私の異文化体験日記  〜3月〜
3月1日 ポートランド時間
 朝、皆が出かける前に私の部屋に次々来た。明日は、少し遅くまで寝てていいといったのに、起こされた。9時にMindyが私をショッピングに連れて行ってくれる予定。その前にシャワーを浴びてしまおう。結局、彼女が来る前に、支度が終わらず、2人とも朝食を取っていないので、コーヒーショップで食事をすることになった。これは、初めての体験で、すっかりおいしいコーヒーの虜になってしまった。安く手軽に飲めるので、嬉しい。買い物は、私が5月に着る結婚式用のドレス。アメリカの結婚式ってどんなのかわからないから、見に行く。でも、結局決められなかったのだ。
3月2日 ポートランド時間
 今日は、ポートランドの市内見学。Momに連れて行ってもらった。日本でいう市役所は、モダンなつくり。日本のように冷たく忙しそうな事務の様子は見られない。郵便局は、とっても親しげに話をしてくる人が多かった。日本についていろいろ質問してくる受付の人手、後ろには行列が出来ていても気にしていない。私の方が、変な緊張をしてしまった。一番驚いたのは、病院。まず、あの消毒くささがない。そして、誰が医者で、看護婦、看護士なのか人一目では、わからないのだ。見ているかぎりでは、医者と看護婦の差別的関係というか、そういった隔たりみたいなのは感じられなかった。病院にある店は、売店というよりおしゃれな感じ。この病院はこの辺でも一番大きな病院で、病棟と病棟をつなぐブリッチからはポートランドを一望できる。病院にあるコーヒーショップでコーヒーを買ってもらって、Momとしばし、街を眺めながら話をした。
 今日は、ほんとに忙しい1日だった。見学の後は、ショッピング。結婚式にきるドレスを買った。そして、大好きなブラウニーを買ってもらって、家に帰宅。その後、StacyにDMVに連れて行ってもらうことになっていた。ここは、日本でいう教習所。というか、免許書センターみたいなところ。アメリカのライセンスがほしいと思っているから。勉強しないとな。夜は、BrianとBen,Stacyとピザで夕食。そして、ビリヤードをした。へたっぴなので、いろいろおしえてもらって、少しはましになった。
3月3日 ポートランド時間  日本のMomの誕生日
  朝食は、Stacyと一緒にパンケーキを焼く。週末の朝食は、お昼と一緒になることが多いので、結構しっかりしたものを食べるのだ。おいしー。昼前に、Johnの引越しの手伝いに向かう。こっちには、引越しのプロみたいなのは、一般的でないので、親戚やら、知り合いが引越しの手伝いをするのが一般的。
 彼の飼っていた魚の移動が大変だった。水を抜く機械が壊れたので、途中まで自分がホースをくわえて息を吸い込んで、水が上がってきたぎりぎりのところで、ホースの先を逆さにして外に水を流すのだが、何度も失敗して、水槽の水を飲んでた。見ているだけでも気持ち悪かった。無事に引越しが終わって、DadとMomとTaco Bellで遅い昼食。夜は、Dadに連れて行ってもらってNBAを見に行った。我がポートランドのチームが100点以上をとって勝利。そのお祝いにTaco BellのChalvpaのただ券が配られた。Taco Bell好き。私の家の近くにもできないかなー。
3月4日 ポートランド時間
 ゆっくりと目覚めて、朝食には、目玉焼き、かりかりベーコン。この朝食好き。特に、Momの作る目玉焼きは半熟でふんわりしていておいしい。食事の後は、メールをおくったり、日記を書いたりしていて、いつのまにか、昼寝をしてしまったようだ。3時くらいに目が覚めて、1階にあがっていくと、DadとMomがリビングにいた。そして、Momは私のためにサンドイッチを作ってくれた。おいしかった。そして、Momと夕食の買い物。夕食のお手伝いもした。現像に頼んだ写真をみながら、話ももりあがる。どの人がかっこいいとか、これはどこ?とか、楽しい時間。
3月5日 ポートランド時間
 StacyとBrianと学校に行く。彼らの授業を一緒受けて、また、私の嫌いな数学の授業の時は、図書館で勉強。今日の授業は生物学。私が高校の時にならった内容だった。自然界の生態系について。初めはわからなかったけど、だんだん慣れてきた。
