいといだけ話してきて
悪い時は話し掛けられたらてきとーに流す
そんなばっかりよ
しかも自覚してなかったら...
ああ、つかれた
人間ばんざい
4月6日
以前は滝
今は石清水
さすがに水がかれてきているという話を聞いて
やっぱりいつか枯れるのか、と思うじゃないですか
なにがショックだったかというと
一番は人間のつながりであるわけで
その寺には木を彫ってつくった仏様が置いてあって
その仏様がとてもいい顔をしてらっしゃって
作った人間のアートマンがかいまみえて
なんだか泣きそうになった
住職さんの話によると
これを彫った人は銀行員だかなんだかエライ人だったらしく
飛行機でいつもあっちこっち飛びまわっていて
自然の豊かなこのあたりの上空を通過するたびに
いつかここに住もうと思っていた、という事らしいです
その人が
仏様の手に桶を持たせていて
住職いわく
『ここは水の力が強いから桶を持たせました』
とその人が言ったらしいです
そうか、わかるひとにはわかるんだなぁ、と思って
感動しました
住職さんが
私はそういうの感じないんだけどもねぇ
とちょっとはにかみながら言ったのがなんかよかったです
こういうのはその人が何に対して
チャンネルを開いているかという問題なので
感じないというのなら、住職さんにとっては
必要がないものなのかもしれません
し
ずっといると麻痺するだろうしなぁ
人間は好きだ
だから嫌いになるわけで
普通でいろと心で思う
普通というのは普通だ
普通にものを考え、学び、働き、誰かを好きになったり
愛したり、悲しんだり、怒ったり、泣いたり、傷ついたり、傷つけたり
普通というのは千差万別だ
小賢しい計算をしない、奢らない、自己愛むき出しにしたりしない
たるまない、卑屈にならない、必要以上に自分を卑下しない
わたしのようなオタクという生命体は(自覚してない女も含む)
はっきりいってつまらないやつが多い
それはひたすら『自分』しかないからだ
一人遊びが好き、一人思案にふけるのが好き、空想が好き
で一人でそれを行なっていれば何の問題もない
が
下手なコミュニケーションをとるとなると話しがちがってくる
一人よがりで子供みたいなコミュニケーションを取り
下手に知識があるものだから
思考が閉鎖して、他人という存在はただのうなずき君とかす
これは本当につまらない
自己愛が肥大している状態とはこれを言う
オタクは、まあ男も女もだいたいこんなもんだ
自己愛は別に肥大していてもいい
コミュニケーションが下手でもいい
一人空想するのが好きなのも全然かまわない
他人がただの自分の自己愛を
満足させる道具にしかすぎないのに
あまつさえそれに無自覚で
そういった思想が自分は特別だという思いを加速させ
あるいは特別に見られたいという願望が根底にあって
他人と接触をはかるというのが
いかに身勝手で自己中心的な物の考え方なのかを
これまでも無自覚でいると
最終的に自己の世界とそとの世界との境界線が
なくなってしまい
結果として孤立を招く
わたしは分かっていて実行しているなら
それは別にかまわないと思う
それに対して無知で無自覚な者がいる事が腹立たしい
なんの覚悟もなくて、何をしようとしているのだろうか
しかし、まあ人は似たもの同士は結局引かれあうもの
無知で無自覚同士仲良くやるかもしれんという事だ
あるいはうぶなやつでもつかまえたりしてね
まったく神は偉大なりけりというやつだなぁ
4月4日
32.54.25.55.11.65
快楽主義
無知
怠惰
強欲
傲慢
醜悪
暗愚
邪鈍
神の慈悲を祈るばかりの日々
醜悪はなんだろう
醜悪の正体とはなんだ
抑圧された魂の変化だというのなら
親が悪いか、友が悪いか、学校が悪いか、社会が悪いか
違う
無自覚こそが醜悪なのだ
知っていますよ
そう
怠惰
傲慢
強欲
醜悪な夢想
己が唯一の思想、神であり、自己以外の精神を認めず
故に貧困
神がよくぞこの様なものを作ったと私は感動し
今もなお
このような生物について考える日々
この様な醜悪絶類たる怪物を生んだのは何なのだ
みなぎる自己愛
豚のような怠惰
変化や進化を望むが、自らは行動せず
誰かがわたしにと思い、願い
練磨せず、疑わず、理解せず、広く視野を広げず
ただ己を愛し、他者は自己愛の補完の道具にすぎず
なんだ
なんなのだ
お前は
一人自分を愛し深く肯定してくれる人間が現われればどうせ
やめてしまうのだろう
わたし達が
そのような豚に付き合ってやる義理があるのか
ほっとけばいいと?
