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6月6日 男の生き様。

ここの所僕は酷く疲れている。とにかく仕事がいけない。仕事が僕を疲れさせる。だから僕が疲れないためには仕事を変えるか辞めるかしなくてはならない。しかし、辞めたり転職したところでどうかなるわけでもないだろう。所詮仕事というものはどこまでもついてくるのだ。宝くじが当たってアパートを建て、大家となり家賃収入で生きていける様にならなければ、仕事は続けなければならない。いや、大家となったとしても、何か大家の仕事(しかし、それは楽そうだ)をしなければならないのかもしれない。こう書くと、さも大家が楽して暮らしているかの様な印象を与えてしまうかもしれない。しかしそうではない。大体僕は大家になどなったことがないのだから、大家の気持ちなど解る筈がないのだ。しかし、解ろうとする努力は必要だろう。大家の気持ちを解ってあげられる、大家の気持ちをくんで行動できる、そして大家を喜ばせてあげられるような大人の男になれるよう、僕は努力せねばならない。誕生日には大家を驚かせるため、ホテルの上の方にある素敵なレストランを予約して、そしてこっそりと買っておいたリングを差し出す。大家は目を輝かせて喜ぶ。しかしこれでは終わらない。リングを大家の薬指にはめたとき、遠くの方で花火が上がる。ドーン!その花火に大家は目を奪われ、「キレイ…」と言う。
「大家の方がずっとキレイだ」僕は花火を見ながら言った。ドーン!花火は見事な色の花を夜空に咲かせていた。
「結婚しよう」
僕は大家の手を取って言った。大家は潤んだ目で僕の目を、ただ真っ直ぐに見つめていた。僕はその黒目がちな大家の目が、世界で一番美しいとすら思う。
「あたしで…いいの?」
大家が言った。僕は頷いた。

あれから一年、僕の苗字は大家に変わった。しかし、これで良かったのだろうか。こんな酷い落ちで良いとは到底思えない僕は、ある雨の日の明け方、こっそり家を出た。

それから僕の姿を見た者はいない。

6月14日 皮肉な人生。

植物が死んだ。
僕の親友である観葉植物が、死んだのだ。
僕がいけなかったのだ。ある朝、彼は酷くしなびてしまった。若々しく緑に輝いていたあの葉っぱは、見るも無惨なしわしわとなり、まるでたった数日で何十歳も年をとってしまったかのように思えた。ここのところ忙しさにかまけて、他の命に構っている暇がなかった。水やりを忘れてから数日、彼は、あっという間に死んでしまったのだ。
彼の遺骸であるしなびた葉っぱを近所の公園の土にまき、そこにガリガリ君の棒を立てた。彼の墓標の代わりだ。
棒に、まだアイスの汁が残っていたのだろう。蟻が墓標にまとわりついた。僕は悲しくなった。
蟻を手で払いながら、僕は親友の墓前で彼が過ごしてきた激動の時代を思い出していた。バブルの頃、好景気のあおりを受け彼の事業は波に乗り、若くして金持ちのステータスとも言えるベンツのオーナーとなった僕の親友。派手好きな美しい女とディスコで出会い、恋に落ちた。笑うと浮き立つ口元の笑いじわが印象的な美人だった。そして結婚。やがて妻の腹に宿る新しい命。生まれくる命の為に、彼は人生を捧げる決意をした。彼は幸せだった。
やがて子供が産声をあげた。男の子。彼は子供に逞しく育って欲しいとの願いをこめて、茂雄と名付けた。
愛する妻と茂雄、そしてベンツと4LDKのマンション。まさに幸せの絶頂だった。しかし、それも長くは続かない。バブルが弾け、多額の負債を抱え借金取りに追われ、逃げまどう日々が続く。破産し、「肩の荷が下りたよ」と言って笑っていた彼のやつれた悲しげな顔を僕は今でも思い出せる。妻はよその男と再婚し、まだ小さかった子供は彼と会おうともしない。妻の再婚相手は地方公務員だった。安定した生活が欲しかったのだろう。皮肉なものだ。
親友よ、ゆっくり眠れ。お前はよく走った。俺たちよりもずっと早く走って、走って、俺なんかあっという間に追い抜いて、高橋尚子もぶっちぎって、お前は東北辺りまで走って、そこから電車に乗って北海道まで行って、すすきのの風俗に飛び込んで、すっきりして帰ってきた。お前は誰よりも早く走った。
親友、もう走らなくて良いんだ。これからは、ゆっくり眠れる。借金取りに怯えることもない。子供の泣き声を思い出すこともない。朝早い日払いの仕事にでかける必要もない。これからは、ゆっくりと眠れる。
僕は彼の墓前で手を合わせた。
後ろで子供が呼んでいる。さあ、もう行かなくては。またな親友。僕は子供の肩を抱き、そして歩き出した。妻が待っている。
妻は車の外で待っていた。
「母さん」
僕の背丈と同じくらいになった子供が妻に手を振った。彼女は笑いじわを顔に浮かべて、満たされた笑顔で手を振り返した。
「茂雄」
僕は子供を呼んだ。
「何?父さん」
「いや、何でもない。さあ、帰ろうか」
そして僕らは車に乗り込んだ。ベンツのCクラス。僕らの幸せの象徴だ。

