| 5月3日 金が下ろせない。
正直困っている。なぜならお金を下ろすのを忘れていたからだ。
僕の給料は全て銀行に振り込まれる。金が必要になるたびにそこからこまめに下ろし、財布の中にぶち込むようにしている。ということはATMが稼働していなければ僕の生活は危機に陥ってしまうのだ。
財布の中身が千円しか無い事に気づき、銀行に駆けつけた頃には時既に遅かった。ATMは全てゴールデンウイーク営業で、お休みとなっていたのである。
僕は銀行の前で考えこむ。ゴールデンウイーク、たったの3日だが、これをどう乗り切ろうかと。
当然折角の休みなので色々予定(観葉植物に水をあげたり)があった。しかし、金がないのでそんな贅沢な事はしていられない。予定はキャンセルも考えねばならない。
大体、飯を食わねばならないのである。冷蔵庫の中をあさってみたが、変色したもやし以外には賞味期限の切れた味噌ぐらいしか見あたらなかった。やはり金がいる。何か作るにしても材料を買わねばならない。しかし、千円、正確には943円。これで3日間も持つのだろうか。それに予定を全て台無しにはしたくない。
僕は小銭を握りしめ、それからこの943円を増やすしかないと考えた。増やすためには、そう、ギャンブルである。僕はギャンブルに手を出すことにしたのだ。
そうと決めたらギャンブラーの血が騒ぐ。かつての僕のギャンブリングっぷりたるや、「東の大神経質」との異名がついた程である。例えばパチンコ屋での台選びの際など、ハンドルの部分にお鼻のクソが付いていないかルーペを使って調べ上げ、ちょっとでも粘着性の何かが付着していようものなら台を変えるという玄人も真っ青なこだわりぶりで、しかも「この台で金を使っても増えなかったら自殺」という自分の中で決めた過酷なルールに従って台選びをする為、結局は台を選べず家に帰って、「やっぱりギャンブルなんてダメだぜ」と、相棒の植物に話しかける程である。そんな事が積もり積もって生まれてこの方、ギャンブルらしいギャンブルなどしたことが無い程の偉大なギャンブラー、それが「東の大神経質」なのである。
「さあ、ギャンブルを始めよう!」
この金を増やすためには一番利益率の高い店舗を選ぶ必要がある。東の大神経質は病的な迄の神経質ぶりを遺憾なく発揮し、彼の全財産を預けておくにふさわしい金利の銀行を見つけ出した。それこそが今、貯金を全て預けてある、彼のすぐ後ろにそびえ立つ銀行なのである。
「僕のお金を預かってくれるかな!」
彼はバッと振り返った。当然銀行は閉まっていた。「なんだ、折角一億円預けようと思ったのに。もうこの銀行には預けません」
彼は誰も聞いていないであろう悔し紛れの嘘を呟きつつ考えた。大体943円の金利なんてたかがしれている。もっと有意義にこの金を使うべきなのだ。彼はコンビニでリポビタンDを買って、それをレジの前でガブ飲みしながら残りの金を全て募金箱に放り込んだ。
ありがとうございました、というコンビニ店員の声を背に店を出た彼のその後を、知る者は、いない。
5月9日 獣。
足早に過ぎてしまったゴールデンウイークを振り返る。僕は何をしていたのだろう。
お金を下ろしそびれた事は先週書いた。殆ど無一文の状態で、金について考え、それから年金について悩んでいた。一体、日本中のどれだけの人が年金を払わずにいるのだろうかと。しかし、そんなことは考えるだけ無駄であった。なぜなら日本中に、どれだけの人間が存在しているかということすら知らない僕に、そんな事が解る筈も無かった。人の皮を被った獣だらけの社会で、本当の人間の数など解る筈がないのだから。
(決まった)
僕は心の中でそう呟き、ニヤリと下品な笑みを口元に浮かべながら小さなガッツボーズをした。それから人の皮を脱ぎ捨てて、獣の姿となり僕は街へ飛び出した。僕は自由−フリーダム−だった。
「消費者金融」と掲げられた看板の店に入り、獣の様に借金の申し込みをした。僕は獣、借金だって自由自在。借りた物は返すという人間が決めたルールなどクソ食らえ。僕は獣だ。獣に人間のルールは通用しない!しないんだあ!!ほうら!ほうら!
