愛しき後輩達へ捧ぐ、アルバイトチーフとして伝えたい事。


(注意)、この文書は「こころ、あたたかに。」の運営者でもあるm.さんより提供していただいたものです。ゴトゥーが書いたものでは決してありません。
そのことを十分念頭に置いてもらった上で、以下の文をお読み下さい。

 

INTRODUCTION

気付けばバイトも残り半年と少し。もう1年前位からテーマにしている次世代エースの育成も、結局ずるずる時間だけが過ぎてしまってイマイチ進行していない。幸運にもこのHPには、僕の可愛い後輩達が足繁く通ってくれているので、僕のバイトに対する思いを書き連ねていこうかなあ、と。一人のアルバイターとして、店を愛する者として、チーフとして、男として。この店の人達だけでなく、アルバイトをしている全ての人達にも共感してもらえたらいいなあ、と。そんなキモチで捧げます。2000/6連載開始。

 


第一回 バイトって何だ?

 最初は、僕個人の生活とアルバイトとの関係について。毎週週末土日は必ず10時間前後の労働、GW・年末年始・お盆は無休という体当たりシフト。19連勤なんてやった事あるし。最高月260時間労働。3年勤務で、トータル収入500万円。これだけ見れば、いかにバイト中心の生活を送っているか判るでしょう。
 実は誰にも知らせていない人も含めると、過去バイトでは全部で3人の恋人が居たことに。プライベートの関わりも大きい。月1ペースの飲み会も、僕のライフワークの重要な要素。
 これだけの激務でさあ、多くの収入と少ない時間から、さぞかしお金貯まってんだろう、と思わせて貯金はゼロ。使っちゃうんだ、情けないけど。音楽・服・映画・本、と多すぎる趣味に投資しまくってて。ただギョーカイに進む夢を持ってたので、自己啓発に使うお金はホントに出し惜しみしないようにしよう、と思ってるのでそんなには気にしてないけれど。
 4年生になって早く就職も決まってしまったので、今は嫌にヒマなんだけど、去年までは平日は学校、週に4回夜バイト、土日バイトと休みなし。大型連休も休まずバイトでしょ、家族・親戚と疎遠になりまくり。正月にしか会えない親戚とは3年間会ってないし、理由がバイトではなかなか説得力ないので印象悪い。身体も辛いし。かといって、社員がそれを感謝してくれる訳ではないし。来月の6月18日の日曜日、休みたいって店長に言ったら、「何考えてるの?ダメだよ」って言われてしまった。2年間土日休まずバイトして、たまには我侭聞いてくれるのが普通と思ってたら、2年間かけて、m.は土日働くことが当然にさせていただけだった。僕個人としてはスゴク悔しいです。たまには一日遊びたい日だってあるじゃん。
 責任を背負うとそれだけやり甲斐はあるし楽しいときもあるけど、自由は利かなくなります。無理しなきゃいけないことも沢山ある。バイトと引き換えにした代償はとてつもなく大きい。他のバイトもしたかったなあ、とも思うしね。一つのバイトを続けるのは、それはそれで大きな意義があります。どんな仕事もデイリーワーク。同じ事の繰り返しのなかで、自分なりの目標を立てるなどして、やる気を持続させて。好きな仕事でもそうじゃなくても、この原理は一緒だと思う。ツマンナイ時もある。飽きも来る。そういう中で、常に前向きに楽しんで従事する工夫は、この長い勤務で、大分見つけたつもりさ。

 適当に足掛けバイトもいいんじゃない?でも、一所懸命なのを自信持って皆に言えるくらい必死にやる事は、ゼッタイ誇れる事だと思うよ。


第2回 付録

つれづれに以前掲載したコラムを転載します。今後それぞれに付随して話を広げていこう。

・4月25日 
 正しいことをすることが一番じゃなくて、組織の形態に乗っかって、その中で自分らしさを発揮していくことは社会の当然のオキテであり、組織の基盤に乗れない人間は脱落していく。僕が昨年暮れからぶち当たった壁でもある。それが正しいかどうかは社会が審判を下すもので、当事者は、上の方針に心から共感し、それに邁進するしかない。共感できなければその社会では生きていけないんだ。
 数々のジレンマや葛藤をこころのなかで押しつぶしながら、生きていくためにやるべき事に集中する。昨年大晦日の屈辱は決して忘れない。
でも、今は納得して働いている。マインドコントロールじゃないんだけど、いろいろ我侭言った先に見つけた結論だから、あとは信じるしかない。

・4月29日
ちょっとした店長と僕の思惑の違いだったんだけど。感情的に注意を受け、僕も頭にきて。皆の前で激しく口論。結局、双方の思惑の違いということで、頭ごなしに怒鳴ってしまった店長が謝罪、ということで落ち着いたんだけど。
 店長か僕かどっちが正しかったかどうかが問題ではなくて、バイトのリーダーと店の長が言い争っているのを後輩が見てなんて思うんだろうなあってことが心配。僕の言ってることは店長の方針と違うんじゃないの?って後輩が思うのは避けられない。
 言いたくもない厳しい指導を僕が言わざるを得ない現状を踏まえて、嫌なのをこらえて注意した結果、それがあとあと勘違いと処理されととはいえ、店長に否定されてしまったのは事実で。後輩に嫌われ役を演じ、それを店長に否定され、じゃあ、僕のやってることは何なの?って悲しくなった。ただこの店の発展のために一身に捧げてきたつもりが、誰にとっても認めることの出来ないことを、僕の独りよがりでやってきたのかなあ、って。
 ただ店長が一度自分の下した指導を撤回し、自分の非を認め謝罪すらして下さったのには感動した。アルバイトの僕に対しそこまでの姿勢を見せるのは、なかなか出来る事ではないと思う。だから、店長の過失ではなく、双方の思惑の違い、と表現したんだけど。
 その後、上がってから店に居残って皆にその話を聞いてもらって少しは落ち着いたんだけど。後輩たちはわりと楽観視してたようで、僕が心配しているリーダー不審、店長不審、ってのは避けられるかも。

・4月30日
これはバイトのコに話した事もあるんだけど、僕はリーダーっていっても大したこと無いから不完全なことだってあって。皆に対して別け隔てなくしたいとは思っていても、完全に平等な目で見る、っていうのはやっぱり出来て無いのかなあ。自分の個人的感情で八つ当たりみたいなことだけは絶対しないようにしてるけど、逆に言いにくいヒトはいる。そういうのにジレンマを感じることはあって、だから変に仲良くなるの避けなきゃ、って思うんだよなあ。
 古いヒトは知ってるだろうけど、バイトのメンバーの中に好きなコがいたことだってあった。。メンバーとして、ただどうのこうのない日常の中から、女性として意識することなくむしろ気持ちを抑制させようとしてた世界の中で、自然と湧き出てきた好きっていう気持ちにスゴイ確かな自信が持てたことは確かで。高校生以前の付き合いの典型で、クラスの可愛い子、カッコいい子と付き合う優越感みたいなもののためにムリにでも好きになっちゃうとか、ヒマな時間を埋めるためのごとく彼女、彼氏欲しさに紹介してもらうとか、そういうリスクの無い状況から生まれる恋心みたいなものとは全然違うんだ。
 好きになったら指導しにくいでしょ。怒らなきゃいけないことだってあるんだもん。気持ち伝えて振られちまったら指導なんて出来ないよ。キモチ押しつぶして先輩演じるのも大変だよ。
 そんな状態から理屈なしにキモチもっていかれちゃったんだから本当に好きなんだ、みたいな。そういうの、更に拍車かけて気持ちに火をつけたりもして。
 なんでこんな話になっちゃったんだろう。。。とにかく、嫌われ役演じてる以上、皆から嫌われるのは仕方ないとしても、僕は全員同じように人として尊厳もって接するようにしたいし、そういう関係でありたいと思うんだ。そのためには恋心って邪魔だよね。
  ちょっと前までは東京で就職するつもりでいて、今仲良くしてる人たち(バイト以外のヒトも含めて)とはどうせ一年後には違う場所に住む人になってしまうって思いがあって、友情とか愛情とか、そういう目線で全然接してなかったけれど、結局地元に就職が決まったんで、今イイ関係を形成することが出来るヒトとはこれからもそうあり続けられるんだなあって思うようになって。だからどうだって訳じゃないんだけど。大学もあと一年。バイトもあと一年。取り巻く環境が全く変わってしまうのは事実だけど、遠く離れる事は無いし。それで、今も大切にしようっていう思いが持てるようになったことは、いろんなシガラミもあるけど僕にとってプラスには違いない。
 さんざん理屈こねといて申し訳ないけど、掛け替えの無い友情とか一心不乱な恋情とか、そんなものは理屈通用しないよなあ、なんて思ってもみたり。むちゃくちゃな文章だ。情けないけど面白い。
 

・5月3日
課題というものはいつも発掘しなければいけない。今日も厳しいことを幾つか言った。もう、完全に吹っ切れた。言うのはつらいけど、今日のようにいい営業ができるのならそれでいじゃん、って思う。
 上がったあと、面と向かって後輩から僕の言動、行動を中傷された。皆としては面白くない事に違いない。
 嫌われ役をやり続けて苦痛な思いをして、お金にならないのに早くから働いて、必死に支えて作り上げて来た成果が、今日ちょっと花開いたんだ。その光景に喜びを感じることが出来るのは、今は僕だけかもしれない。「何であんな事言うの?」と思われても仕方ない。いい先輩でいることは出来ないかもしれないけど、それはもう諦めなきゃいけないんだ、と思うようにしよう。
 皆も頑張って耐えて下さい。僕はこれからも心を鬼にして頑張ります。そして、出来ることなら皆で成長の喜びを感じたい。

 