6月17日 おしゃれな癒し。

誰かが家の前で木を切っていた。電動丸ノコで、ギュウィーン!という爆音を立てながら。
木を切るのは良い。問題は朝早すぎた事だ。朝早くから、家の前でギュウィーン!という喧しい音を立てられたらそりゃあ目も覚めるだろう。只でさえその前日、僕は残業しており、帰ってきたのは午前1時を過ぎていたので寝るのがいつもよりも遅かった。そのせいもあって僕は腹を立てていた。普段より睡眠時間が短かいというのに、朝早く丸ノコの音で叩き起こされた僕の身にもなって欲しい。まったく、冗談じゃないよ!
僕は頭にきて叫びながら家の外に出て、木を切っていたおじさんから丸ノコを取り上げ、代わりにおしゃれなドライヤーを持たせた。このドライヤーはおしゃれな上、マイナスイオンが出て髪に優しいのだ。もちろん静穏タイプなので、自分にも、みんなにも優しい。僕は優しい人が好きだ。このドライヤーを使っている人は優しい人に違いない。僕はそう確信していた。マイナスイオンは、人間全体に優しい。いや、全ての生き物に対して優しいのかもしれない。そう、マイナスイオンこそが癒しであり、癒しとはマイナスイオンなのだ。このおじさんは、既に「癒し系」だった。作業着姿でちょっと強面だが、このおじさんは「癒し系」なのだ。
「癒し系」=「優香」であった事は、記憶に新しい。つまりこのおじさん=優香なのである。優香=巨乳であるから、このおじさん=巨乳なのだ。即ち、この目の前のおじさんは最早、「根本はるみ」なのである。僕の目の前に、あの巨乳で有名な根本はるみが立っているのだ。根本は呆然と僕を見ている。僕が右手に持っている丸ノコと、僕を見比べている。根本よ根本、嗚呼、根本。根本、仲本、すーぎの子。僕はそんな根本に思いを寄せていた。今こそ告白のチャンスだ、男を上げる瞬間だ!
「根本、お前が好…」
と言いかけた所でぶん殴られて歯がへし折れたので、素直に謝ってから丸ノコを返した。更に迷惑料という名目で3万円払わされた上、おしゃれなドライヤーも奪われた。その日は一日中、気分が晴れなかった。

6月21日 ホームクリーニング。

僕が持っている服の中でおしゃれ順位が高い服は比較的大事に扱われる。
そのおしゃれ順位がどの様にして決められるのかというと、価格的な物というよりも僕が着てみて、しっくりくるか、こないかで決められる。
しかし大体価格が高い物が上位に食い込んでくることもまた事実だ。気持ちの問題なのかもしれない。
それはさておき、上位の服ともなってくると洗濯もドライマークだったりするので、きちんとドライも洗える洗剤のエマールで洗うことにしている。
今日はおしゃれ順位が上から3位までのシャツ類を洗濯機に放り込み、そしてエマールで洗った。丁寧に干してから僕は髪を切るため出かける事にした。良く晴れているし、帰ってくる頃には乾いているだろう。
この日は朝から風の強い日だった。
さっぱりして家に戻ってみると、おしゃれ着達が大変な事になっていた。僕の中でおしゃれトップを独走して止まない長袖白シャツは生乾きのままぶっ飛び、小汚いベランダに叩きつけられ黒ずみ、腐臭を放っていた。おしゃれ銀メダルの半袖シャツなど物干し竿上で一回転し、物干し竿をかける部分に絡みつき、そのまま乾いてしまったらしく酷くしわしわとなっており、しかも大部分に渡って汚れていた。おしゃれ三位のヘンリーネックなど行方不明ときている。ブルーになるとはよく言ったもので、僕はその惨状を見て文字通り青くなった。
上の子二人は少し汚れただけだから良いけれど、ヘンリーはその姿を消したのだ。
これが東京の怖さなんだわ、と私は思った。
あんなに良い子だった息子達がこんなにも薄汚れたのは東京という悪魔のしわざ。
「だから私は反対したのよ!絶対こうなるって解ってたもの!あなたが、自分の力を試すのも良いことだ。なんて言ってあの子達を送り出したからよ!」
私は感情的に夫を怒鳴りつけ、それから泣き崩れた。
たった1年。それだけでヘンリーは随分と変わった。まず髪の色が変わり、それから「ダセーよ」が口癖になった。質の悪そうな友達が増え、事あるごとに「仕送りの金を増やしてくれ」と言うようになった。驚かせようと思い、内緒で東京の息子のアパートを訪ね部屋のチャイムを押したとき、出てきたのは息子ではなく意味の解らない髪の色をした下品な香水の匂いを放つ臭い女だった。
その女に「あんた誰」と言われた時私は、なぜだか息子を失った様な気がしたものだった。
そしてヘンリーはいなくなった。あのとき感じた喪失感は、現実のものとなった。
私は東京が憎い。東京に住む魔物が憎い。「東」という字ですら憎い。もちろん「京」も憎い。東幹久が憎い。京本正樹が憎い。憎い。憎い。憎い!
と叫びながら隣の下の階にぶっ飛んでいたヘンリーネックを回収し、僕は再度洗濯機を回すのだった。めでたしめでたし。

