ピュアボーイ&ピュアガールは見ちゃだめだよ。不健康になるよ。
4月30日
ありがとうございました。
5月もよろしくお願いします。
5月もご自愛ください。
4月29日
そばはざるだろ!
4月28日
「真剣十代しゃべり場」を見る。
こういう番組を見てると脳と骨髄がイガイガ言い出すので、
忍耐力を付けるいいトレーニングになる。
常日頃から自分はまだまだ未熟、青二才だ、
もっと、いろいろな事を学ばねば・・・と
思っている私なぞにとっては、
感涙の涙が頬をつたうかぎりだ。
相手が何を言おうとし、何を思い、
何を考えているかを理解するには、
相手の話を聞く耳と柔軟な姿勢、
そして、それらに対する自分自身の考え(経験)が必要だ。
それらも無しに感情だけで言葉が次々出てくるのは
まこと羨ましいかぎりだ。
ビバ!人間!
4月27日
新内閣誕生についてたけしさんが意見を求められていました。
たけしさんはやんわり、我々に「冷静に」と注意を促していました。
しかし、そんな事よりインタビュアーの方々の
「っち、なーにわけ解んねー事言ってんだよ」
とか
「っち・・・うるせーなぁ、いつもの毒舌頼むぜ!たけちゃん!」
とか
「あー・・・早く帰りたい・・・
てっユーかあたしはこんな仕事するために
生まれてきたんじゃないわよ!
あたしは!あたしは!」
みたいな、まったく心のこもってない相づちが
面白くて面白くてたまりませんでした。
ビバ!人間!
4月26日
水木あにぃがWOWOWでやっているアニメの主題歌を歌っていました。
しびれました。
でも、あにぃは昔、自分がそうある事が嫌で嫌でたまらなかったそうです。
でも、ふっきれたって前、テレビで言ってました。
ふーん。
確かに人は自分がこう有りたいと思った姿と、
今の姿が違うとき、急激にそれを拒絶します。
中にはそこから脱却して成功したり、そして、失敗したり。
あにぃはその中において自分を発揮するすべに気付いたみたいです。
ふっきれる、というのはいい事だと思います。
なぜなら、それは良くも悪くも己の力を発揮する、
一番手っ取り早い方法だからです。
て、事はやっぱり人に惑わせられず、
己を貫くべし。って事?
4月23日
純少女漫画原作のアニメを見る。
さすがに私なんぞは辛いが、きちんと作られていて好感が持てた。
おそらく、作者自身もこんな感じなのだろう。
画面から伝わる女性特有の優しさ(甘えとも)が、
よくある、たくらんでるアニメとは違っていたので気持ちが良かった。
我々はこういったものを急激に拒絶する時期がある。
逆に埋没したり。
やっぱり拒絶したり。
一番いいのはそうであった自分もそういう物も傍らにおいて置ける
余裕を持つ事でありそうななさそうな。
4月22日
神話は凄い彙童話も凄い。
一昔前にほんとは恐ろしいグリム童話という本がありました。
あれを読むとふーん・・・と、うなりますよね。
読んだ事無い方は読んでください。
神話などもそうですがお話の作り方が
雑
です。
今の読みやすい本とは畑が違います。
それは言葉の一つ一つにいろんな意味を持たせるからです。
当時の権力者などへの悪口もあったりして・・・
もちろん、作った側もそれを意識して単純な言葉や
その組み合わせで文を作っているのだと思います。
その方が想像力をかきたれられるからです。
