ピュアボーイ&ピュアガールは見ちゃだめだよ。不健康になるよ。
2月13日
庵野監督も
ピーターラビットかいた人も
キューブリックも
人間に興味があんまりなさそうだ
人間というのは感情の部分の話である
それを認識しなければ人は人を殺せるものである
ばらばら殺人は残酷だという
でも、別に残酷ではない
死んだらそれはもう物なのである
こんな目立つ物は処分せねばならない
そう殺人者は思うのだ
だから、ばらばらにして捨てる
別に残酷ではない
体を何個所もさして殺すと人は残酷という
別に残酷ではない
一回で死んだかかどうかわからない
もしも、生き返ったらどうしよう、コワイ、コワイ
てなわけでぶりぶり刺しまくる
別に残酷ではない
というか人を殺す時点で残酷なのに
過程を大事にするとは堅気の人らしくねえです
残酷って思うのは自分がされたら嫌だっていう観点からだろうな
常識って何だろうって考えた時に一つこう思った
常識というのはおそらく意見のすりあわせだろう
各々、各物事に対して考える事や意見、自己の内包するカオスがあるのに
意見が一致するというのはおかしい
つまり、常識というのはそのもっとも表層の部分のすりあわせである
と、思った
表層の部分でもすりあわせておけば、話が混乱したとて
内部の組み替えによって柔軟に対応できる
常識は効率のためにのみ存在する
するが
してないような気がする
言葉の裏を読み取るのがメンドクサイか
自分以外の人間のリテラシーを信用していないか
ただの馬鹿か
どれだ
どれやねん
だから、常識は絶えず変化する
暴力に似ている気がする
みんなそれをふられるのがこわいから従う
つまり、常識は暴力になり得る
肝に銘じておくべきだと思う
今は別の職場にいったが、少し前に男だらけの職場に
女の人が一人いた
そん時に別に普通に男の職員は接しているし
女の人も普通に応対していたが
それがなんでか男の職場に女一人はつらいよなぁと思ったもんである
悪意はないのである
しかし、だから居たたまれないという事もあるという事をしった
2月12日
なぎらはすごい
いつもてきとーでいられるっていうのはすごい
普通、何か価値やら意味やらを求めてつけてしまう
絶対、哲学語りがたっちゃう
知ってる事話したくなっちゃう
相手が盲目だったら、わかってやってるにきまってんだろっ
て言いたくなっちゃう
ずっといい加減
すごい
すごいおやぢだ
何か一つの理論にあぐらをかくという事は
その分野においての思考を停止するという事だ
こうすれば仕事の能率は上がる
しかし、柔軟さは失われる
だが、いつでも緊張して物事にあたっていると体力が持たない
だからこそパターン化する
ばれなきゃいいんじゃねえとも思う
しかし、ばれてる人間には思いっきりばれてる
そこがこわいところだ
ただの絶望とか、諦めとかとは
なぎら的テキトーとは違う
なぎらは頭がいい、それなりに知識もあって、頭の回転も早い
普通の人間だったら格好付けてしまうが
なぎらはそれをてきとーにかえる
いかにテキトーにしてやろうかと思案を巡らす
これはばかである
しかし、凄い
人間絶対格好付けちゃうもんである
なぎらさんみたいな人を見てから格好つけちゃう人を見ると
なんだかにやける
練磨されたてきとーは凄いと思う
普通、てきとーを強化するためにおべんきょしようとは思わない
かっこよくないし
でも、かっこよい
でも、てきとーだ
一つの思想にあぐらをかくという事の怖さ
いろんな人間の思考が一つのうねりとなる怖さ