私もそう思います、同感です
銀の月が浮かぶ赤い夜の空の下
白と灰色のくもが動くのをぢっと見つめながら
向こうに見える黒い山の向こうには何があるのだろうかと
思いを巡らせる
きっとここと同じだ
あまり代わり映えはしないだろうと、そう思う
話は信じるが戦果だけが問題なのでな
脆すぎるようだ
過去は知らない
歴史を学ばず
恥を知らず
悪魔の狡猾さと
天使のような無自覚、無慈悲
黒い雨が降って、偉大な先人達は
自分達のしてきた事は間違っていたのではないかと思った
それで民主主義の受け入れの表明として
餓鬼どもに自由をお与えなすった
自由とはなんだ
自由が輸入されたのは江戸時代の末期だ
それまで日本人の脳みその中には自由という言葉も
その概念もなかった
人は便利なものは自分の便利に酷使する
自由もそうである
自由とは辞書によると『心のままであること』らしい
我々ニヒリストはこの状態を豚と呼ぶ
豚はおのれが怠惰でもよいといういいわけによく自由の名を叫ぶ
それはカオスという
混沌だ
なんの秩序もなく己が思うがままに行動し
思い、悩み、恋をし、唄い、叫び、歓喜し、踊る
バケモノは自由を効果的に使う
怠惰で暗愚で愚鈍で無知でもいいという肯定に
自由という言葉を使う
だから豚という
一個体、唯一体である人間がこれほどまでに文化や文明を
築いてこれたのはもちろんこんな怠惰な豚のおかげではない
なんらかの貴い思想や気高い思いを胸にし
己を練磨し、くじけず、諦めず、頼らず
行動してくれたおかげである
偉大なる先人達の思いをうけて
私たちはいま文明のうえにあぐらを掻き
文化を自己解釈し、変化させて楽しんでいる
豚はその出来上がったもののみをいただき
さも俺(わたし)が最初みたいな面をなさる
それは豚だからだ
豚に知恵などない
あるのは欲望だけだ
自尊心、自己愛、自己顕示欲
自分が必要とされたい、愛されたい、特別になりたい、人とは違う
豚はぶぇぶぇ鳴くだけで
何もしやしない
豚だからだ
肥大した自己愛の慰めに
何も知らないような哀れな羊達がかられるのを黙って見ていても
なんも痛痒もなく
人はそうだ
無知、あるいは自分のやっている事がばれなければ
大丈夫だと思って凶行に走るものだから
僕は豚の鬼の仕業を
黙って見ていられるんですよ
豚も羊も幸せならばそれはそれでいいのかもしれない
ただ、僕は羊にはもっと幸せになってもらいたいのだ
もっといいものがある
もっと確かなものがある
もっと深い味わいのするものがある
もっと悲しいものがある
もっともっと共感できるものがある
と羊さん達に言いたい
メインストリームをゆかんとする羊さん達を
豚が横からかっさらい
羊さんは自分がただの豚の自己愛の補完のために
使われるなどという事は露程も知らず
それでも目をきらきら輝かせて
すごいすごいと大合唱
豚は御満悦だ
なんと醜い笑い顔
殺したい
自由が豚のために
豚が自由をうまく活用しだしてだいぶ経つ
悪いのは
豚か
羊か
それは豚に決っている
罪の連鎖というものがある
一枚黒く染まった半紙から一滴一滴したに落ちると
そこには真っ白な半紙があって
その半紙も次第に真っ黒に染まって
またたれてしたの半紙に...
