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ぎりぎり生きてました。
10月3日 オラ放置。
オス!オラ放置!オメェくせぇなぁ!
僕「うわ!放置が喋った!」
オメェが放置してるからいけねえんだろー。オイ、チチ、ちょっとコイツ捕まえておいてくんねぇか?
チチと呼ばれた老婆「ああ?」
コイツを、捕まえておいてくんねぇかぁ!
チチと呼ばれた老婆「ああ」
こうして僕は老婆に羽交い締めにされながら今日の日記を更新している。あまりに放置癖がつき過ぎて、自らを放置と名乗る中年の男性に睨まれてしまった様だ。
彼は胸に「亀」と書いてある山吹色の珍しい服を着ているが、ズボンはよくプレスされた紺のスラックスで折り目が美しかった。足下はコンバースのオールスターを穿いており、カッチりした中で足下だけハズす、みたいな事がやりたかったのだろうが失敗している様に思えた。髪はてっぺんが薄く地肌が見えているが、全体的に長髪で、ヒッピーを思わせた。きっとあの、誰もが貧乏だったが生き生きとしていた良い時代を忘れられずにいつまでも引きずっているのだろう。その証拠に彼の背中には大きく大学解体と書かれていた。
僕は老婆の吐くどぶ臭い息を首筋に感じながら日記の更新を続けた。
悪りぃな。でもよ、こうでもしねぇと、オメェ、日記更新しねぇだろ?
僕「はあ、まあ……」
老婆「悟空さぁぷはぁぁぁああ」
僕「クサッ!」
なんだぁチチ?オラのことは放置って呼べって言ったろう?ホラ、オメエも臭がってねぇでとっとと日記を書いちまえ。
老婆「接吻してけろぷふぉぉぉ」
なんだぁ、チチ。おめぇ、そんなの今言うなよなぁ。仕方ねぇなぁ。ホラ
放置と老婆が僕の首の後ろでキスを始め、唾液が絡むぴちゃぴちゃという音が聞こえてきて、僕は気分が悪くなったがそれでも書くのをやめなかった。その内僕を押さえつけていた老婆の力が抜けていき、完全に僕の身体から離れた。おや、と思い、振り返ると彼らはペッティングの真っ最中だった。僕は見てはいけないと思いすぐに前を向き、また日記の更新を続けた。
背後から老婆の悩ましげな声が聞こえてくる。
僕「(見ちゃだめだ、これは見ちゃだめだ!)」
老婆「ああっ、あっ!」
僕「(帰ってください帰ってください……!)」
老婆「あああああ!あああ!あ!コホォー!」
僕「(臭い臭い臭い!なんまいだぶなんまいだぶ、帰って下さい帰って下さい!!)」
僕は一心不乱に念仏を唱え、ひたすらに帰ってくれと願った。ここは彼らのいるべき世界ではない。そして次の瞬間、ふと彼らの声がしなくなり静寂が訪れた。ただ僕の心音だけが聞こえていた。
僕「(あー良かった、帰ってくれたんだ。念仏が効いたのかな……。)」
老婆「そんなことしても無駄だよコホォぉ!!」
僕「うわぁぁああああ……!!!」
突然老婆の生暖かく臭い息が耳に吹きかかり、僕は気を失った。翌朝、目を覚ますと既に彼らの姿はなく、何やら湿っぽいティッシュの塊が落ちているだけだった。日記は完成しており、僕は久しぶりに更新出来そうだと思った。が、更新した事を後で後悔するタイプの日記だと言うことに、この時はまだ、気付いていなかったのだった。
稲川淳二の怖い話「恐怖のペッティング」より抜粋
10月17日 テンション急降下。
僕は暗いところにいて、ここからは何も見えない。光は隙間から差し込むがその向こうに何があるのかは僕には解らないし誰も教えてはくれない。第一僕に語りかけてくる者など誰もいない。
希望?
