NHKでハンセン病感染者隔離政策についての特集番組をやってた。感染者がどんな扱いを受けたか、社会からどう見られていたかなどを元患者の証言や記録フィルムの映像を交えて分かりやすく解説していた。よく出来た番組だと思う。が、おばかなk-nissieはもっと根本的な事、ハンセン病が何であるかを知らないのです。当時恐れられた伝染病である事は知ってても、どんな菌がどういう経路で伝染し、発症するとどうなるのか、まるで知らない。これらを知った上で番組を見ればより深く理解できたんじゃなかろうか。ってわけでぇ、調べる事にしました。
取りあえず国語辞典
別名を癩(らい)病という。癩菌の感染によっておこる慢性の伝染病。皮膚を侵し、毛が抜け、肉が崩れる。「ハンセン」はノルウェーの医学者Hansen
上の文章は昭和57年(1982年)発行の国語辞典(たまたま家においてあった)に記載の解説文である。「らい予防法」が廃止される1996年4月以前のもので、なんともおどろおどろしい説明である。この辞典はそれほど大きな物ではなく、ひとつの言葉に割ける文字数が少ないので簡潔にまとめなければならないと言う理由はあるにせよ、解説の焦点はその症状に合わせられており、恐ろしい病であるという印象を受ける文章である。では、現在の辞典にはなんとあるだろうか。
新しい辞典を持ってないので、インターネットの国語辞典で調べる
〔Hansen〕〔癩菌(らいきん)を発見したノルウェーのハンセン(1841-1912)の名にちなむ〕癩菌の感染によって起こる慢性伝染病。伝染力は弱い。皮膚に結 節・斑紋ができ、その部分に知覚麻痺がある。また、まゆ毛・まつ毛の脱毛、手足や顔面の変形、視力障害などがみられる。かつては不治の病とされたが、新薬の出現により治療可能。日本では新患者の発生はほとんどない。癩病。レプラ。
違いが興味深い。この20年でハンセン病に対する認識が変わったということだろう。解説文の長さが違うので単純に比較は出来ないが、症状部分だけを抜き出しても穏やかな文面になっていると思う。さて、国語辞典にかなり詳しく載ってたのですが、もう少し。
ネットで拾い集める
結核菌と似た「らい菌(マイコバクテリウム・レプラ)」という病原菌に皮膚の傷口への接触や鼻粘膜から感染することによるといわれる。感染力、発病力ともに極めて弱く、過去に政府の隔離政策の下、療養所で働いていた人たちに感染はなかったという。また、感染しても発病するのはまれで、らい菌に対する免疫系の異常(らい菌に対するアレルギー)がある人でないと発病しない。家族の中で感染が広がったため、遺伝病と認識されていたが誤解である。リファンピシン、クロファジミン、ダブソンといった薬品の開発により、完治する病となった。
最後に
隔離政策の下、治癒しているにもかかわらず療養所での生活を余儀なくされた方や、出所したが(治癒し出所した人が僅かだがあったらしい。全体の1%位だと聞いている)社会の偏見と差別のために家に帰れないといった悲しい現実があった。彼らは現在裁判を起こし係争中であると聞く。 裁判などするまでもなく隔離政策は過ちである。政府はそれを認め、彼らに対し十分な補償をするべきである。 2001年6月15日に「ハンセン病補償法」が成立した(^o^)丿
おまけの年表
| 日本 | 世界(含日本) | |
| 1841年 | ノルウェーに、アルマウェル・ハンセン生まれる。 | |
| 1873年(明治6年) | ハンセン、らい菌を発見する。 | |
| 1907年(明治40年) | 差別や偏見から故郷を離れて浮浪する患者を隔離するため、「癩予防ニ関スル件」が制定される。 | |
| 1923年(大正12年) | 第三回国際らい会議 | |
| 1931年(昭和6年) | 「癩予防法」に改定。強制隔離を打ち出し、隔離対象を浮浪者から全患者に広げた。 | |
| 1943年(昭和18年) | アメリカで特効薬「プロミン」が開発される。 これ以降、隔離をやめて病院の外来治療を行い、治癒すれば社会復帰させる政策が国際的な流れになっていく。 | |
| 1946年(昭和21年) | 「プロミン」による治療が始まる。 | |
| 1948年(昭和23年) | 「DDS」の治療効果が明らかになる。(プロミンよりも少量で同等の効果) 「優生保護法」施行。らい患者への断種、中絶を認める。 |
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| 1949年(昭和24年) | 「プロミン」が広く普及。 全国療養所所長会議が開かれる。当時のハンセン病の権威が隔離政策を強く主張。 |
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| 1952年(昭和27年) | WHO第一回らい専門委員会 | |
| 1953年(昭和28年) | 「らい予防法」制定。この後も隔離政策は続く。 | |
| 1954年(昭和29年) | WHO、「近代癩法規の展望」の中で隔離政策の正当性・有効性を疑問視。 | |
| 1956年(昭和31年) | ローマ会議 | |
| 1958年(昭和33年) | 第七回国際らい会議(東京) | |
| 1959年(昭和34年) | WHO第二回らい専門委員会 | |
| 1996年(平成8年)4月 | 「らい予防法」廃止。当時厚相であった菅直人氏が謝罪。 | |
| 1999年(平成11年)3月26日 | 「らい予防法人権侵害謝罪・国家賠償請求訴訟」が東京地方裁判所に提起される。 | |
| 2001年(平成13年)5月11日 | 熊本地方裁判所が国に18億円の賠償命令を下す。 | |
| 2001年(平成13年)5月23日 | 小泉首相が、ハンセン病訴訟の控訴断念を発表。 | |
| 2001年(平成13年)6月15日 | 「ハンセン病補償法」が成立。 | |
| 2001年(平成13年)7月16日 | 東京地裁が原告と国双方に和解案を提示。 | |
| 2001年(平成13年)7月23日 | 政府が和解合意書に署名。 |