日記

2001年4月5月6月7月8月

ピュアボーイ&ピュアガールは見ちゃだめだよ。不健康になるよ。




9月27日 COCCOさん。 ついにI’mパーフェクトワールドでしたか。 ふむ。 消費者は 結構ドライで 作り手側の思惑には乗らない(信徒は別)。 それは宗教だから。 だから、バーンアウト(燃え尽きる)をするのは もったいない。 岡本:んで、最後の一つ。ユーザーどうしが金を奪い合う。 大介:あ、なるほど。 岡本:負けた方はゲームオーバー、 勝った方はそのまま継続できる。 このシステムができるのって、対戦なんだよね。 ということで、俺の出した答えは、昇竜拳…と。 で、やっぱ飽きもくるし、続編がやりたいんだけど、 全く新しいものだったら 最初からトレーニングしなきゃいけないじゃない。 だから、大枠は変えず、細かい部分を変えてリリースする、と。 それによって、ユーザーは難なくついてこれるし、 開発コストは少なく収まる、 ゲームセンターは安価で安心した買い物ができる。 これが『ダッシュ』とか『ターボ』(※8)っていう戦略ね。 だから、『楽して儲ける』ではなく、全体をよく見て、 ちゃんと商売を考えてリリースしてるわけ。 大介:はい。 岡本:でも、それを壊しちゃったのがSNKなんだよね。 SNKが餓狼とか龍虎とか侍とか、ドバーっとだしたから、 仕方なくウチもヴァンパイアとかマッスルボマーとか出したわけ。 マーケティング的に言うところの『ライン拡充戦略』。 でも、これって殆どが失敗するんだよね。 拡大すればするほど失敗する。一時的に儲かるんだけどね。 将来的にはヘコんじゃう。 ※カプコンホームページからそのまま抜粋。 マイナーチェンジは歌とかマンガとか本は飽きられる。 たらぶりゅーのロードとかさ。 あれはリフレインギャグだったか?後半は、 自虐的だったけど。 だから、作り手と消費者の幸せな形ってのは 進行をスローリーにする事。 スローリーにしても 密度が濃くなる薄くなる、 て事はない。 でも、ベルセルクみたいなストーリーマンガでは これはきつい。 バカボンドはあり。 ベルセルクはガッツの物語より 『お話』を描きたいと思っているから(読者も(見たい))。 バカボンドは焦点がはなから たけしゃんだから 読み手も話を追う必要はない。 ストーリーは誰でも知っているわけだから 読み手側は続けて読まなくても その時心を打つ物があれば 長いスパンでたまに読むという事もできる。 しかし、読み物としては 『リアル』のほうがおもしろい。 それは普通だから。 バカボンドに比べて 肩の力が抜けているので 読みやすい。 よーするに 読者は 作者の思ってるほど 自分に心酔してないって事。 それに気付かずバーンアウトすなっ! って、言いたかったの。 固定ファンがつきゃいいかもしんないけどさ。


9月26日 そりゃ、みんな幸せになんなきゃ サギだぜ、サギ。 だからたのむぜ。


9月25日 日本のマンガ、アニメ、ゲーム の消費者は レヴェ(←巻き舌)ルが高いと思いました。 すてきんぐ ですわ。 日本万歳。


9月24日 女が素敵な恋愛したいだの 男が野望をかなえたいだの っつうのはやっぱり強迫観念だと思ふ。 だって、落ち着いて考えるとべっつに意味ないもんなぁ。 子供の頃からのインプリンティングには こらぁ逆らえませんな はい ええ だからね いんじゃねえですか 別にさ はい うん うんこ。