第3回 我が店の歴史

 今回は予備知識的な話。我が店(以下T店)がOPENしたのは、1996年の10月22日。中京地区の郊外型とんかつチェーンの32号店としてスタート。事前の市場調査では、立地・設備的な視点から、チェーンの中で2・3番目くらいの売上を期待されていた。それから約3年半経っていることに。売上は年間で約1億円強。チェーンで7・8位。つまり、あまり期待には応えていない。
 開店当時、接客担当があまり集まらず、調理場の人間が多かったので、他のチェーンでは見られない、パウンテン(パントリー、デシャップ)を調理場が受け持ち、接客はホールで固定の持ち場を守るという準テーブル責任制を導入。これが結果的に、現在オペレーション優良店と評価される要因となる。1代目の店長とバイトとの関係があまり芳しくなく、OPEN2ヶ月後の年末年始で、大量にバイトが退社し、繁忙期に他店から多くのHELPを借りる。以後、繁忙期に人手が足りず、お客様に迷惑をかける事が続き、新規開店の勢いはあっという間に止まる。
 新規OPENから約5ヶ月後の1997年2月28日、僕が入社。当時調理場アルバイト2人という状態(適正在籍人数は9人)。おかげでチャンスも多く、3月には新人ながら150時間働き、調理場の仕事は一通りマスター。以後現在に至るまで、一月で全ポジションをマスターしたアルバイトは一人もいない。それから約3ヵ月後の1997年6月後半、先輩達が辞めて僕が一番古くなり、調理場の管理を任せられる。T店が一番辛い時期だった。この頃から1年間ほど、売上が極端に低迷し始める。開店からわずか半年。料理提供の時間が20分を超えたり、席が空いているのに片付けが追いつかずお待ちのお客様に迷惑をお掛けしたり、とにかく人手不足がたたり、満足なサービスを出来ていなかったことが原因だろう。
 僕が一番古くなって半年程経過したあたりから、僕も調理場のエースとして大分慣れてきて、後輩達もそこそこ定着するようになり、調理場のレベルが安定し始める。それに呼応するかのようにお客様も増えてきて、1998年の半ば頃から売上が前年比を大きく上回るようになる。1999年3月頃、T店はピークを迎える。従業員が安定し、スキルも最高調。今考えると大変恵まれた環境で営業できる状態だった。
 そして1999年4月、2代目の店長に交代。1代目の店長がキャリア20年の大ベテランだったのに対し、2代目はキャリア4年の26歳。初めての店長交代というのもあって、それから間もなく店長と従業員の不協和音が浮き彫りとなり、大量のアルバイトが辞めてしまう。
 その年の暮れ、業を煮やしたアルバイト一同の協力により、僕が店長に
『提言』という書類を提出。店長として非常に怠慢で従業員に対する態度に疑問を投げかける。署名・押印つきの書類で、「店長の誠意ある対応を待つ」と記したにも関わらず、店長の対応はミーティングと名して従業員を集め、口頭で言い逃れを繰り返す始末となる。以後店長は首謀者の僕に異常なほどの圧力をかけるものの、営業上不可欠だったためクビにはせず使いつづけるが、連日にわたり口喧嘩は絶えなくなる。僕は正しいことを言っている自信があったのと、せっかく守ってきた店のモラル・売上を壊したくない一心で戦いつづける。そして1999年12月30日。あまりにも傲慢な発言で中傷されて、12月31日に今後を白紙とした上で、繁忙期の真っ只中に僕は一日バイトを欠勤。1999年大晦日の夜営業終了後に店長と面談するものの、わだかまりは修復せず。2000年元旦から僕はとりあえず復帰するが、正月明けの退社がほぼ決定。しかし、マネージャー等の強い説得に心打たれ、その後撤回して現在に至る。2000年1月後半、『提言』の中に含まれた一件で、2年間膠着していた時給の見直しについて、首謀者の僕だけを現状維持とし、他の従業員全て昇給させるという不可解な対応が決定。それに呆れ、「男気を感じない」と、2月に7割のアルバイトが退社。2000年2月の時点で在籍していたアルバイトで二ヶ月ごの4月の時点で残っているのは3人しかいなかった。
 2000年3月に大量の新人アルバイトを採用したものの、レベルの著しい低下で当面の営業が厳しくなる。僕が朝に早出して無賃労働を強いられるのはこの頃からである。従業員の入れ替わりにより平均賃金が著しく低下するも、僕の時給は尚も膠着したまま。調理場の教育・スキルアップに多くの負担を背負ってしまったので、以後店長と僕の不仲は立ち消えとなる。無論、不満はあったものの、そのことにこだわる時間が持てなくなってしまったまま、現在に至る。パートもこの一年でベテランが数多く退社し、店長交代から離職率は増加の一途を辿る。従業員内での店長交代の希望は高まる一方であるが、2000年6月現在、異動の予定は無い。売上は前年比を上回り続ける好成績であるが、このままの状態が続けんばそれもやがて止まるだろう。
 尚、2000年4月に僕の時給が10円上がるも、不可解にも僕より時給の高い人が存在する。年間労働、繁忙期出勤状況、後輩の教育指導、自身のスキルから判断しても、僕には個人的見解による不当な対応と思う。今後、来年2月頃まで従事することとなっているが、店長の対応次第で事情は変わってくるだろう。

 


第4回 ホール(接客担当)の明日を憂える

 今回はホールの話。ホールの離職率が高くなかなか安定しない。これは本当に問題で。今、ホールのエースを務めるひごちゃんの努力によって、ちょっとずつホールの関係は良くなってはきている。ホールの離職が多い一つの原因に、店長との確執がある。辞めていく人の理由の殆どが、仕事がつまらないか、店長が嫌、というもの。
 店長が嫌というのは僕らが努力して解決するものでもない。これはパートさんにも言えることなんだけど、ここまで店長の悪評が飛び交う現状は、かなり深刻である。仕事がつまらないというのは漠然としすぎていて解決策を出しにくいけど、そのあたりについて書いてみようと思う。
 キッチンは最近4ヶ月程前に入れ替わってから全く離職が無く、安定してきている。この最大の要因は、皆が仲がいいからだろうと思う。年中無休、営業終了が22:00ということでコミュニケーションを図るのは深夜の飲み会に限られてしまい、それに出席できるのは男であるキッチンの人が多い、というのもあるだろう。実際、平日も入れ替わりでシフトインしているため、プライベートな付き合いというのがなかなか出来ない。女のコたちは、店で顔を合わせば仲良くお喋りはするけれど、それ以上に友好が深めにくいのだ。関係が希薄になりがちなので、ちょっと嫌なことがあったりするとどうしても逃げ腰になってしまう。バイトで仲良しの友達が沢山いれば、働くのは気が進まなくても、店に来る事は絶対楽しい筈だ。
 そして、評価制度が曖昧な点。時給などの正当な評価というものはキッチンもホールもなされていないのだけれど、その代わりキッチンは絶えず僕の方からスキルについてコメントするようにしている。君がどれ位仕事が出来ていて、どれ位役に立っているのか、これからの課題は何か。褒める時は褒める。叱る時は叱る。これが難しい。ちゃんと見て考えて言わないといけない。適当に見てると思われては元も子もないのだ。やる気に漲っている時はそれを伸ばしてあげる努力。ちょっと伸び悩んでいるときは話をして相談。時には厳しく叱る。そういうケアを、ホールは無視してきた。
 ホールには常日頃店長がいるので、それは店長の役目であり、どうしても店長の目の届かないキッチンは、僕がやりましょう、という気持ちでやってきた。でも、この現状を考えると、店長に任せておいてはマズイことになりそうだ。それで、今はひごちゃんに一肌脱いでもらって、先輩としての枠を一つ伸ばしてみよう、と。彼女にかかる負担というものは計り知れないけれど、ひごちゃんも一所懸命奮闘してくれているし、今の辛い状態を踏ん張って、これから入ってくる新人達に適切な接し方をしていけば、いずれはいい方向に向いていくと思う。上手くいくかどうかは判らないけど、ひごちゃんの力と、自分の方針を信じるしかない。店長というのは1−2年で入れ替わる。心の部分の繋がりは、バイト間で形成しないと。

 本来は、アルバイトに長続きすることを依存するのではなくて、キャリアの無い人間だけでも店を円滑に運営できるような仕組み作りが必要なんだろう。店の仕組みを把握している社員2人がいれば、あとは何も知らない人達の手によって営業が成り立つ。やる気のある人もない人もいて、少々やる気の無い人がいても、それはカバーできる要員のゆとり。仕事が出来る人に与える正当な評価制度によって、従業員のやる気を促す。
 これが基本なんだ、本当は。でも、正当な労働時間を使えない。ギリギリの人数でやろうと思ったら、クオリティを下げるか皆が頑張るかしかない。
 どっちにするかは店長が決めることで、あの姿勢をみると不安になるんだけど。
 皆で頑張ろう。僕はそう思う。

 


第5回 煮えきらぬ思いで従事しないために。

 店長に注意・指導されたことがどうしても納得できない、先輩(僕など)と店長と言われたことが食い違って板ばさみにされてしまう、そんな事に直面したこと、誰でも一度はあると思う。そんな時、皆どうしてるのだろう。僕の経験を交えながら、今回はその辺りをテーマに書くことにしよう。

 まず、店長に突然不可解なことで怒られてしまったとき。素直にスイマセンと謝って、後で皆に愚痴を言う。これが、社会の基本中の基本の対処でしょう。波風立たず、何も問題はありません。自分で飲み込める人は、これが最も無難。ただ、そんなことが続いていくと、とても不愉快な気持ちで従事せざるを得なくなってくる。
 そもそも、店長も人間。本当にマズイと思った事を注意する事まあれば、カッとなってつい八つ当たりしてしまう事もあるだろう。あまり深く考えず、とりあえず不機嫌な店長の目の前に居合わせた自分に適当に怒りをぶちまけられ、スイマセンと謝って事が終わる。つまんないことだと思わない?
 僕も、店長がうちの店に来た当初、そんなことが何回かあった。僕は、その度に反発した。「そんなは納得出来ない」「それは僕が悪いのですか?」と。勿論、仲は険悪となり、大分煙たがられたと思う。でも、そんなことが何回かあってから、僕に八つ当たりすることは一切無くなった。こいつに迂闊なことは言えないな、と悟ったのだろう。反発することがイイコトだとは思わないけれど、僕は納得した上で働きたいと思う。だから、正しくないことに従うつもりな毛頭ない。無論、その反論が間違っていたら元も子も無いけどね。 

