ピュアボーイ&ピュアガールは見ちゃだめだよ。不健康になるよ。
3月19日
対戦格闘ゲームというのは実は苦手である
わたしはプライドが無意味に高い
から
負けるのが嫌で
『や、俺本気じゃないから』とか思う
すなわち糞っ垂れ様なのである
そして、これは前振りである
わたしは竹久夢二が好きである
夢二を思い出す時、手塚治も思い出す
ついでにゴッホも思い出す
三人の共通点はちゃんと絵を習っていないというである
貧困が何かと考えた時にわたしが思うのは
自分が優れているからといって(謎の理論だが)
他人を見下したりする事である
物の価値は人それぞれであるのにまったくこれは
あめりかんな物の考え方ではないか
とはいえ
クールに純粋に技術のある絵を見るのも好きだ
それは共存する
優柔不断や劣等感などではなく
いや、そうである
もし、わたしの周りに絵だのマンガの事だのを詳しい人がいたとして
その人と友達になったかというと、それはなっていたとはとても言えない
プライドというものはもろい価値観の集合で
それを強固なものにするのに、あるものは肉体を鍛え
あるのは論理武装したり、技術を高めたりする
が
結局のところ、自分という狭い認識内で生成されるものなので
いずれにせよ独り善がりである事にかわりはない
本当に他人との共存を考えるならば
自分が他人より秀でようとするだろうか
結局のところ自己満足、自己充足であり
あるいは自分の幸福、欲望のために、となる
で
おれを理解し行なっているならばまだしも
こういった業の深い行ないを
善行と信じて行なうのはこれは宗教である
さて、なんでわたしは夢二が好きなのか
これについてわたしは自分を自己分析する用意がある
しかし、いつ夢二の絵が好きになったのか思い出せない
夢二の絵はこれを描いた人間はロマンチストだな
と思わせてくれる絵だ
絵はユニゾンが楽しいのではないかとわたしは思っている
つまり、作者の思惑と絵を見るものの意志が一致した時である
その瞬間、わたしはその作者の深い部分を知ったような錯覚に陥って
とても心地よい夢想におそわれる
夢二の絵はまさに夢想であり、現実感はない
目をぼぉっとしてうっすら開けているか、いないかのような
現実と夢の間
夢でなく、現実でなく
とても心地よいような感じ
夢二は自分はいつもプロセスであり続けたいといっていた
完成することなく流浪する魂
その飄々とした様が美しいと思えた
それが奇跡的に絵に出る時がある
本人はそれには大抵の場合無自覚である
そして、それが一番美しい
3月18日
世界が残酷なのは当たり前なのです
木城ゆきと著
銃夢ラストオーダーより抜粋
これはいいセリフだと本を読んでいて思った
木城ゆきとさんは個人の感情をそのまま作品に載せるなどという事はない
が
このシーンのセリフだけは別だな、と感じた
残酷というのは悲観ではなく、有り様を指す
残酷という状態は自分の認識と他人の認識の差異によって起こる状態である
それが大きければ大きいほど残酷な状態といえる
泣きなさい、笑いなさい、いつの日か、いつの日か
思いっきりテレビに電話
中村八大さんは調律されてないピアノをひくのが好きだったそうです
それをひいて、こんな音が出る、こんな音が出る、と楽しんでいたそうです
なんてプリティーな人だったんだろう、と思わせてくれるエピソードです
しかし、その当時の常識から考えれば
けしからんと思う人が大半だった事でしょう
けしからんのか
そうか
この貧困め
貧困とは魂の状態である
自分の外に広がる世界に対して感動する事を忘れてしまった哀れな魂である
なぜ、そうなったのか
親か、兄弟か、友人か、教師か・・・
どれでもよい
暴力に屈した魂に用はないのだ
わたしはわたしの子供時代を思い浮かべて
暴力に屈するかもしれない、屈したいと思う時に
その子供に話し掛ける
そうするとそのがきゃこう言う
『へー、それで諦めるの、やめちゃうの、ふーん
いいよ別にあんたにゃ何も期待してなかったし
勝手にやめて、勝手に死んだら?』
さすが俺、冷たいなー
いいねー
そうなのである
銃夢の中で木城ゆきとさんは
途中で諦めるのは卑怯だ、汚い
というようなニュアンスのセリフをキャラクターに言わせていた
そうである
なにかあって
それでそれまでの考え方や、思想や夢を諦めるなんて汚い
それともそんなに安っぽくて一人よがりな主張だったのだろうか
よく吟味し、練磨してきたのではなかったのか?
