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流星群 (1999年11月19日)
昨年に続き、しし座流星群が夜空を彩った。
日本では18日未明は殆ど曇りぞらで、観測されたのもわずかだった。
19日未明に、1時間に500個くらい観測されたそうだ。
それに対して、18日のヨーロッパでは、昨年以上。
1時間に5000個だったという。
一度は「流星群」と呼べるものをこの目で見てみたい。
しし座流星群がよく見えるのは、33年周期というから、わたしにとっては
次の機会が最後だろう。
星はとてもきれいだ。
星空を見ていると、想像力をかきたてられる。
昔はそこから神話が生まれ、また、多くの小説も書かれた。
なぜ宇宙はかくも不思議な力を持つのか。
この宇宙が誕生せずに地球の存在はなく、また、わたしも生まれ得なかった。
宇宙の創造主に対して、ただただ感謝するばかりだ。
今も汚れなく、星は煌いている。
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塩原 (1999年10月13日)
那須の塩原に家族で行ってきました。
その日は割といい天気で、涼しげな一日でした。
うちは高速のICから遠く、連休初日ということもあって、宇都宮ICまで
2時間もかかりました。高速を走ったのは40分くらいで、大体、3時間で
着きました。
行ったのは、千本松牧場というところで、西那須野・塩原ICの近くです。
こちらも駐車場はいっぱいでしたが、レストランはそれほど混んではおらず、
ハンバーグや山菜サラダなど、セルフ・サービス形式でしたが、とても
おいしかったです。
ほかに、ジンギスカン料理のレストランもありましたね。
ここは、牧場ですから、牛や馬は当然いますが、ウサギや羊なども少しいて、
触れることもできます。
子供たちは、ウサギに触ろうと一生懸命でした。みんな、恐がりな方ですが、
それでもやっぱり触りたいんですね。
あと、気球に乗ったり、サイクリング・コースなんかもあります。
わたしは乗りませんでしたが、みんなは自転車に乗りました。
あと、食べるものでは、やはり乳製品が多く、チーズやチーズケーキ、ソフト
クリームも一味違いますよ。
みんながサイクリングしている間、原っぱでベンチに座ったり、草の上に座ったりしながら、千本以上は
あるだろう松を眺めたり、気球が上がったり下がったりするのを見たりして
いました。
秋は、人恋しくなるものです。
そうやって、ノンビリ座っていると、いろんな人のことを思い出したりなんか
するものです。
けれど、また、家族への思いも、こういうときにこそ深まるものですね。
子供たちは、こんなところでも、乗り物に乗ったりしたがるものだし、とにかく、
いろんなことに好奇心旺盛で、運動量もすごくあり、とても付いて行けません。(^^)
そういう子供たちを見ながら、家族の大切さを、しみじみと思うのでした。
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信州 (1999年9月28日)
先日、久しぶりに信州に行ってきました。
軽井沢に仕事で行ったのですが、(・・・(^^)その前に、白樺湖まで足を伸ばしました。
関越から上信越自動車道に入り、横川SAで休憩し、そこを出るとすぐに橋があります。
ベイ・ブリッジとまではいきませんが、似たような作りの橋です。
そこから2つほどトンネルがあって、2つめのトンネルを過ぎると、すぐに碓氷・軽井沢ICです。
ちょっと気を抜いていると、出口を見過ごしてしまうくらいです。
ほんとうは、その日は軽井沢を散策する予定だったのですが、途中で気が変わって、小諸とか
野辺山の方面(清里の方面、と行ったほうが、わかりやすいでしょうが)に行くことにしました。
野辺山には、学生の時に高原野菜農家にバイトで行ったきりでした。
野辺山には、JRの最高地点、というのがあります。(わたしが行った時は、まだ「国鉄」だったかな・・・)
また、東大宇宙観測所の巨大アンテナがありますが、わたしが行った時に、ちょうど建設を始めてました。
それで懐かしくて、行ってみよう、と思ったのです。
ただ、ICを降りてみると、「白樺湖」の文字が見えたので、また迷いました。
白樺湖は、高校の修学旅行で行ったのが初めてで、朝霧の中に浮かぶ湖がとても深く印象に残っています。
その後、もう一度行ったような気がするのですが、なぜだかはっきり覚えてないのです。
小諸で、例の島崎藤村ゆかりの「懐古園」に寄ってから、野辺山方面に向かったのですが、
途中で、白樺湖方面の看板があって、やっぱり白樺湖に行こう、と、そちらに車を走らせました。
湖に近づくと、白樺林が続きます。また、道端には、コスモスがずっと咲いていて、それだけで
ウキウキするのです。
久しぶりの白樺湖は、やはりとてもすばらしかった。
レストランの窓から、じっと湖を眺めていました。
でも、ひとりじゃやっぱりつまらないですねえ。
軽井沢は、塩壷温泉という、聞きなれないところに行きました。
中軽井沢から「鬼押し出し」に向かう途中にあります。
そこから少し上がったところに、「千ケ滝」という滝があります。
三十分くらい山道を歩くのですが、運動不足の身には結構キツイものがありました。
