最近の動きから

◎第174回よか研究会
 久しぶりに原田博二先生(長崎歴史文化博物館研究所長)をお迎えしました。
 先生の著書「長崎南蛮文化のまちを歩こう」を素材に話があり、その後は、松平伊豆の守が
 島原の乱の鎮圧のために長崎に来たときの話とか、出島からポルトガル人・南蛮人を退去さ
 せた後の出島の利用・活用に関して、4年の空白の後に平戸のオランダ商館を長崎の出島
 に移転させるときにも、伊豆の守が大きく関わっていた話とか、知られざるお話を傾聴し、と 
 ても楽しいひとときでした。原田先生、有り難うございました。





◎第170回よか研と福岡よか研の合同懇親会
  平成20年8月26日に福岡市の中州の「鮨処 剛」で合同の懇親会を開催しました。
  久方ぶりの再会に遅くまで歓談が続きました。




◎東京よか研の開催
  平成20年7月23日に東京よか研が、東京プリンスホテルで開催されました。
  遅くまで旧交を温めました。



    

◎第167回例会
 5月のよか研究会は、海上保安庁が創設されてから、60周年を迎えるそうです。
そのことを記念しまして、長崎海上保安部の石塚照美部長お世話で、巡視船「はかた」に乗船
し長崎港の体験航海をしました。一時半に出航して三時半に帰港する二時間の航海でした。
 長崎の歴史は長崎港から始まりますので、大変に楽しい長崎港の体験航海でした。
石塚様は、海上保安庁の特殊海難救援隊(海猿)の隊長を経験された方と伺っております。
石塚様、有り難うございました。









◎第160回例会
 さて、長崎くんちは、今年も10月7日(日)、8日(月、祝)、9日(火)と諏訪神社の踊馬場にて
奉納されます。6月1日の小屋入りから、子供達も入れて各踊り町も最後の練習に励んでいま
す。間近に迫ったくんちの行事も、まずは庭見せで始まります。
 そこで、第160回のよか研究会は、恒例になっています「庭見せ」を次の要領にて、10月3
日に楽しみました。今年の踊町と町ごとの「だしもの」は次のとおりでした。
◎八幡町「傘鉾・弓矢八幡祝い船・剣舞」◎麹屋町「傘鉾・川船」
◎西M町「傘鉾・龍船・本踊」◎興善町「傘鉾・本踊」
◎万才町 「傘鉾・本踊」◎五嶋町「傘鉾・龍踊」◎銀屋町「傘鉾・鯱太鼓」。





◎第158回例会
第157回のよか研究会は、9月8日9日に、長崎自動車の上田社長のお取りはからいで、同
社のホテル・グル−プの雲仙「青雲荘」にて、泊まりがけでのお疲れ休みを計画を実行したま
した。青雲荘からのコマ−シャルではないですが、「現代人の心の糧“安らぎ”を提供します。
雲仙随一の湯量と泉質を誇る小地獄温泉から直かに流れ込む乳白色の大浴場は、いつでも
入浴可能。ログハウス風共同浴場小地獄温泉館も近く、温泉三昧。山の上だが生簀には新鮮
な魚がいっぱい。大小の送迎バスがあり団体にも個人にも便利。見物どころも豊富で地獄め
ぐりへは徒歩20分、普賢岳溶岩ドームやミヤマキリシマの大群生、樹氷の見られる仁田峠へ
は車で20分、ロ−プウェイで頂上まで登り、雲仙の魅力を堪能しました。