6月28日 恐怖のブラックダイヤモンド。

「聖なる煙よ、今こそ立ち上りその力を示したまえ。古から恐怖を支配する邪悪なブラックダイヤモンドに神の裁きを与えたまえ!」
僕はholy smoke(バルサン)に点火した。モクモクと煙が立ち上り、部屋中を聖なる煙で一杯にしていった。
「これで良し」
僕はそう呟きながら先日の夜、ブラックダイヤモンド(以下BD)と繰り広げた壮絶なバトルを思い出していた。
僕が本格的にBD対策に走り出したのはもう十数年も前の事になる。対策は見事に功を奏し、僕はBDの不快な姿を十年に渡って自分の住処で見ることはなかった。例外として今の家に済むことを決め、荷物を運び込む前に僕はその姿を目にした。しかし越してくる前のholy smokeによる大粛正で、奴らは姿を消したのだった。
僕の対策は、春先に大量のThe dumpling of death(ホウ酸団子)をそこら中に撒くことにある。事実僕はその方法で十年に渡り家の中でその不快極まりない存在であるBDの姿を目にすることは無かったのだ。
しかし、先日、僕はついにBDと家中対決を果たすことになった。
恐怖のスピードで高速移動するBDを視界の片隅に捉えてしまった僕の脳は、その記憶を必死に消そうと機能した。事実、僕は見て見ぬふりを決め込もうとしていた。ソファに座り、テレビから視線をそらさず「何にも見てないよー。いないよー。怖いのいないよー」と呪文のように繰り返していた。
しかしBDは再度視界の片隅に登場する。その移動速度はおそらく時速300kmに達していただろう。F1マシンばりの移動速度を持つ、佐藤琢磨もkuribitsu(ビックリ)の恐怖の黒いダイヤモンドが、「部屋の主は我で在るぞ」とばかりに僕を挑発し始めたのだ!
「なめるな!」
勇敢なるBDハンターである僕は半泣きでその挑戦を受けて立った。いや、受けざるを得なかったのだ!
こんな日の為に買っておいたG-jet(ゴキジェット)を片手に握りしめ、そしてBDのsky love hurricane(フライングアタック)を防ぐための盾(雑誌)を用意して、僕はBDに接近した。
口の中がからからに乾く。胃が喉元までせり上がって来ているような恐怖感。僕は怯えていた。奴らは素速すぎるのだ。F1バリのスピードについて行ける訳がない。僕は様々な状況を考えた。たとえば僕が勝利したとして、その死骸処理はどうすれば良いのだ。そのことを考えるとまた胃が痛んだ。時間が止まれば良いのに、とさえ思った。そして止まった時間を利用して、お金を盗めれば良いのにと思った。そしたらそのお金で僕はマンションを建てて、家賃収入で生きていくのに。家賃収入で老後は悠々自適なのに。ご先祖様は何故僕に土地を残していかなかったのか。僕は不公平な世の中を呪った。それからふと、大好きだったあの娘の事を考えた。あの娘は元気にやっているだろうか。俺は元気だよ。勇敢にもこうして、悪の権化と対峙しているよ。ほうら、こうやってプシューってさ。
僕がBDにGJを噴射すると、奴は身の危険を感じたのかその速度はついに音速を超えた。僕は目でその姿を追うだけで精一杯になり、ついでにいっぱいいっぱいになってしまい、頭のネジが飛んだ。嫌になった僕は最終兵器であるライターを持ってきて、スプレーしながら火を付けた。火炎放射器が開発された瞬間だった。歴史が動いた瞬間である。
核が戦争のあり方を変えたように、火炎放射器も人類とBDの歴史を変えた。音速移動するファイヤーボールと化したBDの生命力は凄まじく、その速度のまま家を飛び出し、隣の家に潜り込んだ。そして隣の家をパニックに陥れると、次に我が家に戻ってきてカーテンを燃やし始めた。これが本当の祭りという物である。大騒ぎだ。僕は奇声を上げながら金属バットでファイヤーボールを叩くべく尽力する。しかし音速移動するファイヤーボールを捕らえるのは容易ではない。破壊に次ぐ破壊。我が家はあっという間に崩壊した。
破壊し尽くすと、僕は疲れ果てて瓦礫の上に横たわった。BDも僕の側で横たわり「お前との勝負、楽しかったぜ」と小さな声で呟いた。
「ああ、俺もさ」と僕は言った。
「会えて……良かった」BDは億劫そうに言った。傷が痛むのだろう。僕は何も言わなかった。
「お前のスイング、松井みたいだった、ぜ……」
言い終わると、BDはその生命活動を停止した。黒焦げになったその姿のまま、彼は天に召された。彼のその生への執着心は潔く、格好良くて気持ち悪いと僕は思った。僕はやはり半泣きで、彼の死骸をティッシュにつまみ、便所に流した。
それから暫く、落ち込んだ。

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