豚は一応に自分の肥大した自己愛と決着を付けた頃
自分が生きてきたという事は
暴力と蹂躪と無知の嵐だったのではないかと思い始める
そうしてくじけそうになる時
羊達は大人になっているので
『いいえ、貴方は素晴らしかった。
僕(わたし)はあなたのファンでした』
と言うだろう
豚はそれが慰めになる
つまり、豚は私たちとは何の関係もなく生き、そして死んでいく
だから豚はね
豚なの
豚
教育しようがないの
思想がないから
思いは自己愛を満たす、それだけだから
だから豚なの
だったら一人でしこしこやってればいいじゃん
優しい人見つけてしこしこやってればいいじゃんか
豚はさ
自己愛の肥大と無知がドッキングマッチングしてるからさ
現と夢の境界線がないんだ
豚だからさ
えさを
やろう
ぶたに
えさだ
ぶたにえさを
人に愛を
あなたに愛を
豚に愛を
さらば醜悪よ
さらば豚よ
暴力は蹂躪
無知は怠惰
悪は欲望
愛は自戒
さらばサルモネラ
愛ってなに
ねえ何かしら
そういえばたくあんってさ
あれでブッタたかれるといたそうじゃん
いたそう
はじめてなの
やさしくして
いくよ
うん...
あっううん
いたい?
ううん、だいじょぶ
4月2日
雨に濡れる桜というのはなかなか雅なもので
美しいではないか
商売人はご苦労絶えず
理想に燃える若者は
当然
その燃ゆる情熱打ち砕かれ
されど、それは然るもの
無知と暴力に耐え
傲慢にいたらぬものにさえ祝福などはなく
それでも理想に燃えて生きるなら
そなたは人を超ゆる
4月1日
よく予知夢を見ます
理由は単純
それほどにわたしの生活の習慣が単純で
夢というものは記憶の整理であるから
だから
ね
そういう事なの
うん
わたしはおたくである
おたくの精神アートマンとは以下のようなものである
プライドが高い
コミュニケーションを取るのが下手糞
それが独り善がり
内向的
故に身だしなみにはあまり気を使わない
傲慢
無知
怠惰
鼻持ちならない
天の邪鬼
馬鹿
阿呆
すけこまし
すこしでも自覚があると救われる
ないと
殺したくなる
ないやつにそれなりにあった事がある
人は自分を映す鏡であるから
それはへこみもうした
特に傲慢、怠惰というのは
そうか、わたしもそうなのだ
と感じ、へこんだ
一オタク野郎として
おたくとは非社会的な生物であると認める
しかし、思えばわたしはとても内向的だったので
他人とアニメやらマンガやらのうんちくをたれる事はなかった
なんぜなら、話とはお互いの理解を深めるためにするものであって
おてめえのために行なう事ではありりんす
おたくはそこを見誤るのだ
内向的におつるとは非人間的な事であると信ずる
つまり、その人間の欲望や願望などを押し付ける
自分の都合のよいコミュニケーションをするというのは
内向的な証
おたくは唾棄すべきでしょうか
いえ、わたしは内向的で家に篭って何もしないというなら
それに限らないでしょう
しかし、おのれの力を過信し、おのれの考えを盲信し
振りかざし他者を蹂躪するなら
そうかもしれません
そういう生き物はいるのですよ
あなたが幸運で出会わなかったというのならそれは素晴らしいな
3月31日
怠惰な豚め
誰かに導いてもらわねば
ろくに道も歩いていけないというのなら
その不細工な首輪もよく似合うではないか
永遠に何も知らずに朽ち果てるのだろうか
そこまで深い主の慈悲も知らずに
3月30日
自分の価値を外部に依存するというのはよくある事だ
それは自信の無さの現われでもある
あるいはなんのおまけもなく
自分を肯定していただきたいという少年ティックな願望
そのまったく逆はうぬぼれの強いただの阿呆
3月29日
わたしはアーケードゲームに対して愛着がある
コンシューマー(家庭用)はあまりやらなくなった
FFは8までやった
9からやらなくなり]で
ああ、と思った
]−2を見て
そうだな、]は若い娘さんに人気がありそうだから
商売人としてはそこをつくのは当然の業だ、と思った
さすがにあれを8000円も出してやれない
だったら8000円本を買った方が少なくとも一億倍有意義である
しかし、少年やガールにとっては8000円分本を買うより
]−2を買った方が2億万倍有意義かもしれない
価値とはそういうものだから
