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漁師町出身娘のモントリオールにおける怒りの魚事情  
午後から大雨が降ったりカラリと晴れたりの不安定な天気が続いていたが、日が暮れるのを待ち受けていたかのように、大荒れの雷雨となった。  
夏至を過ぎた頃から日の入りが早くなり、昼間の時間が大分短くなったとは言え、8時半〜9時前まではまだまだ明るい。そして私は未だに体内時計のことや1日の生活の時間配分について自分のペースが掴めずにいる。なしくずし的に昼の12時過ぎまで寝てしまったり、昼の間も何をしているのかわからないといった感じでボーッと過ごしてしまったり、夜の時間もケジメなくいつまでも起きていたりしてしまうのである。睡眠の取り過ぎで背中の腎臓の辺りが鈍く痛んでも全く処置ナシで、ただダラダラと無為な時間が流れていくのである。  
毎朝早起きしてせっせと出勤していたあの頃に比べると、途方も無く自由な時間がいちどきに出来てしまい、周りにチンプンカンプンな言葉が飛び交う世界の中で、私は唖のようにひとりで黙り込むことが多くなった。ここでは、現実という名の時間がひどく希薄で、自分の一挙手一投足が全て上滑りしているような錯覚に囚われる。今踏みしめている筈の地面は何処か硬質で馴染みが無く、発する声はただ一方的に空ろに響くのみ・・・といった感じだ。  
私は間違ったところにいるのだろうか?それとも、正しくなり得る場所にいるのに、間違った"居方"をしているのだろうか・・・?  
それにしても、このモントリオールという街に、いつまでたっても愛着が湧いてこない。北米のパリと称され、カナダの中では3番目の大きな都市で、若い女性達のオシャレへの関心度は他のどの都市よりも高く、その上市内でも随一のプラトーという人気地区に住んでいるというのに・・・。他のMontrealais(モントリオール人のことです)や日本人ワーホリメーカー達に聞かれたら、「ナニを贅沢な!」と立腹されてしまうに違いないが、でもそうなのである。  
第一に、ここには海が無い。ということは、当然美味しくて新鮮な魚が手に入りにくい、ということだ。陽光輝く潮の香りに満ちた漁師町で生まれ育った私にとって、これは痛手である。4年前の冬、初めてこの街に降り立って以来、会う人ごとに口が酸っぱくなる程言い続けていることなのだけれど、本当にそうなのである。しかし私がここで出会う人達といえば、紅毛碧眼の、天然型の肉食人種、または「え〜ッ、アタシ元々魚嫌いだしぃィ、」などと抜かす、パンとケーキとお菓子があれば、大抵のことには耐えて生きていけマス型の、お目々パチパチの現代っ子まっしぐら日本人ワーホリメーカー、そして骨の髄までサシミ、テンプラ和食党、の大和民族ではあるけれど、長くても2〜3週間で故郷の土を踏む予定になっている観光客のオジサンオバサン・・・・・・とても私の鮮魚に対する身体的な「飢え」と心の乾きについて切実な共感を伴って理解してくれる人々ではないのである。  
多くの人種を抱えるモザイク都市モントリオールの一端を担うポルトガル人は、よく焼き魚を食べると言われている。そして、何を隠そう私はプラトーの、このポルトガル人街に住んでいるのである。アパートに近くにChez Dovalという、魚介料理には口コミで余りにも有名なレストランがあるのだが、そこのウェイターの客あしらいのひどさに私は白目をむく程に驚いたものだ。ある冬の寒い日、BFと一緒に一度出かけた時、満員の店内で忙しそうに立ち働くウェイター達は、店の入り口に赤い鼻をして上気した顔で立ったままずっと待っている私達を、まるで透明人間ででもあるかのように、見事に無視してくれたのである。