余命一年の宣告を受けてから、さしたる苦しみもなくその期が過ぎ、
さらに一年はなにもせず体力、気力を失ってすごしました。
残る時間は思いを綴りながら力の尽きるのを待ちたいと思います。


2002年4月

帰郷が実現しました
 美作の山奥は新緑・新緑・新緑・・・・・・でした。かの地は来年度の大河ドラマ「宮本武蔵」の生誕の地ですから、だんだん賑やかになるでしょう。

 二人の兄、姉、弟、甥二人と会いました。最初の三人以外はわたしに会えるのが最後だと知らされて、遠くから駆けつけてくれました。歓迎されないと思っていましたが、そうではありませんでした。しかし三日間も話していたので疲れ果てました。

 わたしが三ヶ月ほどの命とは思ってくれませんでしたし、自分も確信はできていません。しかし帰郷するのは最後です。対面するのも最後にするつもりです。わたしは静かにこの地上を離れたと思います。
2002年04月30日 21時43分39秒

衰え行く中で
 気力体力が本当に衰えました。とにかく目を閉じていたいのです。できれば横になりたいのです。この誘惑に耐えるのが日ごとに難しくなります。ひとりごとも言わなくなりました。世の中の出来事に対する関心も薄くなってきたからです。

 でも、出来る限り発信しましょう。衰えゆっく中からの発信は少ないでしょうから。
2002年04月25日 16時57分02秒

帰郷問題(つづき)
 息子たちの提案に従って、4月26日三男の運転で帰郷することになりました。さっそく姉に電話連絡すると、兄弟が集まろうかと言いましたが、そんなことをしてくれなくてもよいと思っていました。食べることも出来ないし、話す力もあまりないからです。

 数日後に長兄から電話がありました。4月末は農作業が忙しいから、6月頃に延期できないかというわけです。わたしはなぜ兄がこんなことを言うのだろうと思いました。仮にその頃にわたしが亡くなったとしたら、忙しいという理由で来ないのだろうか?兄にこう答えました、「相手をしてくれなくても顔だけ見ればよし、三男も連休前だから休みが取れるので行きます。」 無理をして来ると病気が悪くなるだろうと心配してくれましたが、8月までしかもたないわが身です。6月までわたしに動く力が残っているかどうかわかりません。兄の方から行くとも言ってくれましたが、家内の墓参りに行くと言ってくれましたが、10年たった今まで来てくれる気配はありません。その他にも隣の老人が死にそうで時間がとれないとも言いました。いくら多忙でも、顔を合わせるくらいの時間はありそうに思えます。

 わたしの臨終が迫っても、死んでも兄弟たちに来てもらわなくてもよいように、わたしが会いに行こうと思っているのです。意識がなくなってから会ってもしかたがないからです。兄弟はあまり歓迎してくれないようですが、愛しんだ野山は黙って迎えてくれるでしょう。
2002年04月19日 19時51分40秒

帰郷の体力があるだろうか
 このところ帰郷するに足りる体力があるかどうか心配し、決心ができないでいます。新横浜までは次男に車で送ってもっらうことにしても、新幹線の2時間、新大阪駅での乗り換え、大原まで2時間、姉の家までの徒歩10分。

 それに、こんなに弱った体を兄弟に見せるのはどんなものか?
2002年04月16日 19時17分54秒

手足が痺れます
 足首から先が痺れています。寒中に素足でいるような感じでしょうか。暖めてもあまり効果がありません。歩くにも不便を感じるようになりました。手は指の先端だけ痺れています。全ての爪の間に異物が挟まったような感じです。体の先端から機能を失い始めたようです。頭に飛び火するのが心配です。

 社会的な能力からはじめて、知的感覚的能力、気力、体力を失って、だんだん人間から弱った動物へと移っているようです。なぜか魚獲り少年のバケツの中で、アップアップしている小魚を連想してしまいます。辛うじて少し傾いて泳いでいる状態でしょうか。この先どんな困難が待ち受けているのでしょう。
2002年04月15日 19時40分10秒

別れのあいさつ
 2年前の春、郷里の二人の兄と姉に別れの挨拶に行きました。余命一年の宣告を受けていたからです。驚いたでしょうが、わたしは元気だったので悲しむ前の小さな宴会を開いてくれました。宣告に反して生かされて、二度目の春を迎えました。しかし今度は本当に別れが近くなったように感じます。姉には別れの手紙を書きました。おどろいて姉も兄も電話をくれました。

