浪人日記3 〜苦悩と挫折の日々

 

浪人31日目

2003.5.1

気が付けばもう5月。世間は呑気にゴールデンウィークだ連休だと騒いでいる。

毎年恒例のトラベラーズの旅行も、さすがに今回はパス。至極当然の成り行きではあるが、行けないということは非常に残念なことだ。

ふと、辞める直前のことを回想してみた。「3月末退職」というのは、ひとつの選択肢として存在していたことにかわりはないが、

現実としてそうなることは具体的に考えていなかった。できれば採用試験合格後に退職という形をとりたかったが、世の中そう甘くはない。

いちばん可能性として大きかったのが、6月までとりあえずやってみようかな、という選択。

しかしこれだって、実際6月になって辞めれたのかどうかは自分でも未知数の部分ではある。

それがうって変わって、3月退職に自分の気持ちを持っていかせたものは何だったのか。

その決定打は未だに自分自身でもわからない。打算的なもの、気持ち的なもの、どちらにしたって、

あまりいいものじゃなかったであろうことは容易に想像できてしまう。

大きな決断というのは、案外そんなものなのかもしれない。いやそれ自体が、大した決断じゃなかったのかもしれない。

それは今、自分自身が後悔することなく毎日を過ごしていることをみれば、簡単に知り得ることだったような気がする。

それはあくまで決断ではなく、ひとつのステップでしかなかったのだと。

 

 

浪人38日目

2003.5.8

時間と俺。

願書提出、歯科医院通院も今日で一段落。忙しなく時間に追われていた生活も、そして気持ちも、

ある程度の余裕が出てくるんじゃないのだろうか。

浪人生活の基本リズムは、一日のタイムテーブルを設定済。とはいうものの、確実に実行に移すことは難しい。

早寝早起き、休憩時以外はすべて勉強。のんびりもしていられない。

会社を辞めたのは言うまでもない、労働時間をすべて勉強に充てたいという気持ちから。

しかしあんまりにもがんじがらめに時間の設定をして、かえって心に余裕がなくなってきているのも事実。

誰しもに平等に与えられているのだからこそ、自分はその限りある資源を有効に、オリジナルに消化して、確実に血肉となることを望む。

その片方で、効率ばかりを求め、疲れてきている自分がいて、無駄にぼんやりしたくなる衝動に駆られる。

今のこの時間はもう二度とは戻っては来ないから、そのときにしたいと思っていることをやるのがいちばん、精神衛生上いいのかもしれない。

そう考えてみたら、ぼんやりしていてもいいと思えるようになった。

やっていることすべて、生きているという過程において、無駄になるようなことなんてきっとないのだから、そのときそのときを経て、

今の、そしてこれからの自分は形成されていく。だからこそ、ぼんやりしている中でも、ちょっと思考を張り巡らせて、自分を少しでも高めていってみようと思う。

 

 

浪人47日目

2003.5.17

いよいよ試験まで2ヶ月を切った。押し迫るような逼迫感は正直今日の夜まではなかった。

しかしふと某巨大掲示板にて教員採用試験の現状を垣間見ることがあり、そこで意識が変わった。

心のどこかで少なからず甘えが存在し、無意識にそれを容認していた自分がいた。

迷惑や心配を掛けさせているのにも拘らず応援してくれている人たちに失礼なことをした。

自分のためではなく、そういった人たちのために、やり遂げなくてはいけない。

この環境にすっかり慣れてしまい、危機感や新鮮さがまったくなくなってしまわぬ前に。

意識改革ができるようになると、それと連動して日常の思考も自然とレヴェルがあがってくる。

夜の散歩をしているときに思ったこと、それはものの見方。

自分の自宅を基準に、違う方向から見てみたらまた違った風景として目に映ったことに、不思議と驚きを感じた。

日々の生活にメリハリがなくなったら、ちょっと角度を変えて見てみよう。そして、再び頑張れるように、新鮮な気持ちをどこかに残せていけるように。

 

 

浪人53日目

2003.5.23

浪人生活スタートから試験日当日まで、ちょうど折り返し地点まで来た。

この生活にもすっかり慣れ、4月当初と比較すればだいぶ実力もついてきたのではないかと思う。

ただ何につけ覚えることは多く、それを正確にアウトプットするという作業を身に付けるのはなかなかしんどいことで、

一問一答や選択式の回答の楽さ加減を思いうらやみ、勉強に励む。

ここまで来ると、自分の得意分野と苦手分野が比較的明確に分かれてくることが判明した。

大体傾向は把握しつつあるので、苦手は苦手でも、効率よく勉強することが大切だとは思うが、どこから出題されるかは

あくまで過去の問題から自分が勝手に都合よく予想しているだけのことであり、実際その法則が適用されるかなんて

当日にならなければ当然に知りうることはできない。

何かの歌の歌詞にあった、「ヤマのかけ方に もうイマイチ思い切りがないために成功した例など一度もないのさ OH YEAR YEAR」といった心境が、

笑えるのだが痛いほど共感できてしまう。

とにかく中途半端はやめて、できる限りのことをやって後悔しないようにしよう。

というか、既に気持ち的に教師以外の道で生きていくことが考えられなくなってしまっている時点で、やばいのかもしれないけれど・・・。

挫けそうになったときは、「人生一度しかない、後悔するなかれ」「たったあと50日間」そう言い聞かせていこうと思う。

しんどくても自分に負けない強い精神を身につけていきたいと切に願う。

 

 

浪人62日目

2003.6.1

いよいよ6月。カウントダウンは40日台。今日は模試があったが、自己採点してあまりの不甲斐なさにある種苛立ちのようなものを感じた。

この数ヶ月、いや既に1年近い時は経過しているのにもかかわらず、思ったより伸びてない。

問題の質が悪いという適応規制、そう、合理化したところで自分の中の情けない気持ちや焦りの気持ちは拭い去れない。

勉強すればするほど不安になり、かと言って手を抜いたら抜いただけもっと不安になる。

覚えることが多すぎるから傾向を探し出し重点的に勉強するが、ふと解けない問題やヤマを張っていない問題にぶち当たるとそれだけで気が滅入る。

もしかしたら自分のやっていない問題が出るんじゃないか・・・、そんな理由でできない、もしくはわからない問題がこうやってテキストや問題集、

模擬試験の問題として課されるというその意味を、僕は僕なりにちゃんと理解しているつもりだ。

効率化と徹底化はどうしても相容れない。どっちつかずでいつまで経っても気持ちが落ち着かないそんな自分がもどかしくて仕方がない。

本音を言えば、数少ない頻度の確率の高いものを確実に得点にできればという気持ちが強い。

 

 

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