西洋史 (1999年6月28日)

聖書で思い出したわけではなく、急に西洋史について何か読みたくなって、「西洋史」というキーワード でホームページを検索すると、Infoseekでは1,000件以上あった。
わが母校の西洋史研究室もあって、少し懐かしい思いがした。
そういうわけで、今日のテーマは西洋史。

もともと私は新聞記者になりたくて文学部に入った(新聞記者になりたくて文学部に入るというのは、 かなり安直な発想だった、と後になってから思ったが)。
しかし、入ってから何を専攻するかで相当迷った。
シェイクスピアの講義を聞いて英文学をやりたい、と思ったり、漱石の講義を聞いて国文学をやりたい、 と思ったりした。
もともと気まぐれで気が変わりやすいのだが、本人にとっては正直なところ、なかなか大変だった。
しかし、最終的に西洋史にした。
なぜかと言うと、ひとつは、キリスト教が背景となった西洋の歴史を詳しく知ってみたかった、ということと、 もうひとつは、英語の勉強にもなるだろう、と思ったからだ。
さらに言えば、キリスト教については、このころまたかなり詳しく知るようになっていたからであり、 英語については、いろいろなキッカケで相当入れ込んで勉強していたからだった。

さて、西洋史はひとつの学問であるので、「史料」(歴史研究で価値のある資料)をもとにかなり分析的 な研究が主体となっている。専門化も相当進んでいる。
わたしは、そういう分析的な「西洋史学」にはあまり興味がなかった。
「歴史」そのものに興味があり、「現代」を理解して「未来」の方向性を知るためにこそ研究するのだ、 と思っていた。
いろいろな講義はそれぞれ興味の湧くものが多かったが、唯物史観に立脚した講義などは、なぜか「恨み」 が前面に出ているようで、聞いていて何となく苦しかった。

特に面白かったのは、「クリスチャンの中世社会史」のような講義で、聖人と呼ばれた人たちが処刑された 後、その遺体はほとんどなくなってしまう、という話だ。
どうしてなくなってしまうかというと、処刑場で見ていたクリスチャンたちが、バラバラにして持って行って しまったからだ。もちろん、体だけでなく、聖人の持ち物などもだが、これらは「聖遺物」と呼ばれた。
なんだかオゾマシイ話だが、これも歴史的な事実のようで、当時の信仰がどのようなものであったかを示している。
このことだけを見ても、今のキリスト教のイメージだけでは理解しがたい「西洋」の歴史がある。
それは、特にヨーロッパに限定しても、そこは多くの民族が大移動してきて定着してきたのであり、 それぞれの民族が持っていた風俗・習慣などの土台の上にキリスト教が受け入れられ、融合されたから である。
さらに、キリスト教もカトリックとプロテスタントではかなり違うし、中世の信仰観と現代の信仰観は、 それこそ天地の差がある、と言っても過言ではない。
もう少し言えば、昔は「中世暗黒時代」などと呼ばれたが、ひとびとの生活自体は、ちっとも暗黒では なかったようだ。もちろん、現代からすれば知識という面ひとつ取っても「暗黒」だったと言えるのかも しれないが。

西洋史を専攻して最もよかったのは、このような、「世の中単純には理解できないよ」という観点を持てた ことかもしれない。
その後のわたしの世界観や人間観にも、少なからぬ影響を与えたように思う。
そういうわけで、最近、塩野七生さんの本(「ローマ人の物語」など)や、「本当は恐ろしいグリム童話」 (だっけ?)のような、「西洋」というものの理解を助ける本が読まれていることは、実に喜ばしいこと である。

聖書1 (1999年6月22日)

聖書について書こう。
題名を「聖書1」としたのは、今後もさらに書いていくつもりで、たまれば別のコーナーを設けるつもり だからだが、ほんとに書けるかどうかわかったものではない。
要はそのときの気分次第だ。だからあまり過剰な期待はしないでほしい。(誰も期待なんか、してまへん!)

聖書というと「キリスト教の教典」というイメージが強すぎてとっつきにくい、という人もいるかもしれない。
そういうことを気にせず、単に教養のために読む人もいれば、ユダヤに特に関心があって読む、という人も中にはいるだろう。
また、西洋史や西洋文学などを勉強している人が読む、というケースは多いようだ。
というのは、西洋では、やはり聖書の影響が大きく、ことわざや慣習などにも聖書から来ているものが多いので、 聖書を読まないとそれらが理解できないからだ。

そういうわけで(どういうわけか、ようわからん)、今回は、わたし自身の聖書との関わりについて書く。

わたしは、自分から聖書を読もう、と思ったのではなく、天から降ってきた、といった方が早い。
国際ギデオン協会という、聖書を病院やホテルなどに無償で配布している組織があるが、高校(公立)の時に全校生徒が集められて、
その協会の人から、和英対照の新約聖書をいただいたのだ。
いつだったか、ある人にこういう話をしたら、「公立の高校でよくそんなことしましたね」、と言われた。
そう言えばそうか、と思ったものだ。
近くの高校ではどうだったのかしらないが、もし私の母校だけだったのなら、まともな先生が多かったのかもしれない(?)。

