余命一年の宣告を受けてから、さしたる苦しみもなくその期が過ぎ、
さらに一年はなにもせず体力、気力を失ってすごしました。
残る時間は思いを綴りながら力の尽きるのを待ちたいと思います。


2002年2月


郵便局へ行きました
 一歩きして郵便局にも寄ると2キロほどですが、これがなかなか苦しい思いでした。情けない話です。

 フォスタープランへの寄付は月5千円×2名分を3ヶ月ごとに支払うことになっているので、振り込みに行ったのです。事務局からは、手数料が安いから自動引き落としにしてくれと言ってきますが、拒否して毎回わざわざ郵便局まで出かけます。
自動引き落としでは寄付していることも、肝心のチャイルドのことも忘れてしまうからです。心の繋がりが切れるのです。

 税金の源泉徴収も同じです。自分で納税する面倒をもてば、サラリーマンは決して税金の無駄使いを許さない気持になります。政府や官僚の身勝手な予算を黙っていなかったでしょう。

 郵便局がだんだん遠くなります。次回も振り込みに行けるでしょうか。
2002年02月27日 19時17分26秒

自転車に乗って
 自転車に乗って6キロほど走ったところ、なんとも苦しくて困りました。一番近い現金払出機まで行ったのですが、なぜ車を使わないのかと思います。

 銀行の利息があまりにも安いので、数万円を引き出すためにガソリンを消費してわざわざ出かけるのでは割にあわないから癪にさわるのです。銀行はお金を保管してもらっていると思えばいいのに、困ったものです。

 自転車乗りがこんなに苦しいのは、八畳足らずの部屋だけで暮らして動くことも少ないので、心臓に怠け癖がついてしまうのでしょう。
2002年02月26日 19時07分37秒

修道院はどんなところだろう
 インターネットは便利で、けっこういろんなことを教えてもらえます。トラピスト修道院の生活もちょっと見ました。勤労と祈りの生活のようです。

 独りぼっちで暮らしている自分を星の王子様のように考えてみましたが、王子様のように可愛くて想像豊かでありません。
むしろ修道院にでもいるようです。ただし、労働をせず、祈らないのではとんでもないと言われますが。

 若い頃は、わたしはクリスチャンだから生活のために戦う組合には入りませんと言って頑張ったことがあります。もちろんH先生にプッシュされてのことです。そのとき組合の幹部や、
会社の偉い方々に、修道院にでも入れといわれました。会社をやめ、学校に勤めましたが、学校を追われて再就職するときは33歳になっており、雇ってくれる会社が見つからず苦しんだので、今度は素直に組合に入りました。いい加減な人間です。
研究が進まなかったとき、会社の仕事でトラブルと起こしたときなどは、修道院に逃げ込みたいと思ったことが何度もありました。

 今は家から出ない点だけでは修道院的生活です。蔵書も聖書関係ばかりですので部屋も修道院のようかもしれません。ただし中に住むわたしは日本の産業にいま一番関心があるのです。
2002年02月25日 18時48分51秒

わたしはなぜ生かされているのでしょう
 あと一年と言われてからは身辺整理を考えました。ライフワークと思っていた福音書異同一覧はK氏のお陰で出版されました。自伝らしきものもCDにしました。一年経ってもまだ生かされていました。去年の春は残る時間は近所の草や木を写真に撮ってCDにし、それらの名前を覚え終わらぬうちに命が尽きると考えましたが、花が終わる頃になっても生かされていました。しかし体力気力は著しく衰え、そのころから食欲はなくなり、気持ちが悪い状態が四六時中続いています。

 ほとんど外には出ず、少しの聖書勉強と聖書読みをしていますが、聖書読みの聖書知らずで、世に出してもらった福音書異同一覧も誤字がいっぱい見つかり、恥ずかしさと申し訳ない気持でいっぱいです。クリスチャンのくせに愛を伝える機会も勇気もなくて、ひとりぼっち。インターネットもわたしを解放してくれません。

 食べることの喜びも失い、テレビを見ることも、聖書もわたしを満足させてくれません。わたしはなぜ生かされているのでしょう。・・・意識が尽きないかぎり、人は祈りのチャンネルが残されています。しかし健康なときは祈らず、病気になってもほとんど祈らず、楽しみを失って苦しんでいてもまだ祈りません。

