日本のキリスト教と改革派教会の創立 


 キリスト教は、旧教(ローマ・カトリック、ギリシャ正教)、英国国教会(聖公会)と新教(プロテスタント)に、大きく分けられます。

 はじめて日本に宣教したのは、ローマ・カトリック教会でした。イエスズ会の指導者の一人であったフランシスコ・ザビエルは、日本宣教に大きな関心と情熱を持って、1549年に鹿児島へ上陸しました。その後の宣教は、西日本を中心にして全国に展開され、めざましい勢いで信徒の数が増えていきました。

 しかし、1587年になると、豊臣秀吉によってキリシタン宣教師追放令が出され、キリスト教への弾圧が開始されました。その後、徳川幕府の下で、その方針はいっそう強化され、すべての人々は寺に所属することによって、キリシタンではないことを証明しなければならなくなりました。踏絵なども、その時代の弾圧の徹底ぶりを伝えるものであります。徳川時代を通じて、弾圧が弱まることはありませんでした。

 明治維新により、徳川政権が崩壊し、鎖国が解かれるのに応じて、プロテスタント・キリスト教会の宣教が徐々に開始されていきました。宣教師としてヘボン、バラ、フルベッキなどが有名です。その他にも、札幌農学校のクラーク、熊本洋学校のジェーンズなどの影響も極めて大きいものでした。内村鑑三、新渡戸稲造、植村正久をはじめ、実に多くの人々が、プロテスタント・キリスト教の影響を受けながら、大きな足跡を歴史の中に残していきました。明治期の歴史を見る時、特に教育及び文化の面で、プロテスタント・キリスト教の大きな影響を認めずにいられないでしょう。

 その後も、キリスト教会は、宣教を全国に展開していきました。全国のあらゆる地域やあらゆる階層の人々に、福音が伝えられていったのです。しかし、その一方で、戦争を繰り返す国家は、国民の精神を統一するために、しばしばキリスト教信仰への圧力をかけていました。そして、ついに1941年、「日本基督教団」として、国家の制約の下に、キリスト教会は統一されてしまいました。この時、もはや教会は、福音の真理を大胆に伝えることはできなくなっていました。

 日本キリスト改革派教会の創立者たち(8名の牧師、3名の長老)は、そのような歴史を自分の肌身で経験した人々でした。彼らは、二度とそのようなあやまちを教会が繰り返すことがないようにと祈りつつ、悔い改めをもって、敗戦直後に日本キリスト改革派教会を創立しました。1946年4月28日のことです。

 その時、日本キリスト改革派教会は、たった8教会だけの小さな群れでありました。しかしその後、主の祝福に守られながら、戦後の自由の中で、アメリカをはじめとする外国諸教会の援助をも受けつつ成長しつづけて、現在に至っています。

 プロテスタント・キリスト教会には、多くの教派が存在しています。それぞれの教派が、独自の歴史と伝統を持っています。日本キリスト改革派教会も同様です。しかし、「神は唯一であり、イエスこそがキリスト(救い主)である」と信じる点において、キリスト教会の間に、違いはありません。その点において、キリストの教会は一つであります。


▲もどる