| 1月1日 明けましておめでとうございます。
新年明けましておめでとうございます。このサイトに遊びに来てくれている方、並びにリンクを貼ってくださっている方、昨年も大変お世話になりました。今年も一つ、宜しくお願い申し上げます。
と、新年の挨拶をここでするのはもう三度を数える。ぱっとしないままダラダラと、なんとなく続いているこのサイトなのだが、こうも長く続いていると愛着というものが湧く。今年もこの調子で、うだつのあがらなさでナンバー1を、いや、ナンバー1にならなくてもいい、もっともっと特別なオンリー1を目指して行こうと思ったり思わなかったりしているので、皆さんも、なんとなく付き合って頂ければと思う次第でございます。
さて、昨年の幕開けは風邪で寝込んでいたという、類を見ない最悪な年明けとなった訳だが今年の僕は違う。心機一転健康体、完璧なるタフボーイ(インドア派)(喘息持ち)として年を越すことに成功した。元日好きなパニック障害、榎木戸モレシャン四十二歳、四年連続おみくじ凶、今年こそはとお神籤引いて、ついに脱出凶地獄、(語り)「ただ、帰りに買った甘酒の中に、何か黒い塊が入っていました」
そう、ついに凶地獄から脱出したのだ、今年のおみくじはなんと大吉!また凶が出たら今年はフォト日記にアップしてやる、と思っていたので残念ではあるが、やはり嬉しい。ただ、今年はいつも行っている浅草寺ではなく、地元の寺に行ったという事実がある。この寺で凶が出たとは聞いたことがない。つまり、僕は逃げたのだ。
笑いたければ笑うがいい。僕の人生など、所詮逃げの一手なのだから、今更凶から逃げたところで僕は何とも思わない。
「お前は逃げてばかりか。それで得た大吉が、そんなに嬉しいか。キモイ奴だ、お前は本当に」
「誰だ、僕をキモイだなんて言う奴は。いきなり酷いな」
「私は大吉。キモくて臭いお前を、大吉にふさわしい人間に改造するためやってきた」
「キモくないし臭くもないよ。失礼な人だ」
「客観的にみればよく分かる。お前はキモ臭い、つまりキモクサ人間だ。お前なんて死ねばいいのに」
「酷いなあ。新年早々勘弁してくれないか。僕は決して打たれ強くはないんだから」
「まあ、最後まで聞きなさい。去年までの、凶を背負ったキモクサなお前は死んで、今年は大吉として新しく生まれ変わりなさいと言うことだ。その為に私が手助けしに来たのだ」
「ああ、そういうことか。じゃあ、頑張ります。宜しく」
「よし、じゃあ、早速死んでみようか」
「はい!じゃあ!」
……こうして僕は死んだが、人生逃げの一手なのだから、今更人生からも逃げたところで、僕は何とも思わない。
1月5日 ごめんなさい。
JHOE-NEN only1な僕(年賀状が1枚しかこなかった僕)は、年始早々猛烈な勢いでヘコんでいる。別に年賀状が来ない事は仕方がない、そんな事でヘコむほど暇な僕ではない。
(あくびをしたフリをして涙を拭ってから)
ではなぜヘコんでいるのか。それは、自分のクズ具合を再発見してしまったからである。
臭いか臭くないかで言えば、どちらかと言えば臭い寄りな生き物である僕という人間は、これまでに沢山の人を傷つけながら、申し訳無く思いながらもここまで生きてきた。それでも生きてこれたのだ。
しかし、あまりに傷つけすぎるのである。この年になってようやく気づいたが、僕はあまりに尖りすぎていた。不良だとかヤンキーだとか、そういう尖り方ではない。尖りレベルで言えば、まさに「オナモミ」(セーターにくっついたりする、よく分からない変な植物)なのである。
あまり尖ってない気もするが、握り込めばそれなりに手が痛い。そんな僕を握りすぎて、痛めてしまった人達がいる事は事実であり、僕はもう、そんなオナモミーな自分がたまらなくイヤになってしまったのだ。オナモんでいる自分の愚かさが憎い。所詮僕などオナモミスト。オナモ=ミステイクなのである。生まれてきたことがミステイクだったのだ。
頭を抱え、この世に生まれ落ちた事を後悔し、涙を流していると、目の前に白ひげを蓄え、杖を握った老人が立っていることに気がついた。その老人の白ひげは長く、まるで昔話に出てくる仙人のようだった。見上げると輪郭が涙で滲み、辺りの光がぼやけ、その神々しさに拍車をかけた。本物の仙人かもしれない、僕はそう思った。
「嘆くでない。生まれがミステイクな人間など、この世にはおらんのだ」
老人は僕に向かって囁いた。
「ミステイクで出来ちゃったヤツはおるがのう、フォフォフォ」
そういうと老人は、グーを握った手を僕の前に差し出し、握ったまま、人差し指と中指の間から親指をニョキッと突き出し、下品にニヤケた。
僕はそのパフォーマンスを無視して聞いた。
「貴方は、誰なのですか?」
「ワシはオナモミ仙人、略してオナ人だ」
言い終えると老人は、持っていた杖を上下にさすり出した。
「あわあわあわわ、超キモッちE!」
僕は老人の杖を奪い、頭を引っぱたいてからまた頭を抱え、生まれてきた事を後悔した。
1月13日 ダメ。
ヘコんでいようがいまいが時間は流れる。そして金を稼がねば生きてはゆけないのだから、人生はなかなかシビアである。
プレステは既に飽きた。途中で放り出された5本のゲームが僕を笑っているかのようだった。
「笑うな!」
僕は笑うどころか几帳面に棚に並んでいたプレステのソフトを、逆上して放り投げ、自分でキャッチして何度も遊んだ。なるほど、こういう遊び方もあるのか。と、哀しくなるくらいに低レベルな発想をしてしまった事を後悔しつつも、そんな自分をほんの少しだけ好きになった。
しかしキャッチし損ねて本体の上に落下したので自分を嫌いになった。こんなことしなければ良かったのに自分のバカバカ!