◎第154回例会
さて、今月のよか研究会例会は、5月24日に諏訪神社本殿隣りの由緒ある、永見家の名邸
諏訪荘の建物や庭園の美しさを鑑賞しながら、その由来と食事を楽しみました。
この建物は、長崎の豪商 永見寛二氏が大正10年に、炉粕町七番地に六百坪近い土地に宏
壮な邸宅を建てた。この建築物は、無節の日本栂材を用い、釘を一本も使用しない大正時代
を代表する日本建築である。
 時節を経て、昭和11年より「諏訪荘」の商号により、和式旅館として営業し、日本三指に数え
られ、皇族をはじめ、内外の著名人が多数利用され、天皇皇后両陛下には、皇太子時代に御
宿泊されているとのこと。
 寛二は、以前からの病気療養のために、ほとんどここに住むことなく他界した。
永見御殿と呼ばれたその邸宅には、寛二に実子がいなかったために、養子にした実弟六三郎
(大正八年没)の家族がその後居住したが、昭和十年に人手に渡り、やがて旅館・諏訪荘とし
て存続した。しかし、昭和59年、廃業に当たり、取り壊されることになったが、保存を望む市民
の熱意により、諏訪神社に移築奉納され、現在に至っているとのこと


◎第153回例会
さて、風薫る4月26日のよか研究会は、長崎の三大中国寺の中で開山が最も古い、興福寺
で、松尾住職のお話と普茶料理を楽しみました。
普茶料理とは、江戸初期に中国から長崎に渡来した、黄檗宗の祖である隠元禅師が、
興福寺に伝えた中国式の精進料理のことです。
 隠元禅師は興福寺で修行され、興福寺の山門の「東明山」の字は禅師が命名された、直筆
だそうです。長崎の三名筆と言われるている、隠元さんを楽しもうという趣向にしました。
般若湯も入りますので、時間の経つのも忘れて歓談いたしました。



◎第146回例会
 146回の例会は、大島、崎戸島の美しい島を訪れ探索しました。
 西部海岸からの沖に浮かぶ大島、崎戸島からの景色は昼も夜も大変美しいものでした。
 真夏の長崎から抜け出して、自然と海の美しさに浸りながら、活魚グルメに挑戦しました。

  大島は大島造船所の町ですし、崎戸島には旧産炭地の面影を留める炭鉱住宅の跡も残っ
 ています。石炭資料館にも立ち寄りました。

 大島造船所の常務取締役・工場長に華麗なる転身を果たしました、久富宣昭 様のお骨折 
 りとご案内でアイランド・ホテルに宿泊しまして、大島と崎戸島を大いに楽しみました。

















◎第145回例会
  軍艦島を回遊するツアーを、18年8月26日の土曜日に行いました。
 日本の輝ける産業として発展していた時代の面影を彷彿とさせていました。
 歴史的資産として「世界遺産」に登録されると良いなと思いました。























































◎第144回例会
  日本経済新聞者の長崎支局長、新井 裕 様が東京本社にご栄転になりました。
 今後のご活躍を期待したいと思います。













◎第138回例会
  2月の例会は、長崎大学を中心に活躍している、当研究会の常任幹事の浜 民夫
 先生が、この度、長崎文献社から「ニ一トにさよなら」という本を出版することになりま
 したので、この際、その内容について、お話しして頂きました。
 大学での授業やゼミ、ジョブ倶楽部での指導、高等学校での講演、などなど若い人 
 たちとの交流を通じての体験から生まれた著作だということです。
 ニ一トやフリ一タ一問題は、今、社会問題になっています。政府や自治体が全力を 
 挙げて取り組んでいる課題です。
 そして、ニ一トやフリ一タ一は他人事では無くて、私たちの身近な問題です。
 なにしろ長崎県内に3万人を超えて存在していますので、我々の身近なところにも、
 この問題で悩んでいる、という例があると思います。
 当日は、議論噴出で大いに盛り上がりました。












◎第137回例会
  1月のよか研究会は、「長崎の観光」や長崎経済の可能性についても、日本銀行
 長崎支店長の深野浩平 様から、心強いお話をお聞きいたしました。
 その後は、出席者全員で新年の抱負などの意見交換会も開催しました。
  深野 様、貴重なお話、大変に有り難うございました。


◎第135回例会及び第136回例会
 第135回の11月例会(17年11月18日開催)では、長崎県庁の横田修一郎地域振興部長さん
をお迎えして、「ながさき夢・元気づくりプラン」の概要説明などがあり、その後に長崎の発展に
ついて意見交換をしました。
            「ながさき夢・元気づくりプラン」ホームページ
          http://www.pref.nagasaki.jp/pref_plan/index.html