こわい、こわい、ぞっとする
そんな状況で正気を保っていたら、恐くて泣いちゃう
皆、興奮状態でいる中で冷静でいたら・・・
ロマンチストは人間は生まれながらにして素晴らしい生き物だという
ロマンチストはお多感なのだ
繊細で傷つきやすい
だからこそ簡単に絶望し、逆にちょっとした人の好意で
『人は素晴らしい!』と叫びだす
人間が生まれながらにして素晴らしいものか
てきとーとは言葉のニュアンスがよろしくないかもしれない
言い換えれば柔軟なのだ
様々な事を自分の思想とは関係なく受け入れ、消化する
これはなかなか人はできない
よほど柔軟でお心が広くないと
なぎらはいかすかもしれない
なぎらはよかもしれない
しかし、お大手をふってなぎらすごいっ、とは言えない
2月11日
確かに日本人の想像力は凄いものだと思う
すぐトリップなさる
『自分』よりも『自分の意識』のほうが大事
というか『外の世界』と関わるよりも
『空想』にふける事の方が楽しいのだ
軽い自閉症の様な感もある
だからどうしたということもない
そういう人間にはあまり関わらなければいいだけの話
『超現実的な感覚』を持つ人間というのは
常に流入する情報のもとに行動する
自分からのアクションに見えるが
結果を見ると、その人のすべての行動が外の情報に対しての反応という事になる
例えば、看板を見てそれから連想した話をする
コーヒーを飲んで苦かったら苦いとはっきり口にする
『感覚主義』とでも言い表せるだろうか
これにたいしトリップ人間は一見その物事からえたイメージの話をするように見えて
結局のところ行き着く先は『自分の心の中』になる
こうなるとどんどんイメージが湧き、かつ飛んでしまい
収拾が付かなくなる
外と内の違いは大きい
外に意識が向かっていればほかの人間もその話についていく事ができる
現にそこに存在するものだからだ
しかし、内に意識が向かっていくと同じイメージを寸分違わず共有している人間でなければ
理解は難しい
俗にいうところの『女子高生の会話』というやつは実は効率的で
相手の話の理解をしないで適度にあいずちを打つという作業で
相手に理解しているというリアクションをし
相手も『理解してもらえてる気持ちいい』または
ただ一方的に喋ってストレスを解消しているだけだが
ともかく、そういう錯覚をえる事ができ
その場しのぎではあるが孤独の回避にはなる
『心地よい空想の世界』を大事にする人は
自分に非干渉な肝要な人間か
自分のイメージを共有できるような人を大事にする
『超現実主義的』な人も
それは同じである
2月8日
人間は面白い
文明と本能の間でうごめく不思議体
願望や欲求、衝動を理屈で説明しようとする
欲求は衝動であるから理路整然と物申すものではない気がする
願望もしかり
この作業は面白いといえる
これは人間っぽい
小理屈を使って茶を濁すのは本当は
その願いやら欲求が取るに足らない下らないものだと知っていての事だろうか
いや、だからものをつくるという態度はストイックな方が
いかにも『らしく』感じさせてくれるのかもしれない
そうでないものは幼稚園児のお遊戯に近しいものがある
お遊戯は可愛らしいが、感動を呼びはしないな
しかし、地に根をはるという有り様を若者が好まないのはそれは当然だろう
厳しい審議眼を持つものがやがて自分の積み上げた大系に甘んじて
ものを根本的に見る力を失うという事もあるだろう
地に足が付いていないという事はすなわち逃避である
逃避は今、自分が要る世界
つまり、家庭からだろう
