戻る

4月6日 花粉症。

くしゃみが止まらず鼻水が垂れ続け目の中が痒くゴシゴシこすっているとまたくしゃみが出て鼻水が垂れるしかと思えば喉の奥が痒い、痒い、痒い、これは風邪だ多分風邪を俺は引いたんだ最近疲れていたし寝不足だしストレス溜まりまくってたからな、ちくしょう、絶対に花粉症じゃない俺は認めないぞ。とばかりに踏みとどまっていたが無理だった、僕はどうやら花粉症になってしまったようだ。
昨年までは他人事だったのだが実際に自分がなってみると大変で、鼻水が垂れまくりで、一度スイッチが入るとくしゃみが止まらなくなったりともう訳が分からなくなってくる。
いや、訳はわかる、くしゃみが出て鼻水が出るだけだ。ならば僕はなぜ今、そんな「訳が分からなくなる」などという嘘をついてしまったのだろう。ほんの数秒前の自分なのにひどく恥ずかしい。
「嗚呼、ひどく恥ずかしゅうございます!」
声に出して吐き出してしまうとそれは益々鮮明になった。下腹部から突き上げてくる快楽のうねりを理性で堰き止める事はもう殆ど無理だと悟った。見られていると思うと私の小さな海は益々潤い始め、そしてもう何も考えられなくなっていった。今までしたことも無いこんなにもはしたない格好をさせられて、消えてしまいたい程恥ずかしい筈なのに何故か心地良く快楽の炎を燃え上がらせ、その炎上で生まれた上昇気流に突き上げられて私はその日、生まれて初めて頂きまで登った。
「もう君、降りてこなくていいからね。っていうか明日からこなくていいから」
「あ、ハイ、スンマセン」

※僕は頂きから降りて、謝ってからまた床にワックスを掛け始めた。ワックスを掛けてはタンを吐き、タンを吐いてはワックスを掛けてまたタンを吐いた。最終的にはタンが床に残ったので、僕は満足してまた頂きに上った。
「もう君、降りてこなくていいからね。っていうか明日からこなくていいから」
「あ、ハイ、スンマセン」

※に戻る

4月13日 生きましょう。

連日深夜、時には早朝までシコシコと土日も休まずぶっ続けで働き通し、いよいよマズイ、意識とヒューズと堪忍袋の緒がぶっ飛びそうだ、とばかりにふらつきながら帰宅途中、家の下に停車している車の中でカップルが別れを惜しむようにチッスをかましていた。チッスをおかましになりはられておりはり申してござ候った。おりはり申してござso rolling thunderbolt solitude attack!!さあ地球よ滅びたまえ!滅び去りはり申したまえ!
夜を包んでいた春先の生温い空気が膨張し風景が歪み始め時間が音もなく加速度を増し間もなく泡の様に弾け飛び、辺りが暗闇に包まれた。カップルバブルは完全に崩壊し、気づけばカップルの車があった筈の場所に墓標が立っていた。
僕は別に構わなかった。チミ達カッポリーノがどこぞで何をおかましになられようがそれはチミ達の勝手なのだから。ただチミ達の敗因(もしもこれが勝者と敗者に分けられるのだとすれば)は、僕のもう一つの人格を眠りから呼び覚ました事にある。
僕のもう一つの人格は(以後彼と呼ぶ)とてもシンプルで、たった一つ、命令され続けている事を守り続けるだけの存在だ。命令は無意識からやってくる、人が生殖を続けろと命令されているのと同じで彼は墓を建て続けろと命令されている。彼は只墓を建てるだけの存在だ。墓を建てて、その前にまんじゅうを供えるだけの存在だ。まんじゅうを供えて手を合わせ、「今年も桜が咲きました、私も洋平も元気でやっています。寂しく思うことも以前ほど少なくなりました、少しずつですが私たち、元気を取り戻しつつあります」と報告するだけの存在だ。「実は…、あなたに報告しなくてはならないことがあります。以前話した、加藤さん。ほら、私たちにとても良くしてくれるって話した男性(ひと)。洋平もすっかりなついて、あの人とくらしたい、って……、そう、加藤さんと一緒に暮らそうと思っているの。もう泣いてばかりの自分とはさよならしようと思っているの、あたし、何度も考えた、あなたがいてくれたらって何度も思った。人間の身体って凄いのよ、いくらでも涙が出るの。あたし、人生で流す予定だった涙の何パーセントを消費したんだろう、きっと殆どね。泣きすぎて心の一部も溶け出して、空きができちゃったんでしょうね、あなたで一杯だった心にね、加藤さんが入ってきていた事に気づいたの……なんて、そんな話あなたは聞きたくないわよね」
佳江は春彦の墓石に手を添え、そっと撫でた。「あなた……」
その時、ふと風が吹き佳江の頬を優しく包んだ。それは温かく、どこか懐かしい匂いを孕んでいて、佳江は思わず目を閉じた。春彦の存在を感じる。目の前で、手が届く所で春彦が微笑んでいる気がした。「幸せにな」と春彦が言っている様な気がした。佳江はもう一度呟く。「あなた」
ゆっくりと目を開ける。後ろで洋平が佳江を呼んでいる。
「ねえお母さん、行こうよ!」
「……そうね、そろそろ行きましょう」
そろそろ生きましょう。佳江は呟くと、洋平を抱き寄せた。子供からは春彦と同じ太陽の匂いがしていた。