9月23日 信長様、信長さまぁ・・・ にんにんにん、むーん・・・ ぽくぽくぽく、ちーん・・・ にゃんぺら、にょん。 ぼわぁーん。 信長様(以下、の)「誰じゃ、ワシを呼ぶのは?」 私「すいません信長様、わたしです。 今日は信長様にぜひとも聞きたい事があって イタコったのです。」 の「聞きたい事?何じゃ?申してみい。」 私「ははぁ、有り難き幸せ。 実は今、人間界では信長様を悪魔とか現人鬼とか そういう超常のもの、物の怪、人外のものとして 描かれる事が多いのです。」 の「ふむふむ。」 私「私はそのことについて 信長様自身はどう思っているのかと・・・」 の「うーむ・・・なるほどな。 しかしなぁ、世の中にファンタジーというものは必要じゃ。 子供向けの漫画や小説、 または淫靡なものや怪しげな雰囲気を描きたいと思うなら ワシは絶好の材料じゃろうなぁ。」 私「(ああ、大人の意見・・・) そうですねぇ、でも、不満はないのですか?」 の「まあ、ないといったら嘘になるな。 たまには改革者としての信長の一面を描いた ものが見てみたいの。」 私「ははぁ・・・ 信長様はインパクト強いですからねぇ。 名前が一人歩きしてるっていうか、 風雲児、型破りの代名詞ですよね。」 の「オヤジがあのオヤジだったからな。」 私「いやぁ、いいお父様だと思いますよ。」 の「そりゃ、外から見りゃな。 実際、近くにいたらなぁ・・・」 私「そっすねぇ・・・」 の「わし、そろそろ帰りたいんじゃが。」 私「あ、はい。 これは失礼しました。」 ぷりぷり、うんこぷりーぃず。 の「んじゃ、またの。」 私「ははぁ。今日はどうもありがとうございました。」 の「うむ。」 ぼわん。


9月22日 そーか、ふーむ 難しいなぁ 普通の会話って・・・
なに?

俺、ふと思ったのだ。 俺は普通の会話ができない。 俺は すぐ いや、それは、ふにゃふにゃだから・・・ だから、ふにゃふにゃで だから、たぶん、ふにゃふにゃって事だと思うよ。 って、言っちゃうのだ。 理屈馬鹿の性なのだ。 こう見えても まがった事は大嫌いー、 なのだ。 中途半端でてめぇ勝手な意見には 食らいつかずにはいられないのだ。 だから、いつの間にやら普通の会話ができないくなっちゃたのだ。 どうしよう。 だから、意味ない会話ができるって ちょーうらやましいぜ 俺はもっと意味なさすぎるから わかんないのよね 耐性ない人は。 でも、理解してもらおうなんて思うのは傲慢でしょ? 談志師匠が言ってたけど 自分の言ってる事は 意味ないけど、なんだか知らんがおもしろいって。 うん。 そりゃ、談志師匠や松本人志並みに説得力があれば おもしろいけど、 まだなぁ・・・ 一回やってみようかな や、 やってるんだけど ばかに なに言ってんだ? みたいな顔されると 殺したくなるしなぁ 難しいなぁ ぷり、うんこ。



9月21日 ビデオをまさぐってたら ダウンタウンのごっつええ感じ が残ってて、見ました。 おもろかったわー。 当時は4CHでたけしさんの 元気が出るテレビもやってて、 クラスの人間の多くはどっちかというと 元気が出るテレビ派だった。 うん。 なんつったてインパクト重視でわかりやすかったもんなぁ。 今、あんなん作れないもんなP@Aのおばちゃんがうるさくて。 ごっつええのコントは 様式美だったから(美?) 疲れてたり、受け取る側に その何かが備わってないとちっともおもしろくない。 だから、松本さんの出した ビジュアルバムより TVのコントの方が分かりやすい。 雰囲気とかがあって、 これは可笑しいっていうエクスキューズがあるから。 でも、こういうぎりぎりのセンスってのは 分かりにくい。 分かりやすいものも私は好きだけど。


9月20日 図書館が木曜だけ六時まであいているのです。 木曜と言わず、月曜だろうが、火曜だろうが、 あけてほしいものです。 『セブン』という映画で図書館のシーンが出てきましたが、 ああいうふうに夜中も利用できたら、なんと素晴らしい事か。 喫茶店はショバ代代わりにコーヒーだの、 サンドイッチだのを頼まなきゃあかんし。 うー・・・ なんとかならんか?


9月19日 うーん、やはり時間が解決するというやつなのか・・・ しかし、多くがそうであるように いや、ただ、傍観者にとって流れてるだけに感じる事も それは私たちが理解するように意味がある事なのかもしれない。 しかし、それは後悔したくないという メカニズムが生み出す防止弁でもきっとある。 つまり、『あの頃は若かった』のセリフは 愚劣で愚鈍な過去の自分の肯定である。 やってみなければ分からない、というのは確かに正しいが、 逆にその思いが自分の認識を狭くしている事も確かだ。 もちろん逆に口先ばっかりでも同じ事だが。 人格をさいて、さいて、砕いていくと最後に残るのは 無垢の自分である。 一部の女性やオヤヂに見られるような『逆ギレ』は、 追いつめられた結果、すべてメッキがはがされた時に 起こる自然現象である。 普通は笑ってギャグにしてかわしたり、 反省しきるかのどっちかだろう。 つまり、逆ギレというよりマジギレに近い。 律義に真っ正面から受け止めてしまうのである。 ところでKOFを作ってる人は サイコ(田島昭宇著)見てんのかね、 世界観似てるね。 それともシンクロニシティかえ?(こっちか? レオナのけんもあるし。)


