tagosakuの学校


tagosakuが出た学校をご紹介です。


3?5歳 大和保育園(だいわほいくえん)
石川県小松市大和町
 母も卒園生という、小松市内では由緒正しい(?)保育園。善燐館とも呼ばれる。tagosakuは、ばらぐみ、ふじぐみ、あかぐみだったと記憶しているが…。当時としては珍しく、保育園でありながら鉄筋コンクリート3階建ての建物だったが、老朽化したためか、昨年通りかかったときにはぴかぴかの新しい園舎に立て替えられていた。
 年中組のときだと思うが、「階段を何段飛び降りることができるか」競争をし、5段跳びに失敗、激しく額を床(コンクリート)にぶつけて大きなたんこぶを作った。
6?11歳 小松市立芦城小学校(ろじょうしょうがっこう)
石川県小松市西町
 母も卒業生という、小松市内のみならず、石川県下でも1・2を争うほどの歴史ある小学校。ホームページによれば、江戸時代の寛政6年、前身となる集義堂(しゅうぎどう)以来、今年で創立208年になる。
 この小学校、当時すでに校内放送にVTRを使用しており、tagosakuは放送委員にあこがれ、晴れて放送委員になるも、背が低かったためアナウンサーから除外され、一番やりたかったカメラマンも前任者が継続していたため、涙を呑んで音声(調整)となった。
12?14歳 小松市立芦城中学校(ろじょうちゅうがっこう)
石川県小松市芦田町
 しつこいが、母も卒業生。tagosakuの在学当時、一学年に9クラスもあって、すし詰め状態だった。卒業と同時に学校を分割し、一度なくなっていた安宅中学校を復活させるほどだったが、少子化の波に飲まれ、今は5クラスずつに減ったようだ。最近校舎の建替えが完成し、在学当時の面影がなくなってしまった。
 中学の部活ではじめた軟式テニス(最近はソフトテニスという)を、数年前から復活、デブ化の進行を抑制している(つもりなんやけど、目に見える効果が無いらしい…)。
15?17歳 石川県立小松工業高等学校(こまつこうぎょうこうとうがっこう)
石川県小松市打越町
 現在の学科は当時とずいぶん変わってしまったが、私は電気科で、他に機械科、建築科、土木科、工業化学科、繊維科のクラスがあった。2000年の夏の甲子園大会に小松工業(2回目)が出場、よく頑張ったが惜しくも初戦で敗退した。高校時代は良かった、充実してた。部活は相変わらず軟式テニスだったが、コートは学校の敷地の一番西側で田んぼのど真ん中、夏場の農薬散布には悩まされた(死ぬほど濃い農薬が、コート全体に襲い掛かるのだ)。
27歳 東京大学工学部
東京都文京区本郷
 この当時、私の勤めている会社から東京大学工学部電気工学科へ委託研究生を送り込んでいたのだが、(間違って?)1年間行くことになり、羽鳥研究室(当時)にお世話になった。本当はディジタル無線のことを研究に行けと言われていたが、覚えたのはUNIX、インターネット、LANであった。結局、無線は性に合わなかったということか…