★横浜FC創設の背景★
〜横浜フリューゲルスの歴史を継ぐ・「『応援するクラブがある』ことの幸せ」〜
横浜FCの原点は、とある「会」です。
Jリーグ創設当初から、横浜には2つのプロサッカークラブがありました。
横浜マリノスと、もうひとつが横浜フリューゲルスです。
フリューゲルスは
派手さはなかったけれど、魅力的な選手がたくさん居る素敵なクラブでした。
選手とスタッフが家族のように仲良く、サポーターとの距離も近い、あたたかいクラブでした。
フリューゲルスとマリノスは
同じ横浜をホームタウンとする、永遠にして最大の好敵手でした。
対戦の際は選手もサポも一段と気合いが入っていました。
同じ横浜をホームタウンとしているけど、全く違うクラブで、
それぞれにサポーターがいる、どちらもかけがえのないクラブ・・・
・・・の、はずでした。
けれど、1998年10月29日、突然こんな発表がありました。
フリューゲルスはマリノスへ吸収合併されるというのです。
それは、両クラブの親会社の人々によって、秘密裏に決められました。
「サッカーを知らない」人たちによる決断でした。
クラブのことを知らない、クラブを単なる子会社としか見ていない・・・
サッカー文化というもの・人々にとってクラブがどんな存在なのかなんて
まったく考えていない、そんな決断でした。
サポーター・選手・スタッフは、なんとかチームを存続させようと
必至に様々な活動をしました。けれども、皆の願いは聞き入れられることもなく、
会社の人たちは合併の調印をしてしまいました。
1998年度天皇杯は、チームにとって最後の大会になってしまいました。
選手たちはピッチで自分たちのプレーを精一杯発揮しました。
スタッフは選手達を精一杯支えました。
サポーターはスタンドで大好きなチームを力いっぱい応援しました。
1999年元旦、横浜フリューゲルスは天皇杯で優勝しました。
けれど、みんな(選手もスタッフも・・・サポーターも)バラバラになりました。
サポーターたちの一部による「横浜フリューゲルスを存続させる会」が
中心となって、その後新しいプロサッカーチームを立ち上げました。
フリューゲルスの歴史を継ぎたい、いつか選手たちが『帰ってくる』場所としたい…
あの悲劇は繰り返してはいけない、忘れてはいけない、風化させてはいけない…
人々のさまざまな想いによって生まれたクラブ、それが、横浜FCなのです。
「『応援するクラブがある』ことの幸せ」を、最悪なカタチで味わうことと
なってしまった人たちは、こうして再び歩き始めました。
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