次第に肥大していく認識に対して家庭という器はあまりにも狭すぎるわけだ
構築、破壊そしてまた構築
自分が愚かと気付いた時に人はそれを受け止めたり、逆に見ぬふりをしたりする
見ぬふりをするものは自分を理想化しているからだろう
だから、誤りを認めたくないのだ
もし、現実からの逃避が虚構である自分を作りだしたとして
そのまま人は盲目のまま生き長らえるものだろうか
何処かで気付いてやめたり
あるいは同じような孤独を分かち合うものを見つけて
少し優しくなったりするものだと思う
ただ他人としてはその様な人に対して何ができるものでもないという認識はある
そこまで他人事に真剣に入り込めるだろうか
それはその人の成長を妨げる事にはなりはしないだろうか
無関心が悪意だのひねくれるだのを助長するとして
関心を持つという事がはたしてそれらを本当に食い止められるのか
最終的な決定は本人が下すもの
だからといって諦めてはならないという事はわかる
しかし、はじめから手を差し伸べてもらいたいと願って行動する事に
どうして関心が示せるのだ、優しい人よ
あなたはただ利用させるだけの人生で嬉しいのか
あなたを利用した人間がその罪に後悔して生きている事を知らないから
そんな事ができてしまうのだ
本当に実りある人生というやつは価値を外部に依存するものだろうか
多くの若い認識がそうだというから
虚飾で身を固めるのか
根本的な目を持つ人間が現われたらどうする
そんなやつは殺してしまうのか
ポルポトかてめえ
だから、そうなんだよ
弱いから群れる
それは寂しいからだろ
だけど寂しいとは言わないのだな人は
ポルポトかてめえ
2月6日
物の価値はいいかげんだなぁ
それは皆、自分の好みで物を選んでいるのを知っているからなのだな
西洋的にはそれじゃいかんだろってことで大系を組むわけだ
好みでよい
好みというのはその人に隠された欲望とか願いを現す
人間の生き方も生活も性格もある程度カテゴライズできる
自己を認識せざるものは他者も認識できず
いや、若さとはそうなのだ
己でもなく他人でもなく、虚ろな組み上げた空想の世界に自己がある
人はどう思うのか、その様な有り様どう思うのか
ネガティブかポジティブかの違いはあれど
いや、精神がその様にして解離する様な状態こそ取り上げるべきか
両親、友達、恋人、職場、上司、子供、親戚、ご近所
おお、そうだ我々はそこまで他人の事をおもんばかるなどはできようはずもなく
しかし、無関心が悪意や怠惰を助長するという事実は知っていても
所詮は何もできずか
怠惰はいい。怠惰はこの際よろしい
放っておけば永久に勘違いしたまま生きて死ぬか
旅路のうちに己の怠惰に気づくか
悪意は
ははははは
はー
ぷ(屁)
そうである
所詮は人間関係なのだ
それが複雑すぎてこんがらがりまくった挙げ句に
『神よ』とか言い出すかもしれない
それは最後のストッパーであろうからよろしおす
最後のストッパーをはずしたら
知らん
本当にイエスとかの超おせっかい様達がいいたかったを考えれば
宗教という枠組みでは失礼のような気もする
結局のところ何千年も同じ事をしているわけだから
そこでだから神に委ねなさいではなくて
一人一人が自立する事を言わなくちゃ
いつまでも救世主とか神様に頼ってちゃあなぁ
どうするよ
救世主は誰が救うんだろう
誰も救わねぇか
まあ、そうだよな
救えると思ってんのか
へえ
2月3日
ある日、ある娘の夜中の散歩中の出来事
あっ
大丈夫かい?
あ、あなたは?
