最初の動機

2001年4月
司祭の人事異動が行われた
K教会にも
新しい司祭が派遣された

教会の様相は司祭のキャラクター
でいかようにも
良くも悪くも変わっていく
そのたびに信徒は戸惑い
変わるあり方にたいする順応に
心を痛める。

わたしたち教会委員は
司祭が替わっても
教会のベースは
変わらないものにしよう
そのたびに混乱があっては
そのたびに落ちつきを失う

そのように努力し基本を
作成しようということで
進んでいる最中であった

広報担当の教会委員であった
わたしはエスカレートする
司祭の横暴さをとめるために
また信徒が昔風に司祭を取りまき
取り入る信徒が目に余るため
組織の秩序を保つため
「自立しない教会」を
教会の広報紙に
立場を明記して書いた

これが事件になった
ことが起きるには
そのきっかけが存在するのである

がそのことは
何にも論じられることなく
見える事象のみで

全てが判断された



これはカトリック教会での
出来事である

わたしたちはこのことの教訓を
受けた痛み、不条理などを
無駄にしないため
本当の教会の姿や
教会生活について書き続けよう

わたしたちはここで
神学的なことやその解釈を
また
哲学的なことやその解釈を
行うものではない

人はパンのみで
生きていくことは出来ない

信徒が生きるための
大半の生活の場である社会を
また教会生活を
生きていく上で受ける
さまざまな不条理や
故意に受ける悪意の仕打ちや
避けては通れない問題を
考え、発言し、膿を搾り出し
よりよい教会生活をめざし
人が集まる教会を願い
また社会生活をキリスト者として
よりよく生きていくための方法や
考え方などを考えていくものである

カトリック教会は信徒や
司祭のためにのみあるはずはない
未洗者や無関心者、無神論者
否定的な人といった
キリストを真に理解しない人たちや
背を向け続けている
人びとのためにこそ
存在理由があるように考えます


わたしたちの発言は
決して、教会批判に終わることなく
教会の明日を別の角度から
見て、考えて、結果を
発言し続けていくものである

カトリック信者は
個人的に祈ることも必要です
日曜のミサに参加することも必要です
教会の奉仕を担うこと
献金の必要性などいろいろなことが
ファクターとして課せられます

また片方では困難に
ある方がたのことも考え
そのことの理解も深め
関わりを、知識を、共感を実感的に
修得していくものである

また、ネガティブに考えれば
カトリック信者はよりよくいきる方法を
いろいろな機会に教わり、聞きます
なりよりも聖書という
素晴らしい本があり
個人でも、教会でもこれを中心に据えて
全ての行動が決まります

しかし、一番大切な「愛」の精神は
わたしたちに根付いているでしょうか


==2002.01.22.(take-77)==