Diary♪

  • 1/27(土)南米のパリ-Buenos Aires-
    NYからアルゼンチン航空に乗り継ぎ約11時間、私達一向はブエノスアイレスへと向かいました。

    日本からの時差は12時間。ちょうど正反対になる。NYからぶっつつげで朝からの観光になってしまいました。披露は並大抵のものでなかったが、私の心の中では既に憧れの南米の地に足を踏み入れた喜びでいっぱいでした。

    ブエノスアイレス=「いい空気だ!」

    ブエノスアイレスの人口は9割以上がスペイン、イタリアを中心とするヨーロッパ系移民で、生活も南欧の習慣が根強いているそうです。建物も古い石の建物が多く、そのためブエノスアイレスは「南米のパリ」と呼ばれているそうです。確かに、私の想像していた南米のイメージよりもずっと整理されていて美しい街でした。

    バスはエセイサ航空(Aeropuerto Internacional Ezeiza)から市内へと向かいました。
    ブエノスアイレスの人々は休日となると家族全員お昼までゆっくり眠っているそうです。先日結婚式があったそうなのですが、夜中の23時から始まり終わったのは朝の7時。この街はなかなか眠りから冷めないらしい・・・
    そして世界一広い広い通りといわれている7月9日大通りを抜け、5月広場へと向かいました。

    <5月広場>Plaza de Mayo
    1536年に建築されたブエノスアイレスは、1541年にグアラニー族の襲撃にあい廃墟となってしまう。1580年、スペイン人ファン・デ・ガライによって再建されるも、スペイン政府から独立しようとアルゼンチン生まれのクリオージョたちが引き起こした「5月革命」により1810年5月25日、ついにブエノスアイレスはこの広場で独立宣言の喜びに浸ったことで有名である。
    (「地球の歩き方」より抜粋)

    5月広場の東側には大統領府(La Casa de Gobierno)。カサ・ロサーダ(Casa Rosada・ピンクの家)とも呼ばれているそうです。
    マドンナ主演の映画「エビータ」をご覧になった方は既に5月広場の大統領府はご存知だと思います。
    いまなお絶大な信仰者を擁するペロン大統領の政権当時(1946-55,1973-76)、エビータと並んで彼の演説を聞くために全国から10万人以上の人が集まり、二人はこのバルコニーから手を振りながら「ペロン、ペロン」「エビータ、エビータ」の大合唱で迎えられました。
    1986年のワールドカップで世界一に輝いたアルゼンチンチームは帰国直後にこの大統領府を訪れ、広場に集まった4万5千人の「アルヘンティーナ(Argentina)、アルヘンティーナ」という大合唱がブエノスアイレス中に響いたといいます。

    写真を撮り終わると大聖堂(Catedral Metropolitana)の中を見学しました。ここには南米解放の父ホセ・デ・サン・マルティン将軍の棺が安置されています。

    そして、バスに乗り今度はタンゴの発祥地ボカ地区へと向かいました。
    途中、アルゼンチンでもっとも人気のあるサッカーチーム、ボカ・ジュニアーズのスタジアム、ボカ・ジュニオルズ・スタジアム(Boca Juniors La Bombonera)の横を通り過ぎていきます。

    アルゼンチンのサッカー熱はブラジルと肩を並べるくらい異常なほどの熱気だそうです。
    アルゼンチンVSブラジルの試合で、ブラジルが勝利した瞬間、ブラジルを応援していた人がボコボコにされて殺されたそうですね。恐ろしいですね。

    でも、意外かもしれませんがアルゼンチンは南米の中ではチリと同じく治安の良い国だそうです。ただし、この2,3年で犯罪は急増中。おまけに現在失業率は18%。ただしこれは政府発表なので、実質30%超えているのでは、と懸念されています。

    ボカ地区到着。リアチュエロ川に面した小さな港のようです。
    ボカ地区はタンゴ発祥の地として有名です。ここにはカミニート(Caminito)というミニ美術館のような小道が走っていて、小さな絵がたくさん飾られていました。近くには小さい鉄道が走っていて、道端では男女がタンゴを踊っていました。とても芸術的な町・・・

    そして、次はレコレータ地区へ。
    こちらはブエノスアイレスきっての高級地区。オシャレなカフェやブティックが建ち並ぶ、日本でいうなら青山みたいな所かな。
    こちらには、先ほど紹介したエビータのお墓があることで有名なレコレータ墓地(Cementerios Recoleta)があります。
    こちらは、お墓とは思えないくらい芸術的な彫刻や装飾がほどこされたものばかり。