 学校から戻ると、家にBrianがやっていきてStacyの車のタイヤ交換が始まった。なんでも器用にやってしまうBrian。交換を手伝いながら、写真を撮った。それが終わると、空気をいれるのに近くのガソリンスタンドへ。なんと一定の時間空気が出て、25セント。やっすい。私も空気入れに挑戦。その帰りは、私が運転して帰った。しかし、間違えて左を走って2人ともびっくり。でも、住宅街の中の道路なので、対向車は来なかったので、安心でした。
3月6日 ポートランド時間
 今日は、生物学のLabの授業。遺伝子についての授業。いくつかの遺伝子をもとに、子供の父親を当てるというなんとも高度な内容。私たちの班をはじめ、ほとんどの班がうまく遺伝子の線が出なかったけど、隣の班の人のがはっきりでて、顕微鏡写真を撮った。私たちも見せてもらった。生命の神秘を感じた。
3月7日 ポートランド時間
 朝は、水中エクササイズのインストラクターをしているStacyとプールへ。1時間たっぷり泳げていい気分。それからいつもと変わらず、彼らの授業を受けて、んーと納得しつつ過ごした。夜は、なんだか私が勉強している時に、激しい言い合いが始まったのでびっくりしてしまった。どうしていいのかわからず、ベットにいたら、いつの間にかねむってしまった。
3月8日 ポートランド時間
 Mindyと一緒にダウンタウンの見学と買い物に連れて行ってもらう。ローズガーデンに行ったが、残念ながら、薔薇は咲いていなかった。スターバックスのコーヒーを飲んで一休み。日本では、コーヒーはあまり飲まないけど、こっちでは、よく飲むようになってる。私のお気に入り。
3月9日 ポートランド時間
 大学のパソコンルームで、日本にメール。ここのパソコンは、日本語が使えるから嬉しい。でも、ここの生徒でないから、後から、何か言われないか心配。
 午後からは、ビーチハウスに移動して、週末をここで過ごすことに。初めて行く所だった。車でかなり走った。そして、行く途中、ラジオから坂本九の”上を向いて歩こう”が流れてきた。みんなに歌って!といわれ、歌った。はずかしかったー。夜は、皆で映画を見ながら過ごす。でも、肝心なシーンの部分が良く理解できなかった。
3月10日 ポートランド時間
 週末の朝食は、とても豪華。いつもは、シリアルなどで済ませてしまうが、目玉焼きや、ソーセージなど、盛りだくさん。朝食が終わると、私たち3人は、海へカニをとりに。網でとるカニとり、クラビングは、初めてみた。そして、ある程度の大きさのものから、持って帰ることができる。私たちは、1匹のカニを持って帰ることができた。夕食が終わってまた、映画鑑賞。今度は、怖い映画だったので、悲鳴をあげっぱなし。Dadにワインでも飲んで落ち着きなさいって言われてしまった。楽しいひととき。
3月11日 ポートランド時間
 今日は、ポートランドの家に戻る日。午前中は、宿題や片付けをして、午後の食事の後に、私たち3人だけ先に帰ることになった。夕食に日本食レストラン”TAKAHASHI”に行くためだ。帰りは、Stacyが運転していたのだが、私は、眠ってしまっていた。途中で、アイスのお店で休憩。私もアイスを食べて、その後は、景色をみたり、話をしたりして家まで帰る。
 夕食の日本料理は、レストランの雰囲気は、時代劇みたい。メニューは、日本語の音でローマ字で書いてあった。不思議だったのは、焼きそばの上に薄焼きたまごがのっていたこと。私は、天丼と食べた。帰りに、フォーチュンクッキーがでた。日本と中国が混ざっているかんじ。
 夕食の後、Brianの家に行って、チャイニーズチェスをした。初めてなので、教えてもらいながらやったのだが、難しい。
3月12日 ポートランド時間
 夕食にTERIYAKIのお弁当を食べた。近くにBENTOと書かれた店があり、そこには、TERIYAKI味の弁当が売っている。お店の人は、どうやら中国の人らしい。メニューも充実していて、値段も$5くらいで、お手ごろ。私は、餃子の弁当を食べた。久々に米を食べた。おいしかった。
3月13日 ポートランド時間