その聖書をもらってどうしたかと言うと、実は貪るように読んだ。
細かいことは省略するが、当時、わたしは「愛」について悩んでいた。
思春期であれば、誰もが経験することだろう。
それで、イエスの言葉が、砂地に水が入るがごとく、入ってきて、涙さえ流した。
どういう言葉に感動したのか、覚えてはいないが、たぶん、次の言葉も読んだに違いない。

だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。

その後、しかし、わたしは聖書のことなど忘れ、宗教自体を疑うようになった。
実家の天理教とは、ある事情ですでに距離を置いていたのだが、今度は宗教全体に対して疑うようになったのだ。
それは、どうして神はこの世を一挙に救えないのか、という疑問にぶつかったからだった。
全知全能と言われる神であれば、どうして一遍に救えないのだろう。

これは、しかし、あまりにも大きなテーマで、簡単には解かれそうになかった。
こうして、わたしは、キリスト教に興味を持ちながらも、キリスト教に入信することもなく、聖書に対する興味も薄れていったのだ。

つづく

(めでたい。これで続編が書ける、いや、書かなくちゃ?)


ルーツ (1999年5月11日)

ルーツという言葉は、今ではすっかり定着してしまったが、
「ルーツ」というアメリカのドラマが発端になったことを知っている人は、 もう少なくなったかもしれない。

それはともかく、最近、自分のルーツを探ろう、と思うようになった。
わたしのルーツは、情けないことに、三代前、つまり「ひいおじいさん」までしか、 名前が分かっていない。日本では、それが普通かもしれないが。
先祖は平家の落人だった、という話を聞いたことがある。これも、日本人の半分はそうかもしれない。
以前、両親のことを少し書いたが、今日はおじいさんのことを書こう。

祖父のことを語るには、天理教という宗教のことに触れる必要がある。
なぜかと言うと、わたしの実家は天理教の教会であり、祖父が初代だからだ。
天理教は、創価学会などと一緒に「新興宗教」と呼ばれる。
教祖は江戸時代末期に生まれた女性で、密教の加持祈祷を受けている最中に所謂「神がかり」となったところから 出発した、一種の啓示宗教である。

驚くべきことに、実家の教会の歴史が本になっている。
それは、実家の教会の上級教会の会長さんが書かれたものだ。
我が家系で最初に天理教に接したのは曾祖母、つまり「ひいおばあさん」である。
祖父は、もともと黒住教という別の新興宗教を信仰していたそうだが、 天理教の話を聞いて、納得するところがあったらしく、母親と弟とともに入信した。
曾祖母と祖父たちは、その後布教活動をし、最終的に教会を設立する。
祖父は、流感などで妻や次女を亡くしている。
その後は曾祖母が子育てをしながら、祖父たちが中心になって布教活動をするのだ。

その過程で、祖父は教会本部に行っている。
本部は、現在の奈良県天理市にある。
宗教の名前が付いた市というのは珍しい。いわば門前町のようなものだ。
上の教会史の本には、天理までどうやって行ったか書かれていない。
明治の終わりだから、汽車が通っていたかどうかわからない。船を使ったのは間違いないだろうが。
いずれにしても、今と比較すれば相当苦労して行ったに違いない。
今のわれわれの感覚で言えば、船で南米まで行くようなものかもしれない。
考えてみれば、やはりすごいことだ。
もとより金などほとんどない。末端の教会というのは今でも裕福ではないが、土台、金が目的ではないのだ。

そのようなわけで、わたしは生まれた時から神を信じている。
「神がかり」から始まった宗教を信じる家に生まれたのだから、わたしも神によって生まれたに違いない。
それがわたしの原点であり、ルーツなのだ。
自分は何ものなのか、それを神抜きでは考えることはできないのである。

さだまさし応援歌 (1999年5月10日)

お待たせしました。(誰も待っとらん!!)
さだまさし応援歌、ということで、新しいコーナーを始めます。
わたしの大好きな、「さだまさし」さんの歌詞をヒントに、エッセイを書く、
という作業を重ねていこうと思ってます。
さださんのHPにもリンクしていただく予定です。
請う、ご期待!!(誰も期待しとらん、て)

両親のこと (1999年4月25日)

わたしの田舎は、下のエッセイにもあるように、四国の愛媛県。
瀬戸内海に面していて、とても気候の穏やかなところで、台風もめったに 通らない。
雪は年に一度くらいかな。わたしの子どもの頃は、それでも、30cmくら い積もったりして、そのときは、休校になったりした。それが楽しみで楽し みで・・・