それをたかが暴力ぐらいで屈させてしまうなんて
本当にそれで勇気ある魂といえるのだろうか
夢を見たからには、それを果たす
夢を見たことが罰とするならば、それを果たさないのは罪である
どんな暴力や無知もこれを挫く事はできない
自由とは時として恐怖だろうか
しかし、夢あるものには力を貸してくれる
見守るだけではあるが、なんと心強い味方だろうか
暴力や無知に屈さず、闘い続ける
それでも人を思い、理想を絶やさず生き続けるものに
祝福などはありはしない
ただ、無関心と罵倒を浴びせかけられるだけだ
それでも生きる
3月17と18の間日
とても
とても
とても、わたしは
くだらなくて
悲しい
でも、頑張るけん
泣きたくて、眠たいかぎりではありますものの
そうだ
たくさんいると思います
よしのりくんがそうだった
えー、むき出しの精神で、ペルソナ作る事忘れて、したくなかったのか
とにかく毎回傷ついて、毎日傷ついて
それでもやっこさんは希望を失わずに生きていた
すげー
すげー
尊敬
こういう事も
死んだ人間だから美化すんだろ、で片付けなさるか
こころとは
何でありますか
ただの脳の火花でありますか
しかたないから強くなるんだい
3月17日
昨日、無料デッサン体験教室に行った
カラスを描いた
下手だった
でも、気に入った
その帰りに死んでしまった友達のために絵を買った
割と有名な人の絵だ
その時は直感で決めたが
今になって思うとあいつにぴったりの絵だと思えた
買った後にあいつの家に行き、絵をプレゼントした
そしたらお父さんが『わたしも絵をかってきたんですよ』
とわたしに見せてくれた
それは桜の絵だった
山の高台から景色を見下ろした感じの絵で
桜がばぁーっと咲き誇っている絵であった
お父さんは横に飾ってあった
同じく桜の絵を私に見せてこういった
『こっちの新しい方がいいでしょう』
横に飾ってあった絵は夜の月と桜の絵で
あきらかに作者が『弧』『さび』を現したものだった
友人だったらこちらを選ぶなとわたしは思った
お父さんが買ってきた絵は
お父さんが物理主義者だという事を物語っていた
社会への体裁、大人としての義務
そういう誰が作り出したか分からん呪文に生かされている人だと感じた
友人はよく寂しいとか孤独だとかいうニュアンスの話をした
それは青年期にありがちなメランコリーな思考のせいだとわたしは思っていた
しかし、それは違った
あいつの名は善仁(よしのり)と読む
善、そして、仁
なんと重い名前だろうか
しかし、あいつは健気にもその名前の有り様をまっとうしようとしていた
あいつはきっとお父さんと人と人、として付き合いたかったに違いない
しかし、お父さんの方といえばこいつを立派な大人に
ちゃんとした成人に、というあくまでも『社会的な役割としての父』
を貫いていたのだろうと昨日話していてそう思った
よしのりはずっとお父さんと人と人として付き合いたかったのだと思う
何が残酷なのかといえば
お父さんがその事に関してまったく無自覚だったという事だ
それでもやつはずっとお父さんに対して心を開いていた
何度、挫折しただろう
何度、傷ついたのだろう
私にはとても想像できない
残酷、そして、暴力というものの真の意味を知った気がした
こういうお父さんはおそらく典型的な日本のお父さんなのではないだろうか
無知ではない、邪悪ではない、怠惰でもない
ただ社会に対して純粋でじぶんに無自覚なのである
これが暴力だとわたしは知った
ただ、お姉さんは非常に気丈な感じがした
女性は環境への順応性が高いのだろうか
だとしたらそれはどれだけ女性が
我々の暴力の犠牲になってきたのかという事を現しているようにも思える
無知とはたぶん残酷なのだと思う
知るという事がどれほど苦くて辛い事だとしても
知らないよりはましかもしれない
思えばわたしの祖父もこの世に無感動な人物に見える
育てる責任がないという事で、孫のわたしには優しいが
育てねばならなかった母や母の妹、わたしのおばさんに対しては
よしのりがうけていたであろう事
すなわち、『社会的に父親として振る舞う』を実行していたものと思われる
人としての交流はほぼないと言い切れる
父はあまり喋らない、口下手で下衆な部分があるが心根が素直で優しい
母は父と結婚できてとても幸せだったと思う
願わくばお姉さんの子供がおじいちゃんに愛されますように
3月15日
わたしには強烈に引きこもりたくなる瞬間がある
具体的に言うと、世界と関わりを拒絶したくなる
早い話が引きこもりたくなるわけですが・・・
すべてを白紙に戻したくなるのは
自分のイメージする自分というものが大きいからでしょう
ようするに阿呆です
ああ、かえりたい
ゼロになりたい
いろんなものが矛盾してきてしまって
でも、寂しいとか孤独とか言って自己陶酔してるやつは殺したくなるわけで
殺したい
目玉くり貫きたい
内蔵えぐり出したい
あばら骨を全部引き抜いて肺に突き立てたい
心臓に食らいえぐりついて生命活動止めたい
殺したい
おぞましいのは
それが救いだと思う心で
それはそのバケモノの自己陶酔の道具に使われるだけなのだ
殺したい
お父さん、お母さん、善仁くん
わたしをささえている最後の良心
その三つのうち一つはもろくも崩れ去った
わたしは殺したいのです
出来損ないのハムレットの様に自己陶酔するバケモノを
そのバケモノを慕う心を
殺したい
いっそのこと
殺したい
このイヴィルハートを御すのに
わたしがどれほどのエネルギーを割いているかわかるか!
ほぼすべてのエネルギーを割いてそれに使っているっ!