 第136回例会は、翌12月11日の「女神大橋」の開通を前にしての納会を兼ねての12月例会
(17年12月10日開催)でした。
長崎県がアーバンルネッサンス2001で計画していたプロジェクトが、本年に入ってから、4月の
長崎県美術館のオープン、11月の長崎歴史文化博物館のオープンそして12月11日の女神大
橋の一般利用の開始をもって完了となりました。

― 新しい長崎の魅力 ―

長崎奉行所立山役所の風情の残る長崎歴史文化博物館
















長崎港口に立つ斜張橋・女神大橋
美術館の屋上からの遠景






水辺の森公園からの遠景





水辺の森公園と一体となっている長崎県美術館














◎第131回例会 長崎港の現状と課題
 7月例会は、長崎運輸支局長の相田守史様をお迎えし「長崎港の現状と課題」についてのお
話をお聞き致しました。
大型地図を見ながら長崎港の現状をお話しし、港内に入港する超大型客船の方向転換の話
とか、岸壁には「出船」がたで着岸すべきところ、「入船」がたで着岸せざろうえない話とか、よ
って長崎港の出島バ一スの拡張工事をしているとかのお話しがありました。大変に有意義な
講話でした。相田支局長ありがとうございました。







◎第128回例会 興福寺で記念写真を!





◎第127回例会 凧揚げ大会













長崎南校吹奏楽部








親和銀行ぶらぶら支店のメンバー(長崎新聞より転載)




◎第126回例会は、九州旅客鉄道(株)長崎支社長の大隈 伸彦 様 の講話を、楽し
 く、夢をふくらませながら拝聴しました。
 長崎の町は港と駅から発展したといえます。
 駅や鉄道はどの町でも町のシンボルであり、発展の中心にあります。
 長崎の歴史、文化、伝統と深い関係の中で、長崎駅やその周辺事業は発展してきま
 した。「JR長崎事業の現状と今後の新展開」と題しまして、新幹線のお話も含め
 まして勉強いたしました。



 


◎ 酉年最初の第125回例会は、阿蘭陀正月料理を大いに楽しみました。
  長崎料理の達人、脇山順子先生と長崎プリンスホテル総料理長の鈴木千春さんに
  よる阿蘭陀正月料理を、解説を交えて味わいながら新年を祝いました。
  その模様を、料理の写真とレシピーからご想像下さい。



太田 広美 事務局長




脇山 順子 先生




鈴木 千春 総料理長








グルウンソップ


スシスフロウド


コクトヒス


アルダーフル


スペナーン


ゲールヲルトル


ゲバックヒス


カルマナーチイ


ゲブラードルエントホーゲル


アセー


ゲコークトレイスト


カネールクウク


ポーラルチス


オリボーレン




◎第124回例会は、上田恵三様・商工会議所副会頭就任、瀬頭昭治様・藍綬褒章
受章、中島章一郎様・旭日双光章受賞、3人の方々のお祝いを兼ねて、恒例によりまして、納
会を開催致しました。
 「長崎ぶらぶら節」を太田事務局長の唱歌指導の下全員で大合唱をして、申年から酉年にバ
トンタッチをいたしました。

上田 恵三 様


瀬頭 昭治 様


中島 章一郎 様


古川 恒雄 様


長崎ぶらぶら節の合唱



◎第123回例会は、日銀の深野支店長に景気についての熱のこもったお話をいただきました。
 @ 長崎の景気も全国の動向と同じく回復過程にあるが、回復テンポは全国に比べ弱
    い。また、業種別には製造業の方が力強い回復となっている。
 A 製造業、とりわけIT関連産業の割合が低い。長崎の弱点が見てとれる。
 B 長崎の場合、非製造業では目立った回復は確認しにくい。
 C さらには、経営のIT化が遅れている。
 D 観光誘致は、シルバー世代に力点を置くことがポイントとの提言もあった。

日銀支店長 深野 浩平 様






◎ 第122回例会は、長崎くんち「庭見せ」と「くんち料理」を楽しみました。
 次をクリックして見て下さい。
   → http://homepage2.nifty.com./hiromiran/page029.html
  そして、今年のくんちは樺島町が7年振りにコッコデショを奉納するなど七ヶ町
 の踊り町が奉納いたしました。

 @ 庭見せ



















 A 長崎くんちモッテコイ!


