けれど、それだけ歩く価値はあります。
豪快に水しぶきを上げて落ちる滝は、今まで見た中でもトップクラスです。
(同じ高校の修学旅行で、華厳の滝にも行ったのですが、そのころ水不足で、
水が落ちてなかったのです。(^_^;)
水が落ちるあたりに、大きな岩がいくつもあるのですが、その上には、苔だけでなく、
雑草がいっぱい生えています。
その岩の間を、水は自在にすり抜けていきます。
水はほんとうに自由です。そして、また、入れる器の形にしたがって、形を変えるように、
融通性が高いのです。
時間の経つのも忘れてその滝を見上げながら、
「水のごとく生きよ」
そう、教えられたような気がします。
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夢物語 (1999年8月20日)
新しい小説「霧の城」を少し書きました。
実は、これは夢で見たことを書いたものです。宴会で金粉が降ったことと、大雨で窓の下まで水が迫った
ことは、同じ日の夢で見たものです。
今回、神奈川で大雨による犠牲者が出ましたが、その暗示だったのかもしれない、と思ったりもしました。
夢で見たことからヒントを得て小説などを書く人は結構いるようです。
内田康夫という作家もそうだと聞いたことがあります。
夢はどうして見るのか、いろんな説があるようですが、霊界のことを見ているのだ、という説もあります。
金粉が降る、というのは霊的な現象だとも言われています。
もうひとつ同じ日に見た場面があるので、続きを書こうと思えばかけるのですが、保証の限りではありません。(^^)
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愛について 再び (1999年7月23日)
愛について久しぶりに書こう。
愛する人を傷つけることがある。
自分で意識しないうちに、ちょっとした言葉で傷つけていることもあれば、傷つけたかな、と自分でも
思いはするが、相手は想像以上にはるかに傷ついている、ということもあるだろう。
言葉は、相手を喜ばせもするし、傷つけもする。
もちろん言葉自体に罪はない。
それを使う自分が問題なのだ。
そして、ほとんどが、思いやりのなさから人を傷つけてしまう。
夫婦であれば、新婚の時であろうと、10年経とうと、それなりの愛があり、絆がある。
子どもがいて、育児に手をとられて、夫に時間をかけられなくなる場合もあるだろう。
また、仕事が忙しく、妻に不満を与えてしまう場合もあるだろう。
それでも、夫婦は夫婦であり、それ以外のなにものでもない。
ただ、他人からとやかく言われる筋合いがないだけに、本当にふたりだけで解決していかなければ
ならないことが多い。
ほかの人に相談することもできないような悩みを抱える場合もある。
その際に、解決の糸口となる「共通の何か」がなければ、非常に時間がかかるし、ふたりの気持ちが回復
する可能性も低くなってしまうように思う。
子はかすがい、と言う。子どもがいるために、夫婦として踏みとどまる人も多いだろう。
それは重要な「共通の何か」だと思う。
けれど、子ども以外にもそのようなものがあったとしたら、ふたりにとって幸いなことだと思う。
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七夕 (1999年7月7日)
七夕で思い出すのは、昔見た天の川。
最近は、星を見ることすらあまりない。
ヘール・ボップ彗星や、流星雨など、大きなイベントでもない限り、夜空を見上げることも少ない。
それほど、心にゆとりがないのだろう。
昔は、よく星を見ていた。
わたしの田舎では、天の川もよく見えた。
それで、天体望遠鏡が欲しくてたまらない時期があった。
けれど、お金がなくて結局買えなかった。
今は、彗星などを見る時は、学生の頃に大阪の地下街で買った双眼鏡を使う。
安かったが、倍率はかなりある。
2年前のこの日、ある人に神さまの話をしていた。
この宇宙は、ほんとうに神さまが作ったのだろうか。
美しい星空。
その瞬く星たちを見ながら、遠い過去と未来に思いを馳せる。
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現代詩 (1999年7月7日)
先日、斜向かいに住む方から、詩集をいただいた。
ご主人が書かれたもので、賞を受けたので、ということで記念に下さったのだ。
読むと、今まで見たことがないような形式だった。
詩集は、それほど読んでいるわけではないのだが、大体、所謂「分かち書き」がほとんどで、
わたしの詩もそれに倣っている。
けれど、その方の詩は「分かち書き」ではない。
また、最後が「である」で終わったものが多い。そういう詩は今まで見たことがない。
さらに、内容がとても暗く重いもので、けれどとても冷めた書き方で、それでいて、何とも言えない
人間愛を感じさせる。
とても強烈な、不思議な印象を与える詩だ。
講評などのコピーもいただいたのだが、こういうのを「現代詩」と言うらしい。
もっと難解なものが多いようだ。
「現代音楽」というジャンルに、難解なものが多いのと同じかもしれない。
ということは、「現代」は、難解なものなのだろうか。
そうかもしれない。
ただ、わたし自身は、そんな詩を書きたいとは思わない。