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さらに一年はなにもせず体力、気力を失ってすごしました。残る時間は思いを綴りながら力の尽きるのを待ちたいと思います。 |
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正しくは「くらげに骨折なし」でした。これは横浜やまびこの里(精神薄弱者更正施設の法人名)の発行する「マンスリーやまた」の連載エッセイ記事のタイトルです。わたしはこの雑誌を6年読んでいますが、「くらげに骨なし」と読んでいました。 たまたまその主筆と話しているとき、「肺がん患者のひとりごと」は「くらげに骨なし」を書くのと同じで、けっこう緊張がありますよ、毎日ですからねと言うと、骨折なしですよ、くらげに骨がないのは当たり前ですからねと訂正されたわけです。 不注意と思いこみのなせる技ですが、恐ろしいことです。会社のOB会誌「ひろがり」と「ひろがり通信」がそれぞれ年2回発行されるので、同僚の記事を読むにつけ、一人一人の個性の豊かさに驚かされるのは、かつていかに不注意な思いこみで人を見ていたかということです。今ごろ気づくのは悲しいですが、人はみなすばらしい存在なのです。 |
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2001年10月31日 16時43分14秒
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司馬遼太郎の花神を遅々と読んで、明治維新のころの日本の苦しみを偲んでおります。苦しみによって、太平の江戸時代から目覚めて西洋に歩調を合わることができたのです。 日本の今はまた維新のようです。ジャパンアズナンバーワンの幻想から覚めてみると、輸出立国だった工業国日本が、世界の工場になりつつある中国に席を譲ろうとしているのです。日本の十倍もの人口が、二十分の一の賃金で次から次ぎへと工場へ流れ込んできているのですから、日本の工業が立ちゆくはずはないと、わたしのようなものにも理解できます。 おそらくこの先、日本は明治維新と同じ程度に苦しみがあるように思われます。彼らは苦しみの中から道を見いだしました。物が有り余り飽食に溺れている(グルメ番組の氾濫のさまを見てください)この日本にも、内村鑑三や福沢諭吉のような志に燃えた人が現れ、質実にして剛健な社会を再び作ってくれるでしょう。 |
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2001年10月30日 19時42分09秒
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われわれの世代全部が情けないのではなく、わたしが情けないということでしょうが、人生の楽しみ方を知らないのです。 お金がない訳でもないのに、ケチなのです。会社を辞めてから海外旅行は辛うじて6度ばかり、その他には、息子の提案に従って家を建て直すに費用を折半したり、妻の墓を作ったり、息子が車を買うというので一部援助などしているうちに時が過ぎてしまいました。今の老人は金の使い方を知らないというご指摘通りです。 そうこうしている内に6、7年が過ぎ、病を得て活動が不自由になりました。旅行も温泉にゆっくり入ることもできない体力になり、ご馳走を食べようにも食欲がなくなり、色気への関心など初めからありませんからこれも論外です。残るのはわずかにインターネットと読書だけです。 日本は消費の拡大のために政府もいろいろな手段を考えています。わたしのようなケチな老人は全くの非国民(戦時中に流行った言葉)です。残る寿命と身体機能も少ないのだから、いっそのことディジタルハイビジョンテレビでも買おうかなと考えています。 |
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2001年10月29日 18時31分36秒
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久し振りに賛美歌をCDで聞きました。心にしみ入るものがありましたが、イエスからは遠く、マリヤにふさわしいと感じました。残念ながら、キリスト教はマリヤとはほとんど関係がありません。 そこにイエスの母と兄弟たちが来て、外に立っていてイエスを呼ばせた。大勢の人がイエスのまわりに坐っていたが、彼に言う、「それ、母上と兄弟姉妹方が、外であなたをたずねてお られます。」 イエスは「わたしの母、兄弟とはだれのことだ」と答えて、自分のまわりを取りまいて坐っている人々を見まわしながら、言われる、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。神の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母である。」 キリスト教の神前結婚に何度か立ち会いました。牧師さんの聖書朗読の箇所はいつも決まっているし、本人たちの多くは誓約も覚えていないでしょう。彼らがキリスト教式を選ぶのは賛美歌と雰囲気なのでしょう。 賛美歌は神を賛美する歌のはずなのに、聞いて酔うとは! |
