§色本進君=1996年4月6日、48歳の誕生日に死去。焼身自殺を止めようとして、全身火傷。


二度上がれなかった国士無双 色本君との接点は麻雀しかなかった。「しかなかった」という言い方で正しいと思う。だから、彼が教育学部の事務所で学生証の再々発行(一年で二度もなくしたというのだから大したものだ)の手続きをしていた場面に居合わせたのも、これから「麻雀」というスケジュ−ルだったに違いない。その麻雀で今でも鮮明に覚えている一局がある。いつという時間も、どこという場所も、だれというメンツも記憶の彼方に消えているのだが、その一局の光景だけは鮮やかだ。ある流局。手牌を見せながらつぶやいた。「ここで国士無双をつもであがったんだ。十三面待ちにしたら流れちゃった」。和了できなかったのは奇跡に近い。自嘲気味に(だったと思う)話す顔をまじまじと見つめながら思った。「こいつはとびっきりおおらかなのか、それとも抜けているのか。いずれにしても器が違う」/野島 均


失敗でも、幻滅ではない? いつのころからか中学や高校時代のものを含め、同級会がよく「病気自慢」で盛り上がるようになっていた。仕事の話が記憶にあまりないのは、互いに「出世」に縁遠かったから、だけでもない。「こないだ病院で、こんな目にあった」とだれかが言うと、「俺なんか、こんなすごい手術を受けたんだぜ」などと、しようもないことで競い合うのが、どこか赤裸々で、楽しかったように思う。「自慢」の病気でそのまま逝ってしまった者もいたが……。そんな中で、病気ではなく、自ら「事件」の犠牲となったのが、色本君だ。死後半年ほどで耳にしていて、ずっと気になりながらもご遺族に話を聞いたのは、今度の3君の追悼を機に、だった。郷里に近い静岡県清水市で有機農産物の共同購入運動をしていて、事業所の敷地内で焼身自殺を図った若者を助け出そうと炎のまま抱きかかえてしまったのだ。この若者は、思春期特有の悩みを抱えていて、知人の紹介で預かっていたという。とっさの行動だったとは言え、壮烈な死だった▼学生時代は欠席が多く、あまり接触がなかった。1993年の総選挙に静岡の選挙区で立候補したのを新聞で見つけ、翌々年の同窓会に誘った。すると、二次会の会場で同窓生向けに書いてきたビラを配り、みんなでタヒチに行って仏核実験反対デモをしてノーベル平和賞を取ろう、などと真顔で呼びかけ始めた。かつてのクラスメートの大半は、ほぼ四半世紀ぶりに出会うこの種のビラに、目を白黒させるばかりだったのではないか。聞けば、以前、清水港の港湾労働者となって組合にもかかわっていたが、70年代後半から自然志向で低温殺菌牛乳や手作り石鹸などを手がけていた。「食べられる市民運動」のハシリの時代だったと言える。周囲の目は、「大の男が定職にも就かずに……」と冷ややかだったが、その後、4、5年もたつと支援者が増えて全国ネットも現れ、奇異な感じが全くなくなっていったという。牛乳パックの回収運動も、彼が製紙会社などとの連携を取って、全国に先駆けて実施したものだそうなのだ。そのうち、元反帝全学連委員長で「鴨川自然王国」代表の藤本敏夫氏らと接触、氏の新党「希望」の支援もあり、89年と92年の参院選や93年の衆院選に立った。得票が8万票以上の善戦もあったが、すべて落選した▼この秋、遺族の紹介で、旧友を代表するつもりで、藤本敏夫氏に話を聞いてきた。この夏に肝臓ガンの手術をしたという藤本氏が、病後の体を押して話してくれた。「色本さんは、この社会で、いわゆる成功するタイプではなかった」「豊かさと便利さが全ての仕組みや仕掛けに貫かれている今の社会に対し、どうも違うんじゃないか、と言い続けた蒼氓の士と言える」「地域で何かを夢想しながら取り組み続ける、そんな人のそばで、時代の変化は必ず起きてくる」などなど。確かに、何かを夢想し続けた男だっただろう。時代の変化も先取りした部分があったに違いない。しかし、「どうも違う」という異議を申し立てた人間の多くは、その後具体的な方法が見つからないまま、いわば社会のドンキホーテ役を演じ続けざるを得なかった現実もある。周囲が盛り上がっている時は騒いでも、引き始めると、主義や主張を忘れてさっさと身をかわす人間も多い▼全学連リーダーから自然農法家に転身、70年安保闘争で敵対した、秦野章元警視総監との「歴史的和解」などをやってのけて、新党や自然王国のほか、地球納豆クラブ、全国糖尿病者連盟などの代表を務める藤本氏。当時の我々若者への影響も多大だった、自らの取り組みを改めて振り返ってもらった。60〜70年代の運動については、「いろんな思いが錯綜し、総括しきれない」という話だ。また現状の社会は「ゲル状の、はっきり見えない段階にある」という見方で、「構造改革などというものより、生活の質そのものが変わってゆく過度期にある」と断じた。「かつて提起された、キーワードとしての『健康』『環境』はかなり社会化してきた。これからは『自立』『自給』がテーマだと思うが、それを現実に提案してゆくのは至難だ」とも▼「過度期」などという言い方は、我ら蒼氓の、ドンキホーテ世代が30年余り前からずっと聞かされ続けてきたような気もするが、氏は「待ち受けているのは失敗だろう。しかし、幻滅ではない」という言葉を、学生時代師事した鶴見俊輔氏から紹介された、と話してくれた。色本君の冥福を祈りつつ、この言葉を後継の人たちや成功に縁遠い我らにも、と思ったが、励まされたのか、ダメを押されたのか……/八田伸拓