 夜、PSUから電話がかかってきて、日本語クラスの授業を見学できることになった。電話をしてきてくれた先生は、アメリカの人だけど少し日本語ができて、アメリカで話す久しぶりの日本語。英語と日本語を交互に話していて途中で分けわかんなくなってきた。でも、こっちの大学の日本語クラスを見学できるのは、凄く嬉しい。連絡をとってくれた家族や、Benにも感謝。行く日が楽しみです。
3月14日 ポートランド時間
 学校の帰りに、Benと明日日本語クラスに行く打ち合わせ。いろいろ迷ったあげく、彼の授業が終わるまで私は、学校を見て回ることに。楽しみだなー。
 夜は、Stacyと話をしながら、アイス!!!を食べた。こっちのアイス好き。毎日でも食べたいくらい。おいしかったー
3月15日 ポートランド時間
 いよいよ日本語クラスに行く日。あいにくの雨で、バスを待っているとき、寒くって凍えた。日本語クラスの様子は、違うページでみて!PSUは、とっても広くってキャンパスの中に店や道路が通っていて、うろうろしてた。でも、寒くってコーヒーを買って飲んで、後は、図書館をうろうろして、本を読んでた。
 Benが授業から帰ってきたので、帰ることになった。帰りに本屋に寄ってもらうことに。本屋は、前に来た時の場所ではなく移動してしまっていたので、どこだかわからない。実際に行ってみると、前よりだいぶ広くなっていて、いろいろなものが売ってた。私は、日本語の授業で使う教科書を買った。ほしかったのは、なくって残念だったけど、楽しい時間だった。
3月16日 ポートランド時間
 今日は、学期末テストのため、StacyとBrianは大忙し。私は、2人が授業の時に昼食をとることに。ブリトー。豆の入ったので、この味は、日本に帰ってからはなかなか口に出来ないかも。とってもお腹がすいたので、サラダも買って食べた。このいつもの店にいる予定でここで待ち合わせしていたのに、ここは、もう閉まってしまうらしい。校内をふらふら歩いてたら、男の人に声かけられて、しつこく話しかけられた。こまった。誘われた。しかし、英語が通じないっぷりをしてかわした。
 家に帰ってから、Dadの実家のWashingtonに行くことになっていたので、準備をして出かける。DadとMomは仕事で疲れているみたい。加えて、Dadは3時間以上の運転だったので、相当疲れただろう。お疲れさま。初めての州。どんな体験ができるのだろう。
3月17日 ポートランド時間
 Dadに朝食が出来たって起こされて、かなりすごい朝食を食べる。おじいちゃんの作った朝食。Dadもそうだけど、おじいちゃんも料理をする。家の父にも見習ってほしいと思う。
 朝食の後、向かいに住むStacyの友達の家に行く。私は、昨日の疲れがでて、2人の話している横でうとうと。そこへ、Momがきてショッピングに行くことに。街は、バーゲンの嵐で、いろいろ買いまくった。お土産やら、服やら。もう、買い物にいけんかもしれないし。楽しかった。
 夜は、Stacyの友達と一緒にピッザを食べに行って、映画を借りてきて家でみることになったが、いろいろ映画を選んでいる間に2時間近くの時間が過ぎてしまって家に戻ってくるのが遅くなった。最初は、おじいちゃん家でみるはずだったのにビデオの調子が悪いので、友達の家に行くことになった。でも、私は、ピアスホールが腫れあがっていたかったし、買い物で疲れていたので、家に残ることにした。2人が出かけていった後、Dadはベットに入ったが、私は、12時過ぎまでMomと話をしてた。私は、彼らにほんとに大切にしてもらていることが改めてわかったし、私のためにいろいろ考えてくれていることを感じた。そのほかにも、アメリカと日本の文化について話したり、この場合、特に家庭環境や、夫婦の関係についてが中心だったけど、教科書などの文献からは見れないような、そんな事実も知ることが出来た。いったいどんな話をしたか気になるって?これは、Momとの間だけで秘密にしたい。アメリカのこういった事情が知りたいなら、自分でホームステイを体験してみては。その国の生活を見るという意味では、ホームステイが一番。私は、彼らに出会えたことでいろいろ勉強になったし、アメリカで生活した体験によって、自分のこれからを左右させるほどの影響力を受けたと思っている。日本での生活がなんだか単調なものになっている人は、思いっきり冒険しに外へ出てみるのもいいのではないだろうか。