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2001年10月27日 23時41分22秒
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数ヶ月前から電話回線を使ったインターネットを利用していました。メールはなかなか便利なものでしたが、楽しいホームページには行き当たりませんでした。何人かの方々に面白いホームページがあったら教えてくださいと頼みましたが、まだ回答をいただいておりません。 考えてみますと、インターネットは百科事典であり、ニュースソースであり、相談窓口であり、娯楽あり、はたまた取引ありなどいろいろの世界がネットの向こうにあったのです。わた しなどは田舎者が大都会に出てきたようなもので、すぐにわかるはずはありませんね。 思い起こせば、わたしは大いなる田舎者でした。きっと今もそうでしょう。最初に電話を使ったのは十九歳のときでした。 同じ頃神戸の新開地を見物したことがありました。見知らぬ人が「あなたの写真を撮りましたから送ります。住所はどこですか」というので、値段を聞いてから辞退すると、「あんたはわしをからかんか」と言いがかりをつけられ、恐る恐る高いお金を払いました。もちろん写真など送ってきませんでした。 インターネットは大都会です。そろりそろりと近づこうと思います。 |
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2001年10月26日 20時22分06秒
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わたしが途中入社した頃はディジタル化のはしりだったように思います。アマノのタイムレコーダーをディジタル化する仕事を手伝いました。そのころは1枚のプリント基板にトランジ スタと抵抗とコンデンサで作ったメモリーが10個(10ビット)ほどしか配置できなかったのですが今では256×1000,000(256メガビット)以上のメモリーが1つのLSIチップに含まれています。ずいぶん進歩したものです。 それだけではありません。昔はわたしの関わった通信といえば、大手はNECと富士通でしたが、ディジタル化は技術を大衆化しましたので、安価な物造りの名人の家電メーカーが参入できるようになり、われわれは恐怖を覚えていました。そして今、時代はさらに進んで中国や韓国や台湾にもその技術が及んで、日本特技の物造りを憂えるようになっています。 人間の五感はアナログの世界です。芸術の世界ももちろんアナログです。よくわかりませんが、人間までがディジタル化してしまってはたまりません。ディジタルとアナログの世界をよく見つめてゆきたいものです。 |
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2001年10月25日 20時22分47秒
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もののはずみは思わぬ展開を見せるものです。学生の頃に下宿のおばさんから聞いた話しですが、もののはずみで自分のウンチだって食ってしまうというのです。これにはわたしが恐れをもって仕えたH先生も爆笑されました。 ある人がトイレでお尻を拭く段階になって、ペーパーが少ししかないことに気づきました。慎重に拭いたつもりだったのに、べっとり指に付着してしまいました。困ってしまって、勢いよく振り払ったところ、指をキン隠し(昔の和式トイレにはあった)にぶっつけてしまい、アイタッ! 思わず指を口にもっていったというのです。 こんなはずみなら問題は?ですが、もう一つもののはずみに起きた大事件の一つを話しましょう。ヘロデ(大王の孫)が洗礼者ヨハネの首を刎ねたときのことです(マタイ福音書大14章から)。 ヘロデはヨハネを殺したいと考えたが、民衆がヨハネを預言者と思っていたので、彼らが騒ぎ出すのを恐れた。ところでヘロデの誕生祝いがあったとき、ヘロデヤ(ヘロデの兄弟の妻・ヘロデが妻にしました)の娘が満座の中で舞をまい、ヘロデを喜ばせた。そのためヘロデは娘に、願うものはなんでもやろう(マルコ福音書第6章には国の半分でもと言っています)、と誓いまで立てて約束した。娘は母の入れ知恵で、「洗礼者ヨハネの首を盆にのせて、今ここに戴きます」と言う。王は悲しんだが、列座の人々の前で立てた誓いの手前、それを与えるように命じ、人をやって牢でヨハネの首をはねさせた。 聖書を知らないころの学生時代にこの映画(オスカー・ワイルド原作)を見ました。娘の名前はサロメとなっていました。リタ・ヘイワースの妖艶な踊りだけが記憶に残っていて、この「もののはずみ」などは忘れていました。 テロに対する戦いが「もののはずみで」世界戦争に発展しないことを祈ります。 |