◎ 第116回のよか研究会は、浜 民夫が「長崎県の雇用ミスマッチ」をテーマにお話
 しました。

 長崎県の次世代を担う高校生、短大生、そして大学生は上手くテイク・オフができて
 いるのでしょうか。
 長崎県における若者の雇用のミスマッチについて意見交換をしてみました。
 皆様方の会社や役所にもこの4月から新入社員が入社して来たと思いますが、果た
 して何月まで持つでしょうか。。。。
 興味のある方は次のアドレスをクリックして下さい。
   →雇用ミスマッチ分析
        ../../NatureLand/2787/page008.html

◎ 第115回のよか研究会は、2月18日に新装となった諏訪神社本殿隣りの由緒ある
 「諏訪荘」を会場に、その建物や庭園の美しさ、松田q一さんのお話、そしてご馳走を楽し
 みながらの例会を開催致しました。皆様方、松田様、本当に有り難うございました。
  諏訪神社の禰宜(ねぎ)の松本旦史さんにお祓いもして頂きまして、昇殿の栄にもあずかり
 ました。今年は多分良いことがあるでしょう。


























◎ 申年の新年に当たり、1月24日(土)は 古川 康 佐賀県知事をお迎えしまして、第114回
 のよか研究会を開催いたしました。
 大変楽しく新年を語り、和気藹々と懇談をいたしました。
































◎ 長崎くんちが10月7日(火)、8日(水)、9日(木)と諏訪神社の踊場で奉納され
 ました。また、昨年から始まった「長崎くんち モッテコ一イ」は、テント張りされた公会
 堂前広場で、10月12(日)、13(月・祝)の両日に、開催されました。6月1日の小屋
 入りから、子供達も入れて各踊り町も最後の練習に励んできた成果が披露されまし
 た。

  第111回のよか研究会は、恒例になっています「庭見せ」を次の要領にて、10月3日に
 開催しました。

  1 庭見せ
    ○各踊り町の主なお庭を拝見して、振舞酒も頂戴しました。
    ○集合場所はレストラン「銀嶺」の前でした。
    ○集合時間は午後6時(6時になったら移動開始)でした。
    ○所要時間は1時間30分くらいでした。
  
  2.くんち料理と解説
    ○集合場所;浦上の「蘭」
    ○開宴時間;午後八時前後から開始

   <参考;今年の踊り町>
 籠町「竜踊り」、銅座町「南蛮船」、東濱町「竜宮船・本踊り」、八坂町「川船」、
 築町「御座船・本踊り」、馬町「本踊り」です。
 庭見せ終了後は蘭に集合して、くんち料理を頂戴しました。



◎ 第109回よか研究会は日本経済新聞の川合 知長崎支局長が9月1日付けで本社
 にご栄転ということで送別会を兼ねて開催いたしました。
 川合さんの今後の活躍を祈念したいと思います。










◎ 108回の例会は、阿蘇の大自然に浸って参りました。
 阿蘇高原クラブの阿蘇五岳を借景とするレイアウトとその夜の馬刺を肴にしな
 がらの歓談、二日目の大観峰からの雄大な眺め、草千里からの、ゆたっ〜とし
 た気分、高森の隧道の中のヒヤッとした空気と別天地のような白川の湧水など
 など阿蘇をトコトン満喫してまいりました。




























◎ 4月の例会は、長崎県庁の政策調整局局長の立石 暁 様のお話をお聞きしまし
 た。長崎県民・市民が長年待望していた、美術館と博物館がいよいよ着工する運び
 になったのに伴い、そのいきさつ、コンセプトなどについてのお話があり、具体的
 な運営に向けてのソフト面を中心にした活発な意見交換が行われました。
  平成17年の竣工に向けての今後の活躍に期待致したいと思います。
 立石様 大変有り難うございました。