悠に10分以上は待っていたと思うのだが、その間帰る客もあり空いた席も出来たというのに、彼らはゆっくりと時間をかけてテーブルを片づけ、その間ちらとこちらを見やることさえしなかったのである。どうしてそんなことが出来るのだろう?私達がみすぼらしく見え、丁重に扱う必要などないと判断したからだろうか?それとも、背の低い子供のような丸い顔をした日本人の私をケベコワ(ケベック州出身者のこと)の彼が連れていたからだろうか?・・・アジア人が嫌いなのか?それとも予約をしていない客は、ハナッから無視する規則にでもなっているのか・・・?とまぁ、いささか被害妄想プラス逆上気味な考え方に陥ってしまう程に、ひどい扱いを受けたと私は感じてしまったのである。日本でだったら、全く許されない行為である。日本では、特に飲食店などのようなサーヴィス業は、味は勿論のこと、客の接待には細心の注意を払う。例え自分の味に絶対の自信を持ち、客にも美味いと言うことを強要するような頑固オヤジのラーメン屋でも、店に入れば大抵おかみさんかバイトのオネーちゃんがニコッと笑って応対するモンである。そして、混んでいて席が無ければすまなそうにきちんと説明してくれ、また来てねと軽く頭を下げたりなんかもしてくれるのだ。だからこそ「何だよー、ハラ減ってんだぞー」といささか吊り目気味になりかけていたささくれ立った気持ちも次第に緩和され、そっかそれじゃあ又今度、混んでなさそうな曜日と時間を見計らって又来てみるかな、こんな時間に来ちゃったアタシの方が悪かったのネ、とあまつさえ自分に反省したりなんかしてしまったりするのである。  
ところが、だ。このおごり高ぶったポルトガル人のレストランでは、何ンの説明も無く、立ってずっと待っている客にかまおうともしない。只今満席で・・・とか、ご予約の無いお客様は、失礼ですがお断りさせて頂いておりマス、とか、何かひと言対応してくれればこちらもわかるのである。ヒドい。ヒドい。あんまりだ。私は生まれてこのかた味わったことのない屈辱と共に、氷点下の戸外へすごすごと出て行かざるを得なかったのである。後でBFとも話し合ったし、他のカナダ人の友人とも話したのであるが、どうもこのChez Dovalは、美味しい魚介類を食べさせることで有名である上に、どんなに接客が悪かろうと客足は減ることなく常に店は満員、という状況であるから、それはもう天井知らずにおごり高ぶってしまって、愛想のいいサーヴィスであるとか笑顔とか、そうゆう本当にいいレストランにとっては必要不可欠な要素を軽んじるようになってしまっているのだろう、ということに落ち着いてしまった。そしてもうひとつ腑に落ちないのは、カナダ人である彼らはそのことについて逆上するどころか、大して気にもしていないようだということだった。サーヴィスの悪さについては、そりゃあその時には腹も立つけど、でもまぁ、ウマイもん出すんだからいいんじゃない?マズければどんなに接客が良かったって客は来ないし、本当にウマイもん出してる限りChez Dovalは安泰なワケで、オレらが目くじら立てたところでどーせ変わりゃしないんだからサ・・・大体、日本の方がサーヴィス過剰なワケで、だからアンタそんな風に極端な反応すンだよ。日本のサーヴィスってサ、満面の笑顔で応対してくれはすっけど、心の内じゃ何考えてんのかわかんなくてサ、逆にキモチ悪いよ、何か嘘つかれてるみたいで俺は好きじゃないネ、日本人にはホンネとタテマエがあるからネ・・・云々・・・などと、一旦議論になってしまうと、いつ終わるとも知れぬ長弁舌が始まってしまって、もう大変なのである。  
とにかく、彼らのそういったなだめすかしにもかかわらず、随分時を経た今でもあの時の出来事は私にショックを与え、逆上させる。  
