| 1月17日 サラリー
いざ還らん、約束の地へ!
決まりきったつまらぬ人生に破壊という名の杭を打ち、社会の摂理に逆らうべくして世に生れ落ちし崇高なる魂!鎖に繋がれ、抗う事を忘れた者達に決して屈さぬ穢れなき精神!我は戦う!餓えや世間の目を跳ね除けて我は戦う!
今、遥かなる時空を超えて約束の地へと還りついたる尊い存在。全ての道理から解き放たれし最後の聖者、我が名は超越神無職!
無職である!
無職であるぞー!ぞー!ぞー…(エコー)
手に入れた物は全て投げ捨てる攻めの姿勢。部下ども(そう、僕には部下がいたのだ)なんか知るものか。ローンが残ってる車なぞ売ってやる。役職手当のついたサラリーなんかクソ食らえ(そう、僕は役職を持っていたのだ。残業代を出したくない会社の索とも言えるが、それを手に入れるため僕が努力したことは嘘ではない。後悔?そんな物はしていない。あくまで貫く攻めの姿勢。責めの姿勢を貫くんだ。俺が悪い。俺が悪い。サラリーなぞクソの様なものだ。そう、サラリーなんかクソでも食ってればいいのだ。クソでも食って、ご主人様に尻尾を振っていればいいのだ。サラリーなんて、僕は知らない。僕が知るもんか!どこでも行っちゃえばいいんだ!サラリーのバカ野郎!)
冷たい雨が降っていた冬の夜だった。夜中に雪に変わったが、それを予感させる寒い日で、部活で遅くなった帰り道、僕は冷たい雨に急かされる様に家路を急いでいた。
あの日僕はサラリーと出会った。
雨が降ると僕は、いつもと違う道を歩くことにしている。こちらの道は大きなマンションが続いており、敷地内を通ることでいくらか雨がしのげるからだ。
マンションを抜けていると、いい加減に停められていた自転車に服がひっかかり、僕は立ち止まった。外そうとしていると、ふと足元に落ちていたダンボールが動いた気がした。
捨て猫か?
覗き込むと、サラリーはそこにいた。寒さに小さく震えて、でもどこにも逃げることができず、そこにいたのだ。上目遣いで僕を見る小さな命はとてもいとおしく、放っておいてその場から立ち去ることは僕にはできなかった。
首輪についていた名前は「サラリー」だった。猫ではなく、犬だ。ロングコートの真っ白いメスのチワワだ。大きさからして成犬だろうが、活発で若々しいので、二歳か三歳くらいだと思った。
それから僕とサラリーの生活が始まった。首輪がついていたことから、捨て犬ではないと予想した僕は、本当の飼い主を探すべくチラシなどを作り、一応警察に届けることにした。
その交番では預かれないという事だったので、僕が世話をし、飼い主が見つかり次第連絡をもらう事にした。本当は他の交番に預ける事もできたそうだが、そうはしたくなかった。サラリーと一緒にいたかったのだ。
犬のいる生活というのは素敵なものだ。僕が帰ってくると嬉しそうにかけてくるその存在が本当にいとおしかった。寝ていると布団の中にもぐりこんできて、僕の手を舐めるその体温がどれだけ僕を救ってくれたことか。
それから半年が経ち、もうずっとこのままなのだろうと思っていた。飼い主は見つからないのだろうと。そう思い込んでいないと、耐えられなかった。
しかし、飼い主は見つかった。女の人だ。
仕事で海外に出張していたそうで、こちらの知人に預けて渡航したのだが、預かった人がトラブルをおこし、犬を放り出して夜逃げしてしまったのだそうだ。
飼い主は僕に物凄い感謝をしていたが、僕は複雑だった。
今更……。
僕は一年前に別れた彼女の事を思い出していた。比べるのはおかしいが、サラリーとの別れのほうが僕は辛い気がした。彼女の時は、そうなるべく流れを感じられたし、彼女も泣いて僕も泣くという何か気持ちが通じるものがあったが、サラリーとの別れはあまりにあっけない。
最後の晩、僕はサラリーを抱いて泣いた。サラリーは、いつもと変わらず愛くるしい顔をして、尻尾を振って、涙を拭った僕の手を舐めていた。
翌日、飼い主が迎えにきた。
「じゃあな、サラリー」
離れていくサラリーは、何度か僕の方を振り返り、そして何事もなかったかのように歩き出した。
僕はサラリーが見えなくなるまでその場に立ち尽くしていた。
しばらくサラリーが去った方向を眺めていると、見慣れた小さな犬が飛び出して、こっちに駆けてくるではないか!