解放された喜びで奇声を発しながら僕は道行く人を驚かせた。ほうら!ほうら!と叫ぶ度に股間を前後に振るわせた。その方が股間にぶら下がる獣のしるしを華麗に見せたからだ。やがて急な坂にさしかかり、そのまま坂を転げ落ちた。全裸の体に小石が小さな引っ掻き傷を幾つも付けていく。まるで小石が、自分の存在を忘れないでね、と、その存在証明を残していくように。
僕は心の中で、ああ忘れるものか、と呟いた。僕は変質者として扱われ、勇気ある若者に蹴飛ばされ、坂を転がりながら、忘れる訳がないよ、と再度呟いた。
坂を転げ落ちたとき、僕は立ち上がる力さえ残っていなかった。勇気ある若者に腕をへし折られ、体に無数の小さな傷を負い、それでも僕の心は晴れ渡っていた。
僕が動かなくなると人だかりはすぐに散った。やがて救急車が僕を迎えに来た。その日、僕は全てを失った。
借金と、小さな傷だけが、いくつも残った。
5月16日 初の心霊体験。
ついに、だ。
ついに、僕は心霊体験をしてしまった。思えば僕には霊感等という物は全く無かった上、幽霊の存在を時には信じたり、また時には信じなかったりという自由な考え方が売りだった為、そちら方面のプレイヤー(霊)に、たまにマークされても振り解く事が出来る柔軟なプレイで、これまで大した恐怖体験もせずに生きてこられたのだ。
元々、良く金縛りには合う体質だったが、それに霊的な要素が絡んだ事は今まで一度も無かった。だが先日は違っていた。
その日は何故か気持ちが酷く落ち込んでおり、こんな日は早く寝てしまえとばかりに布団にもぐりこんだのだ。眠りはすぐにやってきた。そして、いくらか時間が経った頃であろう、僕は金縛りに合っていることに気がついた。そして、その金縛られ具合がいつもと違っている事を感じたのだ。そう、僕の上に、明らかに何かが乗っていた。その何かが僕を押さえつけていたのだ。おそるおそる目を開けると、そこには、いた。
青白い、女が。
「……!」
声にならない声を、必死に絞り出そうとした。僕の顔のすぐ上で、青白い目が僕を覗き込む。もがこうとするが体は全く動かない、呼吸もうまく出来ない。恐怖が喉の奥からせり上がってきた。やばい、これはやばい、本物だ!
身の危険を感じた僕は「やめてくれ!」と渾身の力をふりしぼって声をあげ、金縛りを解いた。同時に僕を押さえつけていた青白い女を放り投げる。女は「痛い!」と声を上げ尻餅をついた。
「もう帰れよ」
僕は冷たく言い放ち、背中を向けてタバコに火を付けた。
「もう、帰ってくれ」
タバコの半分が灰になった時、僕はもう一度言った。後ろで女がすすり泣く声が聞こえてきた。僕はすぐさま振り返り、彼女を抱き締めたい衝動に駆られた。自分勝手な衝動だ。僕は、自分勝手な動物だった。
でも結局、僕は振り返らなかった。
やがて諦めて服を着始めたのであろう、衣擦れの音が聞こえ、鼻をかむ音が聞こえた。それから痰を切る音が聞こえ、それを吐き出す音も聞こえた。それから、ブウ、と言う屁の音が聞こえ、「クサッ」と言う声も聞こえた。自分の屁を面白がり、暫くクスクスと笑っている声が聞こえていた。
やがて僕のもみあげをグイグイ引っ張り出し、それを僕の鼻の穴に無理矢理入れてきた。僕がくしゃみをすると満足そうな顔をした。
僕は鼻をすすりながら「もう、帰った方がいい」と言った。すると彼女は立ち上がり、僕のつむじの辺りにゲンコツを3発入れた。それから「もう来ないから」と言い残し、彼女は出て行った。
「これで良かったんだ」
僕は自分自身を納得させるように呟き、眠りについた。
翌朝、現金が消えていた。
5月24日 やる気を起こせ!
まあ、僕もそろそろいい年だし。と、僕は最近、とある決心をした。
僕は今、仕事上でやる気を起こさなければならない立場に立たされた。だから決心をしたのだ。やる気を起こしてやろうじゃないの、と。何処に行ってしまったかは解らないあの「やる気」を起こしてやろうじゃないの!と。
まずはやる気の居場所を探し当てる事から始めなければならないので、これはかなりの重労働だろうと僕は考えている。だからこそなかなか決心できなかった。僕はこの決心を、1ヶ月かかって固めたことになる。1ヶ月かかってやる気を起こしたのではなく、やる気を起こすという決心を、1ヶ月もかかってやっと固めたのだ。
最後に見た僕のやる気の姿を思い出してみた。薄れつつある記憶を辿っていくとそれ自体がやる気なのかも解らないほどくたびれていた姿が思い出された。ヨレヨレのスーツを着込み、首元に巻かれたネクタイは明らかに固結びに結ばれいびつに歪み、スラックスのお尻の部分はテカテカと光り、かつて白であったろうワイシャツは黄色みを帯びている上、上から3個目のボタンの辺りに乾燥した米粒が付着していた。うっすらとはげ始めた頭を気にし、それを隠すために無理矢理サイドの毛を長髪にし、それを薄くなったてっぺんにのせていたやる気。
「それがバーコードの始まりだよ」
僕は何度彼にそう言おうと思ったことか。結局言えずに、僕は静かに彼がはげゆくのを見守る事しかできなかった。
彼の目の下には殴られた後の様なクマができており、僕が話しかけると胃の辺りを苦しそうにさすりながらゲップをし、それから自虐的な笑みを浮かべるのだ。「俺なんてどうせ、はげスから」
彼の言葉を思い出すと、今でも心が痛む。それから彼は姿を消した。
僕のやる気は、その出番も無く酷くすねていたのだ。そんなやる気を探し出して起こすともなればこれはもう、酷く骨の折れる作業になるだろう。
僕は段々嫌になってきた。探して起こすことではなく、なんだか僕のやる気は人前に出してはいけないような気がしてきたのだ。やる気は傷ついている。今、やる気を起こす時期ではない。やる気に恥をかかせる訳にはいかない。なぜなら彼は傷ついた羽を休めているエンジェルだから。そんなやる気を守れるのは僕しかいないのだ。僕が守らずして誰が守る!