たわけめ
おれのたわけめ
認識不足だ
勉強が足らぬ
やつを殺すにはまだまだだ
とか言う内に、やつはグランディングするだろうなきっと
歯がゆい
殺したいというのに
グランディングしたら
歯がゆい
でも、そうです
これがパワーの源なのです
ぶっ殺すと思う心を力に変えて
僕は今日も生きている
おぞましい醜悪が息をしているってのに
どうしておめおめ死ねるってんだい
うぉぉーなんだかそう考えてたらパワーが沸いてきたぞォー
よぉーし生きるぞォー
やってやるぞぉー
ひゃっほーい
3月14日
えー・・・やつが死んで思った事は
親友だ親友だとかぬかしていても本当にやつの事を分かっていたのかと思うと
疑問だ
最後けんか別れでなかったのが救いなのですが
しばらくあってなかったので
まあ、わたしの方とすれば便りのないのは元気の証拠だなんて
思っていたら
『よしのりちゃん死んじゃったんだってよ(byままん)』
だから
はぁ
そうですか
人間、こういう時おもしろいもので
冗談だろとか本気で思うもので
友達に尋ねてみて、『ああ聞いた』なんて言われた日にゃ
はぁ
本当なんだ
通夜の日はどしゃ降りの雨で、泣いてるのがばれなくてよかったよ
こんな急にいかれると
いろいろ思う
もっといろいろ話し聞けばよかったとか
いろいろ約束してたのに果たせなかったとか
でも、あいつはそんな事気にしてないだろうとか
でも、気にしてないと言い切れるのか、とか
いろいろだ
独りというのは一人でも生きていける状態を指す、と仮定して
それはもしかしたらとっても寂しい事なのではないかと
やつが死んで思った
やつが生きている間、やつがいるからわたしは一人ではないと思っていた
いやさ、そう錯覚し思い込ませるように仕向けていた(自分を)
ようするにそれが律となってわたしを支えていた一部分だと思っていた
が
やつが死んだとしても
それはとてつもなく悲しく、わんわん泣いたけれども
生きねばならないのだ、と思うようになった
それは月並みな言い方であるが『やつの分まで生きる』
的な要素も多分に含まれるわけで
逆にそれこそ孤独であろうと思う
そう考えると寂しくて群れるというのは少し違うかもしれない
と思うようになった
まったく別の人間が一緒にいるという事はやはり便利だからだろう
こう言うと語弊があるな
それでもわたしの場合は家族がいるわけで
違うか
いなかったらずうっと泣きはらしているだけだったろうか
わたしは家族の前では泣く姿とか哀しんでいるとかいう素振りを見せたくはない
なぜなら過度に干渉する可能性があるからだ
そうなると今のわたしを支えているものは完全に崩壊する
それは避けたい
それでこの状態が孤独というものであろうと思う
つまり誰にも自分の心のうちを暴けさせないというのは
あまりに保身的でつまらない
そして、しょぼい
つまり、今のわたしの状態はしょぼいというわけである
このしょぼいといわれる状態を何故に維持するのかといえば
理由は一つしかない
いろいろと耐えられないと思うからだ
しかし、仕事せにゃならんわけで
いつまでも泣いていられないわけで
そうすると『ぼく全然きにしてません』ヅラをせにゃならん
これでこのままグランディングを狙うのがわたしの策だ
葬儀の次の日にお姉さんの友人がきて
そのお友達が自分もお父さんを突然失ったという話をしていた
なにかの病気のせいで
朝起きたらお父さんが死んでいたらしい
その人はいまでも信じられないし、その事が忘れられないと言っていた
突然、理不尽に自分の半身をもぎ取られるというのは
それは理解し難いショックである
だから、わたしもこの事についてくよくよ一生考えるのかと思う
あいつは気にするな、というであろうが
そりゃ無理だで
3月13日
頑張ろう
傷つく事をびびってずぅーと自分を出さないでいるよりは
自分だして傷ついた方がよろしいな
うむ
月並みな言い方だがやつの分まで頑張って生きにゃあかん
もう、やつが死んだ以上にわしを傷つける事などない
と考えれば
なんの今までなんとつまらない事でくよくよ悩んでいた事か
生きよう
生きるさ
しかし、孤独というやつとか寂しいとかいうやつはもしかしたら
この状態にある人間をさしていう言葉なのかもしれにゃー
一人で生きていけるってのはそれは寂しいでしょう
しかし、生きていくしかないわけで
そうか
寂しいとか孤独だとか頭じゃ分かっているつもりではあったが
全然、わかってにゃかったというわけだな
しかし、なんとも飄々として落着いていて妙な気分だ
3月8日
日ごろの態度のせいであれだとおもいますが
本当の事です
3月6日
むかむか
この日記を書いている途中に
自殺したっていうニュースが
やっこさん確かにこの世に絶望していたふしがあるが
それでも死にてえとは言っていなかった気がする
思ってはいたかもしれない
生きてりゃいい事があるっていうのは戯れ言だろうか
本当に絶望した、あるいは精神的に閉鎖したような環境で育って
いる人には戯れ言なのか
わからんが
死んだらそれすらもわからんという事だ
名もない神に呼ばれたのかな
その瞬間は何を思ったのか
知りたい
いきなりざっくり自分の意志と何の関係もなく
生命を奪われるというのはどんなに残酷な事だろうか
何を思ったのか
今日明け方夢を見たことは何か意味があるのか
それともわたしがそう思いたいだけなのか
思いたいだけか
おもえばあやつもメランコリーな男だったのだ
あやつのお姉さんは結婚式をあげる予定であったが
やっぱり延ばすよな、普通
しかし、実感わかない
明日、通夜で明後日が葬儀なので
それを過ぎれば実感が湧くと思う
3月4.5日
それはデリケートな問題なのだ、少年
だからわたしは考える
答えを求めて?
