異国の地に戻ることもなく沢山の外国人が、この横浜の山手の高台に何時も港を眺め、汽笛の音を聞きながら永遠の眠りについてします、現在は(財)横浜外国人墓地として法人化され120年以上の間墓地の管理を続けています
外国人墓地には、今のキリン麦酒の発展に生涯をかけた、コーブランド氏も眠っています、横浜は、キリン麦酒の発祥の地でもあります
モレル氏ダイアック氏、桜木町-新橋ヲ最初に開通させた技師や沢山の外国人技師の人達
ルーミス氏、(ヘボン文字、ローマ字作成者)、指路教会牧師
マックレー氏、青山学院初代院長夫人
グリフィン氏、日本でボーイスカウトを最初に始めた人
埋葬記録は4500を最近越したが、
墓石は2500程度である
黒船が4隻を従えたペリーは1853年、三浦半島の久里浜に上陸して幕府に米国大統領の国書を渡し、開国を翌1854年、ぺりーは開国交渉の為に7隻の軍艦を組織して再び来日した、その中の1隻コシシッピ号ノ乗務員ロバート・ウイルアムスズという24歳の二等兵が亡くなった事から、この水兵の埋葬地と共にアメリカ人用の墓地をペリーは要求し協議の後、幕府は横浜村の増徳院の境内の一部を提供したペリーの示した海の見える地という条件にも合い、ウイリアムズは埋葬された、これが横浜山手の外国人墓地の始まりである
横浜  外国人墓地