・男性が化粧をするようになった理由〜男性が女性に媚びる時代〜
最近は男性も美顔願望が強くなっているようで、男性が化粧をするのもさほど珍しいことではなくなってきている。それはなぜか、どういった理由から男性が化粧するようになってきたのか。
年配の方々はこうした男性が化粧をするような風潮を見てマユをひそめるであろうが、これは動物にとってはごく自然で本能的な求愛行動と言っていいだろう。人間以外の動物を見ると、ライオンのたて髪、孔雀の羽根など、オスが飾り立ててメスに求愛行動をするのは決して珍しくはないのである。
動物の場合、メスがオスに期待するのは、ただ単に子種を探すことだけで、「配偶行動」のあとでオスがメスに与えるものはほとんどない。そのため、オスのほうが積極的に求愛行動をしなければならないわけである。
もちろん人間にもそういった面は存在する。人間の場合、性別(ジェンダー)による役割分業がある社会では、女性の個体を維持したり、あるいは種族維持のために子供を育てなくてはならないので、男性が経済的な保証をするのである。古代社会では武力的な保証をしていたが、そうしないと、人間のメスは効率的に子づくりをすることができないからである。そうなると、メス(女性)のほうは必死になってオス(男性)を誘惑しなければならない。それが、女性が美しく着飾ったり、一生懸命に化粧したりする根本的な理由である。
また、男性の化粧における日本の場合、男性が化粧をしなくなってから実はそれほど長く経っているわけではない。もちろん、男性の化粧は「配偶行動」を促すためのものではないが、平安時代の男性は皆、お白粉やお歯黒をつけたりなど、化粧をしていたのであった。『源平盛衰記』の中に、一ノ谷の戦いで源氏の武者・熊谷次郎直実は、敗走しようとする平敦盛に、「おまえは敵か味方か」と問いただす場面がある。敦盛が「味方だ」と答えて逃げようとするところを、「源氏にお歯黒をつけている者がおるか」と一喝するのである。
平安時代の男性の服装は、とにかくケバケバしいものであった。これは平安時代の婚姻が、宮廷というものの存在をバックにした妻問い婚(夫が妻の閨房を尋ねて行くという様式)であったため、男性のほうから女性にアピールしなければならなかったからである。恋の歌を詠んだりするのもそうした一環であろう。平安時代の男性の求愛行動は優雅ではあったが、とにかく非常に手のかかるものであったのだ。
戦国時代に入るまでの日本の男性の装いは、非常に重要な役割を果たしていた。武士の正装は、自分が強い男性であり、能力があるということをアピールし続けるためのものであった。また、敵に対する威嚇という意味もあったし、さらに、自分を召し抱えてくれる有力な主君を見つけるためのPRでもあったのだ。当然、求愛行動においても自分をアピールする武器であった。
ところが戦国時代以降、封建制度が確立するにしたがい、女性はまるで物品のように扱われるようになり、結婚についても女性の選択権は全くなくなった。そうなると、男性は派手に装う必要がなくなり、化粧などはしなくなったのであった。
さらに、近代の欧米、日本では明治以後、男性は背広というはなはだ目立たない服装をするようになり、自分を脱性化してきた。これは、ビジネスやマネジメントの世界では脱性化された服のほうが良いとされるからである。それによって、公的な自分と私的な自分を区別することもできるようになった。そうしたこともあって、男性は全く化粧をしなくなっていったのである。また日本の場合、お見合い結婚という制度が存在していたこともそうした背景の一つとして考えられる。お見合い結婚は、たしかに見た目の印象も大切ではあるが、それよりも社会的ステータスや学歴のほうが重視される。であるからして、化粧などをしているのは男らしくないということになり、男性は全く化粧をしなくなっていったのである。
ところが現代の日本は、女性もそれなりの社会的ステータスを自力で獲得することができるようになってきた。そうなれば男女は平等であるから、女性が化粧をするように男性も化粧するのは不思議ではない。また、かつてのように、男性の筋肉の力が女性から期待されることもほとんどなくなった。もちろんゼロになることはないだろうが、筋肉の力がさほどサバイバルのために役立つことはないわけだ。髭を生やしているとか、すれ違ったときになんとなく男くさい匂いがする、あるいは肩幅がガッシリして頼もしい感じがする、ジャンパーにGパン姿といった男くささが女性にとって魅力だった時代は明らかに変わってきている。これらはいずれも、自分には筋肉的な力がある、だからあなたを養うことができるぞ、というのをPRする手段でもあったわけだが、女性は今ではべつに養ってもらう必要はないわよ、ということになっている。さらには、今ではジャンパーにGパンなどはダサいとされ、また、男くさい男性は世の女性に嫌われる時代である。フェミニンという言葉が男性に適用されようとしている時代なのである。
つまり、女性の社会進出がすすむ現代では、かつてのように女性が男性に保護され、養ってもらう必要性が低下したからこそ、女性のほうとしてもサバイバルのために男性的特徴を強く備えている男性を求める理由が希薄になるのである。
これは女性の内部に存在する「アニムス(スイスの精神科医C・G・ユングの言うところの、女性に心の中にある男性のイメージ)」が強化されてきているので、そのために、女性としてもそれを外部の異性に投影して求める必要がなくなったと言い換えてもいいかもしれない。
動物はすべて、男性も女性も自分が楽になることを第一に求めているわけである。かつては、自分を養ってくれる男のところに行って家事を一生懸命やることが楽な生き方であった。しかし現代は、どうせ自分も働くのだから、家事や育児を分担してくれる男性と一緒に暮らしたほうが楽というわけである。
そして、家事や育児を分担してくれる男性というのは「優しい男」であり、その「優しい男」を女性が求めるということは、女性が男性の中に、やや女性的な特徴を求めるようになったということでもある。優しい男性に女性の人気が集まるようになったのはそのためである。
その結果男性は、自分は優しい男であり女性的な特徴もあるのだ、ということを示すために、「優しい男性」の元となっている女性的な特徴が、外見で相手に分かるように化粧をするようになったのである。
もちろん化粧をする男性、あるいは化粧という概念をもっと幅広く捉え、ファッションに気を使う男性、着飾る男性は、みずからの行動をファッションの一環であるというだろうが、今まで述べてきたことはそれに通じる深層心理の話なのであり、基本的なところは何ら変わりないのである。しかし、古代も現代も男性においてはファッションというのは自らの遺伝子を残す為に必要不可欠な行動であり、私はそれを否定しない。ただ、現代日本においては古代日本とは男性のファッションの概念が少々異なってきており、現代ではそれが女性に媚びるということに繋がっている、と私は認識しているのである。果たして男性はそれで本当にいいのだろうか?
私は女性に媚びない、女性を媚びさせる男性になりたいと思っているが、それは妄想でしかないのか。確かに身なりには気をつけているし、清潔を心がけている。しかしその時点でもう女性に媚びているのだろう。何だか空しさを覚えずにはいられない。