 祈ることが出来るまで生かされるのでしょうか。
2002年02月24日 19時51分29秒

山茱萸(2)
 東やまた工房のそばの小さな畑の、菜の花の中にも5本ほどの山茱萸の木がありました。また稗搗節のことを考えました。
 
庭の山椒(さんしゅ)の木 鳴る鈴かけて
ヨーオー ホイ
鈴の鳴るときゃ 出ておじゃれヨ
鈴の鳴るときゃ 何と言うて出ましょ
ヨーオー ホイ
駒に水くりょと 言うて出ましょヨ
おまや平家の 公達(きんだち)ながれ
ヨーオー ホイ
おどま追討の 那須の末ヨ
那須の大八(だいはち) 鶴富(つるとみ)捨てて
ヨーオー ホイ
椎葉(しいば)立つときゃ 目に涙ヨ
泣いて待つより 野に出て見やれ
ヨーオー ホイ
野には野菊の 花盛りヨ

 山椒の木では鈴を懸けるにも鈴を鳴らすにも棘がじゃまになって好ましくありません。山茱萸の木ではそんな不便はありませんし、高さも手頃だろうと思えます。黄色の花が咲いています。 源氏の武将と公達の末の悲恋物語は、山茱萸の姿にもよく合います。

 昨春はこれらの花の形を観察したくて、20万円もする実体顕微鏡を買いました。両眼で細かい手作業をするために使われる顕微鏡です。机の上にありますが今年は覗く気持が起こりません。しかしこの悲恋物語には心動かされました。
2002年02月21日 19時46分30秒

山茱萸(さんしゅゆ)
 道中坂下の祠のそばの山茱萸の花が咲き始めていました。梅、黄梅、山茱萸の順に樹木の花を見かけました。山茱萸の花はなかなか面白い形をしていますが、言葉では表現できません。
その名を聞くと稗搗節が浮かんできます。ある植物図鑑では山茱萸が稗搗節に詠まれているとありましたが、インターネットで歌詞を見ると山椒になっております。どちらが正しいのでしょう。

 ともあれ、まだ寒いですが、春がやってきております。
2002年02月20日 21時20分50秒

アメリカ大統領の訪日
 大統領を見ているとあらゆる面でゆとりを感じます。わが首相はいつも先生の顔色をみている優等生のように見えました。
先生の言われることはみんな正しいと言うと、オーム真理教の教祖と弟子たちのような関係になってしまいます。

 わたしも若い日にH先生を慕っていましたが、オーム真理教の師弟関係と同じだったと思っています。さいわいH先生の中にはキリスト教がありましたから、新興宗教のようにはならず、キリスト教だけがわたしの中に残りました。

 明治維新後もお上思想が日本を支配しましたが、21世紀はそこから抜け出せるのでしょうか。アメリカがいかに立派な国であっても、日本のお上であってはなりません。日本が本当の独立国になってほしいです。
2002年02月19日 19時06分58秒

病気と気力
 わたしの場合、肺がんとはいえ、ゆっくりと進行しているようなので、体力の衰退がよくわかります。気力もそれにともなってゆきます。

 去年の今ごろは、隣の垣根に寒風の中で黄梅の咲いているのを見つけて、心を躍らせてディジタルカメラを向けたものですが、今年は歩みを停めて眺める気持もなくなりました。

 今は横になりたいという気持がすぐに働いてしまいます。ウトウトして意識がぼんやりすれば、気持の悪さも何も消えるからでしょうか。情けない話です。ひとりごとも言わなくなる心配もあります。
2002年02月18日 15時51分44秒

オリンピック
 オリンピックは真っ盛りです。どこのチャンネルも繰り返し繰り返し放映しているので、オリンピックを見たいと思わないわたしは困ります。日本の将来を真剣に語り合うような番組を見たいのです。

 前にも書きましたが、今お金を使うのなら森林のことを考えてもらいたいと思います。植林の手入れがされていないので、水害の原因になったり、沿岸漁業を殺したりしているというのです。水害のためにダムをつくるより、りっぱな森林を子孫に残しながら治水を考えた方が賢明のように思われます。

 体力や技を競うオリンピックも結構ですが、世界中が環境の整備を競うオリンピックを考えたらどうでしょうね。
2002年02月15日 22時10分57秒

故郷の経済はどうなったのかな
 郷里は岡山県の山奥なので、非常に過疎と老齢化が進んでいます。帰省するたびにわが家は古くさいままだけれども、近所の家は大きくモダーンに建て替えられていました。実家は兄が教師の半農でした。

 どの家も1町歩(1坪×30×10)ほどの田畑しか持たないので農業では食べて行けません。ひところは姫路あたりまで出稼ぎに出たり、地元の公共事業に働いたので、重労働のお陰で富んでいたようです。しかし今は出稼ぎの人に仕事がまわってくる状況ではないし、公共事業も少ないでしょう。