アーケードゲームに妙に愛着が湧くようになったのは
ゲーメストという雑誌にはがきを投稿して
それがのったからだと思う
そのあたりから安田朗という人の
ドットアニメーションの妙技にはまる事となった
X−MEN、ヴァンパイア、ストV
正直、ドット絵で感動するとは夢にも思わなかった私
何がどうすりゃおもしろいのか
この単純な問題の答えを知る人は少ない
もちろん、安田さんだって知っているかどうか分からん
安田さんは安彦良和が好きという
安彦良和といえばガンダムを造ったクリエイターの一人
わたしは初代ガンダムの哀戦士が好きである
Uのほうは戦闘シーンが多く、安彦さんの妙技を充分、堪能できる
今でも全然色あせない
というか、今のアニメはディティールアップ、止め絵中心の作りをし
客もそれにならされてしまっているので
一枚一枚のクオリティーのダウンしたものは
なかなか受け入れられず
数字主義のこのご時世ではそれは難しい
ガンダムだって最初は打ち切りだったしなぁ、たしか
一番、安田さんのドット打ちではじけてんなぁ、とおもったのは
ウルヴァリンだった気がする
たぶん、安田さんが打ったのだと思われるが
かなりパッションしていた
ヴァンパイアで体の部位を極端にデフォルメして
シルエットでキャラクターをわからせるという方式をつくって
それがはじけたのがX−MEN
のような気がする
SNKVSカプコンは
そのヴァンパイアで作った方式をうけついで作られているがようですが
システム、マニュアル化していてドット打ちが
おもしろいなぁとは感じなかった
ギルティギアのドットアニメーションも
その方式の上っ面をなぞったようなものに見え
基礎的な画力が乏しい事が丸わかりで
みててこりゃからいだろうと思った
女子に人気があるのは、女子はそんな技術的な問題などには
スズメの涙ほどの興味もないからだろう
それに女性が嫌悪しないように考えてキャラクターを作っているので
9割が男性むけに作られるゲーム業界においては
このように女性をきちんと視野に入れてつくっているゲームは珍しい
のでないだろうか
そして、個人的にはこういう作った人間の近代的めめしさが
かいまみえるものは好きではない
が、異性からするとそこがたまらんわけよ
もしくはその表層的すぎる事のほうが重要なのかもしれないが
心理学の方面になりそうなので割愛
最近、『画面』でおもしろいなぁとおもったのは
斑鳩というゲームだった
このゲームは白と黒で構成されていて
その対象が鮮やかで美しかった
ポリゴンで感動したのは
一番最初のバーチャ以来かなぁ
鉄拳4も美しいと思ったが
近年はやりのリアル嗜好だったために感動はなかった
リアルってのは難しいけど一応答えがあるからな
ある程度うまければ堅気の方の目も誤魔化せて
はったりもきくし
便利っちゃ便利
ポリゴンで一番、最近感動したのは
ゼルダだ
トゥーンなんちゃらとかいうのを使って
キャラクターを表情豊かに演出していた
リアルリアルをご時世が向かっていく中で
そのような風に惑わされる事無く我をゆく
現人神宮本
いかすぜ
わたしは純粋に絵つまり『画面』で感動をする事を求めている
感動できればドットだろうがポリゴンだろうが
かまわない
普通はシステムやゲーム性に注目すると思う
私のようにゲームを楽しんでいる人間は少ないと思う
でも、それでいいとおもう
アーケードゲームの先行きはどうなのか
ギルティギアみたいなのが増えるんだろうか
コンシューマーはどうだろうか
FF]−2みたいなのが増えるんだろうか
しかし、信念も希望も捨てずにいたい
いつかまた打ち震えるような感動をあたえてくれるものが
出てくると思う
ギルティや]−2みたいなのばっかし増えるかもしんない
ガンダムシードみたいな女々しい臭いがぷんすかする物が
増えるかもしれない
それはゲーム、アニメが男文化である事への
反逆なのか
老兵は去れか
そうならそれでもよかろう
女々しかろうとも、少女をたぶらかそうとするものの中にも
後頭部に衝撃を走らせるものが生まれるかもしれん
そうだおもしろきゃいい
おもしろきゃ
いいのだ
3月25日
人間の盾になりにイラクに行った人が
『朝日が美しかったですよ、今日。
なんでこんなにも世界が美しいのに
苦悩に満ちた朝なんだ。』
はぁ?