僕の名は白馬野皇司
ご覧の通りの白馬に乗った王子様だ
素敵・・・
二人は愛し合い結婚した
しかし、白馬に乗った王子様は青髭だったのだ
自分は留守にするからと鍵を妻に預けてこういった
『この鍵で開く扉には絶対にはいってはいけないよ』
妻は甲斐甲斐しくその言い付けを護っていた
最初の頃は
しかし、次第に興味がわいてくるというのが人情だ
ある王子様の留守の日に、好奇心に負けてついに扉を開けてしまう
そこにあったのはおびただしい数の死体
王子様がかえってくると、明らかに妻の様子が前と違い
王子様はニタリと思う
秘密を破るというタブーを犯したからこそ殺しがいがあるのだ
こうして妻は死体コレクションの末席に加わり
王子様は次の何も知らないような可愛らしい少女をまた狙う
そうだ愛される事は嬉しかろう
何も知らない、何もできない自分が肯定されるのは嬉しかろう
しかし、少女はいつの日か世界の有り様を知る瞬間がくる
その瞬間に自ら命を絶つかもしれない
だが、王子様のうさんくささをかぎ分けられる娘は殺される事はないだろう
その娘は親切心で王子様にひかれる娘に、あの男はよしたほうがいい
というかもしれない
しかし、恋は盲目という通りに幼い少女はこの世に悪意があるなどとは
しるよしもない
しった瞬間に自ら命をたつやも知れぬ
そうだ人はあやしいと思った人間には近寄らず
盲目にそれを教えても無駄だと知っている
その村で何人も青髭に殺されても
その村の娘は青髭に恋をするかもしれない
青髭は昔は心優しい王子様だったかもしれない
しかし、次第に心がすさんでいった
別になにもひどい事などありはしなかった
ただ少女達に持て囃され、憧れの目で見られ、恋をしただけだった
だが、次第に青髭のようになっていった
殺すのが快感になってきた
別にひどい事があったわけではない
ただ少女達に羨望の眼差しを向けられていただけ
それだけ
だが殺すの快感になってきた
殺しても殺しても心にあいた穴は埋らない
だから死ぬまでずっと少女達を殺し続ける
彼にとっては別に特別な事ではない
普通である
2月1日
波動砲が通用しないとなると、あなたはぶっちぎり超人なのですね
そのとおりだヤマトの諸君、またあえて光栄の至りだ
デスラー総統生きていたんだね
ごだい、共にぶっちぎろうではないか
デスラー・・・残念だが僕は雪とぶちっぎる約束を・・・
きぃーなによぉ!あの日あんなに燃え上がった愛はうそだったの!
ちょっとあの日燃え上がった愛ってなによ
ち、違うんだ雪!聞いてくれ!僕は断じて男色などでは!
両刀なの!?
ちがーう!
両刀だ雪
兄さん!
両刀なのよ雪
スターシアさん!
両刀なのか?ごだい
みんな!
デスラー誤解を解け!誤解を!
あたし・・・愛した人のうそは付けない
それをやめろってんだよ!
この・・・この変態!
ぱーん
新たなーヤマトがー
旅にーたーつー
でもわからんでしょ
人の事など
もしかしたら家庭の事情とか、性差別とか、人間関係とか
まだまだあるわけだ
それでぶっちぎろうと思うのは
分かる気がする
ようするにそれ以外は自己顕示欲の肥大なわけで
理由が分からんと疲れる
ただ七転八倒している様にしか見えなくなる
幼稚な自己愛とか全能感、モラトリアム思考
しかし、日本人の新たな環境の恭順の歴史が
そういう妄執の存在を受け入れている
あるいはそういう妄執を利用して自分の衝動昇華をする人もいる
だからこそ傲慢や盲目は畏れるべきところなのだが
実際事が起こってみない事には所詮は学べないのか
先人達が肉をそぎ血を流しながらも残したもので
学ぶべきは人間学そのもので、顕示欲を満足させよというものではない
しかし、そこに価値があると思っている人間の前では
そんな言葉も空しく空を切るだけ
もう何千年もこんな事を繰り返している
盲目とか、悪気のない幼児性がそれらを常に加速させて来た
老人は悟り護ろうとし、若者は自らの歴史を残すために老人を排斥する
やがて若者は老人になり悟り、その頃には己が排斥される側にまわる
そして老人はそれこそが『生』だと悟り死んでいく
ずーっとこの繰り返し
若者は老人にはわからない事があると叫び
老人になるとそんなものは老人達は分かっていたのだと悟る
そして死ぬ
ずーっとこの繰り返し
こんなものが意味のある事なのか
こんなことが意味のある事なのか
わたしには分からん
たしかに盲目な大人達はいる
だからなんだ
みんな優しすぎるのだ
私はそんな生物は徹底的に無視だ、疲れる
あなたが優しいのはわかった
しかし、見限ってもよかろう
なに?一応育ててもらったからそれはできないって?
