プロフィール
ライン



リストマーク ジャンボジェット(B−747)整備の時代

昭和45年〜53年
日本航空に在籍 ラインメンテナンスといって運航中の旅客機の地上支援を行う。到着から次ぎの出発までの整備を短時間にこなさなければならない。。外観点検、燃料補給、フライト中に起きた機器の修理等と忙しい。でも知り合いのスッチー(スチュワーデス)に合って言葉を交わす一時は楽しかった。羽田に4年、千歳に4年いたがこの時が若さ輝く時代だったように思う



リストマーク ボイラーとコンピューターの時代

昭和54年〜63年
東海熱学研究所に在籍 小型蒸気ボイラー据付、整備を担当。研究所とはいっても中身は販売と整備、それと工場内蒸気システムの設計・施工会社である。当時、専務だった斉藤氏はシステム設計においては研究者といってもいい程の知識の持ち主で、ドイツ製の蒸気制御部品を使ったシステムを工場主に提案し、正に会社を研究所ならしめた人物で、現在は電動車いすを、各個人のニーズに合わせて改造する会社(さいとう工房)を国内で最初に立ち上げ、「人に役立つ研究と実践」を己の使命として活躍の日々を送っている

話は変わるが、私はコンピューターが大好きでNECが個人用パソコンとして国内で初めて売り出した[PC−8001]を購入、ボイラーのメンテナンスに使えないかとプログラム作成をしながらのめり込んでいった。それが次ぎの仕事、IBMのパソコンを販売する会社に入るのに役だった。そこでSE(システムエンジニア)としてパソコンによる小規模システム開発に携わり、それがウインドウズ全盛時代へと続き、現在の「I T 時代」に、「とし」不相応について行くことができるのは幸せの極みである。



リストマーク 技術職から営業職への時代

昭和63年〜現在に至る
東京海上火災の代理店研修生として人生の方向転換をします。機械が相手だった話べた人間が、舵を大きく曲げて、人を相手に、保険という形の無いものを売る仕事を選んだのですから。
幸い、バブルの泡がまだ残っていた時代で、チラシをまいたり、飛び込み訪問などの新規開拓でも何とかお客様を見つけ出すことができ、現在に至っています。トピックスとしては昭和64年1月、昭和天皇が崩御され「平成」と改元されたこと、そして、その平成元年5月突然のお見合いで同郷の妻と結婚、まだ駆け出しの営業マンだった事を思うとよく踏み切れたと思います。
それから15年、保険が自由化されその変化の速さと激しさといったら超スピードの台風のようです。コンピューターと効率化、充足感の中でのシェアー争いと、生き残りゲームは保険会社も代理店も同じである。要はお客様のニーズを如何に満足させることができるかどうかで、選ばれるか、そして生き残れるかが決まるのである

皆様のご希望に応えられるか、どうぞセミナーにお越し戴いてご確認ください