因みにその後もう一度トライして、今度は運良く席に座ることが出来た(何だ、予約無しでも座れるじゃんかヨ)。魚介と言ってもそれ程種類があるワケでもなく、魚はSardine(サ〜ディン、と言えば聞こえはいいが、日本では安価で雑魚の一種に数えられているただの鰯(いわし)である)しか無く、他はエビやホタテの焼いて味付けされたものが有難そうに出て来るのである。あと、フランス語でCalmarと言うと、これも聞こえがいいが、輪切りにされた冷凍のヤリイカで、味もきっと我が繊細なるスルメイカのようにまろやかで深みがあるわけではなく、タイヤのゴムチューブみたいに噛んでも噛んでも噛み切れず、ナイフとフォークを使ってコマ切れにして口に運ばなければとても呑み下せる代物ではないのだ。特にここで食してみたわけではないけれども、そうに違いないのだ。このテのイカは、既に日本のあるレストランで試験済みである。  
さて、私達は結局BFの勧めるSardineを注文したのだったが、これが意外に美味しかったのである。全くやられたとしか言いようが無いのだが、鉄のグリルでじっくり焼かれたのであろう、ほぼ全面に絶妙な焦げ色を呈した鰯は全部で7匹。ひとつひとつが小ぶりではあるが、だからこそ大味の水ぐさいものではないことを信じられる。それが、どうだとばかりにオリーブオイルのかかったジャガイモなどの付け合わせの野菜と共に皿の上で「さあ食べて」と微笑んでいる。口に入れるとパリパリに焦げた皮とその内側の身、そして皮と身の間に優しく介在している鰯ならではの少し臭みのある油・・・。コレらが三位一体となって口の中で得も言われぬハーモニーを奏でている・・・。数ヶ月間というもの、焼き魚というものから遠く離れた生活を送っていた私は、今までのこのレストランに対する憤怒の思いも何処へやら、一人恍惚の極みに達していたのだった。  
・・・しかしそれにしても。そのレストランの客への対応というものは、一旦中に入って席に座った後も、お世辞にも気持ちのいいものとは言えず、この美味しいものの上にどっかとあぐらをかいてしまうのも無理はないけれど、いつか私が羽振りのいい中年有閑マダムと呼ばれる人タチの仲間入りをすることがあれば、茶のみ友達の間で、昔日の恨みとばかりに「ア〜ラ、あそこのレストランねェ、味はまァまァだけど、接客サイテーなのよ。他にもっといいとこいっぱいあるワ、とにかくあそこはおやめなさい、おススメ出来ないワヨォ〜〜、」などと、眉間にシワ寄せホホに手を当て、最後はヒソヒソ声の脅し説得力100%という様相になって、多くのマダム達のかのレストランへの足止めを決行してやるのだ。マダム達が行かないということは、そのダンナ達も行かないということだ。となると、その子供達などに至ってはそこを知る由も無い。何と言っても、小学4年生ぐらいのコらが、「ねえねえ、あそこのレストラン美味しいって有名らしいよォ。今度行ってみない?」なんていう会話を交わしているワケがないのだ。  
そうやってキミ達は大事なお客さんを徐々に、でも確実に失っていくのだよん、ザマ見ろ!参ったか!・・・とは言え今日も、Marie-Anne通りを歩けば、ポルトガル広場の真ン前、小さな小さな店構えのChez-Dovalはワインを傾け魚を頬張る老若男女で満員御礼、店舗拡張は敢えてせず、2号店を出さないかという話も断って、姿も見せぬ、ガンコ親父のオーナーは、今日も明日もグリルの前で魚介を焼くのだろう。そしてこのモザイク都市において確固として貫かれているこの店の姿勢は、良きにつけ悪しきにつけ、損なわれること無く続いていくのだ。そこにはきっと、私のような東海の孤島からやって来た浅はかな小娘には意見を差し挟む余地さえ無いのだろう・・・。  
