「27歳最後の日」の考察
毎年のこと、かつ至極当然のことではあるが、誕生日を迎える頃はいつも年の瀬で何かとせわしない。
一年を終えるとともに僕自身のその年の年齢も終わりを告げ、さらにまた一つ年齢を重ねていくことが、
いわば当たり前のように感じられるようになってきたのはここ数年のこと。
昔は、誕生日もクリスマスも正月も一緒くたにされるこの「12月29日」という日を忌々しく感じたりもしたが、
与えられるものも限定されてくることもあってか、はたまた単純に歳をとったせいか、
そんな大人な考え方でもって、イヴェントの多い師走の隙間的存在のこの日をわりと誇らしげに思えるようになったのは、
僕にとって一つの進歩だと言っていいのかもしれない。
珍しく「紙の」年賀状を作ってみた。
この一年を振り返って、各人にコメントを作成するのがいわば年賀状の慣わしのようになっているが、
僕も例に漏れることなく、刷り上ったばかりの年賀状に、友人宛コメントを付してみた。
コメントの内容は、要約すると「所詮は私事な回想でしかないが、この一年は本当に改革の年であった」といったようなものだ。
実際この一年は、今までにないくらい多くのことが変わったといっていいものだった。
転勤で勤務地が変わるどころの話ではない。6年前の今日、果たしてこんなプロセスを想像することができたであろうか。
ここ静岡は、意外なほど若年層の転職率が低く(正確な統計ではなく、経験則から導いたあくまで自己的推測である)、
自分だけが特殊なのだろうかという不安が当初はあった。仕事を辞めること=悪であるというほど大げさじゃなくても、
少なくとも「あぁ、この人はそんな冒険をしてどうする気なんだろう、せっかくいいところに就職したのに」というネガティヴな思考によって、
自身を好奇の目に晒した事は忘れることができない。
親友のエッセイ「28歳に関する考察」において、この年齢は「重要な分岐点、壁を越えるための踏み切り板みたいな」位置付け、と定義されている。
それはあくまで「30歳」を想定したうえでの「28歳」に対する個人的見解ではあるものの、あながち間違った考察とも言い切れない。
ただ僕が今その位置づけにいる(=27歳)ことで、多少個人差が生じることを加味してみたい。
そうして考えると、僕のこの一年というのはそこに集約され、実にうまくリンクすることがわかってきて、
精神的に身近にいるその親友にすべてを見抜かれているような気がして少し照れくさくなった。
僕自身の考え方や在り方、生き方は相当に変わったと断言できるほど変わった。踏み切り板をセッティングし、助走を十分にとり、
壁を越えるそのときを待っている。いままでののほほんとした生き方とは180度違う生き方へと変化した。
でもその中で根本はいつでも一人の「せり」という男であって、その変化はあくまでマイナーチェンジでしかなく、
加えて僕はいつまでたってもマイナーチェンジしかできない男なのである。
だからというわけではないが、年齢なんてものはあくまで一つの基準であって、根本を揺るがすほどの大それた数字ではないというように感じる。
ただ、その「あくまで一つの基準」は、ある程度の区切りをもって目標設定するには実に都合がいいシロモノで、
28歳を迎え、間髪入れずに訪れる2004年という一年をどう考え、どう生きていくのか、改めて見つめ直すいい機会になることはいうまでもないことであろう。
何歳になっても、自分自身の根本的なスタイルは頑なに維持していければ、どれだけカッコいいか。僕はそんな生き方をしてみたい。
そして、28歳の僕に、幸せが訪れますよう・・・。
・・・でもやっぱ、歳はとりたくないね、正直。明日(12月29日)という日を素直に喜べない自分が今ここにいます。