9月18日(弐) 老人が形式にこだわるのは致し方ないだろうが、 いささかやりすぎて、 目にしたことがない才能の芽を摘んでいるのかと思うと、 ふと悲しい。 老人達がもちろん、築いてきたものを大切に思い、 大事にするのは分かる。 だが、そんなに心配する必要はない。 一昔前にブレアウィッチプロジェクトという映画が流行った。 しかし、もちろん、それは一過性のドラッグがごとし、 一発で終わり、後に続くああいった映画でのヒットはない。 つまり、消費者は作り手側以上の良識を持っている、 という事だ。 それとも、消費者を信用していないのか? 聞こえよがしか? と、悪態をついても仕方がない。 私たちが心配せずともそれがおもしろければ、 何らかの形で世に出る事だろう。


9月18日 いつもの通りにチャーハンをつくろうと思い フライパンを取り出し、 フライパンを熱し始めた。 私はいつも面倒くさくて卵を熱したフライパンと 熱した油の上でささっと解いてしまう。 だから悲劇が起こったのだ。 卵を割って、割ったら色が変だった、黄色いし、固いし。 しかし、必要以上に熱せられたフライパンの上で 卵はみるみるスクランブルエッグ化していく。 まずい、だろう、この色、この硬さ、まずい、だろう。 まずい、が、じゅぅー。 ええぃ、やっちまえ。 私はフライパンに米を放りこみ、ねぎを入れ、 塩コショウをまぶし、 香りつけに醤油をなべはだから流し込み、 チャーハンは完成した。 味はいつもと変わらない。 しかし、そう、戦はこれからに違いない。


9月17日 左から右に向かっていくのが アメコミ。 と、アクションゲーム。 右から左に行くのは 日本のまんが。 エスカレーターで 左によるのは東京スタイル。 右によるのが大阪スタイル。 ちなにに世界標準は右。 つーわけで大阪さんの勝ち。 海外に日本の漫画が行く時 アメコミスタイルになるから 右から左スタイルに印刷し直す。 だからデッサンが狂ってると悲惨なのだ。 デッサンの狂いは 後ろからすかしてみるか 鏡で写してみると簡単に分かります。 良い子は真似しちゃだめだよ ノートは左から右だ。 教科書も左から右だ。 新聞も左から右。 ワン・ツーも左、右。 心臓は左寄り。 右利きの人は 左の方を向く顔が描きやすい。 左利きはきっと両方うまい。 だって、左利きの人間は 脳内にある絵を描く分野のところを刺激するから。 ちなみにミケランジェロは左利き。 だったかな? なんで右から左と左から右の本があるんだろう。 ああ、知りたい。


9月15日(弐)
見たい。

見たい。
見たいよー
丑の刻参り
この世のものでない顔をするらしいです
おお、恐い
あな恐ろしや
しかし、見たい
この世のものでない顔とはどんな顔なのか
見たい
見たい
見たい
この時ばっかりは寺の住職になりたいと思った。
見たい
見たい
こわい
けど、見たい
夜に行ってみようかな
でも、夜の寺はこわいな
てゆーかほんとにやってたらどうしよう
しょんべんちびっちゃうぜ
見てるのばれたらどうしよう
貞子みたいにこっちに迫ってきたらどうしよう
こわい
こわい
こわいよう
泣くかも
腰ぬかすかも
しょんべんちびるかも
だっぷんするかも
許しをこうかも
拝み倒すかも
ごめんくさいって言うかも
おとーさーん!
おかーさーん!
たすけてー!
阿藤海さーん!
なんだかなぁ
なんだかなぁ
きみさぁ
なんだかなぁ
丑の刻参りなんかさぁ
なんだかなぁ
やめてさぁ
なんだかなぁ
なんだかなぁ
とにかくさぁ
なんだかなぁ
やめようよ
なんだかなぁ