3月18日 ポートランド時間
 朝食を済ませた後、ワイン工場チョコレートのお店に行く。前に日本に送ってくれたおいしいチョコレートのお店だった。私も日本へお土産を買う。Momも私の家族にってチョコを買ってくれた。ワイン工場は、昔から知り合いのところらしく、いっぱいワインを買ってた。私もお酒に合うというピクルスを選んだ。DadとMomが買ってくれた。家に戻って昼食の後、Oregonに戻ることになった。しかし、途中で雨が降ってきて、ハイウェイは、水しぶきで危険な状態に。Dadも相当神経を使っただろう。家に帰って夕食の時、とっても機嫌が悪かった。Dadが怒った感じの表情を初めてみた。
 10時を回って、おばあちゃんの誕生祝いの残りのケーキをもらってきたので、それとアイスを食べた。やっぱりおいしー。幸せな時間。
3月19日 ポートランド時間 
 試験期間のこの日、Stacyはレポートをしている。私は、シャワーを浴びたり、メールをしてりして、時間を過ごした。その後、レポートを提出しに学校に行き、ランチ。初めて行くバーガーベルというファーストフードのお店に連れて行ってもらった。シェイクがおいしい。ハンバーガーはおっきくって食べるの大変だった。その後は、明日はMomの誕生日なので,Stacyは誕生日プレゼントを買いに、それから、今週末に日本食を作るので、その買い物に行った。天ぷらを作るが、うまくできるか心配。
3月20日 ポートランド時間 Momの誕生日
 今日は、私のアメリカのMomの誕生日。皆でお祝いしました。DadがMomの好きな魚料理を作って、先週買ったワインで乾杯。楽しい時間でした。Momの誕生日に同じ時間を過ごせて嬉しかった。
 この夜、アメリカの家族と私の将来についていろいろ話しをした。そして、ふと、日本の家族とこんな込み入った話をしたことがあったかなと。日本では、難しく、重大な話をする時は、かしこまった感じでなかなか切り出せないものだが、今回は、ほんとに自然にでも真剣に話をして、なんだか彼らの暖かさに感動して、そして、嬉しくて自分は、本当に幸せものだと思った。
3月21日 ポートランド時間
 日本食をつくった。かなり時間がかかった。メニューは、天ぷらと肉じゃが。料理の仕方を教えながらしてたら、1時間半くらいかかってしまった。Brianも食べにきて食事をしたのだが、皆おいしそうに食べてくれて嬉しかった。
今度は、時間のかからない物をつくろうっと。そう、この間、日本食レストランに行った時、枝豆を食べて、またこれが食べたいっていったので、冷凍の枝豆を発見して作ってあげた。案の上、豆を投げて口でキャッチが始まった。しかし、私たちのやり方とは違う方法をとったBrian.それは、豆が殻から飛び出てくる瞬間を利用して口にいれるというもの。お腹がよじれるほど笑ってしまった。おもしろい。
 夜は、Stacyと話をしながら送る。今回は、彼女と話をする時間が多いし、その時間が楽しい。自分の口から自然に英語が出てくようになった。
3月22日 ポートランド時間
 夕方、BrianとBenがやってきてバトミントンをした。何度も羽が植木に入ってしまい、それをBrianがとりに木に登ってた。写真を撮ったり、話をしたり。でも、なんだかこういう時間を過ごすのもあと何日もないのだって思いが込み上げてきて、寂しくなった。夜は、MomとMomのMomと買い物にいった。食事をして、今度5月の結婚式に履いていくサンダルを探しにいった。可愛いゴールドのサンダルを買った。それから、友達以外のお土産を買った。友達の土産はいろいろ見て回ったけど、何にしていいのか迷って結局買えなかった。
3月23日 ポートランド時間
 明日は、ポートランドを離れる日。なんだか複雑。日本に戻らなければならない現実と戻りたくない今の自分。そんな気持ちを抱えたまま、滝めぐり。雄大なコロンビア渓谷を眺めながら、いつかこの場所に住むことができたらいいのにと思う。
