秘密  「ゆうちゃん、どこ行くの」  昼休みになって、事務所から出ていこうとする雄介を呼びとめた。雄介は、いつもの曖昧な笑顔を見せて、  「ちょっとね」  と言って、そのまま出ていった。  僕は、食事をするために、彼の後を追うともなく追うようにして、街を歩いた。雄介は、僕たちの会社が入っているビルの隣にあるハンバーガー屋のところを曲がって、路地に入った。かなり速足で歩いている。その路地にはハンバーガー屋をはじめ、食堂やら喫茶店やらが軒を連ねている。僕たちは大抵、そのどこかに入って昼食を取るのだ。いつもは雄介と一緒なのだが、仕方がないので、一人で食べることにして、中華レストランに入ろうと思った。  雄介が郵便局に入るのが見えた。路地の外れまで行くと、大通りがあるのだが、郵便局は、その大通りに面している。  僕は、中華レストランの前で、ランチのサンプルなんかを見たりしながら、雄介を待っていたのだが、十分近く経って、雄介が郵便局から出てきて、僕のことを認めたようだ。何となくはにかむような顔を見せながら、僕のほうに歩いてくる。  「食事する?」  僕は、いつもと変わらぬ調子で話しかけた。  「うん。今日は中華?」  「うん。いい?」  「いいよ」  ふたりは、幸い奥のテーブルが空いていたので、そこに座り、そろって中華丼を注文した。毎日、入る食堂を変えるのだが、一週間で見ると、月曜日は和食、火曜日は中華、といったように、だいたい曜日で決まっている。今日は火曜日だ。  たまに、少し歩いて、市役所の食堂に入ったりもする。何しろ値段が安いのだが、ロクなものは置いていない。気分転換も兼ねて行くのだ。市役所の隣に、かなり大きな公園があって、食後にそこで休憩するのが楽しみで、秋の天気の良い日は、とくに気持ちがよい。  「郵便局に行ってたの?」  「うん。見てた?」  「うん。」  雄介は、ちょっと微笑んで、それから少し考え事をしているように見えた。  「東吾くん」  「なに」  「今度の土曜日、また遊びに行っていい?」  「うん、いいよ。ギター弾いてく?」  「いや、ギターはいい。話があるんだ」  「話?ここじゃまずい、ってことだよね」  「そう」  何の話だろう。そう思ったけれど、次の土曜日までは、聞けそうにない。  僕たちの会社は、中堅の商社だ。雑貨を扱っている。子どものおもちゃなんかもあるけれど、ほとんどは日用品だ。  雄介と僕は、四年前に入社した同期だ。その時に新卒で入社したのは、大卒では僕だけで、後は高卒だ。けれど、大卒だからって、そう優遇されるわけでもない。初任給こそ違うけれど、三年くらい経てば、後は実力主義で、高卒のハンディなどない。  雄介は、新卒ではなく、中途採用だった。ちょうど四月に入社したのだ。年齢は、雄介がひとつ上だ。  年齢がほぼ同じで、同期ということもあって、雄介と僕は仲がいい。お互いの家にしょっちゅう遊びに行っている。けれど、一緒に出かけることはなかった。  約束の土曜日が来た。  今日は、朝から雨が降っている。それほど暑くはない。もうじき梅雨が始まるのだろう。  雄介は、いつものように十時過ぎにはやってきた。僕は、これもいつものように、ポットに紅茶の葉っぱを入れ、熱い湯を注いだ。二人とも、コーヒーより紅茶が好きなのだ。学生の時に本格的な入れ方を覚えて、ずっとこうして来たので、雄介にも好評だ。  最初は、紅茶を飲みながら、共通の趣味である音楽の話なんかをしていた。紅茶を最後まで飲み干すと、雄介は、少しの間だけ黙った。  「話、っていうのはね」  僕は、いよいよ雄介の話が聞けるのだと思って、少し緊張した。どんな話かわからないが、大事なことに違いない。  「この間の、郵便局のことなんだ」  郵便局のこと、と聞いて、僕は戸惑った。  「郵便局に行ってるのはね、ある人に送金してるんだ」  「へええ。」  