出生


オレが生まれたのは、1971年(昭和46年)3月28日です。
オヤジとお母さんの結婚記念日が、3月29日。結婚記念日の1日前やね!
オヤジが35歳、お母さんが33歳(厄年)の時に、 オレは生まれたよ。
3,300gやったらしい。病院名は、聞いてない。
兄弟は姉キがいて、1年10ヶ月違い。


4月18日、オレは母方のおばあちゃん家(お好み屋さん)とこに いてて、
お母さんは昼からデパートで何かの買い物に行ってて、
おばあちゃんの家に戻ったら、オレが泣いてたから、
ミルクを作ろうとしたら、倒れた・・・・

おばあちゃんか、おじいちゃんが気付いて、お母さんを布団に。
夕方、オヤジがおばあちゃんの家に行って、
オヤジの車ですぐに病院へ。
1日間、検査入院をして、次の日に亡くなりました。

担当医がその日にいなかったから、具体的な死因は不明のままでした。
ずっと“くも膜下出血”だと、言い聞かされてました。


20歳ぐらいになって姉キから、「実は、『妊娠中毒』やった」って言われました。

オレがお母さんのお腹の中にいる時から、産婦人科の方で
「妊娠中毒の可能性があるから、安静にするように」と言われてたそうです。

  4年ぐらい前に、母方のおじいちゃんがガンで亡くなって、
  ちょっと相続でモメて、オレの父方と母方の親戚を巻き込んだ
  ケンカ状態になりました。
  発端はオレなんやけどね。
  (この時の状況は、だいぶ先になるけど、語っていきます。)

そこで、父方の親戚から母親が亡くなった、当時の事を聞かせてもらいました。
オレが生まれて、お母さんは里帰りして、オヤジが仕事が終わってから オレに会いに来てたそうです。
オレのお母さんは、医者に安静にするようにって言われながらも、
お好み焼き屋の手伝いをしながら、オレの面倒を見てたそうです。
だから、妊娠中毒が悪化して亡くなったんやと、父方の親戚は言ってます。
母方の親戚は、くも膜下出血と言ってます。


ちょうどその頃、オヤジのお姉さんが、くも膜下出血になって、
入院したそうです。
ちなみに、そのおばちゃんは、無事に治ってます。
父方の意見としては、おばちゃんの病名を思い込み、
勘違いしてるんちゃうかと・・・

オレは、どっちを信じるかと言われたら、父方の『妊娠中毒』を信じます。

お母さんが亡くなった後、しばらく母方のお好み焼屋さんの
おばあちゃんとこに預けられてました。
亡くなって数日後、おじいちゃんからオヤジの会社にTELがありました。

「いつ子供を取りに来るんや〜」って怒鳴り声で・・・

オヤジはそのTELを切ってすぐ、オレを迎えに来てくれたそうです。

オヤジは、当時はオヤジの長男の家に住んでたから、そこに姉キもいて、
家族が一緒に住むようになった。

しばらくして、母方のおじいちゃんと、お母さんの弟(オレから見たらおじさん)が、
オヤジとオレらが暮らして家に来て、「ひろ4を欲しい」って・・・
お母さんの弟さんには、子供が出来ひんかったから、
オレを養子に欲しいと。
(この話は、10代後半に聞かされました)

でもオヤジは断った!!
家族で暮らしたいから。
オレと姉キの血のつながった姉弟を離したくないから!!

それからオヤジは家を買って、オヤジ・姉キ・オレ・オヤジのお母さん= おばあちゃんの4人で生活を始めました。


オレが生まれて、ちょうど3週間でお母さんは亡くなりました。
“母親の愛情”は知りません。
お母さんと一緒に写ってる写真は、ありません。
今家にある、お母さんの写真は、遺影のみです。
でも仏壇に置いてません。
我が家で、お母さんの話は、自然とタブーとなってるからです。

オレが生まれた意味を考えながら、これからも生きていきたいって思います。
最低でも、オヤジより早く死ぬ事だけはしたくないです!!
そう今は思ってます。