そうだな、所詮そこなのだ
じゃあ、なおさら生きるしかあるまい
歯を食いしばって、眉間にしわ寄せて、拳握り締めても生きていくしかあるまい
救われないとかほざくな、優しくしてとかほざくな
泣きそうになったら笑え、笑いそうになったら笑え
笑うしかあるまい
踊る阿呆に見る阿呆、同じあほならなんとやらだ
結局、前進するしかあるまい
傷をぺろぺろなめ合うのもいい
なにしたって生きるしかねぇ
意味を問うな、意義を求めるな
そんなものはあとからついてくる
後ろばっか見てる人は前を向き
前ばっかり見てる人は後ろを向き
自分の事ばっか考えてる人は人の事を考え
人の事ばっか考えてる人は自分の事を想い
調整して常にニュートラルに
誰もあなたの過去とかきかないんだから
幸せにこれた人をうらやんでも仕方ない
だから、笑うしかねぇなぁ
1月31日
そうだ我々はまだ中島みゆきさんが
なぜふだん喋る時ぶりっ子しゃべりなのかという事を解明していない
それを解明するまでは死ねない
生きよう
理由がある
価値がある
生きよう
ぶりっ子というものが何なのか、何者なのか知らない
知りたい
知りたいという情熱がある
うえとあやは媚び臭(こびスメル)がする
なぜ人は媚び臭を出すのか
深い
深みがある
業が
もっとも魔球を投げれるくらいの特殊能力の現われならば
我々は賞賛するし、理解し、崇める
いや、媚び臭というのは男は好きなのだ
己のちんけな自尊心を満足させてくれるような
媚び臭を堕す、出す女というのは男達によって持て囃され
女達からは疎まれ
媚び臭女は『嫉妬してるんでしょ?』とか言い出し
堅気の女は『なによあの子』と言い出す
どのようにぶっちぎるかという問題を前にして
我々は考える
どのように、いつ、どうしたら
しかし、そんな禅問答を全力でぶっちぎる御方
そうだ我々はそんな人達が好きなのだ
ぶっちぎり星から地球を救うために殺ってきた、やって来た
ぶっちぎり超人達
宇宙怪獣からこの地球、特に日本を護ってくれ!
でも。そうだよ
ぶっちぎり超人は僕たちの近くにもいるよ
僕たちは盲目なんだね
近くの苦々しい、否、輝かしいぶっちぎり超人の存在に気づかずにいるんだ
ああ、悲しいよ
自分の近くのぶっちぎり超人を崇めずに
どうして遠くのぶっちぎり超人を崇められるのだ!
忘れていた
源初の思い
生きようではないか
それには心の栄養が必要なのだ
ぶちぎり超人はそれを僕たちに与えてくれる
でも、知っているよ
ぶっちぎり超人はそのほとんどが
自分がぶっちぎってるっていう事に気づかずにいるという事を
そうだね
生きよう
生きる
そして、いつかぶっちぎり星にいくんだ
機械のからだをもらうために
1月30日
勝俣さんっていい目持ってるんだよなぁ
子供の頃はしゃーしゃーいってるだけの
テンション芸人にしか見えなかったけど
冷静だし、それなりに知識もあるし、意見を押し付けないし
つまりは大人だ
日常のもろもろの行ないの中でこういう風に『あっ』と思う事があると
自嘲できるというか、安心するというか
人生をぶっちぎろうとする人のほとんどは、なにかしらコンプレックスがあって
最初の数年は勢い、その後に挫折、苦労があって
そのあとはじめて自分を知る存在となる
自分を知る瞬間の個人差はある
若くして知る人もあれば、年をとってから
もしくは死ぬまで知らないかもしれない
思考を停止するというのは確かに楽なのだ
子供がそうであるように
感情とか、情動のままに動いて生きていればそれは楽だ
そういう人間はね
ほっときゃいいと思いますよ
我々はそれほど暇でもないし、慈悲もない
それに伝えようとして伝わるものではありません
個人差があるのだ、この世のもろもろの事は
それを強いても急いてもしょうがあるまい
で、だからこそTVというメディアは映える
ぶっちぎっている人を己とはなんも関わりもなく観察できる
というのは現代文明の妙だ
特に素人に毛が生えた程度が闊歩する現代において
我々は貴重なサンプルを手に入れたといえる
そうだなぁ質の問題ではないからなぁ発見するというのは
退廃と残酷を解するものとしては
ぼうやとかガールというのはもうたまらん
きっと彼らは死んでも顧みないであろうから
そこがたまらない
ある種の奇跡の産物なのだ
それは無垢を喪失する事が耐え難い苦痛だと錯覚している
自己愛と自己顕示欲が強い人間によって助長される
羊の皮は何処からとってくるんですか?