「サラリー!」
僕は思わず叫んだ。リードを引きずりながら走ってきたサラリー、座った僕の膝に飛び乗り、身体をすり寄せてくる。たまらなく愛しい、小さな命。
顔をあげると飼い主の泣きそうな顔があった。
「すいません……」という彼女の震える声に、僕は心が痛んだ。サラリーは歩こうとしない。
僕はサラリーを冷たく突き放し、しかる時に出す声でコラ!と言った。サラリーは怯えた目で僕を見る。僕は続けてお尻を叩いた。サラリーはびっくりして、おろおろしだした。
「お前の飼い主は僕じゃない。あっちへいけ。お前なんか知らない」
僕はサラリーを乱暴に押しやった。
「お前なんか、どこへでも行っちゃえばいいんだ!サラリーのバカ野郎!」
ペコリと頭を下げ、去っていく飼い主。
涙が出てきた。これを拭っても、舐めてくれる体温はもう無い。だから今日はこのままでいい。このまま帰ろう。このまま、歩いていこう。
後日、僕はハンカチを持つようになった。溢れる涙を、自分で処理する為だ。
やがて僕は夏の甲子園でハンカチを使い、後に、「ハンカチ王子」と呼ばれ、騒がれるようになった。
優勝できたのも、あれからより一層部活に打ち込むようになったからだ。これも、サラリーのおかげだと、僕は思っている。
「ハンカチ王子物語〜チワワってウンコを食すんです〜」より抜粋編集
5月16日 希望
ここにこうして駄文を連ねなくなってから久しいが、僕は戻ってきた。我が古巣、ヒダリマガリネオに!
久しぶりに戻って来た僕の部屋が酷く荒廃している事は、入る前から解りきっていた、肥溜めの様な悪臭が僕の部屋から漂っていたからだ。何かが腐敗しているのだろう。いやきっと何もかもが、腐敗している。
ピンク色のペンキを塗られ、どこでもドアーと落書きされた扉をくぐると、かつて、人が生活していたとは思えないほど荒れた風景が目に飛び込んできた。
踏み込むとギシリと嫌な音を立てて床がきしむ。顔にかかる蜘蛛の巣を手で払いながら奥へと進む。ここが、かつて僕が、生活していた部屋なのだ。
至る所が破壊されており、僕はいたたまれない気持ちになった。
かつて日記を書いていた場所である思い出の机はへし折られている。鍵をかけておいた引き出しの中に、大切にしまっておいた写真等は一枚もなく、チャゲ&アスカのシングルCD、「僕はこの目で嘘をつく」がただ入っているだけだった。プラスチックの下部分を折られ、コンパクトに縮められていたそのCDを手に取り、中を開いた。中身が嘉門達夫の「替え歌メドレー」だったので、僕は心底いらないと思った。
クローゼットに入っていた衣類は引き裂かれて原形をとどめていなかった。服道楽だった僕にとって、これはなかなかのショックだった。しかし何故か下着だけは丁寧に広げられ床に並べられていた。僕を辱めたつもりなのだろう。
透き通るような白さが美しかった壁には妙にリアルな大便の絵が描かれており、その横に吹き出しが付けられ、中には「オス!オラ色即是空、空即是色!」と書かれていた。
本棚だけは無事で、本が整然と並んでいた。無事だったんだと思い一冊手にとって開くと、中身がスーパー写真塾というエロ本に入れ替えられていた。他のも全て、スーパー写真塾だった。2005年の10月号ばかり50冊以上。僕はうんざりした。
椅子は肘掛けが無くなってる以外は無傷だったので、ほっとして腰掛けると、ブウという音が響き渡った。非常に幼稚ないたずらだ。腹立たしいというより、僕は情けなくなった。
(この荒れ果てた部屋を、元に戻せるのだろうか)
かつてここで僕は希望に燃え、この地に情熱を注いでいた。在りし日と同じように、僕はここで情熱を燃やすことができるのだろうか。
ふと蜘蛛の巣を見上げると、蜘蛛が網に掛かった小さな虫をじっと見ていた。獲物が弱るのを待っているのだろう。僕が近くに落ちていた棒で蜘蛛の巣を壊すと、小虫はここだとばかりに小さな羽を広げ飛び立った。蜘蛛が恨めしげに僕を見ている気がする。
いいさ僕は、小虫だ。
きっかけさえあれば僕だってまた飛び立てるのだ。何度でも、また情熱を燃やすことだって出来る。また夢を見ることだって出来る。
僕は自分できっかけを作り、飛び立ったんだ。希望は捨ててはいない。心を熱く燃やしている、名もない小さな小さな虫だ。
僕は立ち上がり、まずは落ちている瓦礫から片付け始めた。再建の一歩だ。ここからまた、僕は人生をやり直すんだ。
その時、ふと耳元でプーンという音が聞こえたので、僕は両手でぴしゃりとその音の源をたたき潰した。
さっきの小虫だった。
6月26日 魔界
玄関から出ると、小さな黒い塊が地面に這い蹲っているのが目に飛び込んできた。
まただ、と僕は思った。
我が家の玄関の前は魔界に繋がっており、こうして時折、魔界の生物が迷い込んできてしまうのだ。
僕は逃げるように家に飛び込み、ゴキジェットを手にもう一度、玄関を出た。
しかし、雰囲気が違う事に気がついた。どうも動きが鈍い。死にかけているのだろうか?僕は恐る恐る近づき、奴を観察した。すると驚くべき事が解った。それは魔界よりの使者ではなく、なんと日曜日よりの使者、お子達のヒーローであるクワガタだったのだ!