 体力に不安はありますが、別れのあいさつに行こうかと考えています。兄も姉も老いていますので、わたしの生きている間も、死んでからも横浜に迎えたくありません。わたしが出向き兄弟だけでなく、少年時代を過ごした野山にもお別れがしたいのです。
2002年04月12日 19時27分01秒

白普賢(普賢象)のこと
 近所のHさんの白普賢が満開です。この桜は雌しべが突き出して先端が少しそりかえり、普賢菩薩の乗った象の鼻に似ているとこらから、この名が付けられたそうです。八重咲きで淡白にややピンクがかかっていて大きく豊麗、垂れ下がって、枝に集団で咲いて、それらが空間を覆うので、下から見上げると夢幻境に入ってゆくようです。こんな美しい桜を他には見たことがありませんでした。

 ところで、この桜は小さなわが家を新築(1970)して間もないころ、妻が親しいH夫人と一本ずつ買って、それぞれの狭い庭に植えたものです。わが家の桜も見事で、春が来るのが楽しみでした。二階を増築した頃はその座敷の高さに達していて、ベランダから花の塊を撫でてあげました。わたしの課の若者を招いて宴会を開いたとき、花びらを杯に浮かべて飲ませたこともありました。彼らは風流を解さず、花より酒だったようです・・・。わが家の桜は庭が狭いのでだんだん衰えていましたが、家を建て替えたとき(1995)解体屋さんが切り倒してしまいました。

 今日はHさんの桜の小枝を盗んできて妻の写真の前に飾り、あなたが愛した桜ですよと声をかけました。
2002年04月11日 19時16分33秒

花水木の季節
 横浜市が中原街道の街路樹に植えてくれた花水木が満開です。ゆっくりしか歩けなくて、霞んできた目から花の列を眺めると酔ったような気持です。白い中に赤が点々と。ああ、この美しさも数日でしょう。

 わが身の日々も残り少ないようです。時間を持て余して不平を言っていましたが、そんな余裕はありません。本にしていただいた福音書異同一覧を通して読みましょう(三回目)。ギリシャ語は勉強のため書き写していますので、終わりに着かないうちに命が尽きるでしょう。でも、これだけを日課にします。
大リーグもテレビドラマも政治もあまり興味がなくなりました。また、いまさらどんな教養を仕入れても空しいです。

 この世から来るべき世へと続くものは聖書(福音書)しかありません。机に着いたり、ベッドに横になったりしながら福音書異同一覧を読みます。
2002年04月10日 17時55分22秒

郷里の姉への手紙
 郷里の姉に近況を知らせる手紙を書きました。電話で事足りていたので、何十年ぶりかのことです。これが最後の便りになるだろうと思っ万年筆で丁寧に書きました。

 郷里に帰るときは、二人の兄を差し置いていつも姉の家に行きます。70歳を越えた姉と66歳の弟ですが、心のつながりは兄たちよりも深く、母のように思えてくるのです。

 手紙の最後はお別れの挨拶になりました。もう帰郷する体力はなく、見舞いに来てもらうことも、死んでから別れに来てもらうこともいらないからです。姉を悲しませたくないのですが、しかたがありません。
2002年04月09日 17時54分01秒

それでも口惜しいのです
 福音書異同一覧はライフワークでしたが、友人の親切で本になりました。これを少しずつ読んで、ギリシャ語の誤字を見つけることを日課にしていました。さて、一通り読み終えてみると、悲しいほどにたくさんの誤字が見つかり、嘆きのひとりごとがこぼれていました。

 正誤表作りです。12年前に買ったOASYS50NFで、2ページの表をやっと作りました。このワープロでなければギリシャ語が書けないのです。さて印刷かかると、レーザープリンターが動いてくれません。数年前5万円ほどかけて出張修理してもらい、その後十数枚ほどしか印刷しなかったのに。使い勝手のよいパソコンばかり使って、このワープロは古道具になっていたからです。

 このフル装備のワープロシステムのために百万円ほど投資しました。妻の手記を手製の本にしたり、異同一覧を作ったり、自分史を書いたりしましたので、十分にその働きを終えています。

 それでも捨てるとなると口惜しいのです。自分の作ったギリシャ語が全部死ぬからでしょうか。ともあれ正誤表は手書きにします。
2002年04月08日 22時47分21秒

選抜高校野球終わる
 今年の選抜高校野球が報徳学園の優勝で終わりました。生徒たちの溌剌たる動きに感動しました。日本の国も彼らのように溌剌と生き返ってほしいのですが、どのチャンネルも代議士の疑惑で埋まっています。悲しいことです。