 次に、先輩・社員・店長から指導された事に相違があったとき。一番利口なやり方は、それぞれ「はい」と素直に聞いて、その後はその場に居合わせた人に合わせてやり方を変えること。ただ、それにはちょっと無理がある。次に利口なのは、店長の言う事に従うこと。社員・先輩に、「店長にこう言われた」と言えば尚良い。キッチンの場合は更にキッチントレーナーも加わってくるね。僕は基本的には、トレーナーの言う事は従うことにしてる。トレーナーの指導する事というのは、調理の技術的な面に限られるため。間違っていると思った事は無いし。店長の場合は、オペレーション(連携)についての指導も加わってくる。これについては、現場にいる僕らのほうが実情が判っていることもあるんだけど、僕が新人の時は先輩の言う事のほうが正しいと思った時は、それを店長に正直に伝え、どちらがいいか審判を下してもらった。
 今、先輩の立場から考えて、後輩の皆がこういう状況になった時は、指導内容が食い違っている事を正直に店長に伝えた方がいいと思う。その後、店長の判断で、どちらの指導内容を採用するか決定して改めて指導されるであろう。それに従うかどうかは、まあ皆次第やね。

 結局、自分が納得できる状態で働くのが一番。理解に苦しむことも飲み込めて働ける世渡り上手を目指すもよし、自分の善悪の判断を信じて邁進するもよし。まあ、後者の場合は行き過ぎないように気を付けて下さいよ。

 口答えがただ気に入らなくて、「俺の言う事に従えっ!」って店長に言われたら?そんなヤツの下で働いて楽しい?

 


第6回 怪我・病気などなど

 人間だもの、常に健常であるのが理想だけど、なかなかそう上手くは行きませぬ。僕も病気でバイトに穴を空けたことは昨日(2000年6月22日)が実は初めて。あまりに高い熱が出たのと、平日で我侭言えそうだった背景も考えて、お休み頂いたのですが。年末年始の真っ只中に体調壊して、38℃の熱のなか戦ったこともありますけどね。まあ、風邪などの病気は日々の体調管理でそれなりに防げるものですが、仕事中に怪我をする、というのはなかなか防げないものです。どんなに注意してるつもりでも。

 とかく僕は仕事の怪我が多い。一番大きいのは一昨年の11月に左手人差し指を包丁で削ぎ落とし全治1月の大怪我。3日間出血が止まらずバイトも2週間欠勤。怪我をした直後当時の店長が車で病院に運んでくれて緊急外来で手当てを受け、親にも連絡していただき、労災の手続きもやって下さいました。本当にあの時の店長の対処には感謝しています。肝心の怪我の後遺症が深刻で、未だに左手人差し指の先は感覚が無く、常にしびれているような感じ。神経まで切り落としてしまったせいだそうで、何年かして戻るか、一生そのままかは判らないらしい。 
他には、バイト初めて一月ほどの頃、フライヤーの保温タンクの角のあたりで、左の掌を3〜4cmほど引き裂いて、大出血。これはそう大した事ではなかったけど、病院に行かず縫ってもらわなかったため、格好の悪い傷跡が残ってしまっている。怪我をした翌日もバイトしていた気がする。他には、右手の甲のやや上にある良性腫瘍、いわゆるガングニヨンとかいうやつ。良く判んないんだけど、疲れによって脂肪分が子袋に溜まるらしい。バイトが連勤だと大きくなり痛みが増し、逆に休みが続くと小さくなり痛みは無くなる。慢性的なものでは、腰、左手の腱鞘炎などはかなり深刻。
 細かい怪我は数え切れない。なによりそそっかしいので、包丁の切り傷・火傷の類は日常茶飯事。大きい怪我もしたし、それによって周りに迷惑も掛けたし。日曜の朝、カット場に塩を撒いているのは、左手を削ぎ落としてからずっと続けているんです。気分的なものだけどさ。まな板に切り落とされた指があったらしいからね。気持ち悪かったろうに。

 必要以上に僕が怪我に敏感で、ちょっと火傷したりした後輩に随分と気を使うのは、やはりこういう経験から来るもの。僕が新人の頃は少々の火傷は隠して頑張って、あとで真っ赤に腫れて苦しんだりしたものだった。切り傷とかも軽いものは隠してたし。先輩にばれないようにコソコソと血をぬぐったり冷やしたりしながら、何食わぬ顔で働いて。バイト上がってから苦しむの。そういうのが当たり前だった。それがスゴク嫌だったから、今の後輩達には適切な応急処置をして欲しい。怪我の処置をするのは先輩も後輩も関係ないし、そんなに体育会系な先輩後輩論はやりたくない。
 怪我をしたり病気になったら適切な処置と、その人が労働を続けられる状態かどうか判断して、それに見合った対応が出来るような眼と人揃えがあると、僕らももっと安心して働けるよね。
 とにかく、大怪我した時に、店長に感じた信頼感は絶大なものだったから。あ、その店長は異動してしまいましたけどね。

 


第7回 後輩への指導法について

 同じアルバイトの立場でありながら、キャリアの差によって確実に縦の線が出来上がるのは当然。先輩は、後輩に教育・指導しなければならない。まあ、その職場、人によってその程度は変わってくるけれど、例えば後輩の勤務態度に至るまで管理しなければならなくなると、もう大変。決まっている仕事の内容を教えるのとは訳が違う。今回は少し高度な指導について、僕の経験も交えてお話しよう。

 例えば、遅刻の多いアルバイトA君がいたとします。A君は、遅刻をする度に店長に怒られるのに、なかなか直らない。先輩として、なんとかならないか、と店長に頼まれたら、一体どんなふうに彼に言えばいいのだろう。
 人間、その人その人の視点があって、それを踏まえて対処していくことがとても大切。簡単なフロチャートとしては、同情⇒問題提起⇒改善⇒叱咤・激励、と言う感じです。まずは、A君とこんな話をするといい。「朝早く出勤するのだるいよな」「俺もホントはもっと寝たいよ」・・・と。僕らも同じように朝は辛いんだ、と共感してあげる。そしてそれから「でも、僕はちゃんと毎日出勤してるよ」「一人遅刻すると他の人がそれだけ余計働かなくちゃいけないんだ」などと、遅刻がいけないことだという当たり前の事や、その遅刻で同僚の自分達がどれほど迷惑しているかを話し、遅刻の重大さを悟らせる。ここは、少し大袈裟でもいいんじゃないだろうか。そして、「とりあえず一週間、遅刻せずに頑張ってみようよ」と目標を与えてあげる。そして一週間遅刻がなければ、「頑張ったな。これからもその調子でいけよっ」と、その意気を持続させてあげれる工夫を、また、懲りもせず遅刻を繰り返したら、今度はビシッと叱りつけるのも大事なことだろう。そんな風に、相手の立場から見た目を考える事と、同僚という立場を有効に使うことが大切。店長と同じ事を言っていても説得力に欠けるので、アルバイトだから出来る先輩を演じられれば最高だね。そして、指導した内容を覚えておいて、忘れた頃に話してあげると、相手はとても嬉しいもの。「半年位前に遅刻が多いって注意したけど、あれからすっかり遅刻しなくなったよなあ」って。自分にはとても簡単なことが、その人にとっては凄く大変な事かも知れない。そういうところまで考えてあげられれば、何も言う事はないです。

 僕はそこまで完璧に先輩してる自信はないけど、出来る限り頑張っているつもりです。それが後輩達に伝わることが何より嬉しい。

 


第8回 なかなか言えないこと

 あまり機会が無いので、接客の女の子達に言いたいことも、言えないうちに忘れてしまうことも多い。接客を見る時間が殆ど無いし、最近は僕自身が殆ど接客をしないので、それは仕方の無いことだ。

 とはいえ、全く見ていない訳ではないし、思うところもあるので、この場を借りて少しコメントしようかな、と思うのだ。あくまで僕の主観であるので、気分を害してしまったら申し訳ないけれど。全部書きたい所をぐっと堪えて、小出しにします。理由は、順番とか、文の長さとか、色々気を使って書くのが嫌だから、あまり並べて書くのはよそうと思って。
 ⇒ひごちゃん。
  僕らの前で見せる、あの可愛いひごちゃんを、そのままお客様に出してるな、と思う。忙しい時も、ゆっくりと喋れてるし、何よりあの笑顔がいい。腰を折ってお客様の視線に近づけるようにしているし、作業自体もさることながら、接客も完璧だなあ、と思う。そういえばひごちゃんの接客にクレームがついたことはない。やっぱりエースだね。最高。
 ⇒いく。
  この子は明るさが取り柄。とにかく明るい。そして、体が小さくて、熱くなるとすぐ顔が真っ赤になるから、頑張ってる姿がお客様に伝わりやすい。あの小さい体で顔真っ赤にしてさ、お客様の前行って、バタバタしてスイマセン!っていながらにっこり笑ってみなよ、絶対好感度いいよ。いくは、人見知りとか全然しない素直な子だから、お客様に屈託なく話をしたり出来る。店の求める接客像を壊さない程度に、もっと自分らしさを出して成功できるタイプ。いくの計り知れぬ可能性を潰すのは勿体無いよ。明るく、元気に。いくの誰にも負けない分野でしょ。

 みんなが、自分の長所をしっかり自覚して、自信を持ってお客様に接して欲しい。笑顔というのは技術じゃなくて心の部分。慣れればいい笑顔になるというものではない。そして僕らは、接客の子が自信を持ってお薦めできるような料理を作っているつもりだ。

 続きも近いうちに。

 