◎ 12月の例会は、恒例によりまして、松田名誉会長を囲み、浜 常任幹事の進行で
 今年一年を回顧して見ました。最後に、太田事務局長の指導で、浜節と長崎ぶらぶら
 節を唄って、牛年を締めくくりました。

◎ 11月の例会は「よか研究会100回記念祝賀会」を、よか研究会に縁の深いプリン
 スホテルの内外倶楽部で盛大に行いました。
 その時の模様は、「よか研究会100回記念祝賀会」に写真で報告されていますので、
 ご覧下さい。

◎ 10月の例会は庭見せからくんちを大いに楽しみました。

 1.くんち料理の日(10月2日)
   ○くんち料理と解説を楽しみます。
   ○料理(太田広美 料理人)と説明(高橋市郎 様)
   ○集合場所;浦上の「蘭」
   ○開宴時間;午後6時
 ○会  費;7千円(すべて込み込み)

 2.庭見せ(にわみせ)の日(10月3日)
   ○各踊り町の主なお庭を拝見します。振舞酒も頂戴します。
   ○道先案内人 高橋市郎 様 
   ○集合場所;レストラン「銀嶺」前 鍛冶屋町
   ○集合時間は午後6時とします(6時になったら移動開始します)。
   ○所要時間は1時間30分くらいです。

   <参考;今年の踊り町>
     ◇筑後町 龍踊り ◇元船町 唐船祭り ◇上町 本踊り
     ◇鍛冶屋町 宝船・七福神 ◇油屋町 川船


◎ 9月の例会は、日本銀行の長崎支店長の松田 邦夫 様にお願い致しました。
 5月に赴任以来、管内視察やご挨拶もほぼ終わったところで、今回の登場というこ
 とになりました。「日銀の窓から見た長崎」と題しましたお話になりました。
  松田さんは、日銀のフランクフルト事務所を中心に、四年半のヨ一ロッパ生活を
 経験されたそうです。その経験から、よか研究会のテ一マでもある、「余暇論」の
 ご披露、そして戦後、長崎経済史とともに歩んで来た、日銀長崎支店と長崎との関
 わり、貨幣や偽造券などなどについてもお話を聞きました。
 
  松田支店長は、次のように話されてました。
 日本銀行長崎支店は、全国に32ある日本銀行の支店の中で第30番目の支店として、
 1949年3月に現在の炉粕町の地に開業したということです。そして 最初の建物は、
 かつての博物館の建物を引継いだものでしたが、その後白蟻による被害がひどくなっ
 たため、全面的に立替え、1978年から現在の建物で営業を行っています。県民の皆さ
 んは、日本銀行の業務は、
 日頃あまり縁がないものと思われているかもしれません。
  支店の場所が諏訪神社近くの、繁華街から離れた閑静な場所にあるため、なおさら
 そのような印象が強いかもしれません。
  しかし、日本銀行長崎支店は、皆様の生活と密接に関わる大事な仕事を行っていま
 す。
 また、日本銀行の仕事などにご関心をお持ち頂いた方のために、店内見学・説明も受
 け付けています。詳しくお知りになりたい方は次の日銀長崎支店のホームページをク
 リックして下さい。
        日本銀行長崎支店 http://www3.boj.or.jp/nagasaki/


◎ 8月の例会は、厚生労働省の長崎労働局長に赴任されてから、一年半を経過した
 大寺正己 様にお願い致しました。労働局が関わっている多岐にわたる業務のお話を、
 様々な事例を交えてそしてその体験から伺いました。


◎ 7月の例会は、このほどリニュ一アルされて、超高精細なデ一タベ一ス化された長崎の
 古写真によって、幕末から明治期にタイムスリップして、長崎の町を楽しんでみました。
 長崎大学(図書館)が相当に力を入れ予算も掛けて制作 したものです。これまでに見えて
 いなかった部分や新たに発見された写真も多数あります。
 この制作に以前から関わっていらっしゃる長崎大学の姫野順一教授に解説をお願い致し
 ました。