    ここでエビータの紹介。
    エビータことマリア・エバ・ドゥアルテ・デ・ペロン大統領夫人。
    エビータは私生児として生まれ恵まれない少女時代を送ったが、ひょんなことから女優となり、さらにはペロン大統領の夫人の座を得る。
    ペロン大統領時代にはペロニスタ婦人党を結成するなど、政治面でも大統領に負けず劣らず、いやひょっとするとペロン大統領以上に大きな功績を残したかもしれない。
    その美貌とドラマチックな人生から人気が高かったが、ある日突然病に倒れわずか33歳の若さで帰らぬ人となってしまった。

    慌しい市内観光も終盤を迎えました。
    お昼は、アルゼンチンの名物アサード料理。いわゆるバーベキューみたいなものです。アルゼンチンの人は、一日1キロくらいお肉をいただくみたいです。うーん。
    アサードの前菜としてパリジャーダ(Parillada)を食べました。これは、レバーや腸詰めなど贓物の塩焼きの盛り合わせ。栄養はいいみたいだけどニオイは気になる・・・

    さて、昼食後は自由行動。といっても、ブエノスアイレスで自由行動と言われても、なんか怖い。結局、私は同室の女性と共にFlorida通りを散策して、お土産にとマテ茶を買い、ホテルへと向かいました。

    そして夜は、セニョール・タンゴというタンゲリーア(タンゴを聞かせる店)で、夕食をとった後タンゴショー。
    こちらはクリントン大統領が来たことがあるというかなり有名なお店だそうです。
    ショーは22時から。アルゼンチンの人は夜更かしです・・・
    それにしても、本場のアルゼンチンタンゴの動きはとても素晴らしいです。動きがとてもシャープで、まるで無駄がなく、息つく間もないくらいでした。フィルムに収めたかったけど、出演者が集中できなくなるという理由で残念ながらカメラ禁止でした。ラストには映画「エビータ」の主題歌を出演者全員が歌ってくれて、これにはもう感動の嵐。

    ホテルに帰ってから、私の頭の中を映画「エビータ」の主題歌がゆっくりと周り始めました。
    私がブエノスアイレスで一番見たかったもの、それはエビータが愛したブエノスアイレスの街。エビータには、人を惹きつけてやまない大きな魅力の持ち主だと思う。
    ブエノスアイレスは私の心の中に一つの郷愁を刻み込んだような気がした。

    <参考資料>
    ブエノスアイレス
    人口:300万人
    面積:200平方km
    通貨:アルゼンチン・ペソ
       センターボ
       1ペソ=約120円
2001年03月19日 01時21分13秒

  • たった3時間のNY
    「自由の女神がみたーい!」
    なんて言ってる場合ではありませんでした。何しろ、NYは乗り継ぎなので市内観光できる時間は約3時間。
    オプショナルツアーに参加した人18人、残ったのは私を含めたった6人。ハネムーンで来られた新婚さん、三重から来られたご夫婦、1人で来られた男性、そして私。
    相談の結果6人でJFK空港からNYの中心街までタクシーでとばして約30分でエンパイアステートビルの目の前に到着しました。
    結局、自由の女神はエンパイアの上からほんの小さい姿を拝んだだけでした。
    一行は地下鉄でチャイナタウンへと向かいます。有名なNYの地下鉄は、アクション映画のイメージと重なって乗っただけでなんとなくドキドキ。
    そしてチャイナタウンに到着しお昼を食べました。ひとつのお皿の上にご飯と野菜やお肉の炒め物がのっかって約4ドル。安いでしょ?
    そして再びエンパイア周辺に戻り、入ったショップでメイビリンのマスカラ、ボリュームエクスプレスを購入。これは5.49ドルかな。日本の約半額。しかもウォータープルーフだから日本未発売かも・・満足満足。

    そしてこれは私のちょっとしたミスなのですが、実はNYの地下鉄ではトークンという切符の役割をするコインを購入しなければならないのを、間違えて10ドル分メトロカードを買ってしまったんですね。
    そしてカタコトの英語で駅員さんに返してくれないかって頼んだんですけど「あんたのミスでしょ」と逆に怒られてしまいました。ヘコみます。
    日本人だからってなめられてたかも・・・外国では強気でいかないとね!と、添乗員さんにもアドバイスを受けました。やれやれ・・・

    かれこれNYの短い市内観光は無事終了しました。一行はアルゼンチン航空へ向かいます。
2001年03月03日 00時46分30秒

  • 1/27 旅立ちは雪景色・・・
    私の住んでいる横浜から成田空港までざっと2時間半はかかります。
    なので、旅行に行く時は前回のエジプトの時同様上野周辺に住んでいる友人宅に泊めてもらうことにするんです。
    今年の冬は寒いです、特に角部屋に住む彼女の部屋は底冷え状態。
    その部屋で2人、いつか南米に行けたらいいねー、なんてたわいもない話しに花を咲かせ、その晩は1時頃眠りにつきました。
    そして、目覚めると・・・

