トーマスの研究

私は大学時代に歴史学科で日本近代史を専攻していました。
卒論のテーマは「第一次近衛内閣期における大本営政府連絡会議について」というものでした。
日中戦争と大本営連絡会議、政府と軍部の関係、宮中グループの関与などを取り扱ったものなんですが
その内容というと、

1937年(昭和12年)11月20日、大本営は純粋な統帥機関として宮中に設置された。 それと同時に政戦連携のために政府と大本営のメンバーが随時会談する「協議体」が設けられた。 このいわゆる大本営政府連絡会議はただの連絡機関であり、議決機関ではなかったため、大本営に対して政府が無力な機関であったといわれている。 大本営政府連絡会議について、第一次近衛内閣期においてできたこの機関は、日本が終戦を迎える1945年まで、その時期において様々な名称に変わりながら実質的な最高意思決定機関であった。 しかしながら、第一次近衛内閣期において会議が開かれることがなくなり、その再開は第二次近衛内閣を待たねばならなかった。 なぜ、大本営政府連絡会議は一時中断を余儀なくされたのだろうか。 また、連絡会議における戦争指導はどうだったのだろうか。そのことに興味が湧いてきたのである。

…と、まぁこれが卒論の序文でこれから論文が展開されていくわけなんですが、
とんでもなく長くなるので、卒論の公開はもう少し先に延ばします。
とりあえず使った史料とその解説だけちょこっとのっけます。

 

 

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