第9回 今日のTV番組を見て思ったこと

 今日、7月3日(月)の21:00から、日本テレビ系の番組で、外食産業の特集をやっていました。多分観た人は少ないと思うけど、チェーン展開する店にスポットを当てて、メニューや出店傾向や接客についての戦略を分析。その中で、ある会社の社長が、部下社員(店長)に言っていた、とても心にガン、とくる一言があったので紹介したい。

 「売上などはどうでもいい。一週間、今日一日、お客様に対して最高のもてなしをして、笑って満足して頂けて、最高の営業をしている、と胸を張れ」

 「人を信じ、人を育てろ。拘るのは売上ではなく人の育成である。必ず結果はついてくる。」

 こういうことを上から言われれば、そりゃあ自信持って必死に頑張っちゃうよなあ。いい社長だなあ。

 

 


第10回 キッチンのお話

 接客(ホール)の話が多いので、今日はキッチンの話。T店のキッチンには6のポジションがあるけど、洗い場を除く5つのポジションと、ぞれぞれにふさわしいタイプの人間ってどんな人?という話。
 もちろん、全部のポジションをバリバリこなすのに越した事は無い。だけど、全部をマスターするのには、早くても半年、遅い人は一年以上かかる。特に週末しかシフトインしない人には教える機会も少ないので、その人の個性を見極めてその人に相応しいポジションを探してあげるのです。後輩の可能性を伸ばす、当然でしょう。

 まず、誰しも最初に経験する洗い場。これを、2時間も見ていれば、大体その人の性格・適正が判ります。要領の良し悪し、声の大きさ、体力、勤務態度(まじめさ)。もちろん、勤務態度が悪い人は何処をやらせても期待できないのだけど。そういう人は態度がよくなるまで洗い場をやっていただく、と。
 初めに、その時の人員数や、既に在籍している人のポジションとの兼ね合いもあって、一概に相応しいポジションを教育してあげれるわけではないし、意外に伸びなくて、他をやらせたらもっと良くなった、なんてこともしばしばあることもご理解下さい。
 まず、バック。バックの第1条件は、几帳面な人。ピークタイムにそんなに負担が掛からず、スピードはそれほど重要ではない。仕込みの管理、サイドオーダー、他ポジションのフォローといった、地味な仕事が多い。実は一番奥が深いポジションで、自分の負担が少ない分、いかにして他のフォローをしてあげるか、を考え出すと最も忙しいポジションでもある。それだけに、ここに一番強い人がいると、全体をカバーできるので理想的。半年ぐらい後に、僕はここにいる予定。。。こなすだけなら結構簡単。あと、僕の指示に腹を立てずに一生懸命従順に従える人格を持つことも、結構重要(笑)。そして、忘れちゃいけない、調理技術が唯一必要なポジ。
 次に揚場。揚場の最低条件は、声が大きいこと。オペレーションは、全てここから始まる。キッチンで、最初にオーダーを見る人であり、ここから大きな声でバックに指示が飛ばすことがキッチンの生命線。仕事は入ったオーダーを入れていくだけなので、要領の良し悪しは殆ど必要ない。また、運動量も最も少ないポジションのため、体力に不安のある人にもうってつけ。土曜・日曜は揚場は朝から固定したいので、10:00から働ける人だと尚良い。ムードメーカーのポジションです。
 メインアップ。メインアップの第一条件は体力。運動量はキッチン屈指の多さ。一人では絶対に出来ないので、最大ピークは人に手伝ってもらわないといけないので、人を使って上手にさばける人がいい。また、ピークにすぐパニックに陥ってしまうせっかちさんには不向き。少々遅くても、状況をしっかり把握しながら落ち着いていれる人がいい。意地で一人でやろうとする、プライドの高い人は自滅する傾向がある。
 フォローアップ。ドリンク、アフター、バッシング等々、色々なところから次々に仕事が発生するため、頭でしっかり組み立てながらこなさねばならず、要領のよさが最も必要とされる。また、ホールとコミュニケーションが図れないと、上手くいかない。丸盆のコントロールができると最高。たとえばちホールのバッシングが重なった時に下げにいくついでに丸盆を持っていったり、アフターやビールのラッシュ時に、出すついでに丸盆を持って帰ってきたり。頭の良い人がここにいると、パントリーは安泰。
 メインアップとフォローアップの二つに必要なのはlの息がピタリと合うことと、頑張りやさんであること。 
 そして最後にカット。言わずと知れた、キッチンの花形ポジです。カットは、全体のコントロールが必要なため、頭が切れることが絶対条件、そして決断力が必要。仕事量も異常に多いので、体力・運動量も多いに必要。パントリーとキッチンの繋ぎ役としての役割も必要。唯一全てのポジションが一望できる場所に居るため、全ての仕事を理解していて、的確な指示を出して回転させる。オールラウンダーでキャリアと経験を要する最も重要なポジだけど、カットの仕事に関して大きいミスをする可能性が無いので、おっちょこちょいさんには向いているかも。(せいぜい切り間違えるか、何かを出し忘れるだけ。出し忘れていてもアップが教えてくれるので未然に防げる。)責任感が強く、重圧をを感じると燃えるタイプには最適。

 ざっとこんな感じ。ちなみに、僕が思う皆の最適ポジは、ナカシがバック、ニッシーがメインアップ、伊藤君がフォローアップ、ゴッキ-はバック、しまは揚場、あきたは揚場、なおはバックかメインアップ。次世代のカット後継者は、俺にやらせろ!と言ってくるようなヤツが最適。基本的に、あまり経験の無いメインアップと組んで、フォローアップとして上手にパントリーを回せる人には素質がある。

 


第11回 大怪我の時のエピソード

 今回は僕の経験した大怪我の話。別にこれを通して何かを伝えよう、というつもりはないので、ああこんなことがあったのかあ、ぐらいでさらっと読んで下さい。

 時は1998年11月28日。営業が終了した23:00ごろ。12月から始まる、鍋フェアの新メニュー研修をキッチンでやっていた時のことでした。店長・社員(どちらも今の人とは違う)と、キッチンのアルバイトが6人くらい。ちなみに伊藤くんも居た。ホールの子は片付けも終了してとっくに帰宅してました。
 研修は、一通り作った後に皆でビール飲みながら試食する事が出来て、結構お楽しみの時間。営業も終わってるし、まあまあ気も抜けて皆でたらたらやってた。で、僕が包丁で白菜を切ってるとき。ちょっと手が滑って、自分の左人差し指の先っぽを切り落としてしまった。そんなに強く包丁を振ったわけではないのだけど、うちの良く切れる包丁ですもの、簡単にいっちゃいました。しかも15分前位に自らの手で研いだところ。切った時はそんなに大怪我という自覚はなくて、ただやたらに血がでるし、水で流したらスゴイ勢いで血が溢れてきたので、ああやべえと思って店長に見せた。そうしたら、「すぐ病院に行くから着替えろ」と言われた。とりあえずバンソウコウでぐるぐるに巻いてもらっていたら、指に全く感覚が無いの。切ったのは先の方のはずなのに、なぜか第2間接位が痛い。あれ、先っぽ無くなっちゃったかも、と思って、バイトの子に聞いたのよ。「包丁に指ついてない?」そしたらさあ、あったんだよwが、白い指先が包丁にひっついてて。くっつくかもしれないからそれもティッシュでくるんで謦・A店長の車で日赤病院の救急外来へ。
 とにかく痛いのは指の中ぐらいで、血が溢れていく感覚の痛みだけで、先には全く感覚が無くて。神経までいってたんでしょう。だからそんなに辛くはなくて、車の中でも「やばいっすかね」とか言ってて。次の日が日曜だったものだから、「明日やれるといいっすけど」とか。
 病院についたらスゴイ人。とにかく命に関るような大怪我をした人もどんどん運びこまれてくるから、僕みたいに命には問題無い人は後回しになってしまって、受け付けしてから1時間位待たされた。そうしたら店長が怒って、受け付けの人に、「こっちは大怪我してるんだ!はやく診察しろ!」って言ってくれて。嬉しかったなあ。診察室に通されて診てもらったら、医者が開口一番「ああーやっばいねー」って。どうも上手に表面だけ削ぎ落としてしまったらしく、切り落とした部分と引っ付ける事も出来ないし、縫うことも出来ないとか。手段としては、じっくり皮が再生するまで待つ以外ない、って言うの。そのくせ、「思ったようりも出血が多くなると、やばいかも」とか言われて。指切ったくらいで死にたくない(多分そういう心配は無かったと思う)!結局、入念に消毒して、包帯をぐるぐるに巻いて、止血するに留まった。その止血が曲者で。新米看護婦が、自分のヘアゴムを僕の指の根元に巻いてくれたの。ヘアゴムだよ。ちょっとビックリしたけど、まあいいやと思った。
 で、夜中に出血がひどくてどうしても眠れなかったら、薬を投与するからまた来てって言われて、診察は終了。店に帰ったら、店長が僕の家に電話して、父に説明してくれた。「かわいい息子様を私の不注意で大怪我させてしまって本当にすいません」って何度も謝ってて。そういうの、何だか凄く嬉しかった。
 家についたら3:00。父がさあ、「眠るためには酒だろう」って酒を勧めるんだけど、出血してるときは酒呑むなって言うじゃない。だから勿論断って床についたんだけど、どうも眠れない。出血が痛むというよりは、ゴムの締め付けが苦しいの。でもちょっと緩めるとスゴイ勢いで血がでるからダメなんだろうなあ、って思って我慢。その日は殆ど寝れなかった。
 翌朝早々病院へ。その日の医者にいきなり怒られた。「こんなゴムつけてたら血が回らずに腐っちゃうだろう!」・・・なんで僕が怒られるんだろう。包帯とったらやっぱり結構血が出てて、包帯5重、6重したあたりからもう真っ赤に染まってた。とにかく血が止まって皮が再生して、そのあと指を伸ばしっぱなしだから曲げるリハビリして、普通に生活できるようになるまでは1月以上掛かると言われた。その後バイト先に行ったら、店長に怪我が治るまで来なくていいから、と言われた。店長は、僕の責任感の異常な強さをホントに良く判っていて、「片手でも出来ることを手伝います」って僕が言ったら、「邪魔だから、医者にもういいよと言われるまで店に来るな!」って怒鳴られて。でも、今思えば凄く優しい言葉だったなあと思う。あとあと聞くと、僕が戻ってくるまでは、店長が一日も休むことなく早朝からずっとキッチンに入ってフル回転してたらしい。なんとか繁忙期の正月には間に合ったからよかったけど。
 結局、その後毎日病院に通ったけど、血が止まったのは3日後くらい。水に触っていいよと言われたのは1月以上も後。指先の感覚は一生戻らないかも知れないと言われ、現実、今なお左の人差し指の先は、常にしびれたような感じになっている。バイトは、2週間ほど経ってから、無理やり包帯とって、「もう大丈夫です」と嘘をついて復帰した。無理して発熱したりしたけれど、もう迷惑掛けたくないという一心で頑張った。
 何より心残りなのは、怪我をした次の日が、1年半従事したアルバイトの送別会があって、それに参加できなかった事。なんとか送りものだけ準備して渡したけど、ホントに残念だし申し訳なかった。
 怪我っていうのは気を抜いた時に発生しやすい。どんな時でも緊張感を保って働こう。先日ピーク後に思い切り大量の灰皿落としてた子もいたし(笑)。