    「うひゃひゃ・・・」
    あたり一面雪景色。
    重いスーツケースを引きずって歩くには最悪のコンディション。すでに羽田では欠航が相次いで発生しています。
    まるで前途多難な今回の旅の行く末を暗示しているかのようでした。

    しかし、なんと不思議なことに成田が近づくにつれ、徐々に雪は雨に変わっていったんです。
    聞いたところによるとなぜか成田は特別地帯で他の地域がガンガン雪が降っていても成田だけは雨だったりするらしいのです。まるで見えない何かに守られているように・・・

    そして成田空港で女性の添乗員さん、24名の仲間と共に出国手続きを取り、JL006便は無事離陸。日本ともしばしのお別れです。

    さて、今回の旅は私は1人参加でした。一人参加は合計6人。南米は危ないイメージが強いためいやがる人も多く、旅行代金も日数もかかるので1人で参加される方が多いそうです。
    旅行会社は近畿日本ツーリストです。このツアーは相部屋可なので、1人部屋だと不安な方も安心して参加できます。見知らぬ人と同じ部屋はいやよ、という人は別ですが。

    そして、約12時間のフライトを経てNY到着。
    「自由の女神がみたーーーい!」
2001年03月03日 00時03分28秒

  • 南米旅行記−はじめに−
    私は1月の27日から2月8日にかけて南米にいってまいりました。18の時にアメリカ、19の時にヨーロッパ、21でオーストラリア、24でエジプトに旅行しましたが、今回の南米13日間の旅行は私にとって最も思い出深いものとなっています。

    一般的に南米は治安が悪いと言われています。特に私が今回のツアーに申し込んだのはちょうどペルーのフジモリ大統領が疑惑を持たれつつ日本に亡命した頃、ペルー、特にリマでは対日感情が高まりつつある次期でした。当然、「南米に行く」と誰にいってもいい顔をされませんでした。

    でも実際旅行に行くと、不思議とそんなイメージを忘れさせてしまうほど南米は魅力的でした。アルゼンチン、ブラジル、ペルー、同じ南米でも国ごとによってガラっと雰囲気は変わってしまいます。
    私は今回この日記でその南米の魅力をなるべくありのままに書き留めていこうと思います。
    つたない文章ではありますが、どうぞおつきあいくださいませ。
2001年03月02日 23時41分14秒

  • あけおめ、ことよろ、ですね。
    あけおめ!
    近頃巷ではあけましておめでとうございますってこういうんですってね。
    でも同じ日本人として恥ずかしいですなあ。皆さん、日本語は清く正しく美しく使いましょうね!
    そして今年こそは日記を更新する!というのを目標に、今せっせと文章を綴っております。

    新年そうそうババアくさくてすいません。まあ、ババアっていうのは本当のことですけど・・・悪かったわね!今年26になります。
    とりあえず、気を取り直して近況報告でも・・・

    結局仕事は12月末で終了しました。
    さすがに終わる頃には仕事もかなり減って、毎日雑用とおしゃべりの日でした。
    あの狂ったように忙しかった日々はまるで遠い夢のことのようでした。
    最終日、ささやかな退職祝いをもらい、新人の子何人かがビルの下まで見送ってくれたっけ。なんだか心の中にポッカリ穴が空いてしまったようでさみしくて、ちょっぴり涙ぐんでしまいました。
    出会いがあれば別れがある。そんなことはわかってるのにね。
    そして翌日から1月7日まで実家でゴロゴロしたり適当に出かけてのんびりした日々を送ることができました。

    ちなみにカウントダウンはお台場で過ごしてきました。感想はうーん・・・清水圭とかローリー寺西とかみれた。主催は日テレだったみたい。やっぱり去年よりはイベント性に欠けていていまいちしょぼかったです。
    まあ、新世紀を迎えるとはいってもこんなものなのでしょうね。

    さて、年もあけたことだし、そろそろアレの準備をしようかなーと思いきや月曜、派遣会社から電話がかかってきて、結局16日から19日まで超短期のお仕事をしてました。都内の企業で単なる入力の仕事だったんだけど、休む暇なく最初から最後まで慌ただしく動いてましたねえ。
    そして今日に至ったわけです。

    さて、アレとはいったいなんでしょう?