僕は思わず、「お帰り」と言った。彼は照れくさそうに、ハサミを広げ、僕を威嚇した。
「お帰り」
私とクワガタは、遙か昔、同棲していた時期があった。彼はクワガタの中でも小さなコクワガタという種類だったが、小さな身体に似合わないハサミ力(はさみりき)を持っていて、当時それが魅力的に思えたものだ。
私と彼はケンカが多く、あまり合うとは言えなかった。それでも一緒にいられたのは彼の持つ危うさが、私自身の持つ危うさと何かしら通じ合っていたからだと思う。
彼は自分の身体に凶器が生えているという事を酷く恥じていた。その為か彼の性格はイビツに歪み、時に私を酷く不安定にさせた。私は私で、自分が元々持つ寂寥感から外に沢山の男を作っていた。「其処にいけば受け入れられる」という状況がいくつも無いと、不安で仕方なかったのだ。
当時私は音大の声楽科に通っていた。イタリア語の勉強と歌うのは好きだったがピアノの授業だけは好きになれなかった。ある日のレッスンが終わった後、師事していた先生が一線を越えようとしてきたので私はそれを強く拒否した。それから彼の私への対応は冷ややかな物となり、私は急にくだらなさを感じ、歌うのをやめた。それから私は、益々男に頼るようになった。
外で違う男に抱かれ、家ではクワガタに抱かれる。
罪悪感の様なものはなかった。ただ私は寂しかったのだ。
しかし、そんな生活はいつまでも続かない。大学も休学し、フラフラしていたある日、クワガタが私の不貞に気づいてしまったのだ。
今までどんなにケンカしても暴力だけは振るわなかった彼が、初めてそのハサミで私を挟んだ。私の細い首に彼の鋭いハサミが触れていた。あとほんの少し、電気のスイッチを消す程度の力をもし彼が入れていたら、私はここにはいなかっただろう。怖いという気持ちもあったが、実際の所、それも悪くないと思っていた。このどうしようもない寂寥感はこの先ずっと埋められないままだろうから、死んで、寂しくなくなるのも良いかもしれない。そんな事を考えていると、彼が震えているのに気がついた。
彼は泣いていた。
私が彼の頬に手を触れると、彼は私を挟んでいたハサミの力を抜いた。それからおもむろに押し入れを漁りだした。やがて雑多に積み上げられた物の奥からクリアファイルを取り出し、私に突きつけた。ファイルには汚い字で「極秘 中みたら 死ぬで」と書かれていたが透明のファイルなので、中に通帳が入っているのは誰が見ても明らかだった。
通帳を開いてみると、少額のお金が入っていた。金額にして三十万円弱。一緒に入っていたメモ帳の表紙には「ヨシエ貯金」と書かれており、その中にはポエムが綴られていた。
ぼくの髪が 肩まで伸びて
君と同じになったら
約束通り 街の教会で
結婚しようぞ loving you
これは私との結婚資金だったのだという。明細を見ると毎月少額だが入金されている事が解る。私との結婚の為、私との生活の為、彼はアルバイトで稼いだ少ない給料から少しずつ貯蓄していたのだ。
彼のまっすぐな気持ちが私を貫き、その時初めて、深い後悔の念に襲われた。
彼は荷造りを始めた。私は為す術なくそれを見ていることしか出来なかった。彼が出て行く時も、私には止めることができなかった。そんな権利はないと思った。玄関を出る時の彼の寂しそうな背中を、私は今まで忘れたことはなかった。
彼に会うのは、それ以来という事になる。気づくと私は泣いていた。涙が止めどなく溢れてくる。手すりがなければ、その場にへたり込んでしまいそうな程だった。
あれから私は何度か他の男と付き合ったがどれも上手く行かずに終わった。私の寂寥感の元はいつしか彼の不在に変わっていたのだ。彼がいない事が、私はたまらなく寂しかった。そんな気持ちを抱えたまま他の男と上手く行くはずがない。
あれから数年、今、私の心は完成へと向かう。欲したのにどうしても見つけられなかったパズルのピースが見つかったのだ。
「……お帰り!お帰り!もう、どこにも行かないで……!」
彼の胸に飛び込もうと一歩踏み出したその時、嫌な感触がした。
靴の下で、コクワガタが潰れていた。 |