I LOVE Toronto
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人生の節目に、時間があるときに、私は短期留学をすすめます。だって自分がしてみて想像以上にいろいろな体験が出来たのですから。
私が興味を持った理由は以前勤めていた会社の先輩が短期留学経験をしていた為です。留学=英語が得意な人。というイメージがあって、私の高校の英語が得意な友達は多くが経験していました。でも先輩は特別英語好きのイメージがなかったし、今でも本人は「英語話せないわ〜」と言っています。でも彼女、変わったんですよね。すごく、すごく格好よくなっちゃったんです、しっかり者になったのです、魂が鍛えられてきたという感じ。
英語は劣等感があるけれども、でも2年前に1年習ったことがあるし、でもそれ以来使っていないけど、使ってみるのもいいかもしれない。
きっかけはそんな感じでした。

私がこの短期留学で自分なりに努力をして得られたものは、(1)英語への劣等感の払拭。(2)社交的でも内向的という自分らしさは世界に通用する。(3)一瞬のの出会いでも一生の思い出になる素敵な人達との出会い。(4)自分は寂しがりやで誰かと寄り添って生きていきたいのだ。(5)日本には良い友達がいっぱいいる。

最初から英語がとても上達するなんてないと割り切っていました。でも、まず劣等感が強くて全然出来ないと思っていた英語、クラス分けしてみたらそうそうひどいクラスでもないこと自体にまず満足、少しずつですが英語が出来ないという劣等感が取り除かれていくのです。街に出てお買い物をしたり、食事を注文したり、小さなカナディアンとの触れ合いに、片言でも英語が話せれば通じるし、なんとか暮らせるのだと実感できるのです。それだけでも価値があると思います。
正直「コーヒー下さい」すら通じないこともありましたし、冷たい店員さんだっています。周期的に楽しかったりブルーになったり浮き沈みはありますが、だんだん乗り越えていく自分、成長していく自分に会うことも出来ます。

また、今の自分に自信が持てました。最初は日本人特有の性格か自分がそうなのか、自分からガンガン切り込めず学校に全然馴染めず、ラテンアメリカ系の生徒の自己主張に圧倒されるばかりでした。でも無理に自分をかえるなんて出来ないし。自分らしく行こうと多少の努力と自然体で頑張り続けたとき、ちゃんとラテンアメリカンとも仲良くなれたのは嬉しかったです。人種や行動パタンが違っても、言葉が十分に通じ合わなくても、わかりあえるんだ、って。

私が毎日楽しみに期待していたことはフレンドリーな会話でしょうか?
気さくに街の人々と会話ができるなんて、なんてフレンドリーな街なのでしょう。そしてほんの小さなことなのに妙に嬉しくなってしまうのです。きっと私だけではなくて多くの人が同じ気持ちになるのではないかと思います。でもそれって日本では味わえませんよね、日本ではそういう振る舞いはおかしいと位置付けられているのですから。この出会いは一期一会だろうけど、でも今を大切に、楽しく、お互い嬉しい気持ちになるように相手と過ごすことは、生涯の思い出になります。きっともう一生会うことは出来ないけど、私に元気付けてくれたり嬉しくしてくれた人がいる記憶は一生ものです。私もそう誰かの記憶に残れていたらいいな。

その反対にひとりぼっち感も痛烈に感じました。現地での友達はテンポラリー的なお友達であることは否定できません。心知れているわけではないので遠慮があります。ふと自分がひとりぼっちだという気持ちから抜けきれなくてむしょうに寂しくなることもありました。日本にいるときは大事な人に支えられていることを当たり前すぎて忘れていたようです。30超えて自分探しの旅を兼ねようと思っていましたが、私は人に寄り添って生きていきたい、寄り添わないと生きていけないんだ、という結論が出ました。(それだけかよっっ)

それから、どっぷりトロントの思い出に浸りながらまだ帰りたくないと気分も暗く戻って来て、
成田で携帯電話を復活したら、ぽつりぽつりと友達からお帰りメールが届くのです。
日本にも良いお友達いっぱいいるじゃん、私幸せ。って再確認。

あ。たった1ヵ月では英語なんて全然上達しないと思っていたけど、自分としては思ったより上達した気がしますよ。
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