    今、私の人生最大、といってもいいくらいの一大イベントを控えています。
    実は今月の27日から2月8日まで南米に旅行に行ってくることにしました。
    値段は50万なのでもうお財布は文字どおりスッテンテンです。
    国はアルゼンチン・ブラジル・ペルーです。最初にブエノスアイレスに渡って市内観光してからイグアスに行って滝を見て、その後ブラジル側から滝を見ます。その後リオに行って市内観光、ペルーに渡りマチュピチュやナスカの地上絵を見に行くつもり。
    一応ツアーだけど1人で行ってきます。

    ペルーでフジモリ大統領の件で騒いでいた頃に申しこんだので、周りに「やめろ」とかさんざん止められたのだけど、まあ、やっぱり前の会社でこれだけお金を稼いで、時間もあるし、アジアとかもっと近い国ならともかくこれだけ遠い国で長期間なら今しか行く時がないかもしれないと思って申し込んでしまいました。
    ペルーに限らず南米はどこも治安悪いです。時計やピアス、指輪とかもしないほうがいいとか言われました。腕ごと切り取られて腕時計盗まれちゃうらしいんで。
    あと言葉ね。ホテルや銀行ならともかく一般市民に英語はほとんど通じないから、スペイン語も多少覚えておこうかなと思ってます。

    そういうわけなので無事生きて帰ってきたら再び会いましょう!
    そんではAdios(さようなら)!
2001年01月22日 02時37分52秒

  • とりあえず、一段落。
    どうも大変お久しぶりです、あやっちです!
    やっと仕事が一段落しました。
    しばらくはまだごたごたして落ち着きそうにないですが。。。どうやら年内は忙しいみたい。
    月記どころか、季記かも(笑)。
    さて、以前から書く書くといっていた病気の件ですがやっと、書く機会ができたので、暇なら読んでみてください。
    なぜならば、かなり長いからです。眠れぬ夜にでもどうぞ。

    10月6日(金)
    突然、左目の下が腫れて少し触るだけで痛みが走るようになったのです。
    できた場所が場所だけに当初は見た目にも誰もがものもらいだと思っていました。
    次の日から三連休だったこともあり、「ま、連休明けに病院行けばいっか!」と、たかをくくり、その日はそのまま会社の飲み会へ。
    思えばこれが恐怖の始まりでした。

    10月9日(日)
    事態が急変したのはこの頃。
    左目の下が腫れて赤くなり、水泡が目の下と鼻と口の上に狭い範囲ですができ始めたのです。
    見た目、はっきりいって少し不気味でした。
    しかも、なぜか頭が痛くなってきたのです。
    (これって、もしかしたらやばい病気かも・・)
    こりゃ病院行かなきゃまずいな、と本気で思い始めました。

    10月10日(火)
    とりあえずものもらいだと思い込んでいたので、午前中に会社を休んで近所の眼科に行ってまいりました。
    が、待たされたあげくちょっとの診察で、「ものもらいからきた結膜炎」と診断されました。そしてものもらいの飲み薬と目薬をもらって出勤。
    (なんか信用できない・・・)
    午後から出勤すると会社の上司が驚いた顔で私の顔を見ました。事情を説明すると首をかしげ、「ものもらいじゃない気がする」といわれました。
    普通ただのものもらいなら目の下が腫れるだけで済むらしいのですが、私の場合そこに水泡ができて、それが顔のほかの場所にもできていた・・・しかも、頭も痛い。ただごとじゃないと思ったようです。
    結局この日は午後出勤だったにもかかわらず16時には帰してもらい、再び別の眼科にかかりました。

    すると、なんと今度は「目薬のかぶれ」と診断されるではありませんか。
    顔にできた水泡はアレルギーからきているいうことで、地元の眼科でもらった薬は余計症状を悪化させる、ということで、今度はアレルギーの飲み薬と目薬をもらいました。
    「これで治るかも・・・」半信半疑ではありましたが、医者の言う事を信じたかったのです。

    10月11日(水)
    先日かかった医者にもらった薬を飲みつつ、目を保護するために眼帯をつけてこの日は普通に出勤しました。
    しかし、病状は一向によくならず。
    一番不思議なのは頭痛でした。
    なんで皮膚に水泡ができた上に頭が痛くなるの・・・?
    しかも時間がたつにつれて、リンパ腺まで腫れてくる始末。
    もうなんだかわからない・・・
    会社の上司も心配して「納得のいくまで病院に行った方がいい」と言われました。
    その日は19時半頃に退社。
    不安な気持ちを抱き始めながら、いつも通り道玄坂を降りて帰ると、ふと薬局が目にとまり、入ってみました。
    薬剤師さんは私の顔を見て一言。
    「それって、XXXXかも・・・」
    決定的でした。そう、私は皮膚科にいくべきだったのです。