さすが海さんだ
あついぜ
ふかいぜ
あったかいぜ
なんだかなぁ
なんだかなぁ
丑の刻参りをやめて・・・
愛だろ?愛
って、ことで
本日はお開きと言う事で











丑の刻参り見たいけど
付き合ってくれそうな
友人はもう東京にばっくれて
しまったので
ひとりじゃいけないし
体験談があったらメールください。



9月15日 女どもがひがな素敵な恋愛がしたいだの 幸せな結婚がしたいだの 反吐が出るような会話をがしがしするように 男どももひがなうんこだのちんこだの 下劣で低俗な会話を宇宙せましと繰り広げている。 なぜ、男どもはうんこだのちんこだのが好きなのか これは宇宙開闢に匹敵するほどの謎だと 晩年、錬金術にも手をだしていた アイザック・ニュートンが言っていた。 心理学者のフロイトに言わせれば それは自己愛の延長であり、 幼児性からの脱却を拒む行為だという。 また、古代ギリシャの哲学者プラトンはうんこもちんこも この宇宙がしんにフラクタルな構造で成り立っているとすれば それはイデアの代替物、 もしくはそのものになり得ると言っている。 (しかし、フロイトは後にこの事を 安易に人が理想を求める、 つまりは幻影(フェイク)であるといった。) 以上を踏まえ考えると うんこやちんこは、 ほぼ人の幼児性への回避といえる。 このうんこちんこシンドロームが 男に多いのはなぜか。 ここに興味深いデータがある。 あなたは暇な時ちんこをいじくりたおしますか? Yes・・・67% No・・・・12% どちらともいえない・・・8% 無回答・・・5% その他・・・8% うんこを見るとついついつんつんしたくなる。 Yes・・・82% No・・・・7% いい肥料になりそう・・・1% いいつやだ・・・3% てゆーかくせえ・・・5% ふんちゃった・・・1% もったいないから食べた・・・1% ※オリコン調べ 調査対象成人男性 うんこをつんつんしたくなるにたっては 実に成人男性の82%が つんつんしてみたくなったと答えている。 心理学者の香山バービーさんはこう答える。 「これは日本に限った話ではないと思います。 最近の家庭事情では家はうんこちんこシンドローム 温床になっています。」 香山さんの話によれば 夫が子育てに参加しない事や 妻が置かれる状況が うんこちんこチルドレンを生むという。 「夫はずっと仕事で疲れて帰宅。 話を聞いてもらいたくてもすぐ寝てしまう。 奥さんは近所付き合いもあれば 子育ての問題もある。しゅうととの確執も。 そんな個人を剥奪されるような環境でお母さんがたは 子供に過剰な愛情を押し当てて アイデンティティーを確立する。 過剰な愛情を押し当てられた子供は もちろん、過保護に育ち、 自主性を失いママがいなければ何もできない 大人になってしまう。 そのいつまでも抜けきらない幼児性が 彼らにうんこちんこシンドロームを引き起こさせるのです。」 母親が一方的な愛情を子供に与え 結果的にその子の自主性を奪ってしまう事を 『共依存症』という。 母子間(異性)で取り交わされる愛情劇が 子供をいつまでも母親の玩具に そして、子供はいつもでも 庇護される存在となってしまうわけだ。 その気持ちが成人男性の うんこちんこシンドロームを生んでいるという。 香山さんは最後にこう言った。 「責任のある大人になるという事は 辛い事なんです。大変な事なんです。 でも、男の人にはめげずにがんばってもらいたいです。」