映画より原作の方がイイ、という人が多いのがこれを証明してますね。
これらの作品は己自信を映し出す鏡ともいえるでしょう。
心理学に使われているのは普遍性があるのも、もちろんですが
こういったニュートラルで余計な物がないからこそできるのです。
きっとこういった作品を生み出した偉人達は心が豊かで知識も豊富。
そして、自然に囲まれて空想にふける時間があったのでしょうね。
はぇぇ話が暇人だ。
4月18日
テレビを見てたら、@@子さんが出ていた。
求愛をしていた。@@子さんはおそらく束縛するタイプだ、そう思った。
私がこんだけしたんだからあなたもこうしてよ、って言うタイプだ、たぶん。
いろいろあっても気付かなかったらしい。
ふむ。
4月16日
言葉を言葉で説明してくと、
最初にいった言葉がものすごく陳腐になる。
けどそれをしていかないと解らない事もあるし、
そういう事を聞いていると何やら解らないものだから、
イライラしてくる。
もう少し、解かりやすく思う。
しかし、我々は先言ったように陳腐になる事を知っている。
人はたまに言葉を正確に言う事を要求する。
パソコンと話をしているわけでもなし、
私なぞはそれはニュアンスを伝えるぐらいの、
道具としてしか考えていないためか、
正確さを欠く私の言葉は時に人を苛立たせるらしい。
私はそんな相手に苛立つ。
相手に苛立つ、私に苛立つ。
スパイラルである。
写実を追求する絵師は素晴らしい。
しかし、写実を要求する人間は馬鹿だ。
4月15日
そもそも格闘など体を鍛える事で心も鍛えるという事はおかしい。
冷静に考えてみればそれらは別々の事だからだ。
心の研鑽を積んだもの全てが筋肉ムキムキなわけではないし。
ようするに手段の一つなんだろうけど、
なぜか、そういう理解はしてないな、うん。
それは文学的な追求をしていた御方達が、
ろくな果て方をしてないからだろうな。わお。
うーん・・・
そうか・・・
ほおぅ・・・
ねむい。
ねる。
4月14日
占い、占い、占い。
なんでだろう、なぜにあそこまで陶酔できるのだろう。
そんなに恐いかい、不安かい、わからんちんかい。
なんで彼女らはあんなにも占いを信じることができるのだろう。
4月13日
浮気をするのと束縛するののどちらがエゴイストなのか解らんね。
誰かに寄りかかりたくて、
その人にパートナーがいるのが解っていても求める奴もいるであろうし。
そんな奴こそパートナーを奪うなり、新しく作るなりした時、
パートナーを束縛するであろうし・・・
なるほど、円周率が割り切れない訳である。
4月12日
騙すのがうまい人って凄いぜ。
どうやって丸め込んだのか後日談でもいいから聞きたいぜ。
ぼく達だって簡単に騙されないように気をつけなくちゃ。
でも、騙されてる間って幸せそうだぜ。
時が経って気付いたらその時の事どう思うのかな。
きっと、「あの頃は若かった」程度で片づけられちゃうのかな。
冗談ぢゃないやい。
こちとらその勘違いのせいで痛い目見てるんだい。
ワビの一つでも入れてもらいたいやい。
なんで、そんなんやねん。
そんなに居心地いいんかい、そこは。
・・・羨ましいぜ・・・ちょっと
4月11日
他人が真に自分を愛してくれますか?
いつも自分の事を考えてくれますか?
心配してくれますか?
物理的に不可能でしょ?
真に自分を想う事もいたわる事も
愛してあげられるもの自分自身でしょ?