    10月12日(木)
    この頃になるともう病院に嫌気がさし始め、朝起きるのさえおっくうになっていました。
    が、朝起きて鏡を見ると、なんと今度は目の白目の部分がぷくっと腫れてるじゃありませんか。
    それを見た私はもう半べそ状態。
    隣町の関東労災病院へ駆け込みました。
    とにかく目の周りのできものは怖いので、最初に診てもらったのは眼科。
    目の方は今のところ異常なし。
    「これ、多分、XXXXですね」
    ああ、やっぱり私はXXXXなんだ。じゃやっぱり皮膚科で診てもらわなきゃいけないんだね。
    でも、これでやっと病名がわかった。
    はやる気持ちで皮膚科へ向かいました。

    「帯状発疹」

    そう、私は帯状発疹だったんです。

    簡単にいうと水疱瘡の再発なんですね。普通の生活を送っている人間にはかからないはずなのですが、疲れとストレスをためて免疫が低下している体に、その隙をつかれてしまったわけです。
    この時は、誰もがもっている神経に住み着くウィルスが体が弱っている時に出てきてしまって、水泡が出てきてしまったと説明をうけました。頭が痛かったのもそれが原因だったわけです。
    先生は難しい顔をして、まだ初期症状ではあるけれど、重症です、と言いました。
    運悪く目の下にできたということで、もし目にウィルスが入ると結膜ヘルペスという病気にかかり、最悪の場合失明すると。
    また、神経痛も残って一生それで苦しむとまでいわれました。
    かなりおおごとになってしまい、もっとやばい病気の可能性があるから血液検査をうけろだの、あげくのはてには一週間から10日入院しろと言われました。

    入院・・・
    そんなのやだー!

    今まで一度も入院したことのない私の頭の中に、入院=消灯21時とか大好きなお酒も飲めない退屈な日々、などというマイナスイメージが頭の中をぐるぐる駆け巡り、かなり大きなショックだったのを覚えています。
    もう、頭の中はパニック状態。
    とりあえず、会社と家に電話をかけました。
    そして、結果的に、たとえ入院するにしても、実家の近くの病院の方が何かと都合がいいから、とにかくこっちに戻ってこいと姉に言われました。
    病院に事情を説明すると、看護婦がかなり困った顔をして、なんとか入院させようと説得に入っていたけどね。
    薬も、帯状発疹の抗生物質と皮膚につける軟膏だけでなく、痛み止めだのなんだのと6種類くらい薬を出されそうになったり。
    とにかく、
    「絶対に安静にしてくださいね!」
    と、何度も念を押されました。
    なんで、自分ばっかりこんな目に合わなきゃならないんだろう・・・
    この時の自分はかなりへこんでました。
    今年は大殺界の年なんだろうか。
    間もなく家に帰り、荷物をまとめ、横浜を出発。
    そして、地元の病院で意外な事実を知ることになるのです。

    10月13日(金)
    地元の病院で診察を受けた時に事情を説明すると、驚くことばかり。
    私の病気は確かに入院する人もいるくらいで決して軽くみてはいけない病気ではあったのですが、
    「僕はいままで1000人くらい帯状発疹の患者をみてきましたが、あなたの病状ははっきりいって2番目に軽い方ですよ。」
    そして、労災病院のような優秀な先生の揃っている病院で、どうして重症と診断されるのかと不思議がっていました。
    以前は飲み薬がなかったので点滴で治す方法をとることが多く症状が重いと入院する人も多かったけど、今はゾビラックスという抗生物質のおかげで、そういうこともだいぶなくなってきている、とのことでした。
    この日、私は本当にホッと胸をなでおろすことができました。
    そして土日をはさんで約一週間、実家にて闘病生活(というとかなり大袈裟なんだけど)を送りました。

    症状がピークの時は、左目がボクサーに殴られたみたいにパンパンに腫れて、まるで別人の顔になり、目の周りは痛いし頭も痛い、歯も痛い、ほっぺたも痛い、リンパ腺は腫れるわで、ありとあらゆる神経に痛みが走りました。
    電話で少し話したり、本を読んだり、気晴らしにちょっと表へ出るだけで頭が痛くなってきて、さすがにこの一週間はひたすら家でじっとしていましたが、仕事に追われずしばらく味わうことのなかった平穏な日々を実家で過ごすことができました。

    ここで帯状発疹の薬について。
    <ゾビラックス>
    帯状発疹に劇的な効果を表すこの抗生物質、またすごい値段なんです。
    なんと、一錠500円。
    それを一日5回飲むんです。
    ということは、単純に一日2,500円ってことなんですよね。
    私はそれを一週間飲みつづけたので、しめて2,500円×7日間=17,500円なり。
    ま、あんまお世話になりたくない薬ですね。