ま、いい
世界のほとんどを支配しているこの淀みについて
希望があるとすれば
その中にぽつりぽつりとラディカルな物の見方をし
かつ奢り昂ぶらない者が生まれる事
しかし、我々は、そうだ
よってたかってそういう人間を食い物にする
そのもっとも分かりやすい存在が北野武だ
あの人はお母さんが善人だったから、悪党になれないのね
それって不幸だ
いつの世も我々はスーパーハイパーおせっかい様のお世話になる
そんなものに頼らない自立した精神を持つ事がそういう人達に対しての
最大の恩返しなのに、何を勘違いするのか
派手な飾り付けをした御輿にのせてしまうのだよなぁ人は
罪深いなぁ人は
結局こういう事の繰り返しだからな人間は
これからもずーっとこんな珍妙な事を繰り返していくんだ
そういうものだなぁ
1月28日
松浦あやはすごい
いや、わたしの認識の流れの中に置いての話であるが
そうだなぁまだ15、6くらいだからなぁ
ぶっちぎりだよなぁ
17で作家デビューしてる人もいるのになぁ
人の生きるスピードの違いっておもしろいなぁ
昔のパイレーツが陰のぶっちぎりかただとすると
松浦あやは陽のぶっちぎりかたをしているのだ
属性がライトだけに始末が悪い
きっとずーっと精神年齢5歳くらいのままで生きて死んでいくのだろうなぁ
普通、人間は自分のいる環境に強く作用され
また、その中でどう生きていくかを決める
ずっと若くして家を出て自立する人もいれば
成人しても家にいて家族と暮らしている人もいる
両者は互いにコンプレックスがあって嫌いあったりするかもしれない
他人を尊重できないのは自信がない表れだろうか
あるいはそこまで盲目であったりするのかもしれない
他人との議論のすりあわせが秩序を構築するとして
それが自分を縛る鎖にももちろんなり得る
人間は自分の中でルールを決めて生きている
そのルールや世間一般の常識からずれた事をされると人は憤慨する
これはある種、相手のモラルや常識、良心などを信じている事の裏返しでもある
通常の大人のコミュニケーションでは
いきなり自分の主張を込めた発言はしない
環境はどこまで自分に影響を与え
それ以外の考える、想像するという作業は
逆にどれほど環境に影響を与えるものだろうか
ある種の停滞状態の時にその状況を打破するような体験をすると
人の認識はまたぐっと広がる
しかし、それは外の世界にアンテナを広げていないと成立しない
考えるとか、見る聞く喋るというのは
常に同時に行われるのが望ましいのだろう
どれかが突出する面白さは確かに認めるところではあるが
やはり、事の運行に支障をきたす恐れがある
そうやってこれからもずーっとあーでもねーこーでもねーと
私は考え続けると思う
そういった事に意味があると思う事で生き長らえると考えるからである
こうやって大脳の空いているスペースにゴミを溜め込んで
虚無の瞬間に立ち向かう
通常、人は人とのコミュニケーションでこれを回避するが
個人主義者の私が都合のいい時だけ他人を利用するというのは
絶対に許される事ではないと思う
確かにやっている人も見かける
しかし、人は人、私は私である
人のやっている事に口出しはできない
溜まったうっぷんはこうして晴らしている
それに人にどれだけ人とのふれあいが大事なのかという事を言っても
私では説得力もないし、聞きもしないだろう
いや、そういうものなのだ
じゃあ、お前が説かれたらどうなのだ?と問われれば
んなもんむかついて席立つに決ってんじゃん、という
いや、そういうものだし
しかし、個人主義者の敵は器用な人間ではない
偽個人主義者なのだ
むしろ
いるとするなら
敵が