 長崎大学附属図書館所蔵の「幕末・明治期日本古写真コレクション」は、幕末から明治中
期にかけて撮影されたもので、極めて鮮明な写真が多くあり、写真細部には、当時の都市・
風景・風俗等に関する膨大な情報が埋め込まれています。この古写真細部の情報を活用す
るため、コンピュータ画面上で、5倍から10倍に拡大しても鮮明に見ることができるように、超
高精細画像のデータベースとなっています。
 この画像データベースには、現在、長崎の写真201点を登載し、「地図上からの検索」や「各
種条件による検索」、「全文検索」を備え、それぞれに詳細な日本語と英語の解説を付けてあ
り、日本語と英語のどちらからも検索・閲覧することができます。
 近代化しつつあった幕末から明治期の長崎の姿を、鮮明な超高精細画像で御覧ください。


ZOOM IN
〜クリックひとつで幕末・明治の長崎〜

◎ 幕末・明治期日本古写真超高精細画像データベース
http://zoomphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/
(推奨ブラウザソフト Netscape Navigator Ver 4.73以降)


◎ 二月の例会は、長崎の凧を研究して見ました。
 長崎凧は菱形の顎があります。実際に作って見てその特徴を知り、4月には凧揚げ大会で
揚げてみよう、という趣向です。
指導は、自称凧職人で、天下御免の凧揚げ名人の、小川凧店社長の
小川 暁博様にお願いいたしました。
 午年の記念に、空を舞い上がる自作の凧を飾りたいですね。気持ちヨカですよ!
 *長崎凧づくりはここをクリックして下さい。




◎ 14年1月23日の1月のよか研究会例会は、第一部が長崎の唄を藤善 亘さんのピアノ伴奏
で唄い、第二部は鈴木千春さんのオランダ正月料理を楽しみました。

   藤善さんからは、「ばってん 長崎」(出島ひろし作詞、細川潤一作曲)という曲を紹介され
 ました。昭和50年にキングレコ−ドから発売されたものです。
 藤善さんが宴会で、検番の芸妓さんたちが踊っていた時の曲だそうです。なかなか良い曲
 ということで、曲は検番の芸妓さんからコピーをしたのですが、いろいろな経過を経て作詞
 家の出島さんにも面談をし、結局譜面が無かったので、私たちのためにテ−プから採譜を
 されたものです。軽やかで、盆踊りのようで、長崎の名所名所が出てきます。
  スナック蘭に譜面とテ−プがありますので、いつでも唄いに来て下さい。

  第二部はオランダ正月料理の再現です。*オランダ正月料理はここをクリックして下さい
 プリンスホテルの鈴木総料理長が大いに腕をふるいました。
 大変に結構なお味でした。レシピ−や料理は、よか研究会のホ−ムペ−ジに華やかに掲載
 してますので、是非ご覧になって下さい。
 88回目のよか研に相応しい楽しい会でした。お二方、大変有り難うございました。


   長崎音楽ボランティア協会 会長         長崎プリンスホテル 総料理長
        藤善 亘 氏                    鈴木 千春 氏


◎ 13年12月26日の12月のよか研究会例会は、長崎プリンスホテルで、
松田 q一名誉会長を囲んで〜年の瀬を迎えて巳年を語ろう〜ということで、この一年の回顧
を各会員が3分間スピーチで行いました。
いずれの分野でも規制緩和、構造改革が進むが、10年前、20年前の生活に戻るだけのこと、
下り坂を楽しもうということでした。バブル期の生活を全身に受けて育った、若い世代は昔を知
らないし、どう育てるかが新たな課題という話も出ました。



第87回よか研究会 長崎プリンスホテルアメジストルーム 13年12月26日



◎ 13年11月14日の11月のよか研究会の例会は、長崎プリンスホテルの「内外倶楽部」で親
和銀行専務取締役の片山仁志さんの「構造改革と不良債権問題」の話しをお伺いしました。