そんな物はとうの昔に失った。僕はこの世に産み落とされてからずっとこうして暗いところにいる。それでも昔はほんの小さな希望にすがって、この暗いところから抜け出せるかもしれないと甘い夢を見ていた時代もあった。でも、夢は夢だった。希望は僕の手をスルリとすり抜けてどこか知らない場所へと去ってしまった。残された僕は独りきり。この暗い場所に、昔から独りきり。この先もずっと独りきり。ここでこのまま僕は消耗していくだけ。消耗して溶けてなくなるまで僕はここでただじっと静かに耐えている事しかできないのだ。
ここはとても暗いし寒い。
誰でも良い。
誰でも良いのだ。
誰か。
誰か僕を流して欲しい。
流し忘れられたウンコの手記より。(洋式)
10月29日 青年とハンマー。
カーン……!カーン……!という、狂った男がハンマーで鉄塔をぶっ叩いているかの様な騒音で目を覚ます。不快な目覚めだ。
もう何日もこんな目覚めが続いている。一体いつまでこんな事が続くのだろう。カーテンを開け、空を見上げると見事な秋晴れだったが、視界の中に飛び込んでくる新築工事中のアパートを見ると憂鬱な気持ちになった。このアパートが完成するまで、僕は騒音によって目覚めることになるのだろう。緑色のシートに覆われたいつ完成するとも解らない建築物を眺めていると、うんざりした気持ちになった。
しかし何故ぶっ叩いているのだろう。大の男が、何をそんなに思いっきりぶっ叩く必要があるというのだろう。僕はハンマーを持つ男に興味を持った、彼は一体どんな男なのだろう。現場で働く男なのだから、屈強な感じなのだろうか。いや、意外と線は細いのかもしれない。
細身で女性的な彼(伸春)は現場では舐められてばかりいる。先輩はもちろん、がさつな後輩にまでパシリ扱いされ、伸子というあだ名をつけられている。
伸春に現場は合わない。彼自身、それに気づいてはいた。しかしこの職場をやめてまた美容師に戻るのでは何の意味も無い。彼は自分自身を変える為、強く、逞しい男になる為、あえて男の職場に飛び込んできたのだ。
山男の様に頑強で強面な親方の叱責に悔し涙を堪えながら、仕事らしい仕事も任されず雑用ばかりこなし過ごす日々、そんな日々もそろそろ限界を迎えようとしていたある初秋、伸春は一つの転換期を迎えることとなる。
その日、親方に呼ばれた伸春はいつもの様にまた怒声を飛ばされるのかと覚悟しながら彼の元に向かった。
「親方、なんでしょうか」
「おう伸子!お前に仕事を任せようと思ってな」
「マジですか!?」
「おう!ほら、これ、道具袋に刺しておけ」
そう言うと親方は、良い感じに使い込まれた鉄製のハンマーを伸春に手渡した。
「……!」
ハンマーはズシリと重く、伸春の華奢な手には不似合いな代物だった。
「これはな、俺が昔、お前位だった頃に使っていたハンマーなんだ。大事に使えよ」
親方はそう言うと、思い出したようにポケットからくしゃくしゃになった一枚の写真を取り出した。そこには、作業着を着ていなければ女性と間違えてしまうような中性的な男の姿が写っていた。
「これが俺の若い頃だ」
「えっ!?」
伸春は思わず声を上げた。その写真に写っていた男は、目の前の男とは明らかに別人だったからだ。体の線がどう、等という以前に、顔のパーツも違うし、ヘルメットに書いてある名前は明らかに親方の苗字とは違う上に、写真の日付も去年の物となっていた。
「お前も、頑張ってりゃ俺みたいになれる」
親方の優しさだということは直ぐに解った。屈強な男の大雑把な優しさ。伸春は涙が出そうになった。
「頑張れ」
そう言うと親方は伸春の肩を叩き、それからさすった。ゴクリという生唾を飲む音が聞こえた。親方の顔が紅潮していく。咄嗟に視線を下げると、親方の作業着の股間辺りが膨らんでいるのが解った
「なあ、伸子……」
「ちょっ、や、やめて下さい!」
「伸、伸、伸!」
親方はカチャカチャと音を立てて自分のズボンを下ろすと、次いで物凄い力で伸春のズボンを下ろした。
「親方!ちょっと!うわぁああああ!」
それから、記憶は混乱している。
手に握り締めたハンマーにべっとりと赤いものが付着していて、足元には山男の様な男が目を開いたまま倒れている。
ちくしょう。
伸春は、そのままハンマーを近くの鉄塔に打ち付けた。何度も、何度も、何度も。
下半身に残る不快な感覚を消す様に、起きた出来事全てを忘れる為に、彼は力いっぱい鉄塔を叩いた。
ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう……!
カーン……!カーン……!
高らかに響き渡るその音色は誰にも受け止められることなく、悲しみの色に似た秋の空に溶けていった。 |