『日本の事はまかせたから』
へぇ?
おまさん、阿呆さんかい
この人達は一体何を考えているのだろうか
人がなんの尊厳もなく紙屑のように死んでいくというのに
このような種類のバケモノには
戦争すらも虚飾の道具なのか
何を考えているのかしりたい
そして、その後に殺す
カッコつけたいだけなんでしょ?
なんでカッコ付けるのか
自分が特別な人間だと思いたいのか
思われたいのか
虚栄心を満足させたいだけか
あの人達が物事を本当に深く考えたとは思えない
手前勝手の謎な正義を振りかざし
世界は美しいと叫び
人の無関心に絶望する
唾棄すべきナルチシズム
学習を辞め
人の人らしい営みを拒否し
表層的な薄っぺらい
誰も傷つけない、自分も傷つけられないように行動する
そのぬるま湯の中で閉塞し固まっていく価値観
表向きはすべての思想を認めるとうそぶき
そのじつ他人の事などには一切想像力を働かせないけだもの
人の子よ見よ
あれが悪魔だ
3月23日
ダンディズムという本を買った
まだ、途中だけれども大変におもしろい
男が女のことを気にしなくなったら幸せだ、と誰かが言っていた
うんうん、と思った
逆もそうかもしれない
枕美を解せねばダンディズムたりえないと筆者は語っていた
そこにはニヒリズムも感じられる
諸行無常と知りたるも、なれども極める
この滑稽といえる作業を練磨し、自嘲しながら美しくなっていく
限界を知ったうえで生を楽しむとはまさに大人の遊びではないか
これぞ洒落ものの極地といえる
豚のけつの方がましだ
豚
豚
わたしは下衆で冷たい。カスで臆病
口だけで何もせず、無駄に高いプライド
中途半端な知識、独り善がりの正義
で、ものすごく、ものすごくそうでないものへの
強烈な憧れ、興味がある
それは少女の感性である
感情だけに支配され情念で動き、恋をせねば死んでしまう
という生き物はわたしにとっては遥か彼方の生き物
彼女たちが優しい人が好き、おもしろいひとが好き
というのはよくわかる
しかし、頭で分かっているだけだ
これは歯がゆい
知りたい、知りたい
その原理
究極に肥大した自我
それはものすごい興味なのだ
なぜ媚びるのか
世界と自分とは同義である
自分を通してしか世界は知りえないのだから
その人の認識は、そのひとの世界そのものといえる
それはひたすらに自分だけのためであり
自分が何か人のためにできる、与えられるという
考えが生まれるのは不思議だ
そんな結果や見返りなど期待しないで
それでも自分を練磨していくのは当然ではないか
なぜ、そこまで即物的で、自分という価値を
外部に依存するかがわからない
そんなことはともかくとして、やってみるしかないではないか
自分の都合にあわせて他人を利用する
素晴らしい論理である
知りたい
知りたい
感情だけで生きるというのはどういう事なのか
そんなの傷つく事の方が多いに決っているではないか
それでも、分かっていてやっているならまだしも
自分だけ特別だという幻想を捨て切れぬ
特別?
なんだそれは、食い物か?
歯がゆいな
純粋な興味である
なぜ、このような思考が育まれたか
世の優しい男達をわたしは尊敬している
自分の事しか考えられない、自分が幸せならそれでいい
そんな人間が反戦を叫ぶ
おかしい
おかしいと思っているのは俺だけか?