 


第12回 さあお盆だ

 飲食業界の3大繁忙期の一つ、お盆。T店では、このお盆が最も厳しい繁忙期となります。体力的にもそうとうしんどい。今回は、過去3年のお盆の体験談など。
 3年前、T店開店後、初のお盆。この年は人不足気味。いわゆる回らないという状態が連日起こり、身も心もぼろぼろ。7日で90時間くらい働いたんじゃないだろうか。死にそうだった。2年前は割と人がいたんだけど、新人ばっかりでレベルが低かったためにまたも連戦。他の人は4日に1回くらい休みがあったのに僕は無し。しかも休憩が僕だけ30分とか。みんなは2時間くらいあったのに。この年はまあまあ回った。去年は層が厚かったので休憩はしっかり取れたけど相変わらず休みなし。そうなんです。僕は毎年休みなし。しかも夏。エアコンついてても調理場は暑く、連戦が続くとかなり体がまいってくる。ずっと緊張してなきゃならないのでピリピリしてるし。今年は伊藤くんがずっと居てくれるので少しは雰囲気も和らぐだろうけど。

 ともかく祭りのように、皆でテンション上げて、ガンガン一生懸命働いて一気に乗り切って、打ち上げで上手いビールを飲もう。疲れが溜まって機嫌が悪い店長に要注意だ(笑)。
キッチンは仕込み、仕込みで毎晩終わるのは0:00を過ぎる。ホールは腰・足に負担が溜まる。体調管理だけは自覚を持って過剰なくらに注意するくらいが丁度いいよ。毎年、疲れからくる体調不良の欠勤が2・3名出るから。

 とにかく気合。これしかない。さあ、頑張るぞい。

 


第13回 お盆が明けたら・・・?

 年間最大の繁忙期がついにやってきます。そして今年のお盆は、3年間に渡ってチーフという立場を努めてきた僕の、最後のリーダーとしての大型連休となります。お盆が終わったら、本格的に次世代エースの育成、新オペレーションの導入に着手し、新しいT店の形成を目指します。僕は補佐役として一線を退き、洗い場なんかをやりながら皆のフォロー、アドバイスをする、という役目になります。リーダーという肩書きはおそらく退社する時まで付いて回るだろうけれど、それは本当に名ばかりになります。新しい形というものもこれから主役となっていく後輩達が模索して形作っていくのが理想で、僕は示唆をする気もありません。もう夏が終わったら退社してしまうのが理想なのかもしれないけど、僕も稼ぎ口が必要なので。

 そういうわけで、8月20日、お盆が終わって最初の日曜日、僕はT店には居ません。チェーン最大の売上を誇るK店にHELPに行ってきます。僕個人の能力を試すいい機会でもあるし、他の店がどんな風に営業してるのかも見てみたいので。いきなり僕不在という試練到来です。皆頑張って下さい。
 多分、僕一人が居なくなったところで、そんなに影響はないんじゃないだろうか。精神的に不安になるのは避けられないかもしれないけど、皆が普段通りにやってくれれば問題なく出切る筈なのです。指示を出す人が居ないというのは難しいけど。

 僕は今までの重い責任をちょっと下ろし、いろんな店にHELPに行ったりしながら、3年間の集大成というか、引き際の楽しみをしたいと思っています。他の店には僕より凄い人がいっぱいいるでしょう。同じようにチーフとして頑張っている人がXの数だけ居るのです。僕より素晴らしいチーフだってうんざりする位居る筈。そういう人達とも仕事をしたいのです。これはT店のためとかではなく、自分のため。自分のやってきたことが正しいのか正しくないのか。そして僕と僕らの仲間たちは、どんなところが他の店に比べて優秀なのか。勉強と好奇心。そして心のどこかにずっと持ってきた、僕らが最高だという思いが本当か、という確認。報告を楽しみに待っていて下さい。T店の代表として頑張ってきます。他の店のひとに、「T店は大したこと無いな」と笑われないように、看板背負ったつもりで必死にやってきます。

 


第14回 8/20 K店HELPの報告

 ちょっと遅くなってしまったけれど、8月20日(日)にK店にHELPに行った結果の報告をしたいと思う。チェーンの中で最大の売上を誇り、従業員の質も最高の呼び声が高い店。僕は朝10:00から夜の21:30まで、キッチンの花形、カット場を担当させていただきました。
 普通はHELPとなると無難な揚場や洗い場を担当する場合が多いのだけど、キッチントレーナー(全チェーン店の調理場の指導をするとっても偉い人)の指示によりK店のカット場実践が実現しました。集客はわがT店の約1.5倍。ディナータイムは250名入りました。T店で250名入るのは1年に2・3回。でもK店にしては暇な方だったそう。
 それにしても従業員が多い。T店は日曜ディナーは10人。それに対しK店は15人。お客も1.5倍だから、店員も1.5倍。当然といえば当然だけど。実はそのほうが楽。キッチンで6人で300名は簡単だけど、3人で150名は無理だもんね。
 実際に働いて思ったのは、評判に聞いていたほど従業員のスキルが高くなかったこと。そして、私語がとても多く、T店に比べたら一所懸命さという点ではかなり劣っていたこと。
 一人一人の力量、店の雰囲気、活気、そういう点では、はるかにT店が勝っている気がした。正直なところ、働いていてあまり楽しくなかった。何故皆もっと必死にやらないんだろう、という思いが強かった。
 でも、売上が高い店にはちゃんとした売上が高いだけの理由があって、提供される料理の質は、極めて高いレベルでした。一人一人の負担を減らし、いい料理をしっかりと出そう、そういう方針のようで。厳しい姿勢もなく、和気合い合いと楽しく仕事をして(それが僕にはどうしてもナアナアに見えてしまうのだけど)、良いものを出す。
 僕らT店のスタイルは、出来るだけ少ない人数で、皆で必死に頑張って店を回転させる、という感じで、それでも随分と質の高い料理を作っているつもりではあったけれど、K店の料理には敵わない気がした(チェーン店で提供される料理の質に相違があるのは、本来はとってもまずい事だと思う)。実際に目では見ていないけれど、ホールも充分な人揃えがあったので接客にも余裕があったのでは。そうなんです。大事なのはお客様に僕らが必死に頑張っているところを感じてもらう事ではなくて、美味しい料理をゆったりとくつろいで楽しんでもらうことなんです。僕らは、知らないうちにその至極当たり前の事を軽視していたのかもしれない。

 ただ、従業員個人のレベルでは、明らかにT店のほうが優れているんです。K店と全く同じ人員で同じ数のお客様を相手すれば、必ず素晴らしい営業が出来る筈なんです。人件費、生産性に目を奪われる事無く、充分な人員を揃え、そして質の高い料理・サービスを更に追求しつつ、今までどおりの高いモラル・意識を持って働いていけば、必ずいい結果が出る筈なんだ。

T店の方針はまだ改善の余地があるかもしれない。問題も沢山ある。でも、従業員はしっかりと優秀に育っている。今回の総括だ。 

最後に。僕が一日働いた後、K店の社員から高い評価・賛辞を頂く事が出来ました。一番の売上のキッチンの花形をそういう形で努める事ができ、僕はとても満足してます。

 


第15回 次世代エース

 先週からいよいよ僕がカット場から離れて新機軸を目指しスタートを切りました。当面はカット場はニッシーが努めていくことになると思います。僕が抜けた後のチーフはニッシー、という見方が皆さん強いようですが、とりあえず今はそういうつもりで彼にカットをやらせている訳ではありません。以下はほ僕と店長が一致している意見です。

 年齢的なことと、土日の出勤率から考えて、来年以降の中心的な存在を担う人間はニッシー、しま、ごっきーの3人になっていくだろうと思われる。この3人で、今の僕の役割を上手に分割しながら引き継いでもらおうかなあ、と考えているのです。センターラインのカット、揚げを基本的にはこの3人が勤め、オペレーションを司っていく。しまについては来週あたりから揚場で土日デビューをしてもらう。ごっきーは平日にカット場を練習なんかしながら、土日は今までどおりバックに立って、全体の流れを動かす役割を加えていこうかなあ、という感じ。正月くらいまでには3人とも全体のコントロールが出来て、かつカットも揚げもこなせるようにして3人のうち2人がいれば店が回るように、いわゆる複数のエース制みたいな感じで組み立てていこうと思ってます。ベテランの加納ちゃんとナカシはそれを上手に補佐してあげて欲しい。この2人は今までどおりのスタイルでいくつもり。そして更にその後の世代となるなお、あきた、はまちゃんの底上げ。この8人が僕の思惑どおりに育ってくれれば、なんとか来年も良い営業ができる状態にもっていけるはず。

 必死さで後輩に負ける人間は先輩とは呼べない。僕が常々言ってきたことを肝に銘じて頑張ってくださいな。

 そして、店全体の輪は、事実上ホールのひごちゃんがまとめていく感じになるのかなあ。彼女が皆の良きお姉さんとして心の支えになっていけると完璧。

 そうそう、ホールは心配してません。新生キッチンを皆でカバーしていきましょ。

 


第16回 なんじゃそりゃあ?

