小牧長久手の戦い
長久手の戦い
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西暦 時刻 内    容
1584 4 9 9 池田隊 首ケ狭間、田尻に布陣
1584 4 9 9 堀隊 稲葉を経て撤退
1584 4 9 9 徳川 先発隊本隊に合流
1584 4 9 9 森も敗報を受け岐阜岳に転進し前山付近に到着した時は家康の金扇の馬標が富士ケ根に翻っていた
1584 4 9 9 森は岐阜岳に布陣して池田を待つ
1584 4 9 9 池田も転進して仏ケ根池東南高地を占領して布陣
1584 4 9 9 紀伊守之助、輝政の兄弟を田ノ尻方面に当てる
1584 4 9 9 1.右翼 田ノ尻 池田之助 輝政 40002. 左翼 岐阜岳 森 30003.予備 首狭間 池田勝入 2000
1584 4 9 9 仏ケ根の決戦
1584 4 9 9 家康 内藤四郎左ヱ門正成 高木主水清秀等を斥候に出す
1584 4 9 9 途中、渡辺半蔵、大久保治右ヱ文に会い、”大須賀、榊原等は秀次の軍を破り勝ちに乗じて追撃し堀に敗れた”家康これを聞き、堀が池田、森と合流しないうちに富士ケ根に移ることを決意
1584 4 9 9 井伊直政は軍団を3組みに分けて自らその1組800を引率して徳川本隊前衛となり
1584 4 9 9 八幡林の西南の低地より旗指物をまいて西岩作を潜行し香流川を渡り富士ケ根西より切通を通過し仏ケ根に進駐
1584 4 9 9 他の2組は浅間山の麓より香流川を渡り香桶狭間、仏ケ根を経て本隊の守備につく
1584 4 9 9 直政は仏ケ根の右翼を森に当て備え20人組みの鉄砲隊を先頭に3段に構え雨池の下の方より200丁の鉄砲の備え
1584 4 9 9 森武蔵守長可の戦死
1584 4 9 9 森 五輪の指物、白羅紗の陣羽織に月毛の馬と目立つ死を覚悟の格好
1584 4 9 9 森は敵の左方の備えがうすいと見た
1584 4 9 9 家康が右翼の田ノ尻方面に備えを厚くしたと誤認
1584 4 9 9 森が前進すると井伊の300丁の鉄砲が3段に構えて打ってきた
1584 4 9 9 雨池の下の方より200丁の鉄砲のあおり打ちに会い森眉間を打ちぬかれ声もなく馬上より真っ逆さまに落ち
1584 4 9 9 そのとき、井伊兵部の家来 熊井半右ヱ門組の柏原与兵ヱが撃ち落としたと名乗りあげる或は水野清久の足軽 杉山孫六とも云う
1584 4 9 9 本多八蔵が後よりかけより長可の首をとった 生年27才
1584 4 9 9 この戦いで鳥居金次郎、平松金次郎との間に一番槍の高名争いがあった
1584 4 9 10 仏ケ根の戦い
1584 4 9 10 池田は森より200米東仏ケ根東北方の香桶狭間の縄手、田ノ尻に布陣
1584 4 9 11 森が戦死したので 秋田加兵ヱ、梶浦兵七、片桐与三郎、竹村小平太等は勝入の手に加わる
1584 4 9 11 勝入は左翼の森の備えが悪くなったので右翼の備えを強くせよと命じて奮戦
1584 4 9 11 このとき、家康の馬標が鳥ケ狭間の脇より峰の下へ朝日の昇ることく押しあがりこれを見た池田勢は裏崩れをして敗走し始める
1584 4 9 11 秋田加兵ヱが奮戦したがおよばず討ち死に
1584 4 9 11 勝入備えを立て直そうとしたが家来従わず大半が離脱
1584 4 9 12 池田、森隊敗走
1584 4 9 12 徳川 追撃
1584 4 9 12 徳川 矢田川で追撃中止命令
1584 4 9 12 秀吉 三好敗戦を知る
1584 4 9 12 昼頃に終
1584 4 9 12 4/9 12:00 秀吉の救援
1584 4 9 12 12:00 楽田にいた秀吉 三好敗戦の報を聞く
1584 4 9 12 4/9 昼頃 池田勝入、之助父子の戦死
1584 4 9 12 勝入自ら槍で力戦するも安藤彦兵ヱが槍でつき、馬より落ちた所を永井直勝が首を取る 生年49才
1584 4 9 12 紀伊守之助は朱具足を着て栗毛の馬に乗り田ノ尻を固めていた
1584 4 9 12 勝入の南にいたが父の討死にと聞いて、父の陣地に引き返す所安藤彦兵ヱに討ち取られた生年26才
1584 4 9 12 勝入次男 三左ヱ門輝政は年21才は家来が偽って”2人とも退陣された”と答えたので戦場を落ち居城尼ケ崎へ帰った
1584 4 9 12 家康”秀吉が早やかに動かすので矢田川の線まで敗残兵を追ったならば、速やかに小幡城に入るよう”と厳命
1584 4 9 12 秀吉 千成瓢箪の馬標を先頭に一番貝に合わせて長久手へ出陣
1584 4 9 13 徳川 小山ケ沢で首実検
1584 4 9 13 秀吉 20000兵出発
1584 4 9 13 秀吉 犬山付近の砦を堅め 余りの軍勢で救援に向う
1584 4 9 13 16番貝まで進軍中、落ち武者が引きも切らず続いた
1584 4 9 16 徳川 小幡城に退却
1584 4 9 16 4/9 16:00 家康小幡に入城
1584 4 9 16 竜泉寺に至り、木村隼人 堀尾茂助 一柳市助等を長久手へ偵察に派遣
1584 4 9 16 竜泉寺の坂を下りると家康、信雄は小幡に入城したと知った
1584 4 9 16 稲葉伊予守”日は西に傾いて、敵は勝って甲の緒をしめて取り合う様子がない明朝を期して攻めるように”
1584 4 9 17 秀吉 竜泉寺入城
1584 4 9 17 しかし、すでに家康は小牧に帰陣
1584 4 9 18 秀吉 竜泉寺待機
1584 4 9 20 徳川 小幡出発 小牧山へ帰陣
1584 4 9 20 秀吉 偵察隊派遣
1584 4 9   天正12:長久手の戦い。徳川家康が、三好秀次・池田恒興・森長可らを長久手で破り、恒興父子と長可は討ち死にする。
1584 4 10 4 4/10 早朝 秀吉楽田に帰る
1584 4 10 4 秀吉 楽田に帰陣

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