その様な人間には反戦もファッションの一部でしかないのだろう
すごく寂しい
悲しい
人は一人に決っているではないか
多様な価値観を容認するというお代名目の名の下に
はき捨てられる人、人、人
だったらはじめから私は自分の事しか考えられない
自分と大切な人を護っていくので精一杯だと言えばいい
それをどうして恥じる必要があるのか
それでいいのだ
そうに決っている
あとは暇なやつにまかせりゃいい
自分も暇ができたら、手を差し伸べればいい
優越感などではない
当然の行ないとしてはばかることなくやればいい
もっと普通でいればいいではないか
せっかくの人生を虚飾で塗り固めるつもりか
神よ、わたしは悲しい
でも、笑っちゃうな
アハハハハ
はぁーあ
3月22日
お話のアーキタイプはそれほどなく
かつもう出尽くしてしまっているので
あとはどう演出すか、なのであります
そういった意味では今の時代の創作家は演出家と言い換えていいでしょう
どう見せるか、現すか、というわけであります
わたしが坊や(人間の幼生体の事を指す)が好きなのは
ぞくぞくするからです
自分の認識こそがすべてであるがゆえに
それに優るものの否定、盲目、差別蔑視破壊
すべてよし
人間が個体としてではなく
意識界においては連結できるとしたらどんなに有意義か
と思う反面
そりゃ嫌だなと思います
ネットに自分の個人情報を駄々もらしてるのと同じなわけですから
わたしは悪意というものを見ない振りしてるやつが嫌いだ
自分が幸福ならそれでよろしいか
そうであるな
そうである
しかし、広く自分外の世界へ意識を向けている人間が
幸福であるかというとそうではない
通常、人間はそれほど自分外の世界へ興味を示さない
もちろん自分の興味のある事は別とする
現代人というものはいつの時代も過渡期に位置していると考えた時に
未来への漠然とした不安と、期待やら興奮が入り交じる中で
そういった高揚感を他人と分かち合う事は
そうはないという絶望を知る事となる
ふつう人は自分の事で手いっぱいなのである
その人間の認識がどのくらい外部世界に対して
開かれているかにもよるが
大抵、他人とのギャップを感じて絶望を知る事となる
この場合の失望は
人の無知ではなくて、あまりにも幼い精神に対してである
もちろん、自分もそうなのだと痛烈に知る
そして、それこそが一番こたえる
結局、幼稚な自己愛から脱却できていなかった魂だと知るには
ああ早すぎたのではないか
人はうそがうまい
だが、もっと恐るべきはそれを偽りと知らない心ではないのか
これは暴力にほかならない
残虐だ
悪夢だ
華々しく散った
夢もうつつも
傲慢
人が劣等感を抱いたり、あるいは優越感を抱いたりするのは
本当に些細な事だったりする
話を聞けば、どうしてそんな事で落ち込んだり
よく高飛車になれるものだと思ったりする
人間の精神は興味深い
もっとよくしりたい
それは知識としてではない
実体験として知りたい
どうしようもないカスな魂
奢る力
貧弱な理想
世界に絶望して陶酔する醜悪
すべて、すべて知りたい
いつだか新聞に私が歓喜するような記事がのっていた
それは孤独をきどる馬鹿者に惚れたねーちゃんの話で
あろう事に
『わたしいいんです、彼と恋人になれなくても。
でも彼が好き。ずっとそばにいたい。』
とかぬかしこきやがった
ああ、いい
いいよ君たち
よすぎる
ち@ぽから汁が出そうだよ
この文を読んだ時、僕がどんなに感動で打ち震えたか!
いた!いた!ここにいた!醜悪が降臨なさる!
神よ!尊よ!美しき花達よ!
さあ唄ってくれ!
この世は天上界の愛で満ち満ちている!
いるんだよ、さがせば
捜さなかっただけだ
こんな無能はほかにはないと
閉ざされた認識が、よくわからん理由で自己陶酔させる
きっとこの坊やとねーちゃんは乳繰り合う仲になるであろう
もしかしたらもう乳繰り合う仲になっているかもしれない
孤独を癒したくて肌を重ねあわせたいという気持ちはよくわかる
しかし、問題はそこではない
どうしたらそのようなくだらん認識に陥れるのかという事であり
そのプロセスが知りたいのだ
所詮、人間様は進化しないという証明になりうるかもしれないと思って
わたしは期待している
人が何十億年、この文明を維持できたとしても
このようなまったくもってまったくな問題とはおさらばできないだろうと
私は思う
人の人らしい営みというものを私は凄く尊重している
本当になにも飾らない状態で
心と心が通い合うというのはとても気持ちがいいからだ
そんな頑強に護らなければならないと思う脆い美しいものの前で
よくわからん陶酔をする馬鹿と
その馬鹿に自己を投影して、それが愛情であると思う馬鹿に
わたしはもう怒り以外の感情をどうしてはっせよというのか
一番いいのは勝手にやってろこのうすのろ、とおもう事である
こういう自己愛が肥大した人間を相手にしててもただ日が暮れるだけだ
さいわい見守ってくれるねーちゃんもいる事だし
いつの日かこの幸福に心底気付く日も来るであろう
こんな低能サルはほっとくのが一番だ
3月21日
ネオコンサバティブってのは昔からあったらしいですが
今回の事でかなりフューチャーされるようになりましたね、奥さん
わたしとしては考えんのもうめんどくせぇからやっちまえ
という塩梅の認識ですが
よろしいのか?