    そして、あれから約2ヶ月。
    顔の傷はまだしつこく残っていますが、だいぶ綺麗になりました。
    当初は「一週間くらいで綺麗になります」と言われましたが大ウソ(笑)。完全に綺麗になるには多分あと2週間はかかると思います。
    当初は痕が残るかも、と心配されましたが、万が一痕になったとしても化粧で隠せる程度ではあると思います。
    気になる神経痛ですが、疲れがたまると未だに頭がちょっぴり痛くなります。
    目の下の腫れもまだ少々残ってます。
    失明は逃れましたが、目のすぐ際に水泡ができて、目に軟膏が入ることを恐れて治療ができず、治りにだいぶ時間がかかっています。
    そしてこの病気になって以来、元々嫌いだった病院がますます嫌いになりました!
    今回はふんだりけったりでした。
    人を惑わすことしか言わない全国のヤブ医者たちは即効医者やめてほしいですね。
    ま、でも今年はさんざんだったので、来年はきっといいことあるよね!

    乱筆乱文お許しください。
    では、おやすみなさい。

    あやっち
2000年11月29日 00時53分37秒

  • ううううーっ。
    ど〜も〜、あやっちでえ〜す。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    うー、MSチャットめーーー!

    と、いきなり憤ってもしょうがないのはわかってるんだけど・・・

    いえね、つながらないんです。MSチャット。
    最近ようやく体力が復活し始めて、久しぶりに土曜日に部屋を開こうと思い、家に帰ってきてわくわくしながらPC立ちあげて、「どうせ今日もなかなかつながらないだろーな」と思いながら、プロバイダに接続すると、土曜日にもかかわらずなんと一回で接続。
    なんか、その時からいやな予感がしてたのですよね・・・
    その後、MSチャットをたちあげて、接続しようとしたら、何度待てども、つながらない!
    もしかしてこれって、PCを再起動させなきゃいけないワケェー?とぼやきながら、3回くらい再起動させて、今度こそはと脅えながら接続を試みる・・・でも、だめ!つながんない・・・

    ふぅ〜・・・休憩っ。
    というわけで、チャットサーバーに接続できるまで、私は日記を更新しようと思いふとペン、ではなくマウスをとりました。
    (うーん、ちゃんと日記してるっ!)

    え〜っと、今日は浅草サンバカーニバルに行ってまいりました。
    カーニバルのことは去年あたりから知ったのですが、行ったのは今年初めて。
    南米に密かに憧れを持つ私としては、一体どんなもんなのだろうなあ〜、と胸(どうせ小さいよ・・・フン)膨らませてたのでした。

    いや〜、サンバってほんといいもんですね〜!

    見かけ的にはおやじが大喜びしそうな露出度の高さだけど、やっぱあのラテンのリズムと情熱がいいよねっ。
    気づいたら音楽に合わせて、踊ってたぞ!
    (注:オープンカフェの椅子の上です だって座ってたら見えないんだもん・・・)
    お祭りって、見てるだけでも楽しいのに、参加したらもっと楽しいだろうね。日頃のちっちゃいことなんか気にしないで、何も考えずに激しく踊り狂ってみたいな。
    なんか体と心についてる錆がどんどん取れていきそうだよね。

    というわけで、どなたか、来年、私と一緒にサンバカーニバルに参加しませんかっ!?
    鳥人間コンテストもいいなあ。あ、あと欽ちゃんの仮装大賞も・・・
    それとどなたか、上記に挙げた大会に参加された方いません?参考に、いろいろ聞いてみたいっ。
    なんかやりたいことが多すぎて、消化不良を起こしているのも、事実なんだけどね。
    ええ、「早く結婚して落ち着け」と言われてるのも事実ですが。
    でもずーーっと家にいてももったいないっ。やっぱ、体が健康なうちは興味を持った者は、できる限り何でもやるべき!金がなくてもなんとかなるさ、案ずるより生むがやすし、少年老いやすく学成りがたし。

    口ではいろいろ言っても、なかなか難しいけどね。
    ああ、これって結局突っ走ってるだけ?たまには立ち止まって、前後左右確認しなくちゃね。
    でも、時間って大切だなあ・・・

    ま、そんなわけで・・・
    もし興味のある方、なんでしたらご一報くださいね。いろいろお話しましょう。

    では、おやすみなさーい。
2000年09月10日 02時15分38秒

  • これはまぎれもなく日記です。
    みなさん、こんばんわ。
    これは、日記ですっ!!!