幼稚園は、何を血迷ったか、中退して(^_^)、近くのチビども(自分もチビ だけど)を集めて、ガキ大将ぶってた。
小学校に上がったら上がったで、何がどうしたものか、登校拒否。
おふくろが追いかけて来るのを、どこぞの麦畑の中に潜んで、息をこらした り、かと思えば、やっぱり、近くのチビども相手に、例えば、運動会の翌日 の休みの日に、近くの溜め池に魚を釣りに行って、チビがひとり池に落っこ ちてしまって、大慌てで助け上げたり。
その時は途中から雨も降り出して、ズブ濡れになって帰ったっけ。
そしたら、助けた子のお母さんが、ノートか何か持ってきて、お礼を言いに やってきた。
オヤジやおふくろに何も言わない子どもだったから、奥でその 様子を伺っているだけだった。バツが悪いのと、ちょっぴり嬉しいのと。
「となりのトトロ」で、カンタがさつきたちに傘を貸して、あとでさつきた ちがお礼に来るけど、あのときのカンタの気持ち、ちょっと違うけど、よく わかる。
大体、両親には何も話さず、遊びに行く時も黙っていく。どこへ行くとも、 何時頃帰るとも、言わない。
高校の時は、さらにひどくて、黙って友達のうちに泊まったことも何度か あった。
おふくろは、ただ笑って、どこへ行ってたの、と聞くだけ。ちょっとね、 という答えに、あとは何も言わない。

まあ、そんなこんなで、両親には心配ばかりかけてた。ホント、親不孝だった。
小学校3年だったか、月曜日から金曜日まで連続で休んだことがあった。 モチロン仮病だ。
その時、おふくろが泣き出してしまって、その後ろ姿を見ながらさすがに 申し訳ない気持ちが込み上げてきた。
オヤジにも何もしてやれなかった。かあいそうな父親だった。
その父親も、去年死んでしまった。
もっと大事にすればよかった。そういう後悔の思いばかりが、心の中をめぐっていた。
もっとしっかりしなきゃ。オヤジに顔向けできないような生き方をしちゃダメだ。
そう思った。

おふくろも、一昨年から何度か入院した。去年からペース・メーカーを入れてる。
ほんとに大事にしなくちゃ。
つくづくと、そう、思うよ。

約束 (1999年4月12日)

わたしが「約束」と聞いて思い出すのは、すれ違い、のことばかりです。
約束をしたのはいいけれど、すれ違ってばかりでなかなか会えない、そんな タノシイ経験がよみがえってきます。
特に印象に残っているお話をふたつ紹介します。
まずは、婚約したばかりの女性(つまりは現在の奥さん)と初めて田舎に 帰ったときのことです。
当時横浜に住んでいたわたしの田舎は、四国の愛媛ですが、冬休みを利用 して高松の友人のところに滞在し、東京から来る彼女を岡山まで出迎え、そ こから一緒に愛媛まで行く、ということになっていました。
それ以前にも彼女とは、約束の場所で会えなかったことが何度かあり、そ のときはかなり入念に打ち合わせたつもりでした。
しかし、2度あることは3度ある、で、このときもやはり、約束した場所 で会うことはできなかったのです。
岡山駅の新幹線改札口で待ち合わせたのですが、約束の時間を20分も過 ぎたでしょうか、待ちくたびれたわたしは、時間もなかったこともあって、 とうとう駅員さんに頼んで彼女を呼び出してもらうことにしたのです。
待つこと数分、彼女は恥ずかしそうに笑いながらやってきました。聞いて みると、まるで反対側の改札口で待っていたようなのです。
その後も彼女とはすれ違いばかり。今まで一緒にいられたのが不思議なく らいです。

もうひとつは、わたしが学生のころ、友人と待ち合わせた時のお話。
友人の大学は、大阪は池田というところにありました。
阪急電車の池田駅前のバス停で待つこと3時間。待てど暮らせど来ません。
今から考えると、よく3時間も待ったものです。やはり学生って、ほんとに 暇なんでしょうね。
それはさておき、さすがに待ち疲れた私は、もしやと思い、友人の大学ま で歩いていきました。
すると、いたいた、いました。大学の入り口のところで、同じように待ち くたびれた顔をしている友人が。
どうやらこのときは、わたしが思い違いをしていたようです。
そのためか、この友人とすれ違いがあったのは、おそらくこのときだけで した。

その後も何人かとの出会いで、すれ違ったことが幾度かありました。
ほんとうに、待ち合わせの約束って、むずかしいものですね。

東京物語(1999年4月8日)

この間、久しぶりに上野と浅草に行ってきました。
ちょうど桜が満開で、上野公園は人でいっぱいです。
また、不忍池では縁日のようで、出店がたくさん並んでいました。
アツアツのたこ焼きを食べていると、どこかのオジサンがやってきて、連れの 友達のカメラを見ながら、何かブツブツ言っています。
なんや、このオッサン、と思って聞いてたら、どうやら、誰か知り合いの 持っているカメラと同じだ、ということのようです。アブナイおじさん。
それにしても、たこが大きくて嬉しかった。(^_^)
浅草寺も人でいっぱいです。
御籤をひくと、ふたりとも吉でした。ラッキー!!
ところで、御籤って、「みくじ」ですよね。「くじ」に「御」がついてるわけ です。「おみくじ」というと、「御神籤」か。どう違うんだろう。 たぶん、おんなじだろうな。
友達は、焼き餅を買って食べました。
わたしも食べたかったけれど、お腹がいっぱいで、諦めて、ヨダレを流しながら 見てました。
ずいぶん歩いたので、とても疲れたけれど、下町ってやっぱりいいよなあ。







This page hosted by GeoCities Get your own Free Home Page