しかし、そういう隙間を縫って生きていくしかないというのは理解できる
という事はやはり私のする事といえば見て見ぬふりをするのが正しいのであろう
そうだ、人は寂しがりやさんなのだ
それをかくして生きたりすると将来
みのもんたに電話するはめになるかもしれない
そして、もんたはそのうっぷんを晴らすために夜の銀座に足繁く通うかもしれない
象徴とは何なのか
よりしろであったり拠り所であったりする
人は十字架にぶら下がるキリストさんとかを見て、何か思ったりする
私は「あんた、どうしたらそんなお節介な人になれるの?」と思う
人は怠惰でよいというセリフが、人の安堵させるセリフが
図らずも人を盲目にしてしまったりする
いや、だからこそ運命を恭順して生きている人が事のほか美しく見えたりする
そんな状態がなぜこんなにも栄えて写るのか不思議だ
ある種の安堵でも与えられているようなきでも起こさせるのか
すべての精神が統合される状態が大人とするなら
私はまだそれが出来ていない
ペルソナとインナーチャイルドの間には深いだんれつの溝がある
まだ、インナーチャイルドは遊ばせておけいという様な声がする
急激に成長を促進させて、将来、フィリピンパブやSMクラブ、赤ちゃんプレイ
に傾倒する危険を回避するためだろうか
人が人の深遠に迫れる事があるだろうか
いや、図らずもそれが行われる場合がある
そして、それはぎくっとしたり、あるいは逆に心地よかったりする
しかし、それは自分と人の間に格差、温度差が存在する
心のシンクロは確かに気持ちがいい
しかし、理性や常識がそれを邪魔するかもしれない
情念を取っ払うと思考と反動行動だけの人間になるのか
では、思考を奪うとどうなる
いや、その状態はあやうい
このあやうさは私の大好きな状態でもある
子供のそれはとても愛らしく映るし
女性だとたまらなく美しく見える
その瞬間的な絶対的美しさは究極の美であると私は思える
しかし、あくまで瞬間の話である
もしかすると瞬間だからこそ
心の奥に焼き付いていつまでも美しく思えるのかもしれない
永遠の春を買うという事はそういう事なのだと思う
それを他に依存するからこそ芸術は成り立つのだろうか
それは文化的な事とは思えない
もっと、人間の根っこの土着的な部分なのだと思う
だから、無防備がとてつもなく美しく見えるのだろう
そうだ心が無防備だとぞっとするくらい美しい光景に出くわす事がある
日常では目にも止めない花だの空だのがあんなにも栄えるのは
空虚な状態だからだろうか
この空虚を作り出してもらうためにパトロンは自分の愛好する
芸術家達に援助を惜しまないのだ
究極的暇の文化
脱却ではなく保持なのだ
その無防備や空虚、それを保持するために投資するのか
容易く失われるものだと知っていて
そうであるか
ああ
なんとも美しい話じゃないですか
そうだ、だからこそ邪悪の温床にもなるのだ
邪悪を駆逐せねば
邪悪を滅ぼしたい
邪悪を地獄の闇に放り捨てたい
邪悪は羊の皮をかぶっている
邪悪は罪を犯したりしない
邪悪は賢い
邪悪はずる賢いのだ
美しい人の美しい心に付け入って、美しいものを滅ぼす
やがて男の邪悪も女の邪悪も互いに殺し合うだろう
邪魔だからだ
だから美しいものを邪悪の侵食から守る戦士が必要なのだ
男の戦士は王子を守り給え、女の戦士は王女を守り給え
大丈夫なのだ戦士達よ
君たちの取り分は用意してある
だから四肢五体砕け散ろうとも闘い続けて欲しい
僕は後ろのほうでこそっと隠れて君らの伝記をかくからさぁ・・・
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