9月14日 そのために必要な情報のみを供給してるわけだから それはやっぱりあの人達のシビリアンコントロールはうまいよ 普段思いっきり理屈の話しかしてない人が それを免罪符にして 感情的になってのっかてるでしょ こういう時、もちろんてめぇの気位い高くするって ぜったいくじけない心の精神で一番大事な事だけど 普段、言ってる事と反比例してて首をかしげる。 かつ、自分達のえぐい行為はかき消そうとしてるし (こういう時に正義の二文字を使わなきゃ 説得力あるんだけどなぁ、どっちも) 世論はほぼ、当たり前だけどそっちに流れた このコントロールのうまさはさすがだと思う。 (国内だけじゃなくて海外もそういう流れだから もちろんこれはテロリストに対する威嚇もあるけど あと糞っ垂れの世論) どう考えたってそっち側に動くもん 日本の野党がこういう時重箱の隅をつつくのに対して すごいのは野党もいっしょに盛り上げて行く。 (もしくはその情報をカット) TVでは最初の方はほとんど 感情的な演説が主で具体的な被害の報道は流れなかった。 (日本ではすでに犠牲者のおおよその数を出していたのに対し) マスコミ総出で負けてはいけない、 つまり、情報伝達でなくて 国民の気分を落ち込ませない、という手段をとった。 こんなんで動くかなぁ ちょっと、一般人なめてねえか? と、思ったがやっぱり そういうセリフは誰か権威のある人や 信用できる人に言ってもらいたいようである。 自分の正当化にうまいところだから 不利になる情報は出さずに また、受け取る側もそういった情報を キャンセルしてるのがあの国の あの国たるゆえんと思う。 そして、完全加工の情報に 感情をたかぶらせ 翻弄される私たちは おそらく一番の馬鹿者である。


9月13日(参)
あ、いた。

王様。
天子様。
王子様。

思い出してみると
ちょいと粗暴な感じだったかもしんないけど
小、中の同級生にいた。
生まれながらにしての王様が
彼の周りには人がいつも集まってたっけ
がき大将みたいな
人だった。
彼はもう結婚して子供もいる。
すげーぜ。
同い年の俺なんか
まぁ惨澹たるものだ。
私は街で彼を見かけて
なんだか深くうなずいてしまったのを覚えている。
中学の時にたまたまいっしょに下校して
彼はたばこを吸いながら
「たばこなんて吸うもんじゃねぇぜ」
と、言ったあのセリフが今も忘れられない。
こんな強力な人がいたのか。
淡々というわけではなく
飄々としているが
それでいて力強い人であった。
例えるなら春の野に吹く烈風のような人である。
ぐわっと吹いて麦藁帽子を飛ばされて
一瞬不快になるものの
あの『いいじゃねぇか、そんなもん』
とでも言ってるような
痛快感は忘れられない。
このての人はどんな世界でも成功する強さがある。
なんだかこんな小さな田舎町で
生き生きと生きている彼の姿を見ていると
ちょぴり日本にもったいない気持ちもしたが
それが彼の幸せであり
すべてはそれでいいのだと認識した。
末永く御幸せに。




9月13日(弐) ゴキブリさんは昼間はどこにいるんだろう。 深夜、人が寝静まればわっさわっさ出てくるのに。 CMでゴキブリさんの巣があるって言ってるけど・・・ うう、考えたくないなぁ。 以下は私と母親の会話 私「母上、悪鬼を撃滅するためにゴキブリほいほいをいただきたく」 母「悪鬼とは?」 私「悪鬼とはこげ茶色の肢体に悪魔の羽を持つものなり」 母(私をどつく)「うつけめ」 私「うぐ」(頬を押さえながら母を見あげる) 母「悪鬼とは人の心なり、人を憎む人の心なり」 私「母上・・・」 そんなやり取りがあったかどうかはともかく ほいほいじゃなくてコンバットを貰いました。 ゴキブリさんはこの中に入って いわゆるほうさん団子のようなものを食べて 巣に帰るなり、外に行くなりして ぽっくり と逝きはるそうです。 南無。


9月13日 学園天国の替え歌。 ゴキブリー?(イエー) ゴーキ ゴーキ ゴキブリぃー ゴーキ ゴーキ ゴキブリぃー ゴキ! ブリ! ゴキ! ブリ! ゴキブリ!ゴキブリ! ごぉぅうぉぅきゑえぇい!(←シャウト) 飯を食う気もしない気も お前にかかっているんだよ 夜中にはらへり下にいきゃ お前が必ずいるぅー あっあー チャバネ(ゴキブリ)ライバルさぁー あっあー (お互いに)命に関わるよ おう!ぃえぃえいぃえーい! 戦の神マルス様よォー この僕のハエたたきに 御力賜りたくー わお! こう言う事を書いていると 貴様はいったいどんな家に住んでいるんだ と、思われる事でしょう しかし、ご安心を いたって普通の家です。 ただ、夜中に台所にいけば 割とファンタスティックな出会いが 待っていますよ という事を言いたかったのです。 なにせ昨日は 『モスラ』 にも会いましたから。 はっぴーわーるど