NO
こうして脳みそを使う事によって
あらたなニューロン、回路が発掘される事により
脳は異質の力を生むかもしれない、と思うからだ
確かに計算などの効率は悪くなる
現代社会には適さない脳の育みかたであろうと、わたしは思う
しかし、勝手に脳細胞がファイアダンスするというのは楽しいのだ
下手な鉄砲数うちゃ当たる
もしかしたら、こうして無駄にニューロン同士を繋いでいく事によって
その中からとんでもなくおもしろいものが生まれるかもしれない、と思うと
わたしは嬉しくてたまらない
しかし、こういう人間は今の文明社会では必要とされてはいない
だから、同時に生き残る事も必死で考えているのだ
わたしにはまだまだ生きたいという漠然とした望みがある
では、自分の様な狂人はどのようにして生き残れるのか
考えている
わたしのような人間は、現行の社会ではどんどんパージされる
だが、社会を転覆させてやろうなどとは思わない
ただ被害者が加害者に、加害者が被害者になるだけだ
くそおもしろくもないし、意味もない
そういう暴力の繰り返しが歴史だなどというのなら
人とはなんと愚かしい生き物なのか
デリケートなのだ人の心は
人一倍いたがりやさんだから傷つけたり
心閉ざしちゃったりするんだ
哀れんでくださいましね
どうか、どうか哀れみを
究極の幸福は自由意志の剥奪だろうか
その価値観は個人が決めるものでは?
外部に依存するのは恐怖からか
孤立する恐怖か、エゴイストのくせに
人の業を見たか神よ
何百年経とうとも、何千年たとうとも、人が変るものか
人は死んだら無になり
生まれてくる生命はゼロからやり始めねばならない
そのプロセスがある限り、何万年経とうとも人は人である
わたしは考えたい
そして、それらを研鑚する事に意味があるのだと思い込みたい
人はどうしようもないほどに孤独である
偉人達が単純な言葉の中にこめた思いを受け取れているだろうか
不安だ
見落としてないか
解釈を誤っていないだろうか
それでも許してくれるだろうか
意識が沈降する
目が閉じる
まぶたが重い
それでも、ひどく心地よい
無の、白紙の美しさを
本当にこれが美しいものだと思えるものがどれほどいるのか
白と黒の綺麗な揺るぎ無い世界
大極図がうねるイメージ
とけて混ざって人が生まれる
宇宙に対するミクロコスモスである人
人、人、人
やはり、孤独なのだ
しかし、それをなんで寂しがることがある
他人の中にもこんなにも広量漠々たる宇宙が広がっていると考えると
とても、うれしい
もうちょっと生きたい気がする
この世は美しい気がする
はれるや
3月5日
はぁー・・・
深呼吸
最近、躁鬱の差がゆるやかになってきました
できぬものは仕方ない
知らぬ事は致し方ない
しかし、毎日、ちょびっとずつ頑張ってゆくしかありませぬ
あせらずいきましょうや、大将
まだまだ長いぜ先は
3月3日
そりゃあ、ぼうやの方がいいよなぁ
そりゃそうだ
うんうん
うえとあやの媚び臭がきになる
男のお蔭様でかのような有り様なりというのなら
同じオスとして申し分けないでございます
えー・・・幼児性の肯定というものはつまり
楽園を取り戻そうとする運動
自分のインナーチャイルドを投影して
癒しを得るためには無垢というのは当然、大前提
無垢(無知)が肯定されるというのは、その存在ではなくて
二義的なものであり、その存在は媒体にすぎない
それは人によっては異なる
音楽、絵、芝居、詩、踊り、あるいは人そのもの・・・
人そのものを触媒とする人達にとっては
その媒体は無なら無なほどによい
うえとあやさんは女性であらせられるが
力の在り方においては、ぼうやといえる
媒体として虚無である重要性は
その人の自我がどれほどに肥大しているかによって計れる
自我が肥大していればいるほど、媒体は虚無であった方がいい
なぜならば、少しでも媒体に個人の意志を感じてしまえば
その人は自己投影できなくなってしまうからだ
自我が肥大した人は自分が想像する完璧な世界というものがある
そして、その完璧な世界というものは他の存在を否定している事が前提である
そのために媒体となる人間は極力虚無でなければならない
ただ、うえとあやさんのファンの多くは男の子である
女の子が早期に老成しウエットなものの考えをするのに対し
男の子の方は単純そのものまさにぼうや
女性がぼうや的なものを愛する時にでるような自己愛は見られない
わたしはうえとあやさんやまつうらあやさんに
教養だのナンダのをみっちり叩き込んでくれる
あしながおじさんが現われる事を期待して
今日のところは眠る
なぜなら、彼女らには向上心や野心はなさそうだからである
おやすみなされ
3月1日
かわいいよなぁ
かわいい
かーわいい
えへ
えへへ
へへ
殺す
そうですねぇ、うーん
このベノム、あー毒というのはタンパク質が変化したものなので
ようはタンパク質と親戚なのですが
どうも人はそれらは互いに交わる事はなく、異質なものだという理解があるようです
都会の男は飼い慣らされてはいないか?