僕は気持ち悪い感じで己自身の頭をポカポカと、いや、ボカスカ殴り、やがて意識がもうろうとし始めてようやく自分がMであることに気がついた。セルフぶっ叩きで気持ちよくなれるという、伊藤家も真っ青な裏技を僕はついに発見したのだ。伊藤家だがシモの毛だが知らないが僕はMだ。ただ、MはMでもeriMomisakiのMだし、と、意味の分からない事を呟きながらマックでポテトのMを頼むと、店員の女に怪訝な目で見られたのでこう言ってやった。
「エリもみもみさき、ってヤツですねそのおポ」
おポ=おポテト
笑えない雰囲気つつまれながらも俺はまだ、生きている!(低ZIGEN)
1月19日 料理研究家。
最近、自炊を始めた。
たまに作る程度、ではなく、完璧に毎日自炊してやろうという意気込みで始めたのだ。
もう、随分昔の話だが、かつてはファミレスでバイトをしていた事もあるので、料理はそこまで苦手という訳でもない。当然、自分で作る料理なのだから、僕好みの味になるので旨いと感じる、筈である。いや、旨くなくてはならない。
が、先日作った「キャベツと肉の味噌炒め」は、明らかな失敗作であった。まず材料不足。レシピによると、肉に絡める味噌ソースを作るには、味噌、砂糖、酒、みりん、卵黄が必要らしいのだが、まず卵黄がなかったのでそれを水で補った。
次にみりんがなかったので、それを色が似ている、果汁30%のりんごジュースで補った。なかなか独創的である。
そして砂糖。まさかと思ったがこれもなく、仕方なくゴマで補った。ゴマは砂糖と色が違うが、粒々という点で類似していた。僕は己の素晴らしい応用力に感動した。次に酒。これはバーボンで良いだろう。だが、問題は味噌である。
当然ながら味噌など無い。が、こればっかりは代用品では補えない。なぜならば、他の物を使うとそれは既に味噌炒めではなくなってしまうからだ。そこでカニミソの登場である。僕は自分の料理のセンスに脱帽した。あり合わせの物で、ここまで出来るのだから素晴らしい。全ての人に必ず何か一つ取り柄があるとしたら、もしかすると僕の取り柄は「料理」なのかもしれない。
やがて出来上がった味噌ソースを肉と絡め完成となり、味見するや否や即ゴミ箱行きの運命を辿った「キャベツと肉の味噌炒め」の今後や如何に!
次週、「キャベツというよりむしろシソ」をお楽しみに!
1月26日 無理して仕事に出てきた人。
今日は風邪で仕事を休んだ。今は忙しい時期ではないので、誰も文句を言わないだろうと想定しての休みだ。
と、こんな事を考えている時点でおかしな話である。何故、「具合が悪くても無理して働いてるヤツはエライ、格好いい」みたいな風潮があるのかが僕には理解が出来ない。無理して仕事をしている人を見る度に、僕にはうつさないでおくれよ、とばかり考えてしまい、仕事に打ち込む事ができなくなるので、休んで欲しいと思う。事実今回の風邪は、「無理して仕事に出てきた人」にうつされたものである。
しかし、本当にそうなのだろうか。この風邪が「無理して仕事に出てきた人」、の風邪なのだろうか。もしかすると、「仕事に無理して出てきた人」の風邪なのかもしれないし、「ムリなシゴトに出てきた人」の風邪かもしれない。あるいは、「シゴトしてたらムリと出た人」の風邪かもしれないし、「ムリなシゴキで腱鞘炎な人」の風邪かもしれない。はたまた「シゴくほどムリっと出る人」の風邪かもしれないし、「人前でムリ」の風邪かもしれない。もしくは、「だから、人前でシゴくのはムリだって」の風邪かもしれない。
「イヤイヤ、勘弁してって!マジ人前でムリっと出すのもムリなんだって」かもしれないし、「マジ、わかってホント」なのかもしれない。「だって例えば俺がシゴきながら登場してさ、それってホントに面白いの?」かもしれないし、「引くだけでしょみんな」かもしれないし、僕などさっさと死ねばいいのかもしれない。
「死ねとか言うな!」(腱鞘炎の手をモミながらフェードアウト)
|