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2001年10月24日 20時43分18秒
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継続は力なりなどと思って3キロほど歩きました。Yさんの家の前の道路にプラン ターが三個ほど置いてあり、淋しく花が咲いていましたが、一個のプランターは土だ けになっていて、その上に白いカードのメモがありました。 花を持っていった方へ 盗んで行った花を見て楽しいですか・・・・・ とありました。花泥棒は許されるといいますが、わずかばかりのプランターの花を盗んで行くとはなんともさもしい限りですね。ところで、イスラエル国の祖であるダビデ王も花泥棒でした。花は花でもこの花は人妻だったのです。少し長くなりますが、気分転換に書きましょう。くわしくは旧約聖書サムエル記代11〜12章あたりを見てください。 さて、ある日の夕暮、ダビデは床から起き出て、王の家の屋上を歩いていたが、屋上から、ひとりの女がからだを洗っているのを見た。その女は非常に美しかった。ダビデは人をつかわしてその女のことを探らせたが、ある人は言った、「これはエリアムの娘で、ヘテびとウリヤの妻バテシバではありませんか」。 そこでダビデは使者をつかわして、その女を連れてきた。女は彼の所にきて、彼はその女と寝た。こうしてその女は家に帰った。女は妊娠したので、人をダビデにつかわして告げて言った、 「わたしは子をはらみました」。 (ダビデは自分の将軍であるウリヤを最激戦地に送って戦死させます) ウリヤの妻は夫ウリヤが死んだことを聞いて、夫のために悲しんだ。その喪が過ぎた時、ダビデは人をつかわして彼女を自分の家に召し入れた。彼女は彼の妻となって男の子を産んだ。しかしダビデのしたこの事は主を怒らせた。 主はナタンをダビデにつかわされたので、彼はダビデの所にきて言った、「ある町にふたりの人があって、ひとりは富み、ひとりは貧しかった。富んでいる人は非常に多くの羊と牛を持っていたが、貧しい人は自分が買った一頭の小さい雌の小羊のほかには何も持っていなかった。彼がそれを育てたので、その小羊は彼および彼の子供たちと共に成長し、彼の食物を食べ、彼のわんから飲み、彼のふところで寝て、彼にとっては娘のようであった。時に、ひとりの旅びとが、その富んでいる人のもとにきたが、自分の羊または牛のうちから一頭を取って、自分の所にきた旅びとのために調理することを惜しみ、その貧しい小羊を取って、これを自分の所にきた人のために調理した」。 ダビデはその人の事を非常に怒ってナタンに言った、「主は生きておられる。この事をしたその人は死ぬべきである。かつその人はこの事をしたため、またあわれまなかったため、その小羊を四倍にして償わなければならない」。 ナタンはダビデに言った、「あなたがその人です。イスラエルの神、主はこう仰せられる、 『わたしはあなたに油を注いでイスラエルの王とし、あなたをサウルの手から救いだ し、・・・・・(以下略)』 (この男の子は死を免れませんでしたが、次にダビデに生まれた子がソロモン王です。) 神に対する罪と神の許しは人々の間のそれとは違います。ともあれ花泥棒の話が少し重くなりましたね。 |
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2001年10月23日 22時55分35秒
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自分は肺がん患者であり、余命の限度を一年も越えて生きており、腫瘍も少しずつ大きくなっていると教えられたので、500メートルも歩けば息が切れ、自由に動き回れないのは当然だと思いこんでおりました。 先週末から友人のK君のお宅にお邪魔して、お互いに病気の話(K君は躁鬱病)や寿命の話をしては運命を諦め合っていましたが、あまり天気がよいので散歩しました。金曜日には4キロ、土曜日には10キロ、日曜日には4キロも歩いてしまいました。疲れましたがさほどの息切れもありませんでした。その結果にはわれながら驚きました。今まではどうも自分を暗示にかけて病人気分にしていたようで、わたしの病 状について気遣ってくれた人々にも嘘を言っていたことになります。 思いこみはよくあることですが、病気についての思いこみはよくありません。さてこの先、どう生きればよいのでしょうかね。 |
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2001年10月22日 21時08分56秒