9月11日 自分を安定させるという事は 自分のためではなくて 他人のためにする事なのだと思う。 構成力が安定していない文は読みにくいだろうし ストーリーがはちゃめちゃな映画はおもしろくないだろうし 画力が安定していない漫画は読みづらいだろうし 作っている側としては そこら辺は関係がないものだろうけど 対外的にきちんと『自分はこういう人間です』 というアピールをするのも 自分のためじゃない もちろん戦術的には自分のためだけど 人は多面性を秘めた生き物なれど 人同士でコミュニケーションをとる時は それに当てはまらず どうも可能性を自ら拒否しているように思われる。 不安定さは他人には喜びを与えない 結局 自ら可能性を放棄している つまり人は人に何らかの期待を持って接する事がある。 私自身のエピソードとして、私は学生時代、 おもしろい事をする人間として認知されていた。 それは学校内での私の姿である。 ある時、街で偶然クラスメートと出会い 話す事もうかばず、しどろもどろしている時に 『冷たい』と言われた事がある。 つまり、その人は学校内での私を望んでいたのである。 お笑い芸人さんが普段はつまらないと言われてしまうように おもしろい事を言う人間は ひがなおもしろ人間でなければならないらしい。 これは『ペルソナの押し売り』という事だろうか
しかし、ある庇護のもとに置かれている人間が
そうでないものと平等にコミュニケーションを
とる事が可能なのだろうか
だが、庇護されている、されていない、
満たされている、満たされていない、という思いは
それこそ個人の認識によるもので
根底の部分の問題にはならない
いや、人は所詮
うわべの付き合いをしてしまうものか



9月10日 ときめくな俺の心 ゆれるな俺の心 恋は覚悟を鈍らせる


9月9日
うおー!

ゴーキーブーリー!

はぁはぁ

最初、何が飛んで来たのかな
と、思って近寄って見てみれば
ゴキブリでした。

おんどりゃぁー!

まさか、私の部屋に侵入を許してしまうなんて
うかつであった。
やはり、夜も時計の針が北の方角を示すようになれば
部屋の戸などはあけておくべきではありませんな。
直ちに敵機を撃墜する!
ラジャ!
どたどたどた
パシ
どたどたどた
(下の階にいってハエたたきをとってくる音)
・・・
しかし、私の部屋は台風が過ぎ去った
島のようにあれているのだ。
これではきゃつに絶好の逃げ場所と隠れみのを
わざわざ用意してやっているようなものではないか。
この状況できゃつを瞑府にたたき送る事などできるのか?
いや、心持ちを強く保たねば
出来る事もできなくなってしまう。
心を強く保つのだ。
ただ、一点を強く思えば願いはかなう。
水滴こそが岩に穴を穿つのだ。
いた。
やつだ。
畜生、奴め。
俺の襲撃を察知してか、
ちょうど壁と床の垂直な壁にからだを横たえていやがる。
これでは手出しが出来ん。
広場におびき寄せるしか策はあるまい。
俺はハエたたきを使って
奴に攻撃を加えた。
ちぃ!しまった!
広場はスーパーファミコンやら、プレステやら、
本やら、何やらで埋め尽くされていて
ますます手出しできん!
かといって本やら何やらをどかしている暇はないぞ、
奴が逃げる可能性がある。
ここはじっと目を凝らし、
奴が何もない空間に出て来た時に一気に勝負をかけるのだ。
・・・
・・・
・・・
今だ!
その時は奴が机の下へと移動する刹那であった。
このチャンスを逃せばあとはない!
い、いやだぁー!
ゴキブリさんがいる部屋で寝るなんてぇー!
うおお!
ゴルディ@ンハンマー!

ばし。

殺った・・・

ワレ  テッキ  ゲキメツニ   セイコウセリ  

しかし、俺とゴキブリさんって
けっこー似た者同士だよな・・・
うう・・・許せ兄弟・・・

かくしてわたくしの心には
やりきれない何かが残るのであった。




9月8日 カレーが嫌いな人だっています。 自分の狭い領分で物事をきめちゃいけません 今の世の中 様々な価値観や趣味、主張がある中で これが唯一無二であるだなんて言えるのでしょうか そんな事じゃなく 認める事でしょう 大事なのは


