Hisayo's Way of Thinking
ふと思ったこと、涌きあがった感情を書き留めてみようかな、というわけです。
No.3 ボン。の日記より
>4.1(Sun)
>[ ココロノモヤモヤ ]
>今すごく苛ついてる。
>最初はある人に対してだったんだけど、だんだんその対象が自分になってきている気がする。
>「これでいいの?」って心の中で自問自答してる。
>「良いわけないじゃん。」って私は言ってるんだけど、「どうしようもないじゃん。」って逃げてる自分もいる。
>正直、今どうしたらいいのか分からない。
>私はどうしたらいいのだろう。
>とにかくあの人が大嫌いで、全てのことに拒否反応が出てしまう。
>機嫌が悪かったと思えば、人が変わったように優しくなったり、
>機嫌がいいと思ったら、急に不機嫌になったり。
>あの人が分からない。分からないから信用できない。
>私は間違っているのだろうか?
>確かに、私にもいっぱい悪いところはある。でも・・・。
>なんか、こういう風に誰かを嫌っている人ってすごく不幸だと思う。
>嫌いな人がいるだけで、人生の愉しみの半分を潰してしまっている気がする。
>このままじゃ駄目だよなぁ・・・。
これは私のページの常連さんのボンが書いた4/1の日記である。
これを読んで作文欲にかられてしまったので本人了解の下に転載した。
私はこの日記にかなり深く共感した。特にこの二つの箇所、
>あの人が分からない。分からないから信用できない。
>嫌いな人がいるだけで、人生の愉しみの半分を潰してしまっている気がする。
後者の方は私が日々感じていることで、同じことを感じている人がいてくれてほっとしている。
だから私は、自分に嫌いな人がいる状況が嫌で嫌でたまらないのである。
その辺の詳細はNo.2に書いたので呼んでもらえると嬉しい限り。
そして前者の方は、これは誰しも考えていることじゃないかな、と私は思う。
ただ口先だけで「俺を信じろ」「私を信じて」と言われてもそうそう信じれるものではない。
自分と向かい合う相手に、「この人は信じられる」と考えさせるに値する何かが必要だ。
それは一言で言うなら「誠意」を見せるということなのだろう。
自分のことを信じてほしい相手にどれだけ「誠意」を見せられるか、そこにすべてがかかっている。
それでは、その「誠意」とは具体的にどんなものなのだろう。
「なら誠意を見せろ!」と、彼女が彼氏に言う、取引先の社長が営業社員に言う。
「誠意」とは、一対一で交換し合うものだということが、上のシチュレーションでわかる。
だから、こうすれば信用が得られるという「絶対的な誠意」はないといえる。
人が一人一人違う限り、人が他人を「信ずるに値する」と判断する尺度もまちまちだからだ。
人に信じられるにはまず「その人にどうしたら信じてもらえるか」、真剣に考えなければならない。
そこで自分を振り返ってみよう。果たして自分は人を信じるためにどれだけ努力しているだろうか。
その人の誠意を汲み取ろうと、その人のことをどれだけ目を凝らして見ているだろうか。
果たして自分は、人にどれだけ、「その人に信じてもらえる」誠意を見せているだろうか。
もし自分に、その人の誠意をある限り汲み取る努力をしようという気が起こらないのなら、
その人は自分にとって、尽力してまでも信ずるには値しない人なのだ。
もし自分に、「その人に見合った」誠意を見せようとする気が起こらないのなら、
その人は自分にとって、尽力してまでも信じてもらうには値しない人なのだ。
そんな人と知り合いでいても何の益もないので関係を絶ってしまおう。
そして最後に。人に「自分を信じて」などというのはやめよう。無駄だ。
そんな言葉を導き出すような関係なら、そんな一片の言葉で信用なんて得られないから。
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