雄介の両親は、六年前に交通事故で亡くなっている。送金している相手は、両親ではない。  「実はね、五年前に、交通事故を起こしてたんだ」  「えっ」  僕は息がとまるほど驚いた。彼の両親が交通事故で亡くなったことを思い出した直後の言葉だったし、仲のいい僕にも話してなかった、ということで、ちょっとショックだった。けれど、考えてみたら、話してないからと言って、責めるわけにもいかない。  雄介は、そんな僕の心の動きを察したらしく、  「話してなかったのはごめん。実は、その事故で相手が亡くなってしまって、しばらく交通刑務所に入ったんだ」  追い討ちをかけるようなショックな話だった。  「それで、四年前に、今の会社に入ってから、その亡くなった人の奥さんに、毎月送金してるんだ」  僕は、何を言ったらいいのかわからなくて、黙ったままだった。  「事故の直後に、相手の人が入院した病院に行ったんだ。僕も足を怪我してたんで、別の病院で手当を受けてから行ったんだけど、その人はもう亡くなってた。そばに奥さんがいて、僕につかみかかってきたんだ。人殺し、あんたを許さない、わたしのあの人を返して、返してよ、って」  雄介は、その時のことを思い出したのか、肩を震わせている。そのうち、大粒の涙がいくつもこぼれた。僕は、相変わらず口を聞けないままだったので、そのまま、雄介が落ち着くのを待つことにした。静かに時間が流れた。  「一生」  やっと落ち着いたのか、雄介は涙を拭いてから言った。  「一生、送金は続けようと思うんだ。許してもらおうなんて思いは、これっぽっちもない。僕は、相手の命を奪った。その人と、奥さんや子どもたちの幸せを、僕が奪ったんだ」  雄介の顔をじっと見続けた。いつもは優しくて、やや曖昧な笑顔をたたえている雄介に、こんな秘密があったなんて、信じられない思いがした。  けれど、これは事実なのだ。そして、雄介の中には、真実もある、と思った。  雄介が、給料日の後に、郵便局に行っていることは、それまで僕も知らなかったことなのだが、やがて、誰かの口から伝わったらしく、会社の先輩の中には、雄介のことを誤解して、貯金が趣味のしみったれだな、などと揶揄するものもいた。  それから二年が経った。  雄介は相変わらず、毎月の送金を続けていた。  ある土曜日だった。この日も、雨が降っていた。  昼過ぎになって、突然、雄介が訪ねてきた。しかも、ずぶ濡れだ。  「どうしたの、ゆうちゃん」  雄介は、何も言わない。ずぶ濡れだったが、涙を流していることがわかった。とにかく、部屋に入ってもらって、タオルを渡そうとすると、雄介は、上着の裏ポケットから、封筒を取り出して、僕に渡してくれた。差出人は、女性の名前だ。  「これ、読めってこと?」  雄介は、相変わらず、何も言わないので、しかたなく、封筒から取り出して便箋を広げた。便箋一枚だけに書かれてあって、もう一枚は白紙だ。雨で少し湿った感じになってはいたが、字が滲んだりはしていない。  拝啓 その後、お変わりございませんか。  毎月、ご送金いただき、ほんとうにありがとうございます。  あなたの優しい気持ちは、とてもよくわかりました。だから、どうか送金はおやめください。あなたのお名前を見るたびに、主人のことを思い出して、辛いのです。どうか、もう、あなたご自身の人生をもとに戻してあげて下さい。    僕は、その手紙を読みながら、泣けて泣けて仕方がなかった。雄介は、ずっと涙を流したままだ。それでも、その涙を啜り上げながら、許されたなどとは思わない、けれど、手紙をくれた奥さんの心が、ありがたくて、ありがたくて、と、話した。そして、また、長いこと涙を流し続けた。  いまも、雄介は、給料日になると、郵便局に向かっている。  さだまさし「償い」(アルバム『夢の轍』)より