だから、そんな、始めっから他人に寄りかからずに
まずはご自愛ください・・・
4月10日
不良というインターフェースはわかりやすい。
少年漫画の王道だ。
有名漫画のほとんどはそれだ。
漫画においてインターフェースがとっつきやすいのは重要だ。
なぜなら、少年(ぼーやbyシャア・アズナブル)は
バイオレンス好きだからだ、ぼーやだからだ。
これを利用すれば難しいテーマも、
とりあえず読んだフリみたいな事してくれるからだ。
でも、やっぱり理解してないみたいだ
ぼーやだからさ、だからだ。
4月9日
積み木はなんでおもしろいんだろう。
なんでドミノはおもしろいんだろう。
そんなもん、ぶったおすからに決まっている。
ああ・・・カタルシスだわん・・・
レセナのCMの左側の人、個性的な顔立ちだなぁ・・・
勇気があるなぁ・・・(色んな人が。)
うれる堂はもっと早い時間に放送できんのかえ・・・
4月8日
人を傷付けないジョークはない。
しかし、人はそんなジョークこそ笑い、そして、敏感に反応する。
例えば、テレビを見ていて
「先ほどのコメントの中に不適切なコメントがありました、心から御わびいたします。」
と、ものの5分10分もしないうちにわびが入るのはそれを証明していると思う。
とかくADHDだの、拒食症だの、多重人格だの、
精神的な問題に関しては、
驚くほど我々が理解していないため、
ギャグにしてしまった場合、すぐにカウンターパンチが入る。
これは、余りにも理解している人が少ないため、
ある種の使命感に目覚めた人たちがその物事に対し、
半ばあざとく、くどく、必用にちゃちを入れ続けねばならないからである。
これはすごいバイタリティだと思う。
純粋に尊敬する。なぜならそれはなかなか理解されないからだ。
理解されない事をずっと言い続けるのはすごくエネルギーのいる作業である。
しかも、やっと理解されたとしてもその人自身はまったく評価されないのだから。
4月7日
歌を歌っている方がいます。なるほど。
技法的にはそのやり口は昔からやられてきました。
いわゆる普遍的とかいうやつです。
すごい人気です。ティーンもミドルも総ざらいです。
ティーンは解ります、まだ自分が定まっていないからです。
ですが、ミドルも骨抜きな様です、ふむ。
ティーンがこれらを聞いて「大人達は何も分かってくんねーぜぇー!」と
ティーン限定ギャグを披露するぶんにはよいのですが、
ミドルも持ってかれているのはどうなのでしょうか。
日本はそんなに精神を鍛えるのに事欠く国ですか?胤瞬ですか?
ま、いっか。
4月6日
手塚治の人間讃歌はわかりやすい、誰でも見りゃ解る。
それがあくどいと感じる方もいらっしゃると思う。
フレンチ映画の人間讃歌は分かりにくい。フレンチだからだ。
奴等は手塚治よりも太宰治だからだ。
長い間ドメスティックされていたからだ、日本人でよかった。
鉄道員はくどかった、純日本人はあれを見てなくであろう、
しかし、あんな鉄道マニア娘がいたら、ちと恐い。ヴィジュアルで救われている。
ハリウッド映画の人間讃歌は悲惨だ、ありゃ人間讃歌でなくて米帝万歳だ。
あの人達は自分達の事が好きで好きで仕方ないんだ。ナルシストなんだ。
自閉してるんだ。
そんなアイデンティティーの確立のしかたしかできないんだ。
2億4千万総ナルシストなんだ。なんだ。
わーい、人間ってすんばらしぃー。
4月5日
私は物事を感情論で処理してしまう輩が嫌いである。なぜなら、
感情論で処理してしまうとそこですべてストップしてしまうからである。(しかし、最後に感情論は解る。)
確かにインターフェースが気に入る、気に入らないというのは大事だ。
しかし、それでその物事の本質を理解しようとしないのは愚の骨頂である。
これはすべての物事にいえると思う。
ここはおおきな心で我慢してやるのが大人の対応というやつではないだろうか。
これでは己の心の幼さを証明しているようなもんである。
しかし、我々は同時にしょせん、理屈が感情論に勝てない事も知っている。
よく男と女の関係にある男女が喧嘩をしていて、
男が建設的な話をしているのに対し、女の方は感情をむき出しに言葉をたたみかけ、
ひたすら己の怒りをぶちまける様に。
こういった状況では男の方も理屈なぞ、こしゃくな理解をかなぐり捨て、
女の気のすむまで感情論でぶつかってやるのが紳士の対応というやつであろう。
しかし、逆に物事を提供する側がこれらを利用している場合がある。あくどい。
が、それをよしとして、その上でそれを楽しむ場合がある。
まるで性悪女に惚れちまった、免疫の無い田舎青年のようではないか。
