ドーハの悲劇

 

オフトジャパンの快進撃

1992年、日本にもプロのサッカーリーグJリーグが誕生し日本は

空前のサッカーブームが巻き起こった。

その人気の秘密はなんだったのか?

神様ジーコをはじめリネカー、リトバルスキーらの大物外国人の参入もあった。

アデランスのCMにも出たアルシンドの活躍もあった。

ラモス、カズらのスター選手の人気も相乗効果としてあった。

しかし人気の最大の理由はやはりナショナルチームが活躍したことにあったのではないか。

日本が招いたオランダ人監督ハンス・オフト氏率いる日本サッカー界は

確実に力をつけ世界を充分意識できるところまで来たのであった。

オフトジャパンの快進撃はサッカーに関心の薄かった日本国民の目を一気にひきつけ

1994年のアメリカワールドカップでの日本の初出場を夢見るようになったのである。

魅力あふれる代表のメンバーたち

当時の日本は今ほど選手層もあつくはなかったがその分メンバーが固定され

とても魅力あふれるチームになっていたことは間違いない。

GKには不動の守護神松永、ディフェンスラインにはアジア最高のリベロといわれた井原と

闘志あふれるキャプテン柱谷を中心に堀池、都並らが並びラモスがスイーパー的に

中盤をいききしてチームをまとめていた。

中盤にはオフトの秘蔵っ子といわれた森保を据え福田、北澤らが豊富な運動量で

チームのチャンスを作っていった。

そしてフォワードにはアジアの大砲として高木が台頭、カズがエースとして

数多くのゴールを量産していった。

宿敵韓国を破りワールドカップまであと1勝

ワールドカップ予選においても日本の快進撃はとどまることを知らず

ついに韓国と対戦、激しい攻防の末、カズが決勝のゴールを叩き込む。

勝った!本当に勝った!あと一つだ。

最終戦イランに勝てばワールドカップ初出場となる!!

最大の難関であった韓国戦を終えた日本イレブンにとって

イラン戦勝利はほぼ手中にあったといえよう。

カズの先制ゴール

始まったイラン戦。

学生だった僕らは当時夜中の放送であったにもかかわらず

サークルボックスに集まりテレビの前で応援を始めた。

誰も別に企画したわけでもないのだが盛り上がる代表チームの活躍に

自然とみんなが集まったのである。

そして試合は早い段階でカズがゴールを決め楽な展開で前半がすすんでいった。

「いける、これはいける、ワールドカップ出場だ!」

サークルボックスは歓喜の応援で異常なもりあがりとなり

なんとご近所から苦情が来たくらいである。

暗雲きりさく中山のゴール

しかし終始日本のペースですすんだ前半終了間際にイランに同点ゴールを許してしまう。

「なんか嫌な展開だ・・・」

夢から覚めたように凍りつくサークルボックス。

追いつかれた後、重く暗い空気がただよい時間はいたずらに過ぎていく。

韓国の試合結果によっては引き分けではワールドカップの夢が途絶えてしまうのだ。

「やはり、今回もダメなのか・・・」

一転して静まり返る僕たちの目に歓喜の勝ち越しゴールがもたらされた。

オフサイドラインぎりぎりのところを抜け出し、倒れこみながらボールをゴールマウスに

叩き込んだ男が腕をつきあげ雄たけびをあげる。

その男こそゴン中山であった。

当時中山はJリーガーではなくJFLのヤマハ(現ジュビロ)に所属。

この大会での活躍でその名を全国に轟かせた熱血漢であった。

「よーし!よーし!よーし!」ボックス内が再びわきあがり試合は再び日本のペースに

そして今度こそ日本のワールドカップ出場を信じて疑わなかった。

悪夢のロスタイム

その後も試合は一方的な日本の展開となり刻一刻とその時は近づいていた。

そしてロスタイムに入る、時間はもうほとんどない。

イランにコーナーキックのチャンスがめぐってきたとき時計は45分を指していた。

「おそらくあとワンプレー」

このコーナーをしのげば日本のアメリカ行きが決まっていたはずだった。

蹴った、ショートコーナーだ!ボールがふわりとゴール前に浮かび上がる。

ごちゃつく選手たちを中継してボールが落ちたところ

そこは日本ゴールだった・・・

見たかったアメリカでの雄姿

静まり返るボックス内、誰一人声を発するものなく画面をただじっとみつめていた。

そしてリプレイを空しくみつめていた。

あれから4年後日本は見事ワールドカップ参加を果たすことになった。

しかし僕はいつも思うのだ。

オフトジャパン、日本がはじめて世界を意識できた魅力あふれるこのイレブンで

ワールドカップをたたかう姿を見てみたかった。

トルシエジャパンも素的で魅力あるのは事実だが

それでもオフトジャパンを見たかった。

率直にそう思っている。