ただ存在することに甘んじて、日々の時間に埋没してしまいそうな我が身を顧れば、有閑マダムの仲間入りをしてやるなどとイキ巻いて見せるのも空しく、明日をさえどう生きようか考えあぐねている状況に、いささか気が滅入ってくるのだ。  
けれどそんなことなどお構い無しに、モントリオールの夜は明ける。焦り、戸惑い、逡巡し、あてどの無い考えに疲弊して気力も失せた抜け殻のような魂を、包み込むわけでもなく弾き飛ばすわけでもなく、ただ厳然とその乾いた風を吹きつけて、好きにすればとばかりに放置する。それが私にとってのモントリオール。どんなに住んでも他人のような都市である。
サマータイムと体内時計
 
腕時計のデジタルは11:39を指していた。  
私はBFの背中に2回愛情を込めたKissをして、ベッドから降り、暗い寝室を手さぐりで歩きながらトイレに行った。そして台所のテーブルに座り、ノートを開く。  
テーブルの上には、夕食のチーズフォンデュの食器が残されている。BFの飲みさしの白ワインがあったので、ちょっと拝借。  
チーズフォンデュは美味しい。日本でも本格的なものが味わえるということは知っているが、ここで程頻繁に食べるわけではない。これも、モントリオールに来て食べ覚えたもののひとつである。  
今日は生活時間帯について、少し考えてみよう。  
カナダの夏は、日照時間がやたらと長い。午前4時頃には東の空はすっかり明るんでいて、1日の始まりを爽やかに告げている。そして日の入りは午後9時半頃・・・。1日の内約17時間 は、お陽さまが照っているということになる。冬は冬で、午前8時を過ぎる頃にならないと夜が明けないし、夕方の4時頃にはもう辺りは薄暗くなっている。冬の生活については書きたいことが いっぱいあるのだけれど、今は夏真っ盛りであるし、冬のことなんか考えたら、暗く自殺したい気分になるので又別の機会に書くことにする。  
話は夏の日照時間のことについてであった。  
勿論、北欧の国々のように夜が全くやって来ない白夜のような現象にはならないのだけれど、夏なら7時ぐらい、冬で6時頃に日暮れになるナ〜、と、実際日の出日の入りなどに対して 頓着することも無く、年間通してマイルドな気候にやんわりと包まれて生きてきた私にとっては、このモントリオールの時刻の移り変わり方は、少々突飛とも言える程異様なのだ。  
一番困るのが、夕刻時の過ごし方。  
昼間は昼間で、陽光眩しく風薫る健康的な景観の中、活動時間らしく喜々として時間が過ぎてゆくからいいのだけれど、変化は黄昏時の午後4時頃から訪れる。  
普通どおりに、朝8時頃起きて朝食を取り、ちょっと何かして午後1時ぐらいに遅めの昼食を取ったとしても、それからの午後の活動をしていれば、自然と5時か6時頃には又おなかが空いてくる ものである。まあ、日本で仕事をしている時と照らし合わせる為に、7時頃と言ってもいいだろう。ところがだ。時間の推移は、ここだけ何故か滞ったように、全く夕方の様相を呈してはこないのである。 相変わらず陽光は照り続け、間延びしたような空白的数時間がなおも日没まで続く。日本的感覚でいう2時〜4時までの午後の最高潮の時間帯が、エクストラタイム、20%増量サービス中でっせ と言わんばかりに、ここの4時から6時までの間に割り込んでくるのである。今日、6時15分からのPour Tous(全ての人の為)タイムにプールに行って、7時半頃外に出たのだが、「まだまだ、これから でっせ!」と言わんばかりに通りを隔てた建物の向こうにずいいと聳えている高木が、風になびいてキラキラと嬉しそうに輝いているのを見た時は、一瞬眩暈を覚えた。  
この辺りから私は軽く混乱を来し始める。  