だからやる気は出しません!
と上司に言ったらぶん殴られそうになった。
だから僕はやる気を探さねばならない。
5月30日 やる気を叫ぶ。
前回の日記でやる気を起こすという決心をし、まずは行方不明なやる気を探すことから始めなければならないと書いた。
一週間経ったが、僕のやる気は未だ行方不明だ。一体彼は何処に行ってしまったのだろう。早く見つけなくては、僕は疲れ果ててしまうだろう。そう、今僕は、やる気無しで頑張らねばならない状況におかれている。
やる気無しで頑張ると言うことがどれほど危険な状況か、僕はおろか、周りの人達は解っていない。やる気が無いのに頑張ります、と言っている僕が、どれほど危険な状態か。
しかし僕の上司は僕をこき使い始めた。僕がやる気を出していると勘違いしているのだ。僕はやる気を出しているのではない、探している途中なのだ。やる気探し、それは自分探しにも似ている。僕は自分を探している。一体僕とは何だろうか。
いやしかし、今はやる気を探さねばならないのだ。外見と中身のギャップを埋めねばならない。僕が何であるかについては、今は触れないでおこう。
ああ、僕のやる気よ、君は一体何処に行ってしまったのか。
方々手を尽くした挙げ句、半ば諦め加減で新宿の喧噪の中を彷徨っている時であった。
「……僕はここだよ」
ふと、やる気の声を聞いた気がした。
「僕は、ずっとここにいたんだよ」
また、声。
「君の側に、ずっといたんだ」
辺りを見回すが、それらしき姿はなかった。
「君のことをいつも見てた」
どこだ、どこから聞こえているんだ。僕はズボンのポケットの中を探った。いない。ポケットからは乾燥したタバコの葉っぱしか出てこなかった。
「できれば、ずっと君と一緒にいたかった」
本当にやる気なのか?どこにいるんだ。
僕は上着とズボンを脱ぎ、叩いてみた。やる気はこぼれ落ちてこなかった。
「でも、もうお別れだね」
お別れ?嫌だよやる気。何処にいるんだ。行かないでくれ!
気づくと僕は全裸になっていた。やる気を探して自分の股間を覗き込むと、そこにはやる気がいた。
「見つかっちゃったね」
少しだけ気まずそうに微笑むやる気。哀しみすら感じさせる彼の笑顔を見て、僕は後悔した。
そう、やる気はずっと僕とともにあったのだ。やる気にフタをして、表に出さないようにしていたのは他でもない、僕自身だったのだ。僕はやる気を隠していたことを恥じた。同時にやる気に対して申し訳ない気持で一杯になった。こんなにもやる気は、僕の事を考えていてくれたのに。こんなに側にいてくれたのに。僕は彼の気持ちにずっと背を向けていたのだ。
「ずっと寂しかった」
やる気が言った。
ああ、僕もだ
「もうお別れだ」
やる気はそう言うと、下を向いた。
いや、まだお別れじゃない。僕はやる気を見つけた。これからやる気を出せる。出していける。もう隠すのはやめた。やる気を見せるのは恥ずかしい事じゃない。やる気を出すことは、格好悪いことなんかじゃない、素晴らしい事なんだ!
僕は走った。全裸で走った。警察に止められそうになったがそれでも僕は止まらなかった。全裸の僕はもう止まらない。止まらない全裸。かけぬける全裸。全裸は続くよどこまでも。
「やる気、出したいんです!」
僕は歌舞伎町の中心で愛を叫び、プリンちゃんを指名した。
やる気全てを出し尽くした僕は、間もなく死んだ。 |