    信じられないです、究極のめんどくさがりやのあやっちですが、カウンタ数があまりにも増えないので、見かねて日記更新した次第(笑)

    というより、今日と昨日は睡眠不足の割には異様なくらい元気なのね・・・
    昨日も今日も3,4時間くらいしか寝てないのに、半日くらい寝たみたいに健康的なの。
    こういう時こそ時間を有効に使わないと、だめだよね。
    今時間があったら一番やるべきことといえば部屋の掃除なのですが、ま、本当にやんなきゃいけないことはこっちかと思いまして・・・すいません、お恥ずかしい限りです(笑)
    つたないHPですが、長い目で見てやってね。

    普段TVとは切り離された開発系の世界にいる私ですが、時々夜中に見かけるCMを見て思い出したことが一つ。
    そういえば、もうすぐオリンピックなんだよね。
    みなさんはオリンピックは何を応援しますか?
    私は、断然サッカーを応援します!

    自分でも呆れるくらい多趣味なあやっちですが、スポーツの中で何が好き?と聞かれたら、サッカーか水泳だと答えるでしょう。
    正確にいえば、やるなら水泳、見るならサッカーといったところかな。
    きっかけは結構ありがちで、私が小学生の時に少年ジャンプで連載されていた「キャプテン翼」の影響でありまして・・・
    とにかく当時ははまってたね。現実にあり得ないような技を連発したり、ボールが30分間の放映時間中ずっと空を飛んでいたのは未だに記憶に鮮明に残ってます。
    余談ですが、「キャプテン翼」って手が変だったよね。みんな知ってたかな?

    で、私は単なるサッカー好きなので、どこのチームとか誰が好きとかは特にないです。
    一応ファンはいました。最初は前園で、次が川口、今は中田こうじかな?・・・すいません、ミーハーです。
    でも、一生懸命戦って汗をかいている姿を見ると、みんな甲乙つけがたいっ!

    何はともあれ泣いても笑ってももうすぐ開催だね。ブラジル戦は特に見たいけど、何時からだっけ?後でHPチェックしとかなきゃ。多分、仕事だけどね(泣)
    ちなみに、サッカーの知識は極端に乏しいので詳しい説明はできません。あしからず。
    サッカーの試合は5、6回見にいってるんだけど、未だにオフサイドがいまいちわかんないって言ったら怒る?
    面倒なルール作らずに、手を使わずに足でボールをゴールに入れるだけでいいのにねえ・・・
    と、思うのはやっぱ私だけ?

    それでは、今日はこの辺で・・・
    おやすみなさい。よい夢を・・・
2000年09月08日 01時14分01秒

  • どうにもこうにも・・・
    どーもあやっちです。
    どうも、この日記は月記どころか年記になりそうな勢いです・・・(笑)
    ちなみに近況報告ですが、
    今現在、仕事で12時に帰る毎日でしょうか。
    早ければ10時くらいには帰れたりもするけどね。
    さすがに家に帰ったら寝るだけっす。
    なので、日記に書くネタがないんだよね。
    会社でもみんな同じ状況なんで、アフター5に遊びに行った話しも聞かないし、TVの話題なんて出てこない。みんな口にする言葉は「早く帰りたい」「疲れた」。さむい・・・

    それでも、今日は奇跡的に早く仕事が終わって19時にあがれたので、会社の飲み会に行ってきました。ま、例え仕事を終えたとしても、うちの上の人は22時くらいまで帰してくれない主義なんで、かなりいやな顔されたけどね。
    ま、そんなのおかまいなしで、会社から歩いて10分くらいの所にある居酒屋に行ってきました。
    場所は渋谷の円山町にある「和田丸」でした。
    このお店はなかなかいいよ。食事はどれもおいしいけど、特に刺し身はおすすめ。うまいです。井の頭線の神泉駅から徒歩2,3分くらいなんで、東京近辺在住の方は一度行って見てはどうでしょうか。

    いやー、それにしてもお酒に弱くなった・・・
    一時期はワイン1ボトルあけるくらいの勢いだったのに、今はビール一杯にさえ飲まれる有様。
    それでも今日はしっかりビール&日本酒&ワインを飲んできたけどね。
    お酒というより雰囲気に酔った感じかな。

    毎日帰りは遅いけど、今やっている仕事がそんなにいやじゃないからまだ救われてるのかな。
    それに、忙しすぎるのもいやだけど、かといって暇すぎるのもいやだしね。
    忙しいと文句を言いつつ、まだ仕事の充実感っていうものは多少ながら感じてるし。
    むしろ、暇すぎると考え事が増えちゃって、どうにもならなくなったりするしね。
    昨日は体調崩して一日会社を休んだけど、仕事の事がちょっと気になったり、他にもたくさん考えたくない事が頭の中をばーっと駆け巡ってしまって、こんな思いをするのなら、会社に行けば良かったな、と後悔したり・・・