 今日9月8日、5日ぶりに出勤したら、なんとも妙な、理解し難い事が始まってました。

 それは、毎回ホールの人が退社する時に、「今日の自分の一番良かったサービスの内容を書く」というもの。それを店長に見せて、サインを貰う。具体例は店長によると、「常連さんと仲良くお喋りをしたこと」等らしい。こういったことをする目的は、店長曰く「皆の胸の内に内在する、お客様に喜んでもらいたいという気持ちをどれだけ実践できているかを確認するため」らしい。

 僕の素直な考えを言います。ちゃんちゃらおかしい。何でそんなことをするんだろう、という気持ちでいっぱいです。

 まず、目的から理解出来ない。皆が「お客様に喜んでもらいたい」という気持ちをきちんと持っていることが前提になっている。それが本当だとしたらなんと素晴らしい店だろう。昨日入ったような新人や、ちょっとやる気に問題がありそうな人たちも、こういう気持ちで仕事にのぞんでいるというのか。だったらこんなことする必要があるのだろうか。何もしなくても自然と素晴らしい接客が出来てゆくはずだ。
 そもそも、入ったばかりの新人も何年もやっているベテランにも同じ課題というのが判らない。何年もやっていてバリバリに働ける人に、「今日一番良かった事は何ですか」なんて聞くのは失礼ではなかろうか。きっと、誰にでも最高の水準で同じように接客するように心掛けている筈だ。たまたま一組のお客様に対してできた良い接客を書かせるなんておかしいと思う。もし、僕が店長に「今日、君が一番良い料理を出せたのはどんな内容ですか」と聞かれたら怒ってしまうだろう。全ての料理を全て最高の状態で調理して提供するように心掛けている。たまたま一組に対して出来てしまった美味しい物なんてむしろ失敗だ。
 新人にはいい試みかもしれないけど。毎回いい接客が出来るとも限らない。良かった点を明日からもっと多くのお客様に対して出していけるようにする姿勢を植え付けるにはね。
 仕事を始める前に、今日一日の目標を書かせて、その人のレベルに合わせて努力させるのならまだ納得がいくのだ。目標設定を相談したり示唆したりすることで個々の力量の把握が出来るのだ。だが、その人が何を考えて今日一日の仕事に臨むのかを全く無視して、結果として一番良かったことだけ申告させるなんて。
 そもそも、いい仕事をしたら上の人間が気付いて褒めてあげるものだと思う。勿論悪いことを指摘する事も。一日の反省として、自己採点させて良かったら良いと書き悪ければ悪いと書くのならまだ理解できるのだが。

 こういう事を通じてバイトと店長の意思疎通を図っていけるのならいいのだが、店長が一人一人を気に掛けていくのを放棄して、報告させることで安易に済ましてしまおうという魂胆があるように見えてしまう。「忙しくて見てられないから」っていうのは納得出来ない。あの人はそういう人だ。店長は点検のサインをするだけになるよ。絶対。

 そして何故キッチンはやろうとしないのか。それも疑問。でもやろうとしたら断固反対する。
 なんだか小学生の一日一膳運動をさせられてるみたいに思えてしまった。皆はどう思う?こんなの絶対おかしいよ。

 明日にでも店長に直接話してみます。愚痴言ってるだけでは仕方ないので。

 


第17回 苦言

 アルバイト大量離脱による新生T店が始動してから、早いもので半年経った。幾人かの退社が噂されてはいるものの、メンバーも今のところは充実してスキルも上がり、一見すると問題のない営業をこなせている毎日が続いている。それはとても良いことだと思う。

 でも。
 僕は、この現状に敢えて苦言を呈したい。今、明確な目標や意識を持って働いている人は、何人いるのだろうか。従業員の層と技術が安定したことによって一人一人の負荷は極端に軽減されていて、バタバタとオペレーションが乱れることも殆どなくなっているように見える。でも僕の目から見ればそれは薄氷の上を渡るように危なっかしい。つまらない細かなミスがやたらと多い。欠勤や直前の予定変更が増えた。個人レベルの店の必要性が減った事で、責任感が無くなってきているのだ。
 5分前出勤。5分前に職場に来ることではありませんよ。5分前からオペレーションに加わることですよ。ホールは担当以外のホール、パントリー(ドリンク、アフター)のフォロー意識はありますか。キッチンは他ポジションのフォロー、スタンバイ表には表れない細かな翌タイムの仕込みの意識はありますか。暇な時間に少しでも次の仕事を先にこなすという意識は?土日の17時、緊張してますか。暇な時、決まって起こりやすいミステイクへの配慮はありますか。胸を張って一生懸命やっていると言えますか。今、自分の欠点、課題が言えますか。
 自分の持ち場、担当さえ問題なくやていれば、自然に店が回っていくという感覚で働いていたら、絶対にいい仕事は出来ない。オペレーションはチームプレーだ。そして、店長やチーフはチームの指揮官。全体が店、お客様の為にまとまって闘う姿勢が絶対に必要なんだ。店長やチーフに怒られないように自分の責任だけ果たそうと考えているから、こんな情けない空気になってしまうんだ。店のために身を粉にして働く姿勢が見えない。半年前、不安定なメンバーのなかで、なんとか店を回していこうと、ベテランも新人も必死になってひとつひとつの仕事に向かっていった姿勢をもう一度、思い出して欲しい。

 必死さとか、そういう泥臭いことにもっと真剣に考えて見て下さい。16:00の暇な中間帯、汗だくになって走っている人間は、あなたの目にはどうやて映っていますか?

 


第18回 仲間を愛するということ

 今回は、先日に起こったちょっと悲しい話を書きたいと思う。
 9月の後半頃、体調不良を理由に円満退社したシマくんが、先週の日曜にT店に食事に来てくれて、久々に顔を見せてくれました。彼が来店した時は、僕はもう上がっていて休憩室でまったりとしていたところで、私服に着替えてから彼の席に行って、少しの時間ではあったけれど互いの近況報告なんかもすることが出来て、元気そうな様子を確認できました。
 ・・・・で、後日、仲間から聞いた話が、本題です。
 ただ、僕はこの場を使って特定の人を誹謗・中傷したくはないので、今回は事実を書くだけにします。本当は書きたいことが沢山あるけれども。
 シマが店に来店して、ホールの女の子が「シマくんが来ましたよ」とキッチンに知らせに来た(僕はその時すでにキッチンには居なかった)とき、キッチンの中に居た店長は「あっそう」とだけ言葉を発して、信じられない位に不機嫌な表情に変わり、そのままホールに出て行かずにキッチンでぶすっとふてくされたような状態であったらしい。キッチンの皆は、ちょっと顔を出して挨拶したかったけれど、店長のその様子を見て、何となくホールに出づらくて出来なかった。シマくん来店後、すぐに上がったホールの女の子が、休憩室に残っていた僕にシマくんが来ている事を教えてくれたので、僕は挨拶に行ったのだけれど、店長が彼を歓迎していない事は全く知らなかった。
 シマくんはその後食事を終えて、帰り際に皆に顔を出そうと思って、会計を済ませたあとにちょっとキッチンに入ろうとした。すると、店長が突然やってきてキッチンへの入り口に立ちはだかり、「皆は仕事中だから早く帰れば」とそっけなく言った。それが、店長とシマくんがその日交わした唯一の言葉だったらしい。
 ところで、シマくんは退社を決意した当時、体調と精神を大いに崩し、今のバイトは負担が大きいので辞めたほうがいいと医師に申告されたことを店長に話し、両者とも納得の上でその後何日間か決まっているシフト分を消化した上で退社している。退社の理由も正当であるし(医師の進言が本当かどうかは判らないが、両者の間ではそういう話が交わされている)、店長も納得した上での円満退社であった。ただ、シフト組みに関して、シマくんが抜けたあとは社員の休みが少し減ったりしていた。・・・・・これが、僕の知っている事実である。
 シマくんには先日電話を入れて、店長以外のメンバーでまた飲みにでも行こうと誘った。彼も嬉しそうだった。僕も4年間勤めた後、退社するときに人が不足していたら、その後食事に来ても歓迎されないのだろうか。従業員でなくなったら、僕の存在は掻き消されていくのだろうか。

 最近、父と母と3人で飲む機会があった。母の会社で、今年の1月頃、長年勤めていた社員が退社して、小さな居酒屋を始めたらしい。今、その居酒屋は、当時の社員がお客として大量に押し寄せ、毎晩一杯になる店内には、当時同じ釜の飯を食べた同士達が大半を占めているらしい。
 いみじくも父が言った。「一緒に働いている時、あくまで肩書きや立場で付き合いを形成する人間と、個人と個人の関係を大事にして付き合いを形成する人間がいる。後者は、その職場を去った後でも必ず仲間としての関係は保たれて心地のよい付き合いを続けていくことができる。上に立つ者が、下の人間を個人として接していけなければ、その職場はとても無機質でつまらないものだ」

 僕は、このHPでバイトの仲間達のリストを掲載しているが、退社した人達を削除しないのは、バイトという場を契機にして出会った仲間達との関係を、退社したという理由でその輪から外すことはないと判断しているからである。

 コマじゃなくなれば挨拶もしないなんて、悲しい話じゃないか。しかも、お客様としての対応も放棄するなんて。

 


