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7月7日 夜を走り抜ける。

バイクの後輪がガタガタになっている。 もしかしたら走っている途中で外れるかもしれない。そうなったら多分生きては帰れないだろう。
少し前から気付いていたのだ。低速でガタガタと不吉な揺れを起こしていた僕のバイクは声にならない「ヘルプ」のサインをもっと早い段階から出していたのだ。それを無視して乗り続けていた僕が絶対的に悪かった。忙しさを言い訳にバイク屋に持っていかなかった僕が、悪い。
ボルトの増し締め程度では調子はよくならなかったし、僕のメカニズムそのものに対する知識等たかが知れているので全く太刀打ち出来なかった。でも僕は男だ。男がメカに詳しくなくて何が男だろうか。メカに詳しい事こそが男の特権ではなかっただろうか。メカに強く振る舞いこそ乱暴だが情に厚く涙もろい、これが理想の男性像ではなかろうか。少なくとも僕の理想は「てやんでい、泣かせるゼイ」が口癖の角刈りで筋肉質な昭和の匂いのする男前だ。
バイクとしても僕にそうあって欲しいと願っているはずだった。だから僕はバイクの前でいつだって強がって見せていた。「全然平気だゼイ!」と。
低速走行でガタガタとなっていた時、本当は足で踏ん張って揺れを抑えていたのに、本当は壊れるのではないかという不安で心が一杯だったのに僕ときたら、涼しい顔をして……!
「ねえ、私こんなにガタガタしてるわ」
「てやんでい、ガタガタ抜かす暇があったらさっさと走りやがれ!」
「ねえ、このままだとあなた死ぬかも」
「カーッ!おめェを残して俺が先に死ぬわきゃねえだろが!」
「でも、私のせいであなたに怪我でもさせたらと思うと……」
「……ったく心配性だなオメェは、黙りやがれ!」
「……!?」
僕は心配げなバイクを抱き寄せ、乱暴に口づけをした。最初驚いていたバイクもやがて目を閉じ、僕に身体を委ねて来た。バイクの細い腕が僕の太く逞しい首に回される。ソレを合図に僕のギアは一気にローからトップへ入る。エンジンの回転数は益々あがり、僕はバイクの唇を貪りながら布団に押し倒した。
見えない何かに急かされるように僕は服を脱ぎ、それからバイクの服を脱がした。下着姿になったバイクの豊満な乳房に手をかけ、ブラジャーを乱暴に剥ぎ取った。下着というカウルを外された彼女はまさにネイキッド。剥き出しとなったメカニズムに僕はくらくらした。
「キレイだゼイ……、お前のスパークプラグ、っていうか乳頭」
僕は彼女のプラグを乱暴につまみ、それからアクセルを開けた。
それから僕たちはアクセル全開で長い夜を走り抜けた。一つの夜を越え、二つの夜を越え、三つの夜を越えた頃、僕たちは星になった。(死亡)

