京都 (2000年12月19日)


 久しぶりに京都に行ってきた。十年ぶりだろうか。

 十年前に行ったときも、寒い時期だった。その時は、京都御所から、東山の清水寺や、 坂本竜馬たちの墓、円山公園に八坂神社、そして、金閣寺、さらに、太秦映画村まで、 かなり広範囲に動いた。中国の大学教授を連れて行ったのだが、半分は自分の行きたい ところを回った。特に、坂本竜馬の墓は、どうしても見ておきたかった。
 学生の頃は、何度も行った。
 高校の頃から行きたかった、苔寺(西芳寺)や詩仙堂から始まって、南禅寺から 銀閣寺へ至る哲学の道(桜がきれいだった)、嵯峨野に嵐山、天竜寺、大原、などなど、今でも脳裏にしっかりと焼き付いている。

 今回は、紅葉を見たくて、行った。学生の頃は、紅葉の時期に行った記憶がない。
 嵯峨野の、清涼寺、常寂光寺、落柿舎、そして、天竜寺、といったところを巡った。
JRの嵯峨嵐山駅を降りると、トロッコ列車の駅があった。学生の頃、あっただろうか。

   清涼寺では、軒端梅(のきばのうめ)や秀頼公首塚などがある。そして、梵鐘には、
「文明十六(一四八四)年 足利義政、その妻、日野富子」の名前があった。
 正門の左手に回ると、息を呑むほど美しい紅葉の木々がある。しばらく、じっと 見つめていた。
 そのあたりに、聖徳太子殿、という建物もある。
 傍に、茶屋があり、中年女性の団体が、お茶を啜っていた。紅葉の木々を見つめる わたしを、怪訝そうに見ていた。

 清涼寺は、大周然(ちょうねん。大周はひとつの漢字で、大が上、周がその下にある)上人という人が開山である。略歴は次の通り。
  承平八年(九三八)生まれ、豪族秦氏
  天徳元年(九五九)戒を受け、東大寺の僧となる
  永観元年(九八三)中国の台州、宋の首都ベン京(太宗皇帝に謁見)へ行く
  寛和二年(九八六)七月、帰国
  長和五年(一〇一六)没

 常寂光寺は、周辺を散策したのみだが、その黄葉が、また美しい。溜息が思わず出る ほどだった。このあたりに来て、ほんとうによかった、と、つくづく思ったものだ。

 落柿舎は、常寂光寺から天竜寺へ向かう途中にある。松尾芭蕉の高弟であった向井去来 の庵だ。次の一句が、書かれていた。

  柿ぬしや木ずゑは近きあらし山

 落柿舎の前だったかもしれないが、途中に、鬱蒼と繁る竹林があった。
 どうかすると、時間を忘れてしまいそうな、黄泉の世界にでも行ってしまいそうな、 そんな気がした。

 最後の天竜寺に入ると、学生の頃に行ったときの記憶が、はっきりと蘇ってきた。
駐車場から本堂の方に向かう石畳、その周辺に広がる紅葉の木々が美しい。
ただ、清涼寺や常寂光寺などと違って、あまりにも有名な寺なので、それだけ世俗に 近い印象を受ける。広い表通りに面していることも影響しているのだろう。

 保津川の流れは、あのころと変わらず、清涼だった。
 そのほとりをしばらく歩き、しっかりと心のシャッターを何度も押しながら、
紅葉の京都を、後にした。

 今回は、ひとりで、しかも、二時間ばかりで回ったのだが、もう一度、いや、何度も、 今度はふたりで来てみたい、そう思った。






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