第19回 なんじゃそりゃあ?2

 先日、読者の方から「第16回の内容のその後はどうなっとるんじゃ」というメールを頂きました。忘れておりました。遅くなってしまいましたが、続きを書きたいと思います。
 一日一膳運動は、9月3日に始まり、僕がそれを知ったのは9月8日でした。8日は店長が休みだったので、9日に話を聞いてみようと思ってました。ここまでは、前回に書きましたね。

 9月9日と10日は週末だったため、忙しくて話をする暇がありませんでした。そして明くる11日は、愛知県は大雨による水害に見舞われて大変なことになっていたんです。僕としてはなるべく早く話をしたかったので、月曜日の夜に店に電話を掛けました(僕は休みでした)。その日は店長がお休みだったのですが、その日に出勤していた社員に話を聞いてもらって、これはおかしいんじゃないか、と訴えました。するとその社員によると、実は接客担当のパート・アルバイトの大半が随分反対していて困っているが、店長には話していない、ということだった。その電話をしていた時、たまたま大雨で家に帰れなくなって店にマネージャー(店長より偉い人)が居る、ということだったので、社員さんにマネージャーと相談してもらうように頼みました。これは正しいことなのか、と。
 数日後にその社員と顔を合わせたとき、「こちらでなんとか話を進めるから」ということだったので、後は発言力のあるその社員に任せることにしました。

 ところで、その一日一膳運動ですが、実際にホールの女の子たちは、毎日毎日ひとつだけ飛びぬけて素晴らしい接客がある訳ではないので、適当に考えて作って書いているというのが現状でした。しかも、毎日退社時に書くのだけれど、店長は別に毎回チェックするわけではなく、一週間に一回くらい、書いた文の横にまとめて押印をするだけで、それについてコメントを書いたり話をしたりということは殆どなかったらしいです。
 そして10月になるとその記入用紙は何故か撤去され、この行動の真意が全く見えぬまま、一月も経たないうちにこの企画は終焉してしまいました。
 結局、話を通すと言っていた社員も、そのまま放っておいたらしく、何も進展ありませんでした。大雨の夜、マネージャーに話すことすらしていなかったらしいです。

 何故始め、何故終わったか判らないんです。一体、あれは何だったんでしょう?馬鹿みたいでしょ。

 


第20回 デシャップシステム変更に関して思う

 いよいよ20世紀も終焉し、僕の引退もすぐそこまで来ております。そろそろ僕個人の思い出なんかをつらつらと書いて締めの段階に入っていこうと思ってますが、とりあえず今回は、先月から始まっているデシャップシステムの変更について。
 従来平日はキッチン3人、ホール2人で、キッチンの一人が料理を完成させてパントリー(パウンテン)からホールのワゴンに持っていき、ホールはそこからお客様に提供するというスタイルでやってきていて、そのためホールがオーダー取り、提供からバッシングまで全てを担当するテーブル責任制でした。それが、キッチン2人、ホール3人の配置になり、ホールがパントリー&デシャップ業務を担当しようというもの。これによりホールでのサービスがより充実したものになるのではないか、という店長の考えでした。 
 半月やってみて思ったことは、とにかくキッチンの負担が増えたこと。暇な時間帯は3人がキッチンに入り、仕込み・営業・洗い物と3人でこなしていたのに、今は暇な時は3人のホールが外で手持ち無沙汰となり、中は2人でバタバタ。2人では厳しいのです。その代わり楽になったのは社員で、社員は事務作業にいそしむ。
 ・・・・これは問題だ。

 昨日、店長と閉店後に話し合ったのですが、新しいフォーメーションになったばかりで連携も取れていないのがかなり深刻だということ。だけど、僕はそうは思わない。
仕事の内容をどんなに論理的に能率のよく分担したつもりでも、かならずオーダーや入り方によって負担には偏りが出てしまうし、時間時間で大変なポジは変わっていく。それを一つ一つ完璧に細分化するのは不可能だと思う。そうではないのだ。フォーメーションとして、互いにフォローし合う気持ちを持っていれば、どんなに不完全なオペレーションでも、皆がそういう思いでやっていれば、円滑に仕事は進むはずである。今、そういう思いを持っている人が、果たしてどれだけいるのだろうか?
 今のホールのアップは、「私はこれだけやればいい」という感覚があまりに目立ってしまっている。キッチンも、アップの負担が重なる時にフォローする姿勢が減りつつある。これでは仕事の擦り付け合いだ。自分の仕事さえ無難にこなしていれば何も問題無いと思っている。

 そして、今確かにキッチンの負担は増えてホールは割とゆとりを持って働いているけれど、確かに学生のアルバイトとはいえ、もっとプロ意識を持って欲しい。キッチンはオートメーション化が進み、調理技術がなくても誰でも同じ質の料理を作ることができます。キッチンの人間の価値は仕事量・回転力。どれだけ速く効率よく必死に働くかです(もちろん正しいことを正確にやるんだけど)。ホールは作業員ではない。ホールはサービスのプロとしての意識・誇りを持って欲しい。そしてそのことを、キッチンの人は理解してあげて欲しい。
 キッチンには、回転力を重視した指導がなされ、その達成度がそのまま評価となっている現状がある。ホールにも接客に対する正しい評価をしてあげて欲しい。そしてホールにおける回転という葛藤の要素も含めて、もう一度、理想的な仕事のスタイル・方向性を浸透させていく必要があると思う。

 残念ながら僕にはホールに関する発言権は無い(今年6月頃、ホールの仕事内容に関して後輩に指導しないことを店長と約束させられている)ので、何か感じ取った方が何らかの打開策を。


第21回 ナカシに贈ることば

 本日2000年12月14日をもって、アルバイトのナカシくんが退社します。退社理由は持病の腰痛の悪化、店長との不協和、日常生活(サークル&学業)による時間の圧迫などらしいです。在籍期間は8ヶ月。今までこういう企画はやってなかったんだけど、ちょっとした気まぐれで、彼の回想なんかをやりましょう。たぶん明後日の送別会でもこんな話をすると思うけど、僕が酔いつぶれていて喋れなかった時のことや、当日参加できない人の為に書きましょう。

 ナカシが入ってきた3月(だったよな?)は、キッチンはSくん(背の高い眼鏡の青居車の彼、バック・カット)やHくん(パーマのCOOLな子、揚げ・バック)、Mくん(ひょろひょろ高校生、揚げ・アップ)、Kくん(背の高い高校生、洗い場・アップ)と伊藤くんとかのうちゃんと僕という構成メンバーで、レギュラー陣(僕、伊藤、S、H、M)は入社して皆一年を超えており、まあまあレベルも高く、円熟期にありました。回らないということは殆どなくて、しかも大学生が多くてしっかりした子たちばかり。ナカシは非常に恵まれた環境で最初の1ヶ月を過ごし、基礎的なノウハウを学びました。
 ナカシは、結構賢いんだけど、ちょっと普通の人よりも要領が悪いところがあって、仕事の内容はさくさくっと覚えるのにそれをこなすようになるまでに時間の掛かる人でした。彼の長所はその一生懸命さ。いつも必死に声を出してさぼることなく頑張ってる。その真面目さが僕は大好きで、ちょっとくらい仕事が出来なくてもまあ大目に見ながら(でも結構怒ったよね)、長い目で彼を見つめていくことにしていました。
 しかし、彼が入社したのは非常に微妙な時期で、それは第3回の内容と「提言」を参照していただけるとよく判るんだけど、従業員と店長の間に大きな確執があって、彼の入社後まもなく、僕と伊藤くんとかのうちゃんを残して、あとの人間が全て辞めてしまった。そのあと、慌てて人間を揃えた訳で、そうして入ってきたのがナオ、ニッシー、ごっきー、しま、といったいわゆる通称第5世代と言われるミレニアムT店のメンバー。とにかく4月、5月は新人だらけの中で何とか店を営業しなきゃいけないという状況で、毎日がとても辛く蝠謔oえてる。ナカシもまだまだキャリア的には新人だけど、一通りポジションが判っているというだけで中堅メンバーとしての仕事を要求される羽目になってしまい、僕が居ない平日などは無理矢理に指揮官をやらされていた。もともと歳が僕と同じということや、立場というものが彼を支え、少しづつではあるが彼にもやがて要人としての自覚が芽生えはじめていった。
 ナカシは本当に自分の特性や立場を良く理解しわきまえて役割をこなすことができる人間で、自分がやや多忙だったり腰痛なんかのせいで週末に出勤できないことから、いずれ必要になってくる次世代エースの育成というテーマの主役を自ら外れ、後輩にあたるニッシーやごっきーといったメンバーの後ろを支えることに専念してくれた。そして気が優しく年齢的な面からも良きお兄さんとして後輩の支えになってくれて、彼のお陰で僕も気兼ねなく後輩に厳しく指導することが出来たし、遠慮せずに後から入社したニッシーやごっきーに新しい期待を寄せた育成に取り組むことが出来た。また、僕が不在の時はカットとして僕のポジを担当し、エースポジションの大変さを身を持って後輩に教え来るべく僕の退社の心構えを訴えるとともに、カットのフォローという今後必要になるテーマも与えてくれた。そのため今、にっしーやごっきーなんかは僕が居る日でも常にカットのフォローに気を使っている(今は実は必要ない)。来年度、不完全な中堅選手がカットを努めてもおそらく大丈夫だろう。そして、彼の一生懸命さは必ずや後輩達に仕事に取り組む姿勢の何たるかを教えたはずだ。
 しかし今尚2000年のキッチンは未だ課題も多く、来るべき正月にもまだまだ不安材料をたくさん抱えている。彼はその役割を終えて退社するが、成長して一人前になった後輩達は、彼の一生懸命さや後輩達の良き理解者として優しく接した姿をよく覚えておいて欲しい。ナカシは間違いなく僕の理想を理解して陰から支えてくれた功労者だ。

 最後に。店長の方針と僕の理想が食い違い、板挟みされて厳しい状況にありながらも投げ出すことなく後輩達の指導に力を注ぎ、共に辛い時期を闘った同士として、僕は非常に感謝しています。ミレニアムT店の今は、あなたの努力が結実した姿かも知れませんね。ありがとう。そして新しい仕事先で、どうか無理をせず頑張ってください。