    このままずっと何も考えずに突っ走って、たどり着いた所には一体何があるんだろう。
    自分が何者かもわからず、どこへ行くのかわからず、でも見えない何かを期待して走り続けていく先に、空しさを感じつつ、でも、やっぱり走り続けていきたいと思う私は変なのかな。
    立ち止まっている無駄な時間なんて欲しくない。本当に欲しいのは、誰かに必要とされたいと思っている自分なのかもしれないね。

    とまあ今日はこんなわけで・・・寝ます。
    夜に書く日記は恥ずかしい!(笑)後でひっそり消しておこうかな・・・
    では、おやすみなさい。よい夢を・・・
2000年09月07日 01時13分39秒

  • 日記じゃなくて、月記・・・?
    ふぅやれやれ。やっと二回目の日記だ。
    っていうか、前回から1ヶ月たってるじゃん・・・というつっこみは、やめてね。
    とりあえず今日からこの日記のタイトルは気まぐれ日記にすることに決めました。なので、しっかり気まぐれについてきてくださいねっ!

    ま、とりあえず日記らしいことを書こうっと。
    昨日は友達と多摩川でバーベキュー&花火&カラオケに行ってきたよ。
    雨ふりそうだったけど、天気はなんとか曇りをキープ。
    バーベキューも花火も楽しかったけど、やっぱりうちらの集まりのメインはなんといってもカラオケ!
    みんなほんとにテンション高いよ。
    音楽仲間の集まりだから、ダンクラとかR&Bとかを歌うと異様なくらい盛り上がるしね。

    音楽仲間っていうと、なんだ?と思われる方がほとんどだと思うので説明すると、実は私、4,5年前の話しなのですが、音楽にかなりはまってた時があったんです。
    その頃は音楽のこともっと詳しく知りたくて、毎日のように友達と電話をしては曲の話だのジャンルの話しだのして音楽の豆知識を身につけたり、毎日のようにHMVやタワレコをチェックしたりしていたね。
    その頃に今の音楽関係の仲間たちとじゃまーるとかで知りあいました。
    みんな同じことをいうんだけど、自分の周りには自分と同じような音楽に凝っている人がなかなかいなくてね。それで雑誌とかで知りあったりして仲間を探してたりしてるんです。

    ちなみに好きな音楽っていうのはみなまちまちですが、だいたいBlack系かな。私の場合R&Bが主流で、あと最近聞くようになったのはDance ClassicやSoulをちょっと。
    ついでにJazzももっと聞いてみたいな。
    でも最近のR&Bはなんかいまいちで、私は4年前のBRANDYとかTOTALとかが活躍していた頃のR&Bが一番良かったと思う。
    今のR&Bは私の友達流にいうとなんか「まったり」しちゃって、勢いがない・・・
    ま、あんまりうんちくをのべてもつまらないので、詳しい話しはまた次回に・・・

    あー、もう2時半だ!寝なくちゃ!
    明日から新しい仕事が始まるのでめっちゃブルーなんだけど、仕事の話しになると愚痴だらけになるんで、やめときます。
    それではみなさん、良い夢を。。。
    おやすみなさい。
2000年07月17日 02時54分16秒

  • ついに開設したぜっ!
    6/19(日) 
    ついに、念願のHP開設しましたっ!
    さっそく、何人かの方達にアクセスしてもらって、なんかうれしいです。へへ。
    それにしても、シンプルすぎるよねこのHP。ふみくんからも指摘を受けたけど。
    トピックも、いまだ特定できず。
    多趣味すぎるんだよねー、あやっちは。
    ねらいがうまく定まらない。
    ま、とりあえずは、あやっちってどんな人?っていうのをわかってもらえるようなHPにしていきたいですね。
    話したい事、たくさんあるからね。
    んで、そういうコーナーをさっそく設けようと思ったんだけど、どこで書けばいいのかわからない。
    この日記ツールもさっきやっと見つけたばっかだし。
    ホントに、大丈夫?>あやっち
    でも、頑張る!HTML覚えて、E-Listに載るくらいかっこいいHPつくるんだーっ。
    なにしろ、HPは心の鏡ですからねっ!
    HPに来てくれたみなさん、どうぞ気長に見守ってくださいねっ。
    では、今日はこの辺で・・・
    おやすみなさい。

    P.S.日記って、なんか恥ずかしい〜。
2000年06月19日 03時18分00秒


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