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雨が降っているのに、昼食のために2キロほどの葵扇寿司へ車で行きました。小僧寿司もびっくり寿司も配達寿司も、二三個で甘すぎて食べられなくなるので、妻が惚れ込んでいた葵扇寿司へ行ってみたわけです。食欲がないにもかかわらず美味しかったです。開店二十八年になるといっていましたから、開店のころから彼女は気に入っていたようです。 にぎり寿司といえば彼女も得意としていました。わたしが会社で部下を持つようになったころ、寿司屋さんのカウンターなど会計がこわくて座れなかったころですが、小さなわが家に彼らを招き、無理していっぱい魚を買ってきて、腹一杯にぎり寿司を食べさせたことが何度もありました。十人以上も来ましたので、彼女はもっぱらにぎり役、子どもたちは運び役、彼らは飲んで食べる役でした。彼らは勢い余って、子どもたちの寿司の分け前も、持ってきてくれたお土産のケーキもみんな食べ、酔っぱらって帰って行きました。息子たちは今でも彼らを恨んでいます。 それほどサービスしなければならなかったくらい、わたしは会社で負い目を感じていたのでしょう。今では寿司も大衆化して思い出の種にもなりませんが、わたしには昔を思い出させてくれます。 |
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2001年10月18日 19時37分34秒
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わたしは二つの医療機関のお世話になっております。一つは神奈川県立ガンセンターで他は近くのホームドクターの佐治医院です。医療費は退職者の健康保険のお陰で2割負担です。 今日はガンセンターの方のCT結果の診察でした。会計は140円でした。CTの画像を見てガンの状況を判断し、適切な方針を示すには高度の知識と、多くの経験が必要だろうと思います。しかもわたしの場合は呼吸器が部長の野田先生が主治医です。 いっぽう佐治医院では生活習慣病のケアということで、高血圧と腎臓病をみてもらっています。3週間ごとに行って、血圧を測ってもらい処方箋をもらっています。これが毎回900円。薬は処方箋薬局で3500円ほどかかりますが。 佐治先生のレベルが低いなどとわたしが評価できませんが、それにしても野田先生の140円は気の毒です。日本では保険機構が医療機関のレベルを評価していないので、こういうことになるのだと思いますが、不思議、不合理に思えてしかたがありません。 教育現場ではエリートをつくらずみんな一様、会社では年功序列で業績軽視、社会はみんな中産階級であるべし、・・・というような日本であったことが、こんな医療費の不思議を生んだのでしょうか。 |
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2001年10月17日 22時36分23秒
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イチローの活躍などでマリナーズがプレーオフ地区戦でレンジャーズに勝ち二回戦に進みました。あの小さな体の彼が巨大な体力のアメリカ選手の中にあって、抜群の活躍をするのに目を見張ります。 Mさんにそのことを話すと、ひとりでグラブを磨く真面目な彼に惹かれると言います。Sさんは環境が変われば、彼もまた一回り大きな活躍ができるものだと感心していました。ひとそれぞれに見方は違うものだと思います。 わたしはパワーに勝つ技があることにこ喜びを感じます。アメリカ人と日本人のことを考えます。彼らは軍事力はもちろん、科学技術の面でも世界から有能な知能を集め強大な集団をつくります。そして世界を制覇します。日本はといえば一時、ジャパン アズ ナンバーワンの悪酒に酔っていましたが、覚めてみると世界の中で二十位前後の番付になっているようです。日本にパワーなどなかったのです。しかし、イチローは日本人です。パワーが万能ではないことを教えてくれたのです。日本も下を向いて歩くことはない、すぐれた力を発揮できるのです。 とはいえ、わたしは働き盛りでさえ何の業績もありませんでした。今はなおのこと無力です。新しい日本のためにただ祈るのみです。 |
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2001年10月16日 18時49分50秒