 選抜高校野球が終わるともう初夏です。5月はわたしには涙の月です。「主人がいじいじと生きるのが可愛そう」と言いながら逝った妻の言葉が思い出されます。その当座は、わたしにはもう離婚はないんだなどと空元気を吹かせていましたが、けっきょく俯きながら歩いた12年でした。悲しみの日がまた近づきます。
2002年04月05日 19時33分55秒

衰えてゆきます
 衰えるという言葉が自分のものになったのはいつのことでしょう。青年時代はずっと60キロの体重を保っていました。結婚してから少しずつ増えたのでしょう、不惑を迎えるころは中年太りと感じるようになっていました。それからは酒を飲み始めましたので、72キロに達しました。

 いつから体重が減り始めたのか記憶がありません。それでもがんの宣告を受けたときは60キロを超えていたでしょう。一年後には56キロ、一月ほど前には53キロ、最近は52キロになりましたので、50キロを切るのもまもなくでしょう。どんどん筋肉を失ってゆきます。かつては力こぶも作れた腕でしたが手首ほどに細りました。腕や足の関節を曲げると皺だらけ、腹部は皺の地図、胸は洗濯板になりました。衰えというものでしょう。でも悲しんではなりません。

 神に似せて造られたからだです。髪の毛の一本一本まで数えられているのです。土に還るまで大切にしなければなりません。
2002年04月04日 19時46分45秒

愛する小さな森
 わが家の正面は小さな森です。隣の家々が遮っているので少ししか見えませんが、市道まで出ると全体が見渡せます。今は若芽がふきだしたばかりで美しい時期です。

 けやき、くぬぎ、こなら、(あべまき?)、うわみずざくら、もうそうちくなどの森です。長い雄花序をぶらさげているのがくぬぎで、こならは若葉が出てから少し小さめの雄花序を垂れるようです。うわみずざくらは大木の上いっぱいに白い花をつけますが、あまり目立ちません。けやきは数本のようです。
もうそうちくは、三十年ほど前に森のはずれの荒れ地で一本だけ見かけましたが、少しずつ増えてきて、今では竹藪をなしています。

 当地は調整地区のお陰で愛する森が残っています。わたしが森に出会ってから、まわりの住人は数人が亡くなり、数人の子どもが生を受けました。森は変わることなく、緑の衣を着ると茂り、紅に変えて裸になることを、だまって繰り返しながら、住人に安らぎを与え続けてくれました。人は森が必要です。
2002年04月03日 18時58分54秒

時の過ごし方
 初夏の晴れ、午前中はわが家の二年生と同学年の隣のY君とが前の道路でキャッキャッと戯れ遊ぶ声が聞こえていました。

 わたしは少しの日課がありますがすぐ終わりますので、一日については莫大な空き時間の持ち主です。しかしながら日数においては残りが多くはないという、奇妙な時を過ごしています。

 空き時間はほとんどテレビやうたたねに過ぎています。勿体ないと思いながら、さりとてやるべきことが見つかりません。
痛みや苦しみに耐えているなら、空き時間とは考えないでしょう。しかし今のわたしには痛みも、大きな苦しみもないのです。祈りの時かも知れませんが、祈れません。いや祈らないのです。

 キャッキャッと戯れるころ、学校の勉強に忙しいころ、会社の仕事に忙殺されるころ、そうして時間の過ぎるのを忘れている時が幸せな時のなのでしょうか。

 窓から見える少しばかりの空間に茂る緑があまり美しいので、窓ガラスを拭きました。
2002年04月02日 19時06分20秒

若芽が真っ盛り
 春の山々は今が一番美しいのではないでしょうか。この時を過ぎると紅葉まで待たねばなりません。

 二年生の孫と近くの公園まで散歩に出かけました。彼女は自転車、わたしは徒歩なので、彼女は先に着いて待っていました。わたしは芝生に坐って、背中に熱ささえ感じながら、一斉に若芽をふいた森を眺めました。彼女はしばらくのあいだ遊具で遊んでいましたが、つまらなくなったようでした。二世代離れたわたしとでは楽しい会話もないからです。やむなく引き返しました。

 彼女はまだ若芽の年頃です。わたしはもう紅葉の時期も過ぎたでしょうか。今では近所に若芽の年頃の子どもを見ることも少なくなりましたが、木の芽が成長するようにたくましく育ってくれるよう祈ります。
2002年04月01日 18時46分42秒

私のホームページへ