両親のこと (1999年12月9日)

先月、父の一周忌で田舎に帰ってきました。
帰省って言うのかな、普通は。(^^)
天理教は、形式(あくまで形式)が神道系なので、神道では「一年祭」と呼ぶそうです。
それで、冠婚葬祭の本なるものを読んだら、やっぱり略礼服で参加する、とあったので、
わざわざ持って行ったら、結局使いませんでした。
天理教の祭礼があるんですが、ほとんどそれだけでした。最後に、儀式がありましたけども。

終わってから、墓参りに行きました。
そのときのことです。
母と同じ車に乗りました。
そうしたら、母が何を言い出すかというと、

「今でも思い出すと涙が出てくる」

父との間で、相当いやな思いを重ねたであろう母が、しみじみとそういうのです。
わたしは、涙があふれてきそうで、抑えるのに苦労しました。
別に、抑える必要もない機会なのに。

夫婦というものは不思議なものです。
子どもにも理解できない繋がりが、やはりあるのだろう、と思いました。
もちろん、わたしだって、昔のことは、ほとんど楽しかったことしか思い浮かばない、ということは ありますけれど。

自分が亡くなったら、泣いてくれる人がいるだろうか、などと心配することもありましたが、 今は、自分の伴侶を信じ、お互いに信頼しあっていきたい、と切に思います。
そして、子供たちに深い印象を残せるような親になりたい、と。


愛について(続き) (1999年11月30日)

家族について続けて書いたので、久しぶりに「愛」について書きます。

人間は、利己的な存在です。
それは、生存欲求があるので、あたりまえといえばそうです。
ただ、人間は、同時に、他のために何かしたい、という思いがあります。
自分を犠牲にし、時には、生命さえも捧げることがあります。
人はそれを「崇高な愛」などと呼びます。
でも、誰にでもそういう生き方をしたい、という心はあるのでしょう。
それが、どれくらい多いか少ないかの違いだけで。
私なぞは、ほとんどないほうですねえ。(^^)

さらに言うと、人間には良心があります。
悪い心もありますね。
でも、「良心の呵責」というものはあるけれど、「悪心の呵責」などという言葉は 聞いたことないですよね?
いいことしたら、心が苦しくなって仕方ない、なんて人、います?
良いことをしたら、瞬間、ちょっと気恥ずかしくなることもあるけれど、必ず心が嬉しくなります。
というわけで、どんなに悪人と言われるような人でも、「良心の呵責」しかないんですねえ。

良心は、何をすれば喜ぶのでしょう。
それは、良心がよく知っています。
そして、別のところでも書いたように、自分の良心が自分を正しい方向に導いてくれ、 自分がしあわせになれる道を知っている、と考えます。
そして、そのしあわせのキーワードが、愛である、と。


Good Night Moon (1999年11月30日)

昨日、久しぶりにビデオを借りてきて観ました。見たいと思っていた映画なので。
Good Night Moon という映画です。
見たいけど、映画館に行くほどの映画ファンでもなく、もちろん金もなく。(^^)
みなさん、この映画、観ました?

私は最近は「感動のストーリー」しか見ないようになりました。
この映画もかなり感動しました。ただ、あまりに身につまされる思いがして、 少し感動が削がれるように感じたけれど。
いずれにしても、家族って本当にいい、と素直に思いました。
それが原点だろうなあ、と。

最近は、子どもの数が減ってますねえ。
住みにくい世の中ゆえのことかと思います。
子どもが大きくなって、その子どもに親が殺されたりもしますし。
でも、ほんとに家族の絆が強ければ、いろんな問題も越えられるのでしょう。
何よりも強い繋がり、それが家族だと信じます。

いろんなことがあるけれど、やっぱり私は家族が一番、だなあ。


子女教育 (1999年11月29日)

「子女教育」などと書くと、何か大それた事のようですが、実はやっぱり大変 なことですねえ。(^^)
実際、子どもを授かって育ててみると、とても難しくて、ときどきどなったり してしまいますよ。
わたしの理想は、「5才までのゆっくり子育て」という本のとおりです。これ は、平井信義という先生が実際に子育て・孫育てをした体験に基づいて書かれ たものです。
子育ての中心は、「自主性と思いやり」をいかに育んでゆくか、と説いています。

子どもは一人の人格を持っていますし、親は、結局、子どもの成長をいかに
支援して行けるか、という立場です。
でも、なかなかうまくいきません。
私は短気なので、やっぱり感情で怒ってしまう。
何度反省しても、治りませんねえ。(^^)


ライフスペース (1999年11月26日)

最近の衝撃的な出来事として、ライフスペースのミイラ事件があった。
ミイラ化した遺体を、家族が「まだ生きている」と主張し、ライフスペースが強制捜査を受けて、 食事も十分に与えられていない子供たちが保護された、という一連の事件である。
ライフスペースは、いわゆる「カルト」とされ、オウム真理教とよく比較される。
そして、ミイラを「生きている」と主張することを指して、マインド・コントロールされている、 と言われる。

マインド・コントロールというのは、ある意味で確かに存在する、と私は考えている。
「ある意味」というのは、マインド・コントロールを研究する学者たちが主張するような 体系的なものがあるのではなく、そういう心理状態が存在する、ということだ。

人は誰でも何かを信じている。
それが神であれ、「グル」であれ、尊敬する人物であれ、唯物論であれ、何かを信じて いない人はいない。
そして、信じる対象を美化し、絶対化するという傾向は誰にでもある。
信じた場合、それに頼ろうとするのも、往々にしてあることだからだ。
そして、その信じる対象がカリスマ的人間であった場合、その人の言葉を信じ、 無関係の人が聞けば、ハッタリかまやかしか、はたまた脅しとしか受け取れないようなことを、 信じないわけにはいかなくなることが多い。
その言葉を信じなかったり、そのグループを離れた場合、どうにかなる、(地獄に行く、とか) という言い方が多いからだ。

そういう心理状態になりやすい人を、批判することは簡単かもしれない。
しかし、自分がそうならないとも限らないのだ。
そして、何が本当に正しいのか、ということも、判断の難しい世の中になっているのも確かである。
けれど、静かに自分の胸に手を当て、自分の良心の声に慎重に耳を傾けた時に、必ず正しい答えが 与えられる、と私は思っている。
なぜなら、自分の良心が最も正しい選択を教えてくれ、自分を正しい方向に導いてくれ、自分が しあわせになれる道を知っている、と考えるからだ。
そして、おそらくそれは正しい、と私は思っている。


流星群 (1999年11月19日)

昨年に続き、しし座流星群が夜空を彩った。
日本では18日未明は殆ど曇りぞらで、観測されたのもわずかだった。
19日未明に、1時間に500個くらい観測されたそうだ。
それに対して、18日のヨーロッパでは、昨年以上。
1時間に5000個だったという。
一度は「流星群」と呼べるものをこの目で見てみたい。
しし座流星群がよく見えるのは、33年周期というから、わたしにとっては 次の機会が最後だろう。

星はとてもきれいだ。
星空を見ていると、想像力をかきたてられる。
昔はそこから神話が生まれ、また、多くの小説も書かれた。
なぜ宇宙はかくも不思議な力を持つのか。
この宇宙が誕生せずに地球の存在はなく、また、わたしも生まれ得なかった。
宇宙の創造主に対して、ただただ感謝するばかりだ。

今も汚れなく、星は煌いている。






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