| 投稿者のあおいさんは7年間精神科に通い服薬を続けています。当初、統合失調症と診断されていましたが、最近の検査によりてんかんの一種である精神運動発作である事が明らかになりました。自分の記憶がない間に無意識に行動するという症状は彼女を大変苦しませる事となり、同時に心の病にも悩まされてきました。「書き始めたらキリがないから諦めた」というように下に掲載したテキストは彼女の苦しみの全てを表現し尽くせるものではありません。彼女はこれまで私などの何十倍も苦しんできたことでしょう。そんな辛い人生を振り返ったテキストです。本人曰く「支離滅裂」なテキストだそうですが、充分伝わるものはあると思います。心に留めた辛い体験を吐き出した彼女が少しでも楽な気持ちになれることを祈っています。 「むかしばなし」 投稿者:あおい 2−3歳: 隣の家の小学生にしばしばいじめられる。姉に頼るが、あまり相手にされない。 幼児園: 友達がまったくいない。誰とも話さない。常にぼーっとしていて、周囲の人についていけない。幼児園に行きたくなかったが、親に言い出せない。 小学校(1,2年): 毎日、一言も話さないで学校から帰る。家に帰っても学校の人とは遊ばず、近所の人と遊び、「かげひなた(内べんけい)」と呼ばれる。 小学校(3,4年): 数少ないが友人ができるが、私の性格を知ったら、皆私から離れていく。一人でいることが多く、その時間が一番安心できる。 小学校(5,6年): 友人がほしいと強く思う。6年3学期は皆とも仲良く、学校が楽しかった。 中学校: 中1のころのはじめ、仲良かった人とケンカをしたため、仲間はずれとなる。それからは勉強のみが私の生きがいとなる。休み時間も勉強をしていた。家に帰っても、夜中4時まで勉強し、朝7時に起きる生活がつづき、気ちがい状態となる。成績はつねに1番。それが生きがいだった。 高校: 中学校のころ勉強をしすぎたため、県内トップの進学校に行くことができたが、その反動で勉強しなくなる。人間関係に慣れていないため、周りの人とうまく接することができず、変人扱いされる。友人はできず、親に気づかれないように風呂でこっそり泣くことがふえる。 高3のセンター試験あたりから、周囲の人の様子がおかしいように感じるが、おかしいのは自分だった。記憶を失っている間に、わけのわからないことをしているようだった。それからは学校に行かなくなる。卒業式に出ず、その次の日はじめて精神科に行くことになった。 浪人時代: 病気のせいで2年間浪人するはめになる。私は自分の病気を精神分裂病(※現在の統合失調症)だと思いこんでいた。精神科医である父親の部屋の専門書を読みふけるが、なぜ、自分には幻覚や幻聴はないのだろうと不思議に思う。周りの人が笑っていると自分の事をわらっていると思うようになり、周囲の人の行動に敏感になる。 浪人一年目は予備校にいかなかったため、一日中家にいた。両親からは外出禁止や電話禁止にされていたため、なやみは親に話す以外手段がなく、仕方なく話していた。通院して1年半くらいたったころ、甲状腺機能低下症と診断され、ここからうつ病はきていると説明される。 大学生: 受験勉強もろくにしなかった(できなかった)ため、名前も聞いたこともないような私立大学工学部に入学することになる。サークルは旅行研究部に入った。遊びたかったので、化粧ははでに、洋服もすけすけのセクシーな服ばかり着ていた。いろんな人から遊びにさそわれて楽しかった。 サークルをやめてからの学部生活はつらいものだった。研究室に入ると、周囲の人より勉強ができるという理由か(?)、実験データをわざと消されたりとひどい目にあったこともあった。 たまたま見た掲示板に、保健室のカウンセリングについての紹介があった。半信半疑で行ってみたことが私にとっての転機だった。保健室の看護婦さんは最高によい人で、話をするたびに涙があふれてきた。保健室で新しい精神科の紹介をしてもらう。 大学院: 花についての勉強がしたかったため、他大学の大学院(国立)に行くことになる。そこで知り合った先輩が、このホームページを立ちあげた本人である。彼は私といろんなものを共有することができる心強いパートナーである。音楽や映画の趣味、つまりフィーリングがとても合う人である。多少頼りない面もあるが、一生大切にしたい友人の一人である。 最近、脳波をとったら、てんかんの“精神運動発作”というものらしいことがわかり、テグレトールという薬を新しくプラスすることになった。7年間の通院と服薬の結果わかったことだ。 今、1日に飲んでいる薬: ドグマチール 3錠 アキネトン 3錠 デパス 2錠 セパゾン 2錠 チラーヂン 2錠 テグレトール 1錠 |