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森・林・森林の区別はあるのでしょうか。となりのトトロの森はのどかだし、もののけ姫の森は恐ろしかったように思います。今、日本の秋は紅葉前線が南下しています。ほんとうに美しい国に生まれた幸せを感じます。 まだ元気だったころ、関東近隣の山々に紅葉を求めて、K君とよくドライブをしました。楓や七竈など紅葉の代表選手が少ないのは仕方がないにしても、悲しかったのは、杉や檜の植林が多く、全山紅葉が見られなかったことです。K君は怒っておりました。かつては、豊かな日本を築くために、「これこれ杉の子おきなさい お日様にこにこ声かけた 声かけた・・・」と歌って、せっせと植林した森林が手入れもされず、今では杉花粉で悪者にされ、保水能力減退でも責められているのです。その上にわたしまでも紅葉を返せと言いたいのです。 世は不景気で失業者が増え続けています。幸い、建設関係の労働者はITがむりなら林業へとの意見が出ているようです。わたしはそあってほしいと大賛成です。 |
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2001年10月15日 20時54分04秒
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K君は大学時代の一年後輩、年齢はわたしが浪人したため二年若い友人です。毎日、今日は電話をしてみようかと悩んでいましたが、思い切って電話しました。彼は鬱病で定年前後から医者に通い続けましたが、あいかわらず一進一退の病状でなかなか晴れ間が続きませんでした。苦しみんでいる人に声をかけるのはためらわれるものです。彼もわたしに対して同じ気持ちだったようです。 K君もわたしが二十年仕えたH先生の弟子で、長い間一緒に聖書勉強をした仲間の一人です。弟子は後輩たちも含めて三十人ほどいましたが、それぞれある機会をとらえて先生に叱りつけられ、その許を追い出され、独立させられてしまいました。そのためどの友人も交友が消え、記憶の中だけに留まりました。ただK君だけは例外で、年老いてから行き来するようになりました。 わたしは万事要領がわるく、頭脳も冴えなかったので、まだ先生の弟子であったときに二度転職しました。ことに二度目のときには妻と幼い子どもが三人いて、三ヶ月失業し、自己都合の理由により失業手当もなく苦しい生活が続きました。そんなときK君だけが見舞ってくれ、気分転換をしてくださいと言ってお金を置いて行ってくれたので、わたしたち家族は「ドリトル先生不思議な旅」の映画を見て、ささやかな食事ができましました。 その後もそんな思いやりを二度ほどいただきましたが、それがいつまでも、今でも忘れられません。そんなことをイエスに話そうものなら、「とんでもない!」と言われそうです。「自分を愛する者を愛すればとて、神からどんな恵みがいただけよう。 不信者でも自分を愛する者を愛するのだから。親切にしてくれる者に親切にしたからとて、どんな恵みがいただけよう。不信者でも同じことをするのだから」と言われるにきまっています。イエスはこわいお兄ちゃんですから。 わたしは自分のことをクリスチャン(キリストのもの)と思っておりますが、あやしいものです。今の体力では心細いですが、車を運転して南足柄市に住む彼を訪ねようと思っています。 |
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2001年10月13日 23時44分54秒
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「がん患者学」という本が先輩(大学および会社での先輩で、兄に相当する人です。いずれ何度も紹介することになるでしょう。)から贈られました。その後も8冊のがん関係の新刊書、雑誌や新聞のコピーなど、手紙をそえて励ましてくださいました。 がん患者の壮絶な戦いや、あくなき延命の努力が多く見られました。ことに「がん六回人生全快」を出版された関原健夫さんという銀行マンは、16年の闘病のすえ晴れて大銀行の役員になられた方で、がんについての知識、治療のための努力はすざまじく、驚くばかりです。 さて、わたしは自分のがんに関しても全くの怠け者です。いただいた本なので目を通しましたが、彼らの生きる努力に感心するだけで、話は聞き流しです。そればかりか主治医の話もあまり熱心に聞きません。わたしはきっと生きる事への執着が少ないのでしょう。 それはともかく、がんは他の病気とちがって、長い間かかって自分で育ててきた体の一部です。それと戦うといっても、外から入ってきた細菌やヴィールスではないので、自分の一部と戦うことになります。ちょうど社会の中に発生したテロのようなものです。みんな社会の一員なのですから。戦ってテロを小さくではきても根絶などできません。社会が永久に完全でありえないからです。 わたしのがん対策不熱心に理念はありません。がんに向かって「おとなくして、いい子でいてよ」という気持だけです。 |
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2001年10月12日 21時34分50秒