 いったいどうして暮らしを立てているのでしょう。都会に劣らない便利な生活が定着しています。複数台の車をもち、燃料はプロパンガス、農作業は機会力などで、固定の支出はかなりの額になります。修学期の子どもがいれば教育費も大変です。
収入がなくなったらどうするのでしょう。

 みなさんがどうして暮らしているのか知りたいです。田舎でも豊かに暮らして行ける知恵がほしいです。そんな日本になってほしいです。
2002年02月14日 20時33分37秒

今知りたいこと
 今は冬季オリンピックの真っ最中。でもわたしはほとんど見ません。これを見るためにハイビジョンテレビを買う人も多いそうですが、わたしは関心がうすいのです。

 今知りたいことは、日本の工業と農業の再興のことです。どうすれば立って行けるのでしょう。国会もこの根本問題をなぜ討議しないのでしょうか。道路公団も医療保険も大事でしょうが、日本が生きてゆくためには最も大事な問題だと思うのですが。

 いろいろの議論をわたしが知らないだけかもしれません。日本が没落してから考えるのではないでしょうね。
2002年02月12日 23時35分58秒

建国記念日
 国民祝日の中で、その意義の最も知られていないのが建国記念日ではないでしょうか。わたしは言葉はわかっても歴史は知りません。

 インターネットの記事によると建国2662年で今上陛下は125代にあたられるそうです。天皇は日本国民にとって象徴であり、日本の歴史と共に延々と続いた家系は尊敬すべきだと思います。しかし神話の時代のある時を指して建国記念日とするには無理があるように思います。架空のこの日を祝う気持など持てず、国民の心をまとめる日にもならないでしょう。

 わたしは本当の建国の日を待ちます。その日は日本人のお上思想が破壊されて、自分に対し国家に対して責任を持てる人々が誕生する日です。堕落した日本が落ちるところまで墜ちて、一斉に目覚める日です。その日は遠からず来るでしょう。
2002年02月11日 19時35分27秒

ソロモン王のこと
 列王記のソロモン王の部分を通り過ぎましたので、一言だけ。ソロモン王の名と栄華の話を知らない人は少ないでしょう。

 ダビデの治世下に、イスラエルは小国から軍事的強国となり、さらにその子ソロモンの治世下に視野の狭い貧しい国から国際的に重要な国にまで成長しました。それは神に対するダビデの信頼と、「神がソロモンに非常に多くの知恵と悟りを授け、また海辺の砂原のように広い心を授けられた」からでした。

 イスラエルは栄えました。神殿を造り、それよりも大きい宮殿を造りました。しかしソロモンは外国の女を愛し、王妃七百人、そばめ三百人をもち、彼女たちの神々を拝んだので国は没落への道を歩みます。しかし神はダビデにされた約束によりソロモンの死ぬまでは国を保たれました。

 八百万の神の国に生まれたわたしには、一神教の恐ろしさを本当にわかることはできないでしょう。
2002年02月09日 21時55分48秒

イスラエルの国旗はダビデの家紋
 イスラエルの国旗がダビデの家紋だと知ったのは、大学生のころで、H先生の聖書勉強会の前座で後輩の話からでした。印象に残っていることはわたしの無知を示しているようです。

 その後の強い印象は、二十年ほど経ってイスラエルを旅行したとき、ダビデの墓といわれる場所にレリーフとして飾られているのを見たときです。

 ダビデは生まれついての輝かしい王を想像していましたが、そうではないようです。三千年も昔の話です。羊飼いの子として生まれ、イスラエルの最初の王サウルの頭痛を鎮めるため、琴を弾く若者として引き入れられました。千人の軍隊長に任ぜられて間もなく、サウルに嫌われ追われる身となりました。イスラエルの宿敵ペリシテの王の許に逃れて命は助かりました。
そのペリシテとイスラエルの戦いによりサウルが死にます。ダビデはサウルを慕い続けましたから参戦していません。サウルの死によって、ダビデはイスラエルの長老たちに自分を王として認めさせ、外国人の地であったエブス(イスラエル)を奪って首都とします。そんなダビデに息子アブサロムが反逆し、ダビデは辺境に追われる身となります。しかし部下がアブサロムを殺してから、ダビデは戦勝を続け、ついにユーフラテスからシナイに至るパレスチナの王となります。ペリシテも利用しようとして助けたダビデに攻められました。この時期イスラエルが建国できたのは、当時肥沃な三日月地帯に強力な国がなかったことが幸いしたのでした。