つまり、ベノムの正体はエネルギーの状態の一つなので
それほど警戒するほどのこともない
わけですが
魔術の本などによく書いてあるように
俺達悪魔をなめるなよ的発言が裏付ける様に
だからといってベノムをなーんだ恐くないじゃんとか思って近寄ってくると
殺すます
そこが難しいのです
別に
危害を加えたいわけではなく
何もしなきゃ何もしないわけで
なんかできるとか、興味とか
そんな事言っても俺、わたしなら心ひらいてくれるぴょんとかむかすと
殺しきるわけで
難しいのだ
そういう自己愛ほとばしる悪夢を一掃したいっ!!!
という思いがあるものの
難しいのだ
ベノムがエネルギーだとすると
そのベノムを生み出す仕組み
つまり
おぞましい自己愛体を俺が見る(あるいは接触する)→魂がうずく
→キルリアン振動→全身のチャクラを経由して気が高速加速される→
全身の気脈が刺激されアニマパワーが増幅される→
陰の気の上昇しようとする力を借りてエネルギーは脳へ一極集中される
→結果、アドレナリン、エンドルフィンなど脳内物質が大量に発生し興奮状態&覚醒状態となる
うむ
つまり、おぞましい自己愛という存在はわたしにとっては有り難い存在なのだ
これが井の中の蛙であった日にゃ
ああ・・・
ああ・・・
ああ・・・あふ、あふ、あふれちゃいましゅ
はぁはぁ
ふぅ
どぴゅ
でた
これは絶望かもしれない
俺が勝手にロマン主義者のように
『人間って生まれながらにしてすばらしんだぜっ!』
とか思っていたわけで
そうでない光景を見た時には
ま、んなもんだ、とでも思わないと立っていられないわけです
もそっと人間に対しては調査すべきだと思われます
そんなバケモノばかりじゃなかったし
いや、そんなバケモノのおかげでなんでもない当たり前の事が
美しく見えるのかもしれないと思うと
バケモノは存在の価値があるのだと思えてきました
そうなるとバケモノに対しても愛情は生まれるわけで
よーし、なんか生きる希望が湧いてきたぞう、少しだけど
頑張ろう、よーし生きてやる
2月28日
わたしのはらわたの中で今日も今日とて黒い蛇どもがうごめく候
絶望させたるは汝なんなるや
それは僕ちゃんの勝手な思い込みであり
わたしはわたしが思う以上によこのつながりがなく
それ以上に強いエゴ、そしてナイーブ、そしてセンチメンタル
そして、ロマンチスト
そして、エゴエゴエゴ
いーや
わたしよ、悪夢から目をそらす事まかり通らぬ
わたしはもっと自覚していてやっていると思ったのだ
所詮勘違いで
そして、それに賛同したりするものがいて
二重にショックだったりする
悪夢とはあれの事を言うのだわたしよ
思い知ったか
わたしはいつも疑問だった
寂しいとは何なのか
だから人は人に頼るのかもしれない
新興宗教にはまるエリートの様に
あるいは疎外感、あるいは虚しさ、あるいは寂しさであり
わたしは恐ろしいものを見た気がします
それはローレライの話のようなものではなくてですね
実におぞましい自己愛を満たすためだけの
あるいは俺、あたし人とは違う子ちゃん様の児戯
いやぁ何でこんなものが生み出されるかという方が問題なので
大抵は狭い認識で肥大してしまった自我のおかげさまで
その様な有り様が特権階級のもので
価値があると思っているというまことにおぞましい自己愛からくるものなのです閣下
撃滅したいですよ、そりゃね
しかし、それをせんというのが大人の有り様というやつでしょう
若いうち奢り昂ぶらなくていつ奢り昂ぶるというのです大将
僕たちはやさしーいお目目で見守ってあげましょうでないかい
そう、それは神の作りたもうた奇跡だから
おお!神よ!
偉大なる主よ!
あなたの御業美しけり!美しけり!
許してください神よ、わたしは愚かでありました
わたしは当初はあのような有り様は悪魔が使わしたものだと信じて疑わなかったのです
でも、そうではなかったのですね!
ああ、なんという深い情愛
何という深い愛なのでしょう
わたしはあなたがあのもの達に向けられる愛を知って
どれほどの衝撃を魂に受けた事でしょう!
それは言葉ではどれほどに書き記したとしても、とても現せきれないものなのです!
あなたの慈悲!慈悲!慈悲!
そして、あの者らの背徳!背徳!背徳!