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年を取ると誇大妄想にかかるのでしょうか。毎日えらそうに「ひとりごと」を言っているのもその現れかも知れません。でも、黙っていると鬱圧が上がるので、聞き流してください。 今は時間がたくさんありますので、司馬遼太郎さんの作品を読んでいます。そしてよくこれだけのものを書けるものだ、自分など及びもつかないと感心しています。 よく考えてみると、わたしの場合、高校時代を過ぎてからは劣等感に悩まされて生きていましたし、仕事を持つようになってからは、自分の担当する分野の学会誌さえ全く理解できませんでした。それでも生きていかなければならないので、こそこそと働いて生活の糧をもらい続けていたのでした。 自分の専門分野でさえ落ちこぼれであった者が、他人の分野のすぐれた人と自分を引き比べることが、すでに自分を誇大妄想しているに違いありません。 年寄りはそんなことを忘れて、黙っていることがつらいから、いろいろの事に口を挟みます。嫌われるのは当然です。老いを生きることは難しいということでしょう。 |
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2001年10月11日 23時03分10秒
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車でガンセンターに行き、CT受診しました。高価な機械のようですが受診は簡単で、10分もあれば終わりました。ところが、それまでが大変でした。 横浜新道が事故渋滞10キロという表示を見ましたが、今日は往路所要時間よりも1時間余裕をもって出たので大丈夫と、たかをくくって第三京浜道路に入りました。 案の定、保土ヶ谷の料金所から先が大渋滞。少ししか動きません。30分渋滞を我慢しましたが、CT予約時間に遅れる心配で頭がおかしくなってきました。遅れると次にいつ予約がとれるかわからない、診察も再予約しなければならないし、・・・。イライラ、ジリジリ。峰岡出口に至って、自動車専用道路から出るか? 進むか? もう出られなくなりそうな所まで進んでから、急遽一般道路に出ました。その先の道は知りません。とにかく左折して進みました。 頭の中は真っ白になりました。こんなことで事故を起こしてはならない! 予約時間に間に合うか? ガソリンスタンドが目に入り、必要もないのにレギュラー満タンに。従業員に道を聞くにも行き先の言葉がまともに出てこない。聞いたことが頭に入らない。ただ、今の進行方向が16号線を逆方向に走っていることだけ理解してUターンしました。まもなく覚えのある道に至ったので、十分に間に合いました。 くだらぬことを長々と書きました。 おまけ人生を悠々と生きているはずのわたしが、たかがCT予約時間に遅れる心配でこの有様でした。はたして素直に死ぬことができるでしょうか。 |
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2001年10月10日 16時22分40秒
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NHKスペシャルの番組でボトウオータールビジネスを見ました。清い水に乏しいインドの例で、ビジネスの恐ろしさに戦慄させられました。 あるコンサルタントが政府を口説いて、ボトルウオーターの安全基準を厳格にすることに成功しました。これによって、しかるべき設備投資のできない弱小の水業者は事業からの撤退を迫られました。大資本のビジネス独壇場になったのです。すると公の水道局も、このビジネスに入り込んで、乏しい給水の一部をボトルウオーターにしたので水道の水が出なくなり、市民も、貧しい人も困っているといるというのです。 このコンサルタントは言いました、「これがビジネスというもので、われわれに責任はない」と。たしかに彼は、市民の健康を守るためによいことをしているのです。 しかし命を守ることを忘れているのかも知れません。 最近は企業が合併したり、買収したりして大きくなっています。ビジネスの恐竜がどんどん出現しているようです。小さなビジネスはは逃げ切れるでしょうか。わたしはイチローの活躍などを見て喜んでいるだけです。 |
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2001年10月09日 15時17分21秒