そうなのである、感情論主義者の方々は実践主義者でもあるのだ。
痛い目あうと解っていながらも突き進み、そこから何かを得る。
何と勇ましい精神であろうか、
きょうび、何かを得るのに必要以上に何かを体験する意味があるだろうか。
偉大な先人達の残した書を読み解き、知的領域を広げ、
心の視野を広げれば必ずしも何かを体験せねばならない、
というわけでもないだろう。
いや、しかし、確かに百聞一見にしかずというではないか。
物事すべてを感情論で処理するというのは、
その人自身が完成していなければ周りの多くの人に迷惑をかける。
しかし、逆にその人が完成していれば、
その言葉の背景にその人の考え方や姿勢が感じられ聞くに苦しくない。
私はできれば後者になりたいのである。
4月3日
キティちゃんの体重はりんご三個分らしいです。今計ったところリンゴ一個4Kgでした。
という事はそれに×3であるから、さんしじゅうにの12Kgである。
軽い。
あんな図体で12キロは軽い、軽すぎである、完全なやせすぎである、拒食症患者である。
しかしぱっと見たところそんな感じはない。・・・どうなってやがる・・・
すごいや!すごいぜ!アニメーター!えろい、こんな単純な線でエロさを表現できるなんて素敵だわん。
しかし、アニメ的な絵ってよく否定される、
それは同じ穴のムジナである私達のような人間が姑息なアイデンティティーの確立のために行う、
つまらんパフォーマンスである。気にしないように。
私も少し前までそうであった、しかし、スカした絵よりそっちの方がいいと思います。
そっちが増えすぎるものもちろん考え物ですけど・・・
4月2日
どうしてゲームクリエイターは映画コンプレックスですか?映画は新しい情報媒体といて、
ゲームの出発はオタクの暇つぶしやないですか、出発が。
もちろん、あのお方だってそんな事は百も承知でしょうよ、ええ。
そんな事ブーブー言ってるから老舗の硬派なファンが殺意の波動に目覚めちゃったんじゃねーんですかい?
ま・・・仕方ないか・・・新たなファンのニーズは無視できないですよね。
だって、そっちの方がちゃんとペイしてくれるだろうし。
2001年4月1日
言葉は余り通じません、同じ日本語でもそうです。
そもそも言葉というのはその人その人がその言葉に抱くイメージや情報によって違ってきます。
独特な言い回しの日本語を英語に変換するとわけの分からない言葉になって変換されてしまうように。
特にこれが相手が専門的な知識を持っていた場合はこれが顕著に表れます。
この場合は相手がいちいち素っ頓狂な事を言うのに対し、
その人はいちいち愛想笑いを浮かべるか、その間違いをいちいち訂正するしかないからです。
こんなこともあってインテリの人はもっぱら聞く側に回りがちです。
自分の言うとこが相手に理解できない事を十分に知っているからです。
しかし、こんな謙虚な態度もいとも簡単にそんな方達にカウンターパンチを入れられてしまいます。
これはその方のクンフーの無さや、その方達の知的領域の狭さを証明している事でしょう。
しかしこんな事を言っていても始まりません、ここはお互い歩み寄るのが大人の対応というやつでしょう。うん。
言葉は時代によって変わります、よく老人達は若者の言葉は乱れているなどといいます。
しかし、そんな老人達の言葉も一昔前から考えれば乱れているのです、
いまだにいとおかし何ぞを使っている方がおりますか?
閉塞した空間に新しい風は必要なのです。
確かに今の人の言葉は乱れているかもしれません、
しかし、その分余ったメモリーと柔らかい脳みそを使って新しい言葉を生みだし、それを楽しんでいます。
確かにこのままで言いワケが無いと思いますが、
こういったセンスを利用して商いを行っている方もいるのでまずはよしとしてくださいませ、お願いいたします。
ほんとの事を言い続ける事はすごいです、なぜなら人はもっと簡単な方がいいからである。その方が楽だからである。
それでも本当の事を言っている人はすごいです。
なぜならそれは理解されないからです、評価されないからである、わかりにくいからである、難しいからである。
人は自分の理解を超えるものに出くわした時、恐れ故かその者を迫害したり、拒絶したりする。
その方が楽だからである。その人の事も考えず、すぐに否定の言葉を使ってしまう。その方が楽だからである。
人間は楽をしたくてここまで来ました、これからもそうでしょう。
しかし、それは悪い事ではありません、むしろ、いい事です。
重要なのはその人の心、なのですから。
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