2003十勝沖地震

そのときカワウソ家では…

9月26日、いつもの時間(4時20分頃)に昆布の沖止めの放送があり、カワウソ夫婦は「もうちょ
っと寝られる」とまたうとうとし始めた。
幸せな2度寝が始まろうとしたとき、カタカタと地震が始まった。
「お父ちゃん、地震!」
「(震度)2くらいだべさ・・・。」

実際、最初は小さなゆれだった。しかし、数秒後、グワングワンと箪笥も倒れそうなすごい揺れ
になった。ラスカルはすぐに子どものところに走った。以前、釧路沖地震など大きな地震は経
験しており、被害のほとんどない部屋に子どもたちを寝かせていたのでまず大丈夫だろうとは
思っていたが、やはり心配だ。

すぐに子どもたちも起きた。家の中ではガチャガチャと物が落ち割れる音がする。ピカチュウ

「ひでえ〜!!」
と叫んだ。

カワウソの頭の中には奥尻の地震のことが浮かんでいた。あの時、最大30メートルの津波が
来た。しかも第一波は地震発生の5分後には来ている。家族の命を守るためにはすぐに逃げ
なければならない。地震の揺れが収まりかけるとすぐに
「逃げるぞ。トイレ行くなら今のうちだ。ジャンパー着れ!財布だけ持て!あ、携帯も持て!」
と叫んだ。同じ事を2〜3回叫んだ。

すぐに車に乗り込み出発した。行き先は茶内に住む親戚のうちだ。途中工事中の橋がずれて
いた。徐行してわたった。ラジオでは地震の情報を繰り返している。もう津波の第一波は到着
している時間だと言っているが、すでにその時には山際まで逃げてきていた。ただ、この津波
が5メートルもあったら飲み込まれていたろうと思う。

親戚の家に着いたのは5時15分頃だったと思う。ひとまず安心した。とる物もとりあえず出てき
たので家族揃ってパジャマ姿だったがこの際恥ずかしくもなんともなかった。おばさんが出てき

「今電話かけたところだったんだよ。誰も出ないんで、逃げたんだろうって言ってたんだよ。大 
 丈夫だったかい。」
と温かく迎えてくれた。おじさんは息子の家などを見に行ってじき帰って来た。

テレビでやっと地震の状況がわかってきた。苫小牧では石油タンクが燃えていた。これはかな
りの地震だったのだと思った。学校が心配ですぐに行こうと思ったが「まだやめた方がいい」と
みんなに止められた。でも、釧路沖地震の時出勤しなかった負い目があって、今回はどうして
も教師としての責任を果たしたかった。

5時半になって津波情報が画面に出てきた。釧路は1メートルくらいだ。この程度なら大丈夫だ
ろうと思った。「そろそろ行って来ます」と告げ、学校に向かった。途中家で着替えようと思った
が、中に入ると箪笥の前がふさがっていて服を取り出せそうもなかった。テレビや電気を消し
て、パジャマの上にジャージを来て学校へ向かった。

6時少し前に学校に着いた。職員室のドアは前だけ開いて後ろは鍵が閉まっていた。電気がつ
き、校長室のテレビがついている。校長が来ているようなのだが、姿は見えなかった。職員室
の中はぐちゃぐちゃだった。引き出しという引き出しはすべて飛び出していた。テレビも落ちて
いた。電話が設置してあった机が倒れていて電話がどこにあるのかわからないほかに人もい
ないので、ひとまずはそのままにして、校長をさがしがてら校内を見回った。

防火扉はすべて作動していた。きちんと働くことがわかり、大したもんだと感心した。1階の廊
下に白い粉のような物が落ちていた。天井を見ると消火栓が壊れて天井に穴が開いたようだ。
2階、3階と見てまわった。散らかってはいるが校舎に大きな被害はないように見えた。「そう
だ、3階のパソコン!」先日導入されたばかりの最新式のパソコンだ。こちらは1つも落ちていな
かった。台にキャスターがついていて動いたから良かったのだろう。

一通り見回ってから職員室に戻った。電話を探して机の上においた。釧路に住む先生から電
話がかかってきた。今日の勤務はどうなるのかということだった。校長がいないのでなんとも判
断できないのだが、「いいよ、先生やめときなよ。俺が来なくていいって言いましたって言っとく
よ。」と言った。他にもう一件同じような電話があった。

一人でいると職員室も不気味だ。風の音も良く聞こえる。すると風とは違う音が聞こえた。はっ
と気が付くとかなり大きく揺れていて校舎のきしむ音がした。時計を見ると6時5分過ぎだった。
後で、マグニチュード7.8の余震だったことがわかった。

それからすぐ事務生の方が出てきた。今日は休みのはずだったのにと思った。律儀な人だ。
二人になり、少し心強くなった。話しながら二人で出来るところから片づけを始めた。倒れた机
を直し、引き出しを入れ、散らかった書類やペンを拾っていると校長がメガホンを持って外から
帰ってきた。市民を誘導していたのだそうだ。たいした校長だと思った。

すぐにPTAの会長も来た。これもすごいことだ。臨時休校の判断をし、先生方は出られる状況
になったら出ると言うことになった。私も家族の元にひとまず戻ることにした。



親戚の家で朝食までご馳走になり、家に戻って片づけをはじめた。大事にしていた物だけ壊れ
たように思った。娘の100日に撮った写真も落ち、額が割れてしまった。まだ幼い息子がキス
をしようとしている最高のショットだが、今のところは箪笥の中で新しい額が来るのを待ってい
る。

私の書斎は仕事の都合上物が多い。それがことごとく倒れた感がある。片付けに一番時間が
かかった部屋だが、その甲斐あって、地震前よりもきれいになった。
  
いつも野球の練習をしているスポーツ広場は港の近くにある。地割れなどで使えなくなってい
る。上がその写真。それから、液状化現象で砂のような物が噴出した。下の写真の水溜りのよ
うなグレーの物がそれ。ピースをしているのはピカチュウ。


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