言葉届いているだろうか、呪いの言葉
因果応報
邪な思いをのせて放つ術は術者にかえる
わかっている
しかし、やらずにはいられない、やらせてくれ
わたしに哀れみを!あの者らに慈悲を!
美しい法律をすべる賢者達よ
愛を歌い上げる天使たちよ
地獄に敗走しようとも、土着の民達を慈しむ悪魔達よ
いま少しだけ時間を!慈悲を!
わたしは答えを見つけたいだけのなのです
始まりの原因を知りたいだけなのです
なぜかと思うのです
とても自分を理解なさっている方を心地よく感じるからこそ
許せぬ
若さとはそういうモノでしょうか
己で見つける価値が欲しいのだな
では黙っていよう
臓腑の悪魔が食え食え食らっちまえ
といふ
何を食う
どうすればいい
それはわたしだって同じなのだ
いっそのこと殺してしまいたい
しかし、殺してどうする
どうするのだ
意味がない
わたしはただ発展を祈るものなのだ
まさかそんなつまらないところで終わってしまうわけがあるものかという
期待、呪いをかけ
そう思わないと立っていられない
神様はどう思っているのですか
無言、無言、無言
考えよう時はたくさんある
もしかしたらとてもつまらなく終わるのだとしても
わたしはああ、そうかと思うだけでしょう
わたしがなぜ人間にこんなにも期待を抱くようになったのか
そんなのは理由が分かっています
だから、何度でもがっくりしながら生きるわけです
だからどうしたというわけです
おやすみなさい
2月21日
AOUショーが終わった後、私が参加している同人誌の
ちょっとした会合らしきものがあるというので
それが始まる時間まで新宿で時間を潰していました
わたしはあまりいった事がなかったのでとても新鮮でした
裏ビデオ屋にまるで日課のようにごく自然に入っていかれるお父様達
あやうい雰囲気を丸出しで歩く女子高生
パパとムスメ
歌舞伎町に団体で繰り出す男子高校生達
なんか演技してる人
すごいぜ、ここは本当っぽいもののるつぼなんだ
誰かが東京は掃き溜めの都市だなんて事をおっしゃっていましたが
それを強く感じた次第です
だから、おもしろいわけだ
パパとムスメと
歌舞伎町に繰り出す男子高校生にはうけた
だって田舎にゃいないんだもん
それとあやうい雰囲気を出して歩いていた女子高生は
そんな男子高校生あたりにいつか犯されるだろうなぁ、と思った
彼女らは内面は少女で、満足に愛情も受けたことがないので
人の善意を試したいだけなのだ
歌舞伎町に若い時分から繰り出すような殿方は
この手のお嬢ちゃんの御し方を実によく心得ているので
その様な殿方にいつか犯されるだろうと思った
そんでもってTVなんかに出て
『私は犯されました』なーんて事を言うかもしれない
そんなもん、だからなんやねんぐらいのリアクションしかとれません
一方、パパはムスメにいいように使われてオワルだろうなぁ、と思った
人生いろいろだ
2月20日
もっと無意味があるか、あるいは貫通するような事を言わなければ
あるいは死か
*これは間接的にある種の人間をターゲットにした誹謗中傷である
何が言いたいねんお前は、と思ったらあなたは健康的であるといえる
それは当然だろとか、わかりきったような事
あるいは坊やが言うところの頭で分かって体で知らず
のような発言はこれは当たり前だがムシズが走りノ介
それに賛同するのもそう
しかし、この糞俺だって目から鱗する
知らなかった事を知る感動や、燈台下暗しな発見には、心打ち震える
その感動もぶち破る盲目が私のはらわたを煮えたぎらせ
憤怒となっておのが身を焼くえもいえぬ高揚感
灼熱の邪気こそが陰の気となりて陽へと転ずるならば
わたしはこの燃える邪悪の命の気をなによりも大切にいたす所存
人に怨まれ、いとまれ、さげすまされ、石つぶて投げられ
呪いの言葉受けようとも、我が身に置いての不幸はそれに屈せず
究極に肥大した自意識が生むひずみをわたしは疎ましくもいとおしくも思い
だからこそ誰も彼も己さえも殺したいほどに憎み
だからこそ愛しもする
ああ、わかるだろうか
身が震えるほどの恍惚
実に馬鹿馬鹿しい妄想が生む孤独を
それでもやめぬ魂
おろかなでぜいしゃくで無知で愚昧なコウロギ達
鳴くしか能がないではないか
それでもまだ鳴く
滅ぼしたい
汚したい
蹂躪したい
無知無知無知
わたしを上回るおそろしい悪夢
吠える犬
どうしてそんなに威張り腐れるのか
あるいは恍惚のままでいるのか
しっているさ
ティンカーベルは元気かい?
そう、あの子は可愛い娘だからね
大事にしてやってくれ
思い出せばもうずっと子供の頃からその様な有り様を見ていた気がする
ようするに寂しいからだろうと思って決着を付けてきた
人は言葉に弱いから
誰も自分の言葉を持たずに
脆弱な魂があるから
人にすがったり
するんだ
だから使い古しのレトリックに引っかかったり
普通の事が新鮮に見えたりするんだ
悪夢だ
悪夢だ!
悪夢だ!!
あくむだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いやだぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
たすけて
ください
やっと自我を維持するのがやっとの僕を
もしかしたら信じれるのかもしれないなどと
馬鹿げた坊やなセリフを吐いてみちゃ
そのつど現実に打ちのめされ
なんでそんな安っぽいせんどう家に引っかかるのかと思い
もっと落ち着けて目を凝らせば傍らに大事なものがあるじゃんと
私はいつも言いたかった
だからこそ正体が知りたかった
ものすごく、なんだろうこれはという意識に支配され
一応落ち着ける答えっぽいものを編み出した頃には
知らぬ存ぜぬか
なんだろうか
逃げるために生きてるわけじゃござんせんな
なぜその程度の事をわざわざ言えてしまうのか
それが言葉をもたない人間に対しての補完になるというkとなのだろうか
言葉を持たないで何が悪い
悪しき風潮だ
ムシズが走る
お前のくだらん自尊心を満足させたいだけだろうが
くだらんせんどうにのって賞賛をあたえ
2秒後には引っ込め死ねのシュプレヒコールだ
神様
人間そこまで阿呆じゃないですよ
ただね
そういうせんどう家の仕業がわたしはど許せぬのです
人には支配する喜びと支配される喜びがあると聞きました
そうでしょう、おそらくは
吐き気がする坊やティック発言
を
加速させる乙女回路
これは業の永久機関なのだ
ただわたしはそれでも神をたたえる歌をわすれはしない
おそらくは歌い続ける事の方が意味のある事だからだ
なぜ?と問うよりも
絶望したり叫ぶ方がリアリティがあるな
そんな事は知っている
知っているような事をわたしが発見したティックな発言をなさる
そして賛同する
つまりハーメルン
つまり死
2月18日
私のようなオタッキーはもっと開放的でアクティブになるべきだと最近思った
どうしたって内面のカオスをまさぐるような
あるいはモラトリアム的(思考停止)なものをよしとして受け入れ
結果、閉鎖的で沈みがちな思考をするのだと思われる
矢面に立つのは恐かろうが
地団駄踏んでいても話が先に進まない
カオスは好きだ
しかし、そのためにわりと想像力か、同じ思考をしているなとか
いっぱい外の本を読んだりしている
というのが大前提なのだ
それ以外は厳しい
だから難しくなっちゃう
それに陰気で幼稚な表現で、かつ自己満足のためにであろうな
と思われるような物は拒絶される
あと悪意も
しかし、はじけすぎると今度は威力が薄まる気がする
表現というものは叫びであろうから
いや、あるいはただの自己の欲求であったとしても
その自慰的なものがたしかに感動をうつ事がある
いずれにせよ、ウソつかないというのは大事なのかもしれない
セックスの臭いのしない父親はいい父親だろうから
2月17日
今日、面白い理屈を考えたのに忘れちゃった
と思ったら『面白い』で思い出した
さすがフロイト、抑圧された言葉はいつも傍らにある
燈台下暗し
おもしろいというのものはかなりプライベートな価値観である
かなり個人的である
その人間の育った環境、友達、両親、読んだ本、親戚、祖父祖母、兄弟・・・
とにかくいろんな物が複雑に絡み合って人格が構成される
ならば
その魂が打ち震えるようなおもしろいという事は
かなり個人的な内容だと思われる
面白いと、愉快、楽しいは区別して考えた方が私の場合はしっくりくる
おもしろいがプライベートな事だとすると
愉快、楽しいはその逆、パブリシティ、多くの人間に通ずるものだと考える
ディズニーランドは愉快
熱海の秘宝館はおもしろい
となる
熱海の秘宝館が愉快となると私はこの国を出て行く
不健全すぎる
しかし、実際その様な事はない
安心
私がもっとも事を面白いと思うのは、ニヒリズムがぴりっときいた話である
私自身がひねくれているために、そのような事に出くわすと
自分の虚をつかれたようで笑ってしまう
ニヒリストは自嘲する部分がないときついのだ
面白いが好きか愉快が好きかは個人の問題である
その人がごく自分的な物の思考や悩みなどを持っていなければ
あるいはそれがありすぎるために愉快なものを好きになるという事もあるか
この場合、外部に自分の補完を求めているようで
その正体は『俺を踏み台にしたー!?』なので
売り出し中の若手お笑い芸人さんは気を付けたほうがいいが
ま、乳繰り合う分にはそんな程度のおぼこい娘さんの方がいいのかもしれない
おもしろいという概念は個人的すぎて
周りの人間からすればそれごときが何故にそんなに面白いのか
という事になる
その様な状況に出くわすと私はこのもっとも個人的である状態を
理解しようとするためにその人の分析とカテゴライズを行なうのだ
これは無礼かもしれない
いや、そうだろう
しかし、そうでもしないと、なぜこの人がこの事柄を
こんなにも嬉しそうに喜ぶのかがわからないわけで
阿呆な私はそれが癪に障るのだ
しかし、そういうその人にとってのおもしろい事を把握する事は
結果的にその人を理解する事につながるので有意義だとは思っている
だいたい、どうの様な思考やら思想があるのか分かってくる
そうするとこちらも接しやすい
たまに考えがぐるぐるして落着いていない人がいる
こういう人は自己愛主義者なのである
神田うのさんみたいにわかってやってるとよい
2月16日
市民革命はいつもそんなもの
支配者が消えたって?
