ファンタジスタの受難
1994年アメリカワールドカップ
僕がはじめてワールドカップを見たのは1986年メキシコワールドカップ
マラドーナが世界を席巻したあの大会からである。
誰もが認めるようにあの当時のマラドーナは世界最高のプレーヤーであり
そのことは1990年イタリアワールドカップでアウゼンチンが準優勝に
甘んじたときでさえ色あせる事は無かった。
そして付け加えるなら薬物問題で追放されたあの1994年アメリカワールドカップでも
やはりマラドーナの神がかったプレーは健在であった。
今見てもマラドーナのプレーは見るものを酔わせる奇想天外なものばかりで
当時多くのプレーヤーが彼のプレースタイルにあこがれた。
そして人々は彼らをファンタジスタと呼びサッカーの中心人物としてその地位を
認めていったのである。
そして同じこのアメリカの地には多くのファンタジスタが舞い降りた。
ルーマニアのG.ハジしかり、スウェーデンのT.ブローリンしかり、
そして最も輝いたのはイタリアの至宝R.バッジオだったであろうか?
イタリアのファンタジスタ達
アメリカでイタリアを準優勝に導き、世界のスター選手となったR.バッジオ。
国内リーグでも彼のようなファンタジスタが溢れ出した。
パルマにはナポリのマラドーナの後輩に当たるG.ゾラ、
サンプドリアにはベテランR.マンチーニ、フィオレンティーナに今なお活躍しているR.コスタ
ACミランには王様とよばれたユーゴのD.サヴィチェビッチ、Z.ボバン
そしてR.バッジオのユベントスにも新鋭のA.デルピエロなどが名を連ね
ますますファンタジスタ中心のチーム作りがすすんでいくかに思われた。
組織プレーから孤立するファンタジスタ
予想し得ないプレーで敵を攪乱していくファンタジスタたちであったが
同時にそれは味方にも高度なプレーを要求することとなる。
ファンタジスタの考えを理解しなおかつそのプレーに自分をあわせるのは
そうそう簡単なことではないのだ。
チームとの意思の疎通が出来ず苛立ちをあらわにするファンタジスタたち。
そして次第に時代はファンタジスタを扱いにくく感じていくようになっていった。
前述のマンチーニはすでに引退、サヴィチェビッチはその類まれなる才能を
まったく活かすことができないままイタリアを去ってしまい、ボバンも出場機会を
満足に与えられず今も苦しみつづけている。
そしてあのR.バッジオは後輩のデルピエロにポジションを奪われていらい
ミラン、ボローニャ、インテル、ブレシアとチームを渡り歩きボローニャ、ブレシアの
ような弱小チーム以外では活躍できなくなってしまった。
そしてR.バッジオからユベントスの10番を奪ったデルピエロも今やZ.ジダンの
陰に隠れ、当時の輝きを失ってしまった。
パルマのゾラもイギリスにわたってある程度成功したものの代表からは
声もかからなくなってしまった。
待ち望むファンタジスタの復活
現実的にはファンタジスタのサッカーは今のスタイルにあってないと言わざるを得ない。
しかしながらワールドカップなどの感動的なプレーの裏にはいつも
ファンタジスタの働きが欠かせないのである。
Z.ジダンのような組織にはまりつつもその繊細なボールさばきで
多くのファンを魅了するプレーヤーが出ることを期待している。
そして2002年の新たなる伝説にファンタジスタの名が刻まれることを夢見たい。