第22回 怒

 とても僕は怒っている。
 皆知っていると思うが、事務所に以前「カナダポークフェア」(これで判る人はどのチェーンか判るんだろうなあ)というキャンペーンがあった時に着用したTシャツがハンガーに掛けてあって、それにベタベタとネームタック(いわゆる名札)が貼り付けてありますよね。あのTシャツは実は僕のものなんです。店を辞めていった人達にお願いして、あそこに貼り付けて頂いているのです。本来、退社時にネームタックと(ホールの人は)蝶ネクタイを店長に返すのですが、店長に許可を頂いてそこに貼ってもらっていて、残念ながら歴代全ての人の名札がある訳ではないんだけど、でもかなりの数で、僕が辞めるとき、送別会の時に着ようと思っていたんです(汚いから着ずに会場に持っていくだけだったかもしれないけど)。今まで沢山の人を一人ずつ送り出してきて、そして最後はせめて名札だけでも皆に囲まれて・・・という僕のささやかな自己満足的我侭だったのですが。
 先日、何気なく店に出勤して事務所に行くと、足元に小さな紙切れが。拾い上げて見てみると、それはTシャツについていたはずのネームタックから取り外された、名前の書かれた紙でした(注・ネームタックは、プラスチックのバッジの中に、名前を記した紙のカードを差入れている)。ビックリしてTシャツを見てみると、ちょっと前に比べてかなり数が減っている。どうやら、新しいネームタックが切れていて、新人が入ってきたときに、制服支給の際、店長がTシャツから外して紙だけを取り替えて使っているらしいんです。ストックが無くなったら新しいのを買うものなんですが。そんなに高いものでもないし。ずっと楽しみにしながら一つ一つ集めてきたのに。。。しかも2年以上も従事した超功労者の名札を取り外した挙句、こともあろうか足元に放っておくなんて。。。悲しいです。あれは僕の物ではなかったんですね。確か店長に許可を得ていたはずなんですけど・・。

 


第23回 おい本当かよ

 今日の休憩中、某アルバイト君と社員mさんと食事していたときに聞いた驚愕のお話を、思い切って公開します。
 数ヶ月前、アルバイトのしま君が退社して間もなくの頃、某アルバイト君と社員mさんと店長でお喋りをしていた時のことです。
 話の筋を崩さない程度に、僕の想像で書き足された部分はあります。ただし、
店長のコメントは全て忠実に再現しています(アルバイト君のお話が本当なら、ですよ)。
 

 アルバイト君 「正月は、m.さんや伊藤さんは入ってくれるんですかね」
 
店長      「頼めば入ってくれるんじゃないの」
 
社員mさん  「あんまり入って欲しそうじゃないですね」
 
店長      「だってさ、その頃にはもう居て欲しくないじゃん」
 アルバイト君 「えっ!?どういうことですか?」
 
店長      「しまが揚場やって、ごっきーがバックやって、にっしーがカットをやれるようになれば、あいつらはもう必要ない」
 
社員mさん  「でも、、、、」
 
店長      「その3人が成長すれば、m.と伊藤は辞めてもらうつもりだった」
 アルバイト君 「クビってことですか?」
 
店長      「ああ。でも、しまが辞めて俺の計画が狂った。あの馬鹿野郎」
 アルバイト君 「はあ」
 
店長      「でも、いずれにしてもm.と伊藤はもうすぐ用無しだろうな」

 言いたいことは山ほどあるけれど、ぐっと怒りと悲しみをこらえ、コメントしません。皆様が感じるままに任せたいと思います。
ともかく、やがて必要性が無くなった(と店長が判断した)その時点で、僕と伊藤くんは解雇という形で皆様とお別れすることになりそうです。

 (現実を知らない方へ   僕(m.)  の年末年始出勤状況・・・12月28・29・30・31日、1月1・2・3・4・6・7・8日 
                  伊藤くんの年末年始出勤状況・・・12月28・29・30・31日、1月3・4・5・6・7・8・9日
  ポジションも主軸、朝から晩までフル稼働。僕ら二人が欠けたらお店は回転しません。勿論、丁寧に出勤のお願いを頂戴した上での超過酷なシフトイン、来年3月・就職直前までの勤務をお願いされたばかりです。僕はともかく、伊藤くんは現在は我が店の欠くことのできない主力だと思います。)


第24回 最後の聖戦

 上の第22回で、幾人かから励ましや慰みの言葉を頂きまして、ありがとうございました。だいじょうぶです。そんなに僕は堪えてないです。
 今までも何かの見返りを求めてやってきた訳ではありません。店を愛し自己満足で孤軍奮闘してきたのです。これに腐ることなく、最後の最後の繁忙期・年末年始を今までどおり精一杯闘います。

 確かに雇用者に使っていただけて初めて僕は存在できる。でも4年弱の積み重ねたモノを自分から投げ出す気は無い。僕に出来ることは、クビになるその日まで一生懸命やるだけ。
 さあ、最後です。皆様、お付き合いくださいよ。必死で。

 


第25回 年末年始を終えて

 遂に繁忙期(年末年始・GW・お盆)バイトも完全に終結。これで僕の闘いも残すところ消化試合のみ、となりました。
 今年の年末年始は思ったよりも客足が伸びずに終ってしまってやや拍子抜け。これまでの頑張りが足りなかったせいかもしれません。だからとはいっても、繁忙期独特の張り詰めた緊張感というのが殆ど感じられず、さあやってやるぞ、という空気があまり漂わずに過ぎ去っていく様子は大変に残念でした。僕の繁忙期の無賃労働は約20時間。休憩もそこそこに必死に働きましたけど、なかなか皆様には伝わらなかったようで、それどころかモラルの低い従業員がちらほらといて心苦しい限り。でも、頑張ってくれた人も沢山いましたよ。成長著しい人もいたし、それなりの収穫もあり、ですね。

 僕がこれまで死に物狂いで見返りとは無縁の奮闘を目の当たりにしてきた人達が何を感じ、僕が辞めた後のT店をどのようにして形作っていくか、それは本当に判らないし不安も沢山あるけれど、そしてイマイチの雰囲気の中で、100%気持ち良く闘えたとはとても言えないけれど、我ながら今年の年末年始も本当に良く頑張ったと思う。そして陰ながら僕を支え応援してくれた方たちには心から感謝しています。この場を借りてありがとう。

 残りの数ヶ月はどのようなスタンスで働いていくかまだ決めてないけれど、もう細かいことを考えるのは止めた。退社するその日まで一生懸命やる。自分が満足して4年間よくやったと思える辞め方ができるように。格好悪くてもいいから最後まで遮二無二働こう。それが、多分僕らしい姿だと思う。一歩引いて未来のために後輩を立てていくことが本当のあるべき姿かもしれないけどさ。最後まで走るのみ。

 


第26回 ひまわり

 元気娘が、このたび店を去ることになりました。あすかさん。去年の夏が始まる頃に入社した彼女は、天性の明るさと人懐っこさで、すぐに皆に打ち解けて、楽しく仕事をすることが出来ました。ただ、どうしても高校3年という社会をまだ完全には知らない歳ということもあって、少々言葉遣いに難があったせいでトラブルもありましたが、なんだかんだそれも次第に改善されて、いつも元気満点、職場に花を添えてくれていました。

 彼女とは休憩が一緒になる事が多く、毎週2時間、色々な話をしました。バイトのこと、将来のこと、趣味のこと、恋のこと。ここで全てを語りきれないけど、若いエネルギーに満ち溢れていて、そのパワーを、今度はずっとやりたかったというホテルでのアルバイトへぶつけることになりました。日進月歩の彼女にとって半年間週2回のアルバイトがどれだけの価値を持っているかは判らないけど、ここで得たモノ(少ないかもしれないけど、きっとあると思う)を糧にしてこれからも頑張って欲しいと思う。

 とにかく楽しいコだった。そして、やりたいことをどんどん実行していくことが、僕はとても感心したし、羨ましかった。

 送別会で、楽しい酒をお飲みましょう。そして、いつか成功して僕の前に再び元気な笑顔を見せに来てください。

 


第27回 追記

 今は2001年の7月某日。僕がバイトを退社したのは同年3月だから、もう4ヶ月も現場を離れたことになる。
 このたび、僕の後輩の某君がこのページの提供を依頼してくれたのを受けて、書きっぱなしでは失礼だろうと思ってそれなりの総括みたいなものを書こうと思うわけです。といっても前述のように現場からうんと遠のいてしまっていて、現実的に当時を思い出して書くのはいささか鮮明感に欠けていてナンセンスだと思うのでそのあたりは割愛。

 なんとか優良な店舗にしようという思いと、店がとても好きな気持ち(当時の社員よりも誰よりもその店と付き合いが古かったですからね)、そして自分に与えられた(そして期待された)役割を果たしたいという思い、いろいろなものが僕を突き動かして、それこそ異常なほどに献身的に頑張った記憶があって、それはもう本当に胸が張れることであるし、後輩の皆が今そういう土壌をどこまで継承してくれているかはわからないけれど、きっと頑張ってくれているだろう思うと、やはりたかがバイトといえども大変に貴重な経験をしたという満足感がありますね。うんうん。

 どうしても「僕個人の主観」ということばに甘えて個人の誹謗・中傷の部分が含まれてしまっていることが反省であって、そういうこともあり僕のペエジでは閉じてしまっていたのだけれど、このペエジが僕のHPで公開されていた頃に足繁く通って読んでくれていた可愛い後輩が自分のスペースを割いて掲載したいという希望を叶えてあげたくて、このたびの譲渡です。

 正しいこと、上の人の言い分に従うという社会の公理、そして自分自身の価値・満足、色々なことを必死に考えながら、これからも良き店作りを目指して、後輩たちが日々闘ってくれる事を心から願うのみです。早々。

2001年7月8日 (1997年5月〜2001年3月・アルバイトチーフ) m.