 今夜の夕食は、Brianの家族と。私は、できたら自分の家族と過ごしたかったけど、何か予定があったらしい。夜は、残りのお土産やらパッキングやらで、Stacyに手伝ってもらってやっと終了。お互い部屋に戻る時、きつく抱き合った。本当に明日が最後だって思ったら、いつまでも眠ることが出来なかった。
3月24日 ポートランド時間
 いよいよ最後の日。私たちより早く起きたDadとMomは庭仕事をしている。朝食を作っているStacy.大好きな目玉焼きとポテトコンビーフの朝食も言葉少なく、そしていつもより静かに取った。
 なんだか、今日で最後というかんじがしない。でも、日本に帰らなくてはいけないのだ。私は、このままずっとここにいたいよ。荷物を運び出して、いよいよ空港てむかう。いつも通りなれた道は、私にいろいろな出来事を思い出させた。
 11時半を回るころ、それは、思いがけない出来事だった。オーバーブッキングにより、明日のフライトにしてくれる人を探しているというアナウンスが流れた。初めは聞き取りにくい英語だったため何を話しているのか理解しているうちに、StacyとBrianが騒ぎだしたのだ。DadとMomはその場にいなかったが、日本に電話して、日本の家族がオッケイだったら、明日かえることになったのだ。嬉しいやら、なんとも複雑な気持ち。航空会社から、明日のフライトにしたために保証金と自分の荷物を受け取って、家路に着く。思いもかけない出来事で、拍子抜けしたけど。昼食に大好きなメキシカンナチョを食べた。おいしかったー。やっぱり最高。Momの料理また食べれた。
でも、明日こそ帰らなくてはいけないとまた、思ってしまう。午後は、庭の手入れをして過ごす。夕方映画に行く予定。ブラピの新作”The Mexican”をみた。帰りにピッザを買って夕食。BrianとStacyの友達と4人で、夜も映画鑑賞。Brianは明日は会えないので、今日がお別れ。握手のあと、彼は帰っていった。なんだか涙が止まらなかった。泣きつかれるまで泣いていた・・・
3月25日 ポートランド時間
 最後の日。泣きはらした目。私たちの伝統、私が泣くと、Dadがそっとハンカチをさしだしてくれる。次、会う約束も兼ねた私たちの伝統。私はいつも、泣きじゃくって、別れ際は何も言えなくなってしまう。彼らに出会えて良かったっていつも感謝している。そして、日本に帰っても、自分の日本の家族と同じように、ひと時も忘れた時はない。何度も、「また5月に会えるよ」って「これがさよならじゃない」って泣きじゃくる私を励ましてくれる。別れがくることは、本当に辛いこと。今日は、飛行機に乗らなければならない。泣きじゃくってお別れして、重い足取りで飛行機にむかう。飛行機が飛び立ってからも、涙を抑えることはできなかった。絶対戻ってくるっと心に誓った。
 飛行機の中では、ひたすら、たまった日記を書いたり、レポートの下書きをして過ごす。寝ると思い出してしまいそうで、目を閉じることが出来ないでいた。ずっと明かりをつけて、書き物をしているので、フライトアテンダントの人が話し掛けてきた。それに、飛行機の中のお客さんで、メモ紙がほしい人がいるので、紙を分けてもらえませんか?ときかれたり、英語のやりとりをスムーズにこなしている自分に驚いた。なんの違和感もなく、英語を理解している自分に驚いてしまった。日本に戻ったら、また英語から離れた生活だから、これまでについた英語能力も低下するのか、とがっかりもした。9時間42分のフライトは、まだ私がアメリカに戻れるかもしれないという期待をも抱かせるような時間だった。しかし、飛行機を降り立った場所は、間違いなく日本だった。ただいま日本。
 また、今度戻れる日まで、もっと勉強しないとな。

 私のこれまでで一番長かった海外滞在体験もこれでおしまい。5月には、また渡米の予定。いつも思うことだけど、いろんなこと体験して、たくさんの人にお世話になって、苦労もあったけど、確実に前とは違った自分になれて、そして、帰ってくる。この旅が、たくさんの人に支えられて無事に帰ってこれたことに、感謝して、そして、このページを読んでくれた人に感謝して、私の異文化体験報告日記は終了します。