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March

03/31 −就活奮闘記〜その2−
 昨日に続いて別のスタジオの面接へと赴く。当日の朝になっても面接時間の連絡が来なかったので 心配になってこっちから問い合わせをすることに。メール上でやりとりをしていたためか、何らかの 原因で返信が俺の元に届いていなかったようだ。電話で問い合わせたときに「気軽に来てね。」 と言われ、スーツでのぞむつもりだった俺には少し拍子抜け。
 本当にスタジオなのか?というくらいごくごく普通の一軒家の外観。その一室に通され 面接はスタート。昨日のそれとは違い、何の緊張もなくことは進められた。面接と言うよりは むしろ座談会のようなもの(?)であったような気がした。
 結論的には後日何度か仕事の現場に来て仕事ぶりを見て欲しいとのこと。 それで何度か来てみてお互いが必要であるかを議論し合おう、なぜなら 肉体的にも精神的にもかなりやられるから疑似体験をしておいた方がいいてことで、 そこで自分が仕事に適正があるかどうか、また仕事はしたい、そしてこの場所がそれに見合う場所か どうかを判断して欲しいとのこと。これは「内定?」と考えていいものなのか? そんなこんなで本日の面接らしきことは終わった。面接後スタジオの設備を見せてもらったのだが、 まさに圧巻。外観は普通の一軒家なのに設備は一線級。昨日面接を受けたスタジオのそれを上回る機材の数々。 この一部屋に何千万かかっていることだろうか?
 職場が決まってくれれば俺はそこで働くのみなのだが、昨日受けたところは 一人当たりの仕事の量が多い。エンジニア・プロデューサー的な役割で いろんな仕事をやらなければならない。仕事の幅が増やせるというメリットはあるが、 逆にひとつの職種(エンジニア)に集中できないというデメリットも存在する。 一方、今日のスタジオは純粋なエンジニアを目指すのであればおそらく理想的なところであるだろう。 しかし機材の数が半端じゃないためそれら全てを覚えなくてはならない。(扱い方やその特性など) 多角的な仕事か一転集中型。どちらにしても「下積み時代元年」の俺にとっては魅力的なものであることに 間違いはない。結果はいかに?

03/30 −就活奮闘記−
 先週訪れたスタジオの社長が面接をしてくれるとのことで久し振りにスーツを身にまとう。 世間一般の面接とは異なるものを思い描いていたのだが、実際は自己PRを聞かれたりと ごくごく普通の面接だった。おかげで何も用意していなかった俺にとっては逆にアップアップに。 思っていたよりは緊張しなかったので、しどろもどろになりつつもなんとか乗り切れたのでは ないでしょうか?合否は確かに気になるところではあるが、俺としては純粋に面接と言うものを 楽しめたのではないだろうか?明日も別のスタジオの面接、どうなるでしょうね?

03/22
 学校のつてで現役のエンジニアの話を聞く機会を得た。社会見学的な気分に久し振りに出会った。 エンジニアさんの所属のレコーディングスタジオにて機材の説明や所属の会社の説明を 想像以上に熱心に話してくれてこちらが驚いたくらいだ。
 未だ仕事は見つからない状態で、普段から「どこでもいいから、とりあえず」という感は 気持ちのどこかにあった。そしてそれが決して間違いではないことを知ることが出来た。 大きなスタジオに決まればそれだけ高価な機材を扱え、プロクラスのアーティストのレコーディング 現場に出会う機会が多いだろう。大きいわけだからひょんなことから大物と知り合いになる チャンスを得られるかもしれない。小さなスタジオに決まっても(今日訪れたのはこっちの部類) 、もちろん小さなスタジオなので人間の数が多い訳ではないので一人当たりのやるべき仕事は 増えるとエンジニアさんは話してくれた。やりたい仕事ややりたくない仕事はあるだろうが 「出来ない」よりは「出来る」方がもちろん俺の幅も広がるし、決してマイナスではない。 そしてこのエンジニアさんは言った。「仮に君がここで働くことになってもずっと居なくてはならないってことはない 。むしろ3年くらいで一通りの仕事を覚えてもっと大きなところへ移ればいい。より上のキャリア を目指すのならば。」と。
 全く名のしられていない職場よりは誰でも知ってる職場で働きたいと思うのは誰でも同じだと思う。 でもどこで働こうがそこで自分が何を出来るかの方が本当に大事なことなのだと痛感させられた一日だった。 後日、このスタジオの社長に面接してもらうことが決まっている。果たしてどうなるだろう?

03/12
 幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、そして今日が人生6度目の卒業式。 とりわけ感動するわけでもなく、感傷的な気持ちになることも無いわけだが、 人が泣いている顔を見て少々グッとくる分、俺も年をとったものだとしみじみ思った。 少し前なら泣いている奴を見つけては指を指して爆笑していた自分がまるで嘘のようで。
 大学の4年間に比べたら当たり前だけどあっという間で、でも大学卒業時に 抱いた学生であることへの渇望らしきものは芽生えてこなかった。俺自身苦労した2年間 であったし、今は働きたい、社会へ出て勝負したいという欲望の方が強くなったのかもしれない。
 1年で辞めていたら得られなかったであろうさまざまなこともあるが、2年でなければ ならないという理由もなかったような気がしてならない。1年次よりも高度な内容であったが、 学校でなくても家で出来たであろうことも多々あった。しかし、2年間通ったおかげで いろいろな人間に出会うことが出来たことは俺にとって宝であるだろう。
 これからも俺は学校と繋がっていくし、ここやここ以外で知り合った奴らとも繋がっていく。 入学当初は学校法人の学校やその他の学校へ通うべきだったと思ったときもあったが、今は違う。 いい意味で「適当」なこの学校に通うことが出来てよかったと本気で思える。
 全て計算通りにことが進むはずだったが、ひとつだけ誤算なこと、未だに仕事が見つからないこと。

03/06
 気が付けば3月。昨日まで当たり前だった生活が今では遠い過去の話。 忘れてしまった楽しい思い出、今となっては笑いのネタとなった苦労話。 いつも側にいたお馴染みの顔ぶれも「旧友」と名称を変え、写真の中で顔を合わすのみで なんだか不思議な感覚に見舞われる。
 約1年ぶりに酒を酌み交わす前の職場の同僚たちは、1年前に別れたままの あの時から全く変わらずとびきりの笑顔を俺に見せてくれた。俺の苦労は彼らには分からない だろうが彼らの苦労は俺には痛いほどよく分かる、彼らと俺は「戦友」だから。 しかし、互いの傷を舐めあうような事は必要ない。俺たちに必要なのは昔みたく馬鹿げた話。 一緒に過ごしたあの頃のように、限られた時間をまた共有する。
 俺は彼らを尊敬してやまない。極限の生活の中2年間を過ごし、もうすぐお勤めを 終えようとしている彼らを。また今日のように酒を飲むときは皆別々の生活を送っている。 だけど、俺らの距離は変わることなくあの頃のまま。