7月18日 塩。

上の階の人が引っ越してしまった。隣の部屋も結局まだ誰も入っていないので、上と横が空いている事になる。となると、残りは下か。
しかし隣は長いこと空いている、半年間誰も入居していない。僕としては空っぽのままの方が静かなので良いのだが、上までいなくなるとちょっと違和感を憶えてしまう。
僕はこの状況に二つの仮説を立ててみる。一つ目は僕に問題があり、周りの人達が引っ越して行ってしまう説、「僕が臭いの壊?」だ。壊、とはかい?つまり問いかけになっている。親しみやすさ重視の為、あえて若者が使う表現を引用する。ただそのままでは面白くないので、壊れ行くイメージで表し、現代の若者の弱さ、人間の精神の脆さを同時に表現する。僕が臭いのかい?僕が、臭いのかい?僕が、臭いのですか?僕が臭いとでも言うのですか?僕が臭いから彼女を幸せに出来ないとでもおっしゃるのですか!!
と、感情露わに抗議する秀治の前で、娘を任せるのに不安を抱く良子の両親は怪訝な表情で鼻にハンカチーフをあてがっている。秀治の隣で不安そうな顔をしている良子もまた、ハンカチーフを鼻にあてていた。臭くない筈がないのだ。靴下を生まれてから一度も替えたことが無いのをまるで美談のように誇らしげに語る彼の靴下は既に指の部分が無く、酷い悪臭というよりは最早目に突き刺さりどこか異界を映し出してしまうほどの刺激と化し、対峙する者を一瞬にしてトランス状態へと送ることが出来てしまう。
秀治は良子の両親に会うからと一張羅のスーツできめこんで来たものの、ベージュのネクタイはどうも固そうで、良子はおそらくスルメなのではないかと踏んでいる。その証拠に彼は時折首元から何かをもぎ、口に運びくちゃくちゃと噛んでいる。手で隠しながらその一連の動作を行うが、スルメを食べていることは誰が見ても明らかだった。
「良いですかお父さんお母さん(クチャクチャ)、断じて僕は臭くありません!」
秀治の目は真剣だった。彼は首元に手を伸ばし何かをもぐと、そのもいだ物を隣の良子の口元に押し込んだ。いらないわ、と目で訴えるが彼の手は止まらなかった。これを食え、食えばわかる、と言わんばかりに。
根負けして良子はスルメの欠片を口に含んだ。
スルメは、塩の味がした。

続く。

7月26日 夏に降る雪。

布団を干しつつ、付着した埃や陰毛類をバッサバッサやりながらふと下を覗いてみると下の階の住人が訝しげな面持ちで上を見上げた瞬間で、そのタイミングの悪さとその住人の表情に思わず吹き出してしまった。気まずさよりも面白さが優先してしまった僕は、慌てて顔を引っ込めた。
僕の毛髪や陰毛やすね毛、そしてアレルギーの元であるハウスダストが彼の顔面の上に容赦なく降り注いでいたのかと思うと、申し訳ない気持ちよりもどうしても面白さが勝ってしまう。きっと彼は窓の外を見て、パラパラと舞い落ちる埃を雪と見間違え、「まさか、夏なのに雪かしら!?いたずらな雪の精霊のせいね、暑さと雪のコントラストってなんて魅力的なの!」と思って顔を出したのだろう。ところが天空から舞い落ちるのはなんと魅力ゼロの我が体毛やダニの死骸だったのだ!
多分「ぶわっぷス!」とか「ぼるへッス!」とか「ぼらぎッ!」とかそんな擬音を発したに違いない、「ノールぼらぎッ!これ陰毛じゃん!」
しかも上見たら僕がニヤリとしているワケだから、下の階の人の視点で見たら僕は気味の悪い人間と言うことになる。
「ノールぼらぎッ!これ陰毛じゃん!……でもこれ、なんだろう、凄く魅力を感じる。金色に輝いているし……なんていうか……すごく……美味そう。そう、美味そう!」
ふと上を見上げると、上の階の住人(いつも陰鬱そうな面持ちの胡散臭い輩だ、おそらく趣味は植物への水やりなのだろうと私は思う。仕事は奇術師か何かだろう)が顔を出していた。彼はその冷酷そうな薄い口元に少しだけ笑みを浮かべると、すぐに顔を引っ込めてしまった。
なんだ今のは、何故彼は私に向かって微笑みかけたのだ?私は混乱していた。金色に輝く陰毛の様な物を壊れないようにそっとポケットにしまい、それから部屋の中に入った。
もしこのポケットの中の陰毛の様な物が彼からの贈り物だとしたら、私はやはり次に会った際、お礼を言わねばならないのだろうか。いや、もし私がこれをキャッチしなかったら彼はどうするつもりだったのだろう。回収しに来たのだろうか。すいません、宝物を落としちゃったんですけれど。
そんな事を考えながらポケットから金色陰毛を取り出すと、二本に増えていた。いやんラッキー!彼にお礼言わなくちゃ!

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