  ○ 内外倶楽部=「ナガサキ・インターナショナル・クラブ」

  明治33(1899)年、日本はいわゆる不平等条約の改正に成功し、在留外国人は内外
雑居となり居留地制度は撤廃された。これを契機にして長崎では「ナガサキクラブ」の影
響をうけてのことかと思われるが、外国人と日本人の社交クラブとして「長崎内外倶楽
部」(Nagasaki International Club)が創設されている。発起会は1899年5月20日長崎市役
所で開かれた。発起人は長崎市長横山寅次郎、三菱造船所所長荘田平五郎、長崎商
工会議所会頭松田源五郎、F.リンガー、T.B.グラバー(明治四四〈一九一一〉年没)
の12才年下の弟A.B.グラバーとT.B.グラバーの息子倉場富三郎、アメリカ人F.G.
ストーン、R.タナカ、M.マツムラなどであった。この発起会で確認されたクラブの目的
は、「日本人と外国人のあいだで社交social Intercourseを促進し、あらゆる面で同じ制
度に基づいて、友好関係とリクレーションを促進すること」であった。この目的は英文規
則集の前文に掲載されているが、本則および細則を翻訳し日本人会員に渡された。

  内外倶楽部は歴代の知事を会長に市長と先任外国領事を副会長にして運営された。
同年8月1日西浜町の料亭「精洋亭」で初会合が開かれ、日本人125名、中国人5名、欧
米人20名が出席している。毎月開催された例会は当初商業議所ホールを使用していた
が、11月には浜町の「港湾事務所」に変わり、1903(明治36)年には富三郎のF.リンガ
ーへの働きかけが成功し、リンガーが建築費の大部分を負担して出島7番に「内外倶楽
部」の建物が新築された。規約によれば会員になるには2名の会員の推薦者が必要で
あり、会員は住所、氏名、職業、紹介者を7日間掲示し投票を求め、5分の1の反対があ
れば否決された。会員は100名に制限されていたようである。会費は月3円、長崎を去る
「不在会員」は一時金5円を支払う。客員は15日以上で月3円、3ヶ月以上の場合は入会
させるものとし、会費の未払いが1ヶ月以上で会費権を停止し、6ヶ月以上で除名としてい
る。第6条では婦人の誘引を禁じている。総会は5月、過半数が出席した時点で開会が
可能としているが、過半数が出席しない場合でも30分すれば総会を開会するとし、議決
は多数決を定めている。倶楽部は社交の場であり、毎日午前8時に開館し午後12時に
閉館している。延長は前日に予告すれば1時間5円で認めている。麻雀、チェス、碁、将
棋、新聞、図書、絵はがきを常備していた。

1903年11月12日付の「ザ・ナガサキ・プレス」は、出島に新築完成した「長崎内外倶楽
部」の第一回集会の模様を伝えている。それによると、内部はビリヤードや居心地のよ
いバー、食堂、読書室を完備し、国際交流の場としての役割をはたした。特に寄港船員
や外国人客に好印象を与えた。会員の有力メンバーは水曜午餐会に参加した。倶楽部
の年中行事は毎週毎月多かった。戦時中の昭和17年のクラブは閉鎖清算しているが、
このときの会員名簿によれば外国人会員はR.N.ウォーカーと倉場富三郎だけで、総
会員100名の名簿が残されている。ほかに不在地方会員として長崎市外の会員が67名
記されている。この時代の水曜午餐会の会員は創立会員の倉場富三郎をはじめ、小曾
根均冶郎(貸地業)、高見和平(貯蓄銀行)、沢山精八郎(沢山商会)、山内義文(知
事)、岡田寿吉(市長)、松田一三(十八銀行)、角尾晋(医学校長)、潘(中華民国領事)
などであった。
(よか研究会編「長崎今昔物語」から)