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テロに対する戦争が始まってしまいました。わたしはこの戦争について何もわかりませんが、まえまえから疑問に思っていたのは、強者と弱者の関係です。 共産主義は20世紀の壮大な実験だともいわれますが、どうやら失敗に終わったようで、資本主義つまり競争社会でなければ繁栄しないという結論のようです。 競争社会は必ず強者と弱者をつくってしまいます。企業でも競争、企業の中でも競争、ついに公務員にも競争原理を導入されるようです。この競争に勝つ者はいいとして、負ける者が必ず生じ滅びゆく運命にあります。そこで近代社会は敗者を救う方法をいろいろと工夫しています。 つまり、弱者をつくり、それを強者が救う社会のように見えます。しかもあらゆる人が強者か弱者か、どちらかに属さざるをえません。その中間と考えている人は強者に近い人でしょう。・・・ともあれ、せっせと弱者を作っておきながら、それを救うことの苦労を繰り返し続ける人間社会。情けないと思いませんか。そんな思いでテロ問題を見てしまいます。 |
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2001年10月08日 15時45分27秒
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わたしはテレビを見過ぎかもしれません。テレビで見たことはすぐ忘れてしまうので知識としてはあまり役立たないと思えますが、忘れなくて困ることもあります。 二週間前に図書館で借りた司馬遼太郎の「国盗り物語」をやっと読み終わりました。時間の百万長者にしては、ずいぶん時間がかかり過ぎていますが、わたしは本を読むのが遅く、普通の三倍から五倍はかかるので・・・それは仕方がないとして、困るのは登場人物のイメージが著者の描写を無視して大河ドラマの登場人物と重なってしまうのです。「国盗り物語」では読み終わるまで、96年の「秀吉」で登場した役者、信長の渡哲也、秀吉の竹中直人、光秀の村上弘明のままでした。 わたしは明智光秀のような才能はありませんが、二十年仕えた先生のもとを去った(裏切った)心の動きが光秀のそれと重なりました。また妻の性格が秀吉のようだったようにも思えます。テレビでは感じなかったのに、活字がそれらを思い出させてくれました。 |
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2001年10月06日 19時43分52秒
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広辞苑には生き心地という言葉はありませんでした。生きた心地はよく使いますが、わたしの言いたいのは、住み心地の使い方のような生き心地です。 余談ですが、わたしの家は新しく小さい部屋がちまちましているので、住み心地がよくありません。旧い人間のわたしは障子と唐紙障子とを開け放てば自然と一体となる田舎の家が恋しいです。それにつけても、近所のAさんはすばらしいです。七十歳を過ぎてから夫婦だけのために家を改築し、老人が住みよい家にされたのです。わたしは羨ましいので、「Aさん、百歳までも生きるつもりですか」と言ってしまいました。 さて、生き心地です。余命期限を一年も過ぎていますので、気持のベースにはもういくらも生きられないだろう、食欲がなく体力も衰えましたので、急変があるのかなとの思いがあます。しかし日々の生活では、痛みもないので命のことを忘れます。これらが混じりあって生き心地はきわめて悪いです。 とはいえ、いつまでに何をしょうという目標は、今は一つもありません。生きる目的は若い頃からわからないままです。みなさんは、どうですか? 少なくとも前者はいっぱいあるでしょうね。 |
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2001年10月05日 20時19分47秒
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精神薄弱者更正施設東やまた工房の生け垣に金糸梅が十個ほど咲いていました。六月頃から暑い盛りを咲き続ける花なので、今頃咲いているのは落ちこぼれでしょうが、盛りの花々には感じなかった優雅さと美しさがありました。 一面に咲いていた頃にも、これ以上に美しい花は多かったと思われますが、全体をぼんやりとしか見ていないので、一つの花の美しさを見つけられなかったのでしょう。 人を見る目も同じかもしれません。会社には大勢の同僚がいました。仕事の上でぼんやり仲間を見ているだけだったので、会社を離れ仕事と縁が切れると、みんな遠くの人になってしまいました。退職してOB会に入ってはじめて、OB会誌などによって、仲間がどんなに優れた才能をもっていたかを知り、自分がなんと裸の王様であったかを悟らされました。(そんなに高い職位でないくせに威張っていた時代もあったのです) 今学級崩壊が叫ばれています。先生が愛をもって生徒一人一人を見ていたなら、落ちこぼれどころか、金糸梅のように、その子の美しさに打たれるにちがいありません。人には一人のこらず人間の尊厳が与えられているからです。 |
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2001年10月04日 22時25分22秒