よろしくない?
いや、そんな塩梅だって?
そう
どうでもいいですが
小泉さんとキース・リチャーズは似ていると思います
ニュースステーションを見ていたら
坊やとガールが坊やとガールみたいな事をしていて
そりゃあ坊やとガールなんだから
坊やとガールみたいな事するさね
そうだろう大将
俺たちゃ確かに性根がど腐れ腐れきっている
そうだ
いや、しかし
心健やかなボーイやガールの有り様を見守るぐらいの事はできるはずだ
そうだな兄弟
俺たちゃ悪じゃねえ
ただど腐れ腐ってるだけだ
貧困と暴力と無知
運命の三女神も屈服する暗黒の三女神
プアー、グリード、ドライハート
強欲とはなんだろか
金か、権力か
もっともおぞましいのは、わたしは知っている
無知と貧困だ
暴力は物質的なものなら
よい
殺せばいいのだ
罪を問われはするがね
さて、無知と貧困だよ、問題は
我々は無知である
実に驚くべき無知である
それを知った時にひとは恥じる
しかし、なかには恥じぬものもいる
これがケモノと呼ばれる有り様なのだ
分かっている
これは逆切れというものもある
うつけが無知に対して、つまらん追いつめかたをするからこうなる
リカコみたいなやつを増やしてどうするのだ
無知とドッキングするやつの中で一番厄介なのが
プライドだ
プライドとは自我だな
狭い認識の中でこれといった挫折も味わう事もなく
あるいは自ら、あるいは無意識に避けてきてしまった
結果がこれだ
これは貧困という
時としてこれは暴力にもなり得る
殺してしまえと人は言うが
なに、慌てるな
時はまだある
それにそのような人情沙汰に身を投じても
人としてそんあ事をしちゃいかんと、説得されるだけだ
これはつまらん
さて、ひとはなぜ傲慢ちくりんになるのだろう
これは不思議だ
確かにこのまま放置プレーを敢行するのも楽しいのかもしれない
しかし、わたしは考えてしまう
つまり、そのような人間は愛されてこなかったのだろうと思う
それで、なにか人と違う認識や能力が偶然あった時に
それが少しでも賞賛された時にそれに自分の存在意義を見出すのだな
これは楽園の保全運動、あるいは奪還行為といえる
ちょうど、女子高生あたりのねーちゃんが
パンツ見えそうな格好をするのと似ている
肉体は成熟しているように見えるのだが
精神はまったく追い付いていない状態
まだ、あたえるよりも与えられたい状態
この状態で自分のこしゃくな能力が過大評価(自分で、あるいは他人から)
された場合に人は前進をやめるかもしれない
これを怠惰という
これぐらいの年頃だと、得られる情報が多いために
その情報は自己が一から手に入れたものだと誤認する可能性がある
どういう事かというと
ただの受け売りやモノマネである事を自覚できないでいるという事である
このあやうさがさらに自己の認識を狭く閉塞させる
ある程度収拾できた情報で世界を構築してしまい
それが、本当に世界であると認識
あるいはそれで片付ける
前進を止める事
すなわち怠惰
これが無知であり、貧困であり
時として暴力となる
自分を高めようとする努力の裏には常に
このような危険が出番を待っている
それは気付かぬうちに顕現してくる
懸命に努力すればするほど
それは強大化する
貧困は最終的には自分で選択する有り様である
他人のせいにしたりもするだろうが
いや、そのようなナイーブな精神だからこそ増長するのだ
無知貧困暴力
諸君らがこれに屈しない事を祈る
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