9月7日 買って来たFF6をクリアーしました。 ティナを仲間にしないと 最後の決戦に飛んで来てびっくり、 やっぱ、ストーリーに深く食い込んでるから いないとだめなんだ。 つーか製作者側の 「仲間にせんかいっ!」 って、叫びが聞こえてきそうでした。 でね、やっぱドット絵根性がよかった。 ドット絵のあの おんどりゃぁー って、かんじがよかった。 でも6でドットは最後だったわけだ。 すんげー感動したんだけど。 今のCGが嫌いというわけじゃありませんけど。 RPGではこれがはじめてだったかも 対戦ものでは カプコンのヴァンパイアハンターだった。 バレッタにしびれ、 リリスにたおれた。 次にストVのチュンリーに倒れた。 ドット絵は分かりやすい。 様式化された世界では2Dの方が力を発揮する。 そして日本人は様式化のプロであり、職人集団なのである。


9月6日 乙葉さん 写真でしか見た事がなかったので どんな方か知りませんでしたが アンタにグラッチェという番組に出ていて、 普通の田舎の娘さん という事が判明いたしました。 あーゆー存在は今の世の中貴重でございます。 どーなっていくのやら。


9月5日 外はすっかり秋の風体であった。 田んぼ道をゆけば 黄金が平野に広がっていた。 数羽のシラサギが稲を刈るコンバインの横に ちょこんと座っている。 彼奴らの目的は稲穂である。 地面に落ちた稲穂をついばむのだ。 それにしても本当に近くに居る。


9月4日 今日は久々に ちゃんと図書館に腰を 落ち着けて本を読みました。 休み中は 人間が大勢いるのでかないませんなぁ。 あーげっそり。 プー。 雨が降ってましたが わりとしとしとした感じは好きだ。 あのにおいとかも。 でも、ぬれるじゃない さむいじゃない だからさ ちゃりでさ お出かけってわけにゃいかないじゃない。 いいかげん かさを越える 雨具が出て来てもいいと思うの なんちゅうかさ 時期的にさ すこーんってさ きたらかっこいいなぁってさ 思うの 「やあ、まだ、かさなんてかぶってんのかい」 「キャー新しい雨具様よォー!」 「ハハハ小猫チャン達、慌てないで 順番があるからねぇ」 「そーれぇ!」 「キャー」 そうだ 雲に向かって かめはめ波を打つ(どどん波でも可) そして、雲の中で爆砕。 するってぇと 雲が晴れるってな寸法よ するってぇとなにかい そのかめはめははめはめは大王とかいうやつがありゃぁ 一年中晴れってわけかい? こいつはうれしいねぇ うちのかかぁも洗濯もんがよく乾くって喜ぶだろうよ 馬鹿な事いってんじゃねぇよ もし、一年中雨が降んなかったら どうなっちまうと思ってんだい? そりゃいいじゃねえか 毎日お天道様が拝めるなんて 幸せなこったぜ 馬鹿いってんじゃないよ 一年中雨が降んなかったら田んぼが 干上がっちまうじゃねえか そしたらおめぇ 米が取れなくなる 米が食えなくなるなんておりゃぁごめんだぜ

米がないなら

お菓子を

食べればいいじゃない!

by アントワネット様




9月3日 私はルポルタージュ物の本をよく見ます。 理由は簡単、 それがリアルだから。 私の場合、ファンタジーは漫画とアニメとTV から吸収していおるので。 何故にリアルを好むのかといえば、 それは私がそういった事に対して 飢えているからであるからであります。 きっとそれで何かをした様な 気にもなるのかもしれない。 なにもしちゃいないが。 それで隙間をうめたいのか 人より何かを知ったつもりでいるのか そんなハズはないのに ともかく それは 純粋な 欲求である。 だからそれは どこからきたのかを 自分で理解する必要がある。 また、そのプロセスも楽しいのかも