  ○ その昔、この長崎で結成された内外倶楽部は日本と外国の国際交流の場として経済、
    外交、そして文化の発展に多くの功績を残しました。
  当倶楽部は、伝統ある当時の倶楽部の精神を受け継ぎ、各界の皆様が一同に会し
て意義ある社交場としていただくため、長崎プリンスホテルに再び設立したものです。
 今日、国際交流化時代を迎え、長崎の果たす役割はますます重要となっております。
 今後は県内、県外はもとより、外国からのお客様をお迎えし、未来につながる交流の
場として発展するよう願っております。

内外倶楽部 理事長     
よか研究会名誉会長     
松田  q一       




                  現長崎プリンスホテル「内外倶楽部」
    *旧長崎内外倶楽部の写真はここをクリックして「思い出のアルバム」にとんで下さい


◎ 13年9月27日のよか研究会の例会は、興福寺で普茶料理を楽しみま した。

    松尾住職のお話と心づくしの料理に器、盤若湯も入り多いに談議風発し
    時間の経つのも忘れて楽しみました。


  ○ 東明山興福寺の由来
    
     興福寺は、国内最初の黄檗禅宗(おうばくぜんしゅう)の唐寺でその由来は古く、
   中国・明の商人が長崎と行き来を始めた頃に渡来した中国人が、一六二○年ごろ航
   海安全を祈願してこの地に小庵を造ったことに始まります。この時代は、幕府のキリスト
   教禁令が厳しく、長崎在住の中国人にもキリシタンの疑いがかかったため、仏教徒であ
   ることを証明するためにも、崇福寺、福済寺、聖福寺など、つぎつぎと唐寺が建てられた
   といわれます。
     日本最古の石橋の眼鏡橋を架設した第二代黙子如定、南画の祖と称される第三代
   の逸然、さらには明の高僧隠元隆g禅師が住職として興福寺に滞在されたことには、大
   きな堂宇が建ち並び、全国から僧や善男善女が参集して禅の一大センターとなりました。

                                      (興福寺のリーフレットから)


  ○ 唐寺の隠元、即非、木庵、鉄心和尚

    福州の町の直ぐ近くに鼓山と言う、鼓の山と言うのがあります。鼓の山と言うのは
   どうして出来たのか、名前が付いたのかよく分かりませんけども、岩山、物凄い岩山で
   す。そこはなかなか歩いてはとっても行けない所です。バスとか、あるいはトラックに皆
   便乗しながら、トラックの架台に乗って登って行った記憶があるんですけども。山の上に
   行くと大きなお寺があるんです。私は、そこのお寺に二回行きましたけども。行った時に、
   お爺さんの実に円満なお顔をしたお坊様が居らっしゃるんです。良く来たというので、いろ
   んなお話をした時に、「隠元は知っとるのう」とおっしゃったので、「ええ、勿論良く知ってま
   す」。
    まあ、隠元豆で有名ですから。
    また、長崎の唐寺で一番古いのは興福寺ですね。開山は別の人ですが、そこで隠元
   は修行をされとるわけです。
    「ちーぴー、知っとるか」
    「ちーぴーって誰か、書いてくれ」と言ったら、即非のことなんですね。即非と言うのは、
   即ち非ずと書く坊さんですけども。
    その次ぎにきたのが「むあん、知っとるか」。
    「むあん」とは誰のことかと思ったら、木庵和尚のことです。木庵和尚と言うのは日本で
   も極めて有名です。
    木庵は隠元の高弟で、隠元を追って来崎します。
    この三人の名前を何故申し上げたかと言うと、三名筆と言われる、非常に書が上手で
   す。特に即非の書は。崇福寺の中に一杯有ります。あそこには二十くらい、額とか、ある
   いは隷とかいう形になって残っておりますからね。今度行った時に御覧いただきたいと思
   います。
    それから隠元さんの字はですね、興福寺ご存じでしょう。あそこの山門にですね、東明
   山と言う隠元が命名をした、そして自分が書いた字が飾ってあります。

                                (よか研究会編「長崎今昔物語」から)

   *興福寺の普茶料理の模様はここをクリックして下さい



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