4月21日 ここにいるのに。

はじめまして、オポルチーニ・ジャン・ボッケルボルと申します。オポルチーニとは母が付けてくれた名前で、私はあまり気に入っておりません。気に入るどころかむしろこの様な名前を付けられた事を腹立たしく思っております。この名前のせいで虐めにあった経験もございます、なんでも男性性器を想像させるとかさせないとかで、私は酷い辱めを受けたのです。子達を導く立場である教職者が私の名前を呼ぶ際にワザとオポンチーニと呼んだ事がきっかけです。二十代後半で若い割には毛髪が薄く、私が校舎の窓から外を眺めておりますと、桜舞い散る春風の吹く校庭で彼の毛髪があおられ、頭頂部付近に肌色の地肌がおぼろげに浮かび上がり、酷く淋しく思った事を憶えております。彼は昨年死にました。
大人の何気ない言葉で子は酷く傷つく事があるのです。私はあれからオポンチーノと呼ばれ、中学に進学するとませた同級生からはペニスと呼ばれる様になり、生殖器扱いを受けました。
私のミドルネームはジャンと言います。ジャン・ボッケルボルです。ジャンボッケルボルなのです。つまりジャンボ。悪知恵の働く同級生からはジャンボペニスと呼ばれ、棒で突かれる様になりました。
しかしジャンボペニス。私はあまり悪い気がしませんでした、むしろ誇らしく思えてきたのです。私はジャンボだ、ジャンボなペニスで何が悪いのか。
私の中で何かが変化しました。それまでただやられて泣いていただけの私は、自分自身が強くなった様に思えました。実際強くなったのでしょう、 私は私を棒で突く子供じみた同級生達に説教をしたのです。
「いいかい君たち性器を棒で突くなんて、そんな事は馬鹿げているんだよ、性器は神棚に祀り、大福餅や菊の花を供えて手を合わせ、幸せや健康をお願いするべき物なんだよ。だから君たち、棒で突くのはもう止めにした方が賢明だ」
性器を大切にね、と私は最後に付け加えました。それから私は突かれなくなり、机の上には大福餅やら菊の花が供えられるようになりました。休み時間の度に誰かしらが私の側で手を合わせ、祈りをささげられる様になりました。皆が私の存在を無視するようになりました。まるで私などそこに存在しないかの様な扱いです。これにはさすがの私も堪えました、何せホトケ扱いです。
桜が咲いて散るのをこの校舎の窓から何度眺めたことでしょう、四、五十回ほどでしょうか、さすがに飽きて参りましたが未だにみんな私を無視し続けています。私はここにいるのに

4月28日 捕手。

のんびりしていると焦りが募るのでのんびり出来ない。
あまりに仕事ばかりしているせいだろう。たまの休みにのんびりしていると焦りが募り、募った焦りはやがて不安を呼び起こす。呼び起こされた不安が僕に望む事は行動すること。休むな、動け。僕は脳にそう命令されている。
身体は疲れ切っていて、「休ませろ」のサインをチラチラと小出しにしているが僕はそのサインに頷かない。納得いくサインを出すまで僕は首を横に振り続けるつもりだ、まだ休むべきではない。古田はキャッチャーミットの下からサインを出し続け、僕が納得出来ずにいるとそのサインは徐々に意味が解らなくなっていった。「聖書を踏め」「酒に目薬をたらせ」「押し花を作れ」「実家に帰れ」「コジマ電気で何か買え」「電球を取り替えろ」「パルックボールに取り替えろ」
このままでは埒があかないだろうと思い、僕は妥協して「ブリーフを穿け」のサインで頷いた。古田がマスクの下でにっこり微笑み立ち上がり、僕の側までやってきて、白いブリーフを僕に手渡した。僕はブリーフを受け取りポケットにしまい、彼の笑顔を見ることが出来て嬉しいと思った。
しかし、すぐに彼の表情が曇った。僕の目の前で指をチッチッ、と振り、ブリーフを穿くようにと身振り手振りで示した。僕がこんな観客が居るところでブリーフなんて穿けないよと言うと、古田はマスクを外し、眼鏡を人差し指でグイと押し上げた。僕は過去に腹を空かせたライオンの目を見たことがあるが、眼鏡の奥で光る彼の目はそれに似ていると思った。
僕は従わねば殺られるかもしれないと考えたが、それならそれでも良いと思った。その時は本当にそう思っていた。古田は首をかしげ、僕がブリーフを穿かないのが不思議でならない、という表情をしている。ブリーフを穿かないなんて、馬鹿げている、と。
僕が古田から目をそらし不安そうにしていると、古田は苛立たしげに僕のポケットからブリーフを取り出すと、おもむろに僕の顔に押しつけた。真新しい筈のブリーフからは中古のニオイがした、多分古田が足を通したのだろう。
やめてよ古田君、僕、ブリーフなんて穿けないよ。と僕が言うと、古田の口元に邪悪な笑みが浮かんだ。それを見て僕は鳥肌が立った。この捕手は、悪魔だ。
僕はピッチャーマウンドの上でズボンと下着を脱がされ、ブリーフを無理矢理穿かされ、ズボンをベンチに隠された。仕方がないので僕はその格好のまま三回を投げたところで六点を失い、ベンチに戻された。ズボンを穿くと、ポケットの中に真新しい鍵が入っていた。
合い鍵だった。

戻る