9月2日 私はなぜにアニメや漫画を まじまじといつでも見ているのか。 それは逃避や空想遊びに近いものだと思う。 『遊びの現象学』(西村清和著) の中で、遊びはつまり現実に起こりうる状況の 模倣による修練、および衝動昇華である。 というような事が書かれていた。 アニメ的な演出や絵やストーリーは それに馴れていない人にとっては苦痛でしかないが、 それを自然に受け入れられる人にとっては つまり、エクスキューズ (許し、ここから非現実が始まるというアピール) になっている。 つまり、造り手も見る側も、 これはまんがやアニメに限った話ではないが、 お互い無意識に了解して『騙し』が行われている。 (私はあまり『普通』の物事に興味がなく、 どんなエクスキューズも難なく受け入れられる。 しかし、逆にリアルな表現を素晴らしいという 人間を信用できずにいる。 リアルなものの方が粗探しをしやすいからだ。 それに目に付く。 最後までリアルに通せないのなら 最初からチープな『騙し』の方が私は受け入れられる。 物事の表面だけをさらって リアルな方がいいという人間を信用できない。 そういう人間はピカソの初期のデッサンの整った絵を見たら 何と言うのだろうか。) 絵に額縁がついているのも同様であると 同本には書かれている。 つまり、それもエクスキューズになっている。 どんなにリアルであってもそこにあるわけではなく、 結局、人は自分の想いをその絵に馳せて 満足をしているのだから。 結局『騙し』という作業は リアルならリアルなほどに意味が失せていく気がした。 リアルなら『騙し』などなく あくまでリアルであった方がいいからだ。 例えば、徹底した歴史的見地から画かれた 壮大な歴史物の小説を読んでいて (読む側もリアルを望んでいる) 孔明は空を飛び叫んだ 「雷よ!敵をなぎ払え!」 ・・・ これじゃあげんなりである。 手取り足取りしなきゃ騙してももらえないなんて なんだか疲れる。 自分から騙される努力をしてくれ。 FF6を中古屋さんで買いました。 値段は1000円くらいでした。 FFは7からPSに移り、 ドット絵からCGに変わった。 CGは今、主流はどれだけ本物(ぽく) 見せられるかという事だ。 そこに妥協は許されない。 ハードルを上げてしまえば下げられない。 なまければ粗が見えてしまう。 ドット絵時代のゲームはエクスキューズの宝庫である。 例えば階段。 ドット絵なら1マスに階段らしき絵を描く、 この上に乗ると『だっだっだっ』という音がして 画面が切り替わる。 しかし、実際の生活で階段の絵に乗っても 『だっだっだっ』なんて音はしないし、 画面は切り替わらないし、 ましてや上の階にも行けなし、下の階にも下れない。 つまり、ここでは作った側の『移動しましたよ』 というエクスキューズを やっている側が『ああ、移動したんだ』 と、思う事でこの『だましの世界』は完成する。 リアルなゲームではこうはいかない。 本当に本物(ぽく)作られた人間が 明らかなドット絵で描かれた階段に乗って移動してたら これは冷める。 (おもしろいけどさ) 『リアル』は私にとってエクスキューズにはならない。 『リアル』でなければエクスキューズに ならないというのはおかしい。 (ピカソがいい例だ) しかし、私が『リアル』はおかしいという権利はない。 それは個人の趣味の領域だからだ。 だから、ただ、私は 冷静にCGの技術の進歩を見つめている。


9月1日 自分をまず棚に上げさせてください。 んじゃないと話ができないもので・・・ 『目覚めよ』 みたいな本を読むと けっこーげんなりしますよね。 そういう本はたいがい 『普通』 の人をこてんぱんにのしてるもんです。 それを見ると私はその『普通』が正解だ、 と思うのです。 ウソみたいなホントの話。 そりゃあこれ見よがしに 特番があった日にゃ ビンに一円玉をぱんぱんに詰め込んで(しかも透明なビン) TVに映る事を企んで 「世界平和でござい」 何てことを口走っときながら 普段は一ミリもそんな事を考えないだろうし 何とか撲滅キャンペーンソングが出たら それを買って 「これで世界平和に貢献したね私たちも」 とかのたまっときながら その数分後にはもう二人の世界に入っていらっしゃるし 自治会でゴミ拾いを強制的にやらされて それでも後半戦はやる気になって 「やっぱり町をきれいにするってな気持ちがいいな」 とか言ってんだけど 次の日にゃもうたばこのぽい捨てを平気でしてたりするし んもう、まったくグレイト。 でも、みんなが『熱い』『重い』『激しい』 を言ってたらどうなるんだろうとか思うんです。 日本人は 「まあ、いいじゃねぇか、わけぇの」 つってそれで今まできたんだろうと。 それっていい事だと思います。 改革が必ずしもいい結果を もたらしたわけじゃないですもんね。 日本人は民主主義とかほざかれる前から ずっと民主的だったと思います。 それはコミュニティーががっちりしてたからです。 そして愛すべき阿呆の集団だったからです。 それを消し去ろうとしているものは 己の暴力を自覚していません。 それはいつもなくしてから気付くのです。


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