にいさん、すげ変っただけです
しかし、富を下々のものに返したとて
それが価値ある事だろうか
人と人をりようして金を稼ぐのがうまい人間はいる
何処の社長だか忘れたが
その人は子供の頃、障害者の方に優しくされたのを覚えており
大人になってお金持ちになった時に
もうこの世にいなくなっていたその人のこと思って
障害者の方に仕事をあたえたり、福祉の手を差し伸べたという
ようするに社会に貢献するというのはこういう事だと思う
みのもんたが昼聞いた泣き言で生まれたストレスを発散させに
銀座のクラブにいくことだって、お金を循環させるという意味では
社会様に貢献しているのかもしれない
中年のおじさまが寂しさを紛らわすためにキャバクラに行って
金を使うのも社会貢献かもしれない
そのキャバクラのねーちゃんが『現実の男は優しくしてくれないぴょん』
とか言い出してホストクラブに行くのだって社会貢献かもしれない
そのホストクラブのホストがしょーもない女にはまって貢ぐのも
社会貢献かもしれない
人生いろいろだ
2月14日
自閉症だった私へ、という本を読んだ
自分の持っている認識をどの程度人と会わせるべきか
人とは接する人すべてであり、また、その一人一人と、という事になる
新聞を読んでいたら
自分は生かされている、生きるという事は義務である、という一文を見つけた
その人は重病だか、重い障害だかで結果、たくさんの人と関わった
つまり、そのひとにとってはこれは実感なのである
誰にも必要とされていないといってやさぐれる人もいるわけで
なるほど、これは一理あると実感した
私はあまり自分の意見というものをもっていない
これは語弊がある
つまり、めったに話さない
客観論、一般論でいこうと思っている
なぜなら普通の人は自分の感情、好き嫌いですべての物事を判断するからだ
私はなるべくそれをしないようにしている
感情で処理をすると、せっかくのおもしろいものを見逃している危険性があるからだ
これは避けたい
私はエゴイストなので自覚してなるべく自己の視点を排除し
客観的にものを見ようと心がけている
故に、人をカテゴライズする
この様な中で自分で自分を人とは違うとか想っている人間に会うと
もうたまらん
ごちそうである
人は常に井の中の蛙であったと驚き反省するものである
が
このタイプは
いい
よい
よすぎる
私のような人間はかのような境地に陥りやすい
そのたびにただのコンプレックスの裏返しだろ
とか
ただのあまのじゃくじゃん
とか言って自分をいさめる
そして、すげーと思う人間を発掘する事にしている
頭ん中をすげー人間だらけにしておくと楽なのである
なぜスゲーと思うのかのなぞを探る
その人やその人に関する本を読んだり
心理学的になぜそうしたかを考えると
大抵そういう人はものすごく人間的な人物である事に気付く
最初にこれを知った時は発見だった
後に落着いて考えてみると当たり前の事か、と思えるようになった
人間はレトリックやケレンに弱い
それは幼い知性がそうさせるのだと思う
幼い知性は己の願望の充足に使われるものだからだ
しかし、それを恥じる事はないだろう
ただどうも昔の事はなかったことにして、というのが気になる
一過性のものだったのだろうか
そこまで感情的に爆発していながら、恥じる事であった
だから忘れてくださいという事なのだろうか
うーん
おもしろいな人間
根本にある問題がある程度想像がつくわけで
それでもプライドだけが高くなった状態では自己の非も認めず
七転八倒する
それが若さだと思う
失敗を恐れない、というやつとは違うのだな
わたしは人間に興味はあるけれども
ごく普通の人に限られた話である
エキセントリックな(自覚、無自覚両方)人にはあまり興味を覚えない
大抵、正体は自己愛の肥大したバケモンだと分かっているからである
こんなもんをあいてにするくらいなら
堅気の人の方が何万倍もおもしろい
自己愛が肥大するというのはやはり愛された記憶がないからだろうか
それともよっぽど寂しがりやさんなのか
けったいなペルソナは私のような天の邪鬼の前では役に立たない
ぶっきらぼうな少年や、夢見る乙女ちゃんは
実に忠実に神様のプログラムを実行しているように見えて
よくなんの疑問も抱かずにあるっていけておるなと感心する
わたしの学校は一学年130人程度であったが
その少ない中でも私のように『ん?』と思う人間は生まれる
数の問題ではない
どうしたって組織のバランス上生まれざるをえないのである
好き好んで天の邪鬼になったんじゃないやい
その中(わたしのクラス)にはうぬぼれさんはいなかった
私がいたせいかもしれない
どうもそんな『ぶっ殺すオーラ』が出ているらしかった
しかし、きのせいかもしれない
そんなわけでいつしか、うぬぼれ、無自覚というものが
大の好物になってしまった
テレビなんかでもそんな塩梅の人を見るのは楽しい
現実にであったら発狂するほどに嬉しい
でも、なかなか出会わない
みんないい人だからである
戻る