時計を見れば7時33分。なのに気分と辺りの雰囲気は、紛れも無く午後3時か4時半頃の、ああ〜、何て心地のいい昼下がり、といったところ。  
困るのである。  
私の実家は薬屋であったから、午後7時にお店を閉めて、その時にはもうキチンと用意されている食卓を、さあ皆でいただきましょうと取り囲み、8時に食べ終わればさささとその場で片付けて、 食器洗い機のじょわ〜という音を聞きながら、家族そろってボンヤリTVなんか見ちゃったりして、後は代わりばんこでキチッとお風呂に入って、11時12時もしくは1時には床に就く、というルーティンが 決まっていた。多少の変化こそあったものの、生まれてこのかた30年来慣れ親しんだ生活のリズムは、そうそう簡単に切り換えられるものではない。そんな風に脳の奥底の潜在的な部分を即座に リセット出来る程、私ももう若くはないのだし・・・。  
とにかく、こんな風に、午後7時33分の私の体は、今日一日を無事に過ごしたということへの安心と共に、昼間の活動時間に対する適度なねぎらい、黄昏時をゆったりまったりと夕焼けなんか 眺めながら過ごしたい、副交感神経優位の、セロトニンなんかがどくどくと分泌されちゃってる状態なのだ。なのに。カナダの間延びした夏時間は、太陽とさんざめく緑の木々を駆って、「まだまだ でっせ!これからでっせ!」と私の活動時間を引き延ばそうとする。  
そして、その強引な勧誘に「にぃ〜ッ!!」と歯ぎしりしながら抗っていると、時間的感覚が完全に麻痺した状態で、それでもまだ"こんな時間からつくって食べたりしたら太っちゃう"なんてことを 考えながら、今晩の食事の買い物に出かけて帰る午後9時過ぎ、ようやく街は少しずつ夕闇の中に暮れなずんでゆくのである。  
モントリオールの夕焼けは美しい。特にこの季節、冬の日暮れの"つるべ落とし"ならぬ"鉛の分銅落とし"のようなナノミクロ秒単位の日没とは違って、胸の熱くなるような密度の濃いピンク色の空が、 ゆっくりと、音も無くたゆとうている。これは、恋人同士で肩を寄せ合って見たりすればとてもロマンティックではないかと思う。思えば一度、BFが台所で食事の支度をしている私のところへ駆け寄って来て、 満面の笑顔でそのピンク色の夕焼けを見せに私をバルコニーまで連れて行こうとしたことがあった。私はその時丁度何か手を離せないことをしていて、5分後に2人でバルコニーに出た時は、もうピンクの密度は 薄れて、情熱的な妖しさは感じられないぼんやりとしたパステルカラーの空になっていた。そのことは今でも少し残念に思う。  けれど、日本の都市部に比べ、モントリオールでは、この美しい夕焼け空をより頻繁に見ることが出来ると思う。空気がまだ綺麗なのか、ビルが林立していないからか(市の条例で海抜393m、モン・ ロワイヤルの丘に立つランドマークの十字架より高い建物を建ててはいけないことになっている)、よくはわからないけれど。  
頃は貴重なサマータイムの真ッ只中、フリンジフェスティバルにSt-Jean Baptiste(という、ケベックの守護聖人のお祭り)、カナダ・デーとジャズ・フェスティバル、そしてJuste Pour Rire (大笑い祭り Just For Laugh)もあと3日で終わり、相次ぐフェスティバルの波に少々食傷気味になりながらも、"早くゲイ・パレードが来ないかなぁ"と、心密かに楽しみにしている今日この頃 なのでありました。全てのフェスティバルの締めくくりは、何と言ってもモントリオール国際映画祭、コレを観ないとMontrealais達の秋は始まらないんだとか、どうだかは知らないけれど・・・。  
冬に備えて、今の内に太陽のエネルギーをしっかり蓄えておかないと、という気持ちは誰でも同じのようで・・・ハイ。  
カナダ人にとって、夏はとっても有難いんであります。