 ちょっと長くなりましたが、サムエル記の多くの記事から概説しましたので不十分です。世界中に散らばったイスラエル人が、自分の国だとして帰ってきた所がこの中心部なのです。問題のエルサレムもダビデが奪いました。イスラエルの民が国を追われる話は、いつか書くでしょうが、彼らは三千年も昔のダビデの土地についてパレスチナ人といま争っているのです。日本の政治家が出ていって解決の糸口が見つかるでしょうか。
2002年02月08日 19時05分01秒

病気と気力
 このところ食欲がありませんが、それだけでなくいつも気持ちが悪いという状態になりました。よくなることはないでしょうから、いつまで我慢しなければならないのだろうと思い、気力がくじけます。しかし楽になる時は死です。この先さらに、痛みや、薬物による副作用が起こってくるでしょう。辛い旅をしなけらばなりません。

 息子たちの仕事の話を聞くと、辛い道を歩いているようです。しかし日本の病気はがんではないでしょう。苦しみのあとに健康があります。気力が衰えないよう辛抱してほしいものです。
2002年02月07日 19時04分22秒

寒緋桜
 三月の陽気だというから、高田天満宮にあったと思われる寒緋桜を見に出かけました。20分ほど歩いてやっと到着したものの花などありません。二本の桜の老木にはヤマザクラという札が掛かっていました。

 緋寒桜:二月頃、葉に先立って濃紅色の花を半開する。花は鐘形で下向き。緋桜。タイワンザクラ。カンヒザクラ。
 山桜:四月頃、新葉とともに白色の五弁花を開き、赤紫色の小核果を結ぶ。花は小形で清楚。吉野山の桜はこの種。

 去年の春に鐘形で半開きの花が散っているのを見たように思うのですが。勘違いでしょうか。やっとの思いで家にかえり着きました。

 福音書にこんな記事がるのを思い出しました。

都に帰られるときイエスは空腹であった。それで道ばたに一本の無花果の木があるのを見て、そこに行かれた。が見ると、ただ葉ばかりで何もなかった。イエスは木に言われる、「もはやいつまでも、お前には実がなってはならない!」 無花果の木は見る間に枯れてしまった。(無花果の季節ではなかったのです)

 わたしの場合とはまるで違いますが、イエスは理不尽だと思われます。しかし30歳ばかりの空腹の青年だから、こう叫ぶのが普通でしょう。わたしはボケですかね。
2002年02月06日 19時56分49秒

確定申告
 日本のサラリーマンは、源泉徴収という魔術によって、税金を払っている実感が少ないようです。わたしも長年この魔術にかかって、税金の無駄使いに憤りを感ずることはありませんでした。おそらく多くのサラリーマンがご同様だから、今も税金の垂れ流しを許していると思われます。

 十数年前から確定申告をするようになりました。最初の頃は三月になると税務相談窓口の長い列に並んで、手際よい役人に数分間で書類を作ってもらっていました。少し税金に関心をもつようになったようです。税金の申告は自分でしなければ日本は締まりませんね。

 ここ数年は数時間かけて自分で申告書を書きます。ところが、払った税金をほぼ全額返してもらう低所得者になっており、今ではわずかの年金からの源泉徴収分を返してもらっています。

 税金を払うのは辛いですが、払わなくてよくなるのも情けないことです。
2002年02月05日 19時11分25秒

ひま人
 一年生のはるなは帰宅が6時ごろになります。学校が終わると学童保育に行き、お母さんの勤務が終わってから迎えてもらうからです。しかし、嫌いな男の子がいるので、時々保育をさぼっているようです。

 お隣の一年生ユー君は学校が終わって帰ると、この少ないチャンスに一緒に遊ぶことを楽しみにしています。今日も2時間ほどわたしの部屋で待ちくたびれて帰りました。この時刻に暖房しているのはここだけなので、気持ちよくゲームボーイをピコピコやっていました。そのうち3歳の弟カズ君も来て遊びました。わたしの部屋は8畳たらずですが、大きな本棚、机、洋服タンス、ベッド、テレビ、オーディオ機器などが占めていますのでスペースは2畳ほどです。わたしはここで旧約からダビデの働きを読んでいました。ひま人たちのあつまりです。

 この少年が働き盛りになるころの日本はどうなっているでしょう。わたしは体重53.7キロまで落ちましたので、行く末を見ることなどできませんがね。
2002年02月04日 19時37分59秒

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