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木犀が満開になりました。少し歩いただけでもあちらこちらから香気が流れて来ます。ちょと失礼して小枝をいただいてきて、机の上で香りを楽しんでおりました。 香りが鼻腔に満ちると、熟れた柿を連想しました。田舎に暮らした少年時代がよみがえったのでしょう。庭に大きな木犀の木と古い柿の木とが並んでおりました。木犀の香るころから、柿も熟れてきたのでしょう。戦後のろくに食べるものがなかった時代、餓鬼には香りよりも柿だったから、木犀の香りも柿に混じり合ったのでしょう。 柿の葉といえば、奈良名物の柿の葉寿司を思い出します。妻が奈良の出身だったお陰で、今もその妹がときどき送ってくれます。鯖や鮭を押し寿司にし柿の葉でくるんであります。わたしの大好物で孫娘にどんどん食べられるのを惜しんだくらいでした。しかし今は味覚を失ったせいか、甘すぎて美味しくありません。 そんな話はともかく、米国はテロ組織に対する攻撃準備を完了したといっております。日本では米国に追従し過ぎだとか言って国会でも、マスコミでも人ごとのように騒いでおります。米国中枢にテロがあったのなら、日本にだってテロがあることは連想できます。今後の世の中はどうなるのでしょう。 イエスはこう言われました、・・・戦争を目のあたりに見たり、また戦争の噂を聞いた時に、あわてるな。それはおこらねばならないことであるが、しかしまだ最後ではない。世の終わりが来る前に、民族は民族に、国は国に向かって敵となって立ち上がるのだから。・・・(マルコ福音書より) わたしは思います。戦争や争いがこの世の中から消えて、本当の平和が来て完全な世界が訪れるとき、人類の終焉がある。それまでは真の神を知るための試練の時であると。 |
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2001年10月03日 16時42分50秒
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今日のコスモスは花の名前です。この名は秩序、宇宙という意味があります。なぜこの花の名はコスモスなのでしょう。 わたしがことぶき花壇(9月27日記事)とよぶ小さな公園にコスモスが満開です。品種改良されていて、目線から花がよく見えるように脊の低い品種が植えられていますので、かわいい姿を楽しめます。ただしこの花から宇宙を想像することができません。ところが数年前に近所を散歩して出会ったコスモス畑の花は、背丈ほどの茎の先に咲いていて、その上をトンボが飛び交っていました。わたしは膝を屈めて花の 隙間から真っ青な空を見上げました。全空間が宇宙なるコスモスでした。しばしその場を離れることができませんでした。 宇宙は150億年前にビックバンからはじまり、時が動き始めたといいます。その前は何であったのでしょう。この物質の始まりの前からすでに神がおられたと、わたしは思うのです。ヨハネの書いた福音書にはその最初に、 世の始めに、すでに言葉(ロゴス)はおられた。ロゴスは神とともにおられた。 ロゴスは神であった。 と書いております。神のロゴスによって宇宙が始まったのではないでしょうか。 |
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2001年10月02日 19時49分59秒
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今日のようにしとしと雨が降ると、なみだ雨の思いに至ります。89年2月24日は昭和天皇の大喪の日でした。そぼふる雨の中、しずしずと陛下の棺が進みました。 日本中の多くの人が涙したでしょう。日本にとっても涙のときだったかも知れません。バブルがはじけ、ジャパン アズ ナンバーワンが砂上の楼閣であったことを知らされる十数年が始まったからです。 当時のわたしは窓際族でした。技術センターの窓から雨に煙る新横浜の街を何度眺めたことでしょう。90年に難病の妻を残して名古屋営業所に出ました。そしてすでに体力も衰えた妻を近くの名古屋市立病院に転院させるために、ベッドの空くのを待っていました。転院可能の連絡がとれたのは、慣れぬ飛び込み営業のため亀山市役所を訪れた雨の日でした。うまく行かない営業と衰え行く妻を思って、雨に濡れた顔 に涙がまじりました。 今日も鬱陶しい雨です。日本の失業率が5%を越えています。働き盛りの男たちの中には仕事がなくて、なみだ雨を過ごしている人も多いことでしょう。こんな日、どうか自殺する人